5-2 心の権利、あるいはアンドロイドの運命について②
街灯がアスファルトの道路を仄かに照らし、
「エリーチカさん、寒くないんですか?」
「アンドロイドに暑い寒いの概念はありませんよ。体温調節センサーが内蔵されていますからね。外気温に合わせて体内熱温度を調節すれば、熱帯地方だろうと北極だろうと、どこでも運用可能です」
「はぁ……凄い。まるで変温動物ですね」
「再牙も初めて私と出会った時、そんなことを口にしていました。トカゲみたいだなって。まったく失礼な話です。この麗しいワガママボディを見て、出てくる感想がそんな――」
他愛ない会話は、そこで唐突に途切れた。エリーチカが何の前触れも無しに、ぴたりとその足を止めたからだ。
「どうかされたんですか?」
琴美が声をかけるも、反応は無い。紺碧色をした眼差しを、ある一点へ送り続けているだけだ。
たまらず、琴美はエリーチカの視線を追い、そこに何があるのかを確かめた。
別に、何と言うことはない。住宅街の人たちが利用するゴミステーションが、土塀際に置かれているだけだった。
エリーチカはゆっくりと、そのゴミステーションへ向かって歩き出した。彼女の背に隠れるようにして、琴美が後に続いた。
「あ……」
捨ててある『モノ』を目にした瞬間だった。琴美は、小さくひきつった声を漏らした。そこに捨ててあった代物を、どう頑張ってもゴミと認識できないせいだった。
しかしその一方で、エリーチカは唇を閉じたまま、冷静な面持ちでそのゴミをじっと見下ろしていた。
衣服を剥かれ、全裸に晒された人形。
それが、ゴミの正体だった。
しかし人形とは言っても、サイズは小学生ほどの大きさがあって、脇腹や肩のあたりには雑な補修の痕が見受けられた。右目の眼球部は欠けて、黒く染色された人工頭髪も剥がれ落ち、見るも無残な事この上ない。ぱっと見た限り、児童の腐乱死体と見間違えかねない。人形は、それだけ精巧な造りをしていた。
絶句している琴美をよそに、エリーチカがはっきりと口にした。
「アンドロイドですね。しかも私と同じ、
それだけではない。体の線の細さから言って、これは女性型のアンドロイド――ガイノイドと呼ばれる代物だ。
「この破損状況から推察するに、稼働年数を迎える前に機能を永久停止したようですね。雇用者が定期的メンテナンスを怠った結果です」
淡々とエリーチカは告げた。同胞の末路を目撃しても、彼女の心は一切の揺らぎを見せていないようだ。
対照的に、琴美の心中は穏やかではない。思わずエリーチカに向かって、怒り混じりの声を張り上げる。
「そんな呑気に考察している場合じゃないですよ! 早く警察……じゃなかった!
「通報?」と、エリーチカが首を傾げる。
「もしかして、獅子原様はこの事態を、事件と受け取っておられるのですか?」
「当たり前ですよ! だって、いくら人形だからって、こんな扱い……ひどすぎるよ……」
言葉の最後の方は、ほとんど吐息を吐くような具合だった。哀しみに満ちる琴美の瞳。それがどうしたとばかりに、エリーチカは無情にも都市の常識を告げた。
「お言葉ですが、これがこの都市では正常なことなのです。
エリーチカは、朽ち果て、打ち捨てられた同胞へ視線をやった。
「幻幽都市では、アンドロイドに人権はありません。アンドロイドの運用管理に関する法律は
「そんな……じゃあ、家電製品を捨てるような、そんな感じだって言うんですか!?」
「仰る通り。アンドロイドは、人間に似せた機械人形です。所詮、私たちは人形なんですよ。ですから、こうしてゴミ捨て場に捨てられていても、誰も見向きはしません。破壊されても器物損壊罪として扱われるだけで、決して『殺人事件』としては立件されません」
淡々とした説明を聞いているうち、琴美は、自らの心が凍えていく感覚に襲われた。そしてまた、ひどく居たたまれない気分にも陥った。
エリーチカが
「さっきも言いましたが、アンドロイドは人間にとって、都合の良い存在でなければいけないのです。こうした風潮に真っ向から反論して、デモ活動をしている方々もいらっしゃいます。ですが恐らく、現状は変わらないでしょう。何故なら――」
