第四幕 真実は仮想世界に/獅子原錠一

4-1 絶対領域のロア

 新宿から霊脈列車に乗って一時間ほど西に揺られれば、もうそこは立川市だ。

 デッド・フロンティアとは目と鼻の距離であるせいか、立川市は狂暴な有害獣ダスタニアが頻繁に出没することで知られている。大量の邪香滅体ホーリー・インセンスが噴霧塔から撒かれているのも、そのせいだ。辛味の効いた魔除けの芳香が鼻腔を刺激する。思わずむせ返りそうになりながらも、再牙は先を急ぐことにした。


 改札を出てふと空を見上げると、ネオパラジウムやアガルタニウムを含む赤褐色の叢雲が、重く垂れ込んでいるのが目に入る。毒の集中豪雨がもたらした深い痕跡は、まだこの街から立ち去る気配を見せていないようだった。


 再牙は、駅に面した大通りを歩きはじめた。新宿などの都心部とは違って、立川市の大通りは賑やかさからは著しくかけ離れていて、ただひたすらに閑散としていた。ときおり、霊的災害オカルト・ハザードの鎮圧を専門とする民間祓魔会社の武装霊柩車や、犯罪者を護送するための刑務車が往来するだけで、中流クラスの一般車種は、てんで見かけない。


 建物にも、同じことが言えた。通りに面しているのは、特殊強化プラスチックと耐燃材木とを組み合わせた安い家々がほとんどだ。発展の象徴たる摩天楼メガストラクチャークラスの建造物は、まるで神隠しにでも遭ったかのように見当たらない。

 しかも、建物の基礎部分は重金属酸性雨を長期に渡って浴び続けたせいで、ひどく歪んでしまっている。崩落の危険性があるため、分解性ナノマシン・パウダーを運用した解体工事が進められている建物があるのも、当然と言えた。


 放棄された生命の絞り滓。そんなフレーズが良く似合う街並みだった。


 立川市の地上に生きる人々に、人権保護プログラムは適用されていない。そのせいで、毎年結構な数の餓死者が続出しているのは知れた話だ。地下の居住空間に生活基盤を築けた者や、地下住人を顧客とする雑貨商人らの生活レベルだけが、人間らしい基準に達しているという有様だった。

 

 立川市一帯を襲った、局地的な重金属酸性雨の大氾濫。それが全ての明暗を分けたのは、今から十二年前のことだった。

 あらゆる金属を腐食させる地獄の雨が四週間以上も降り続けた結果、立川市の地上施設は、その多くがガラクタへと変じてしまった。この区画にも蒼天機関ガーデンの出張所が設置されてはいるものの、水害を契機にバランスの崩れた治安をまとめ上げるだけの統制力は無かった。

 終末を告げるかのような地獄の雨。その影響はどれだけの月日が経過しようとも色濃く残り、立川市のメイン・ストリートは地下へと変遷せざるを得なかった。


 いまや市の地上世界を事実上牛耳っているのは、地下区画アンダーを根城とする闇の住人達だ。

 地下区画アンダー――そこは、人工太陽光放射球体の天照デミ・ラーに導かれた新天地。猥雑さと享楽が片時も離れずにいて、常に大金が目まぐるしく流動する世界。そこを一手に管理する立場にあり、支配者のごとく君臨しているのが、市の経済事情をも牛耳る大手の都市渡世トライブたちだった。


 路地裏のあちこちに点在する、地下区画アンダーへの入り口。その近辺には決まって、街の電力を造り出す選択的重力猫バター・キャットが設置されていた。生活には欠かせぬ装置でありながら、それは一つの指標としても機能していた。つまり、どこの都市渡世トライブが『猫入り缶詰め』のメンテナンス業にどれだけ手を伸ばしているか調査すれば、暗黒の地下都市の勢力図がおおよそ把握できるという訳だ。


「旦那、どうですかい?」


 大通りを抜けて、寂れた雑貨通りに足を踏み入れたときだった。無遠慮にも行き手を阻む何者かが、再牙の目の前に現れた。

 茶色いコートを着た小男だった。怪しげな品物を揃える雑貨店の小間使いと見て間違いない。よく見ると、男の右目には本来あるはずの眼球がなく、ぽっかりと大きな穴だけが空いていた。


