6-15 名もなき邪神、大地に立つ

 立体映像投射器ホログラフィッカーが映し出す都市全域マップへ視線を落としながら、大嶽左龍は『何かがおかしい』と、得体の知れぬ異変を感じ取っていた。


 何か確固たる証拠があるわけではないが、その異変の出所が良く分かっていないのが、より一層の精神的疼きを生じさせている。


 都市を襲った空前絶後の大規模テロ事件は、ここにきて沈静化を迎えつつあった。

 あの恐ろし気な風貌をした軍鬼兵テスカトルの軍勢は、機関員たちの決死の働きによって、そのほとんどが死滅を迎えていた。

 テロ活動の一翼を担っていた人造生命体ホムンクルスの討伐も、無事に完了している。


 おまけに、村雨了一、七鞍朱美両機関員から本部に送られたチャミアの電脳データと、仮想世界で電脳部隊に仕留められたアハル・サイバー・ランナーの個人情報プロファイルを照合した結果、テロ組織・ダルヴァザの本拠地を掴むことも出来た。


 こうして得られた客観的事実を並べてみれば、状況は刻々と機関側に有利な形に働いている。

 そう考えるのが自然である。


 であるにも関わらず、大嶽の紫色に光る瞳はますますの緊張感で満ちていた。

 珍しく、こめかみを嫌な汗が垂れるほどだった。


「見えない怪物に狙われているような気分だ」


 誰に聞かせることもなく、ぽつりと呟きを漏らす。

 と、その声に反応する者がいた。


「第六感が冴えておいでのようですね」


 枯木が喋ったかのような、しわがれた声。

 振り返ると、いつの間にそこにいたのか。

 司令室のドア近くに、一人の老人が突っ立っていた。


 その老人の特徴を一言で言い表すとするなら、『白』とでも呼称すべきだろうか。

 髪も、眉も、口髭も、顎髭も、耳毛も、金色刺繍袈裟の裾から覗いた腕の毛すらも白かった。

 顎髭に至っては白いだけでなく、地面に届こうかというほどの長さを湛えていた。


 顔に刻まれた皺は剃刀のように深く、それがまるで、清濁併せ飲んできた老人の生き様を如実に現わしていた。

 棺桶に片足を突っ込んでいるような年齢に差しかかっているが、背筋はしゃんと伸び、活力に溢れているのが一目でわかる。

 加えて、額には幽霊が被る三角頭巾よろしく、花の意匠が施された眼帯が当てられていて、これがより一層、老人の素性を不確かなものとしていた。


「こんなに嫌な感覚を覚えるくらいなら、鈍感な方がずっとましさ」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、大嶽は視線を老人へと向けた。


「御坊、何かあったか? まさか大禍祓局ゲオルギウスの長ともあろう者が、暇つぶしでここに来たわけじゃないんだろう?」


 御坊と呼ばれたその老人――降魔院清玄ごうまいん せいげんは、しっかりした足取りで大嶽の傍に寄ると、静かに耳打ちした。


「波動観測手からの報告によると、呪的歩道ワンダー・ロードに異変が生じているとのことです」


 予断を許さない響きが、その台詞に込められていた。


「具体的には?」


「歩道ルートが数分おきに変化しているとのこと。十中八九、深仙脈レイラインに異常が発生していると推測されますが」


「……実は、似たような報告が既に上がっていてね」


 視覚野上にデータを投影しながら、大嶽が難しそうに眉根を寄せた。


「テロ発生に前後して、妖触樹テンタクレイたちの活動値が低下している。都市の結界に何かあったと見るべきだろう」


「結界……平将門公の力が弱体化していると?」


「そう考えるのが妥当じゃないかな。ただ、原因はサッパリだけど」


「……少々、宜しいですかな?」


 大嶽と入れ替わる様にして、清玄は立体映像投射器ホログラフィッカーを見下ろす位置に立った。

 皺と白毛だらけの両腕を、装置と繋がったタッチスクリーン・パネルに置く。

 慣れた手つきでパネルを操作。半透明状に浮かぶ都市全域マップを注視しながら、現場からの情報をオーバー・レイ表示していく。


 あるデータがマップに重なる様にして表示された途端、ぴたりと清玄の手が止まった。


人造生命体ホムンクルスたちの進行ルートだな」


 横で様子を伺っていた大嶽が、簡単な解説を入れた。

 マップに重なったそのデータは、赤い光点が過密的に連なった結果、ミミズが這った後のように見える。


「その赤い線が、奴らの辿ったルートだ。奴ら、徹底的に殺戮をやりながらその周辺を徘徊・・していたらしい」


「つまり、この付近でテロリストたちは破壊活動を起こしたと?」


「そう言う事になるね」


「……機関長、これは――」


 清玄が、鬼気迫る表情で何かを口走りかけた時だ。


 ずん、と地底を押し上げるような巨大な振動が、司令室全体を激しく揺らした。

 ところどころで悲鳴が上がり、天井の壁が一部捲れて落下した。


 あまりの揺れを受けてバランスを欠いた大嶽と清玄だったが、二人とも、慌てて近くの手すりを掴んで事なきを得た。


「総員! 近くの柱にしがみ付け!」


 指示を飛ばしながら、視線を資料棚へ向けた。

 棚が次々に倒れ、大量の電子ファイルホルダーが床に投げ出された。

 その光景を見て、大嶽はようやく『地震』だと察知した。

 だが、清玄はまた違う何かを感じたようで、


「先にしてやられましたな」


 己の役目が近い事を悟りながら、彼は視線をゆっくりと上げた。

 揺れが、次第に収束していく。

 僅かな安堵が、沈黙と溜息に変わって司令室に広がった。

 だがそれも、更なる驚異の到来を前にして、一気に緊張感へと変じてしまった。


「とんでもないことになりましたぞ、機関長」


 清玄の声色に混じる、わずかな畏れと哀しみの色。

 司令室の中央――一際巨大な壁面スクリーン――現場の映像記録飛翔体レギオンが、『それ』を映し出していた。


 眩い輝きを放つ、虹色の珠。

 ドクター・サンセットの巨大地下研究施設にあったのと、同型と見るべき何らかの異物。

 それが、あらゆる摩天楼メガストラクチャーを見下ろす恰好で、宙空に漂っている。


 珠の真下――名の知れた寺社仏閣の残骸が、ゴマ粒のように散らばっているのを、大嶽も清玄も目撃した。それが意味することも分かっていたが、何と口にすれば良いのかが分からなかった。