「人権を認めると、アンドロイドが人間にとって都合の悪い存在になる……」
琴美の呟きに、エリーチカは黙って頷いた。
「これが、アンドロイドの辿る運命なんです。動かなくなったらゴミとして処理されて、お墓も立ててもらえません。アンドロイドとして生まれた以上、こうなる運命を変える事は出来ないのです」
エリーチカはそこまで述べると、花のように押し黙った。
いや、正確には歯切れが悪くなったというべきだった。
胸のあたりで、言葉に出せない感情を懸命に抑えつけているようだった。
「でも、それでも」
瞬きをする回数が増える。
それに同期するかのように、エリーチカの唇の隙間から漏れる声が静かに震えを帯びた。
「どうしてなのか分かりかねますが、我慢が……ならなくなる時が……あります」
「エリーチカさん……」
心配そうに顔を向ける琴美を、エリーチカは片手を上げて制した。表情は鉄仮面を維持しているものの、その内側では抑えがたい感情が暴れているに違いない。
「申し訳ございません。大丈夫です。私は正常です。
「エリーチカさん……」
オウムのように、琴美はエリーチカの名を繰り返し口にした。それしかできない自分に、苛立ちさえ覚える始末だった。
どうしてこんな目に彼女が遭わなくてはならないのか。理不尽を前にして、どうすることもできないのか。そうは思いたくなかった。
エリーチカは人の感情を理解できる。感情を生成することだってできる。ただ、それを上手く出力できないだけだ。再牙はそう言っていた。
哀しみや怒りといった負の感情を発露しないように、
なら、エリーチカの『本心』はどうなのだろうか。琴美は、直ぐにその問いに対する答えを導き出す事が出来た。きっとエリーチカだって、人間と同じように、泣いたり怒ったり、笑ったりしたいはずだと。
他者の心情を主観的な考えで決めつけるのは憚られるかもしれないが、それでも琴美は、そう思いたかった。なにより信じたかった。
感情の規制と必死に向かい合うエリーチカの傍で、琴美は少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。そして何を思ったか、彼女はおもむろに自前のコートを脱ぎ始めた。
「獅子原様?」
エリーチカが尋ねるも、琴美は何も言わなかった。そうして、脱ぎ去ったコートをアンドロイドの残骸に、そっと被らせた。
夜、気持ち良さそうにベッドで寝ている子供の掛け布団の乱れを、母親が直してやるように。静かに、そして優しく。
「やめて下さい。そんなことをしたら、貴方、風邪を引いて――」
「昔の話なんですけどね」
静かな、それでいて強い口調。それはエリーチカが初めて見る、琴美の真剣な表情だった。
「小学生だった頃、お父さんと映画を見に行ったことがあるんです」
「お父さん……獅子原錠一氏とですか?」
「そう。お父さんが家を出る一年くらい前に、リバイバル上映されていた映画を見に行ったんです。西部劇……マカロニ・ウエスタンっていうジャンルの映画で、私もお父さんも、その映画が大好きだったんです」
「……はい」
「その映画の中で主人公のカウボーイが、戦争で負傷して動けない兵士さんに煙草を吸わせてあげて、毛布を掛けてあげるシーンがあって……結局、その兵士さんは亡くなっちゃうんだけど、私、そのシーンがすごく想い出に残っていて……」
脳裡でその時の光景を思い浮かべながら、琴美は続けた。
「私、まだ十五歳だから煙草なんか買えないし、暖かい毛布もないけど、でも、せめてこれくらいはしてもいいと思うんです。ううん、違う。しなきゃダメですよ。この街に来て、まだ一週間も経ってない私が言うのもおかしな話かもしれないけど、アンドロイドは人間として扱わなきゃ、ダメな気がするんです」
琴美は言い終えるとしゃがみ込み、静かに両手を合わせて黙祷を捧げた。
秋風が吹く。冷たい秋風が。
しかし、琴美が肩を震わせることはなかった。
「琴美……さん」
エリーチカは呆然として、琴美が祈りを捧げている姿を、ただ見続けるしかなかった。
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