「今、いい感じのモノが入荷したばかりなんですよ」


 立川市には似つかわしくない小綺麗な恰好をした再牙を、上客と判断したのだろう。薬物焼けした肌に包まれた小男が、黒く変色したセラミックトゥースを覗かせながら卑しく笑いかけ、親指を立てて背後にある店の軒先を指差した。

 見ると、ショーウインドウの向こう側で何体かのセクサロイド達がパッケージ姿のまま、虚ろな視線を宙に泳がせているのが目に入った。


「一番右端の奴なんかは、この間自殺した電脳アイドルの情報体アバターをサルベージして組み上げたものでしてね。自我の完全再現とまではいきませんでしたが、枕営業で培った技術だけは何とか復元できたんですよ」


 客の気分を煽るように、口をひょっとこ型に窄めて猥雑な笑みを浮かべる小男を、再牙は冷ややかに見下ろした。小男の発言が、デタラメだと知っているからだ。

 仮想空間で散った魂をサルベージする技術は、まだ研究段階にある。何よりそれが実現可能だからといって、死者の魂を埋め込まれた機械人形に逸物を触らせてやる趣味など、持ち合わせていない。


「他にも、低級霊を改良した輪廻転生愛玩動物ウロボロス・ペットなんかも扱っていますよ。ウチのは他と違い四段階に変化して、最初はトカゲ、次に小鬼、次に空飛ぶ大蛇、最後には天使へと存在性質を変化していきます。ああ、ご心配なく。育成用の変調楽曲ハレルヤも格安で取り扱っていますから……」


「もういい。結構だ。先を急いでいる」


 突き放すように言い残してから、再牙は小男を振り解くようにして先を急いだ。

 歩きながらちらりと後ろを見やるも、小男がしつこく勧誘を続けてくる様子はない。小男は、不満げな目つきで再牙の背を睨んでいたが、やがてすごすごと店の奥へ引っ込んでいった。

 それと入れ替わるように、今度は路地裏の角から、首周りに得体の知れない金属の触手を生やした合成野犬ハウンドドッグが一匹、血塗れになった人間の手首を加えて、何処かへ歩き去っていく姿が目に入った。 

 と思えば、路辺に転がる麻薬中毒患者の遺体に、赤子ほどの大きさを持つ赫虐肉辱大百足レッド・ハンドレッドがびっしりとこびりついて、屍肉を汚ならしく食い荒らしている。

 ゆるやかに死を待つだけの立川市地上の情景として、それは恐ろしいくらいにぴったりと馴染んで、ここが真っ当な人間の住処ではないことを証明しているようだった。


 それでも、些事に過ぎない。

 都民にしてみれば、汚泥のごとく溜まった死の芳香など嗅ぎ馴れていて当然だ。怪奇街とも称される立川市がいかな魔窟であろうと、日常の風景としてあるのに変わりはない。こんな光景に出くわす度におっかなびっくりしていては、精神的にもよろしくない。

 そうは言っても、来訪者には刺激が強すぎる。改めて、こんなひどい地区に琴美を連れてこなくてよかったと、再牙はしみじみ思った。


 捜索屋から受け取った内容を琴美に伝えた時、彼女は自分も行くと言ってきかなかった。あまりにもしつこかったが、身の安全を保障できないことをくどくど説明すると、彼女はひどく腹が立った様子ながらも渋々承諾してくれた。依頼者の気分を害させる結果にはなってしまったが、やむを得なかった。

 琴美の身元は今、体内定期検査を終えたばかりのエリーチカに引き取らせてある。千代田区にある馴染みの射撃訓練施設で時間を潰すように言ってあるため、よほどの事が起きない限りは安全だと再牙は考えていた。

 エリーチカは万屋稼業の経歴では再牙より長かったし、なにより依頼者の盾になるだけの覚悟と、その覚悟に見合っただけの力も持っている。

 バジュラの動向は依然として気にかかるが、今はそれより、目の前にぶら下がった真相への扉をこじ開けるのに務めるべきだった。


 再牙は気持ちを正すと、雑貨通りを脇目も振らずに歩き続けた。やがて辿り着いた一軒の店の前で、彼は静かに足を止めた。

 店の名を示す立体式看板ホロサインは、どこにも見当たらない。控えめに輝く電飾が、死を慰める弔問花のようにぎっしりと、店の外壁と屋根に余すところなく絡みついているだけだ。それなのに、店内は外からも分かるほどに薄暗く、客がいるかどうかすらも判然としない。


 今時珍しい手動式のドアを押し開けた。

 埃と酸っぱいカビの匂いが鼻腔に流れ込む。

 再牙は僅かに顔をしかめながら、あちこちに置かれたショーケースに目をやった。中に、ジャンク品の数々が陳列されている。前世紀に流行した情報機器の死骸にして、愛好家マニア向けの商品だ。

 芸術志向アーティスティックを加速させたあまり、自閉症アルティスティックに陥りかけている客どもを相手にしていながら、この店の主人の精神状態は常に均衡を保っている。

 その証拠に、彼は精神調整剤を謳う薬物の類には決して手を出さなかったし、今もまた、ジャンク品の山を背にして事務机に肘を突きながら、こっくりこっくりと船を漕いでいる始末だ。

 しかし、そんな呑気な態度もすぐに終わる。

 客の到来を悟ったのか。店主は寝ぼけ眼をうっすらと見開くと、白い口髭に覆われた唇の隙間から、困惑と驚きの声を漏らした。


「お……お、おお……?」


 店主の背は琴美よりも低く、一見すれば肉付きは貧相で、見るからに老人と断言していい年齢に差し掛かっている。顎の先には大きな染みが恥ずかしげもなく広がっていて、癖の強い白髪は方向を見失ったかのように、毛先があちこちを向いていた。

 まるで浮浪者のような身なりだった。それでも、彼の存在を軽く見積もる世間知らずなど、この街にはほとんどいない。


「また新しい人造魔眼をはめ込んだのか? ロア」


 古い友人に語りかけるように言いつつ、再牙の視線は、老人店主の両眼に刻印された太極図を見据えていた。

 ジェネレーターの亜種とされる、魔眼保持者と呼ばれる超越者たち。彼らの力を解析し、民間に扱えるレベルまで効力を落とした人造魔眼も、機械製義手と同じ役割を担っていた。つまりは、自己防衛とファッションだ。

 ロアと呼ばれたこの老人店主もまた、その恩恵にあやかっていた。


風水眼フェイ・ガンと言いましてね、二代目。害悪バッドを予見し、吉兆ホープを見極める魔眼オンリー・ワンです。結構値段が張る特注品オーダーでもありまして、手に入れるのに苦労しましたよ」


 ロア老は再牙を『二代目』の符丁で呼ぶと、生まれつき真っ白な歯を覗かせて笑った。それが、この老人がまだ闇に染まりきっていないことの証拠であるように、再牙には思えた。

 ロア・ザ・スランギィ・グレイライン。通称・絶対領域アンタッチャブルのロア。生粋の日本人。もちろん偽名。本名は誰も知らないし、知ろうとさえしない。

 アナザポリス・チックな俗っぽい言い回しスランギィを魔法使いめいて操るこの奇妙な老人こそ、立川市民最後の良心。

 下級都民ロウワーで満ちる立川市の地下区画アンダーにおいて、敵対者同士の仲を諫める仲介業務を十年以上にも渡って勤めあげた、古き知恵者だ。

 昨年の暮れに仲介業務を退いてジャンクパーツ・ショップの店長に転身したが、その地位は依然として不可侵の域を保ち、裏社会と表社会の境界線グレイラインに立ち続けている。

 老獪でありながら奸計を編むこともせず、人間としてのルールをきっちりと守ろうとする奇特な態度は、ダークタウンの住人らが持ち合わせていない謙虚さの現れだ。

 再牙がロアの性格を好ましいと感じるのも、それが要因だったりする。


「アタシも、気づけばもうこんな年だ。今まで多くのラグナロクを見てきちまった。だから、せめてちょっとしたご褒美ラスト・ワンにありつければ、アタシの擦れた心ラスティ・ハートもほんの少し、癒されるラヴィッシュんじゃないかと思いましてね。それでコイツに手を出したんです」


「あんたの心は擦れちゃいない」と、真面目な調子で再牙が言った。「ここは蒼天機関ガーデンの派出所があるとは言え、ほとんど機能してないのが現状だ。そんな中で、他所よりも犯罪発生率が低いのは、あんたが堰き止めているおかげだからだ」


「おだててどうするんですか、二代目。アタシのパワーなんて大したものじゃない。もし、アタシのおかげでこの通りが混沌ケイオスに吞まれるのを踏みとどまっているとお思いならば、とんだ勘違いだ。アタシの仕事ビズをサポートしてくれた、あなたの先代ゴッド・マザー……涼子さんのお力あってこそのものです」


 ロア老はゆっくりとした動きで椅子から軽く腰を浮かせると、両足を突っ張り、苦難を処理し続けてきた皺だらけの両手を事務机の上に置くと、寂しげに目を伏せた。


「すいません二代目。最近、どうも足腰の調子が悪くて……ろくにあの人の墓前ステア・ウェイラヴを添えてやることもできない。来月になれば義足の交換が済みますので、その時には必ず……」


「気にしてくれてありがとう。でも、無理はしないでくれ。この街はまだ、あんたを必要としているし、それに、涼子先生の功績を知る人には、少しでも長生きしてもらわなくちゃいけないからな」


「違いありませんね。お気遣い、感謝いたしますよ。ところで、今日は何用ですか? せっかく良客グッドネスが来てくださったんだ。吉兆ホープが舞い込んでくれたお礼に、サービスしますよ」


「あんたの異名通り、ちょっと都市伝説ロアに関する情報を知りたくてな」


 再牙は事務机の前まで移動すると、さっそく要件を切り出した。


「ホワイトブラッド・セル・カンパニーについての情報を知りたい。噂でもなんでもいい。あんたが知っていることをすべて教えてくれ」


 真剣な様子で頼み込む再牙に対し、ロア老もまた仕事人の眼差しを持って迎えた。ゆっくりと椅子に座り直し、枯れ木のような両腕を組む。電脳内に保存していたデータベースから目的の情報を引っ張り出して、自身の視覚野に投影させた。

 表向きは売れ行きもそこそこなジャンク屋でありながら、ロア老には『情報屋』というもう一つの顔があった。これまで闇の地下世界で培ってきたパイプの太さと多さを駆使して、その陰の業務は成立していた。

 しかしながら、個人や組織の情報を横流しする仕事は、何かと危険が伴うものだ。ましてや、地下区画アンダーに蠢く者どもの情報となれば尚更のこと。あっちこっちにいい顔をしていれば、自分の首を絞める事になる。

 だから彼は客をとことん限定した。情報屋としてのロア老を知るのは、火門再牙ただ一人だけだ。他には誰もいなかったし、いる必要がなかった。

 再牙の先代が十年ほど昔に、仲介業務を始めたばかりのロア老に依頼されて色々と工面してやった名残りで、そのような関係性に至ったのだ。

 ロア老本人としては恩返しのつもりで、再牙専属の情報屋を営み始めた節があったのかもしれない。


「また随分と、きな臭い都市伝説ディープ・ロアに興味をお持ちのようですね。お仕事ビズですか?」


「まぁな。で、どうなんだ?」


「あそこは二代目もご存じの通り、数年前に火災事故アクシデントがあって、そのせいで閉鎖クローズに追いやられた民間企業コーポです。しかしながら、あれは事故アクシデントなんかじゃなかったというロアが、超現実仮想空間ネオ・ヴァーチャルスペースを中心に囁かれていましてね」


「つまり、放火ファイア・スタータだったというのか?」


「どうもそのようですが、真偽を確かめる術はありません。あそこも今では危険区域デンジャー・パークに指定されて、現実リアル仮想ネット両面ボースから厳しい規制キープ・アウトが敷かれてしまっていますから」


「危険区域の周辺地帯には、常に区域守護監査官が常駐しているんだったな。彼らの目をごまかすのに有効な手段はあるか?」


 暗に危険区域内への潜入を匂わせる発言だったが、ロア老は特にたしなめることもなく、淡々と見解を述べていった。


「ほとんど不可能インポッシブルだと思いますよ。危険区域デンジャー・パークを守