 虹色の珠が放つ気配――悪意。

 安寧を拒み、安寧を良しとする全ての知的生命体を抹殺せんとする、純粋で、健気で、絶対不犯の殺意を、その場にいる誰もが感じていた。

 オペレーター・アンドロイドの何体かが、その圧倒的な殺意のプレッシャーに気圧されて、回線をショートさせて機能を停止。

 再びざわめきを取り戻した司令室にあって、大嶽がぽつりと口にした。


「蘇った……平将門公の怨霊が……」


「いえ、アレは似て非なるモノ」


 厳しい顔つきのまま、清玄が大嶽の発言を正す。

 額の眼帯を外し、霊視眼エコー・サイトを開眼。

 その『第三の眼』で画面越しに異形の存在をしかと認めると、清玄は敵の正体を即座に看過した。


「あれは、将門公の荒魂を依り代に降誕した、名もなき邪神であらせられましょう」


「名もなき邪神?」


「都市において、名づけは神的存在の力すらも限定化させます。それをあえて行わぬことで、神に宿る属性を拡大解釈させている。間違いなく、あれは破壊に特化した脅威的存在に他なりますまい」


 その言葉に反応するかのように、虹色の珠の表面に亀裂が入った。

 鋭利な刃物めいた紫色の光をその切れ目から迸らせながら、珠の内側が俄かに捲れる。


 中から現れたのは、白く眩く光り輝く、人型の巨人。

 どうしたことか首から上はなく、まるで殻に籠るかのように三角座りのまま宙に浮いている。


 首が無いとはいえ、巨人の姿形は人間のそれであり、それでいてかなりの異形と呼べた。

 腕の数は左右合わせて六本。指の数はそれぞれ十本。

 背中からは、葉脈めいて赤い筋が刻まれた巨大な四対のはねが生えて、その表面部から黒と金の鱗粉を撒き散らしていた。 


 邪神が放つ禍々しい気配に怯えるようにして、上空を厚く漂っていた叢雲がひとりでに散った。

 顔を覗かせるは蒼白い月光。その冷たい輝きが、首なしの巨人の魂を覚醒させた。

 

 威厳めかしく、全ての生きとし生ける者を包み込むかのように、左右六本の腕を広げる邪神。

 ゆうらり、と四対の翅で大気を扇ぎながら、速度を落とした隕石のごとく降下。

 大木めいて図太い二本の足で、幻幽都市の大地を掴んだ。


「なんであんなバケモノが出てくる羽目になったか。その原因についての見解は? 御坊」


 全長百メートルはあろうかという画面に収まりきらないほどの災厄を前にして、しかし尋ねる大嶽の声はすでに震えてはいない。

 覚悟を決めた男の肚から、すでに恐怖は追い出された後だった。


「さきほどのデータにあった赤い線。あれは拙僧が見たところ、『傷』のように見えました」


「傷……将門公の首塚を守る寺社結界を破壊する為の傷、ということかい?」


 話しながら、大嶽の脳裡に『予言の詩』の一節が浮かんだ。


 ――銀の異形は傷となりて、更なる異形の呼び水となろう。


 銀の異形は、ドクター・サンセット子飼いの人造生命体ホムンクルスの事を指し、『更なる異形』とは、この突如として現れた邪神の存在を指していたのだと、この時になって初めて理解できた。


 だが、大規模神託演算機アンティキティラが描き出した都市の未来予想図にいまさら気が付いたところで、すでに事態は大きく動いた後だった。


「仰る通り。寺社同士を結ぶ力の線を横から断ち切るかのようにはしる赤い線……おそらく、敵は殺戮の行路を刻んで結界を破壊し、将門公の荒魂を現世に召喚することが、真の目的だったのでしょう。これは一種の魔術的儀式と言えますな」


「だけれど、あれの正体は名もなき邪神だと言っていなかったか?」


「ですから、『依り代』にされておるのです。将門公の魂が、別の邪なる存在に神格ごと乗っ取られてしまっている……何とも罰当たりな話ですな……」


 話している最中、モニターが眩く光り輝いた。

 何事かと反射的に振り返った先で、大嶽は見た。

 邪神の体。その至る箇所から鉛色の唇と口腔が現れ、青白い超高熱の蒸気を勢いよく吐き出している。

 蒸気の波は音速のスピードに達し、あたりのビルや人家を竜巻めいて薙ぎ払い、悉く塵と化していった。


「……御坊、あれを仕留められるか?」


 非情ともとれる問いに、都市唯一の大僧正グランド・マスターは、眉根を静かに震わせて応えた。


「それをやるのが、拙僧の仕事でございます」


「可能か?」


「調伏は無理でしょう。滅相しかありませんな。その為には、あの邪神が封印時につけられていた『名』を探るか、こちらの方で新たな名をつけてやるしかありませんが」


 不敵な笑みを、清玄は浮かべた。


「まぁ、お任せ下されよ」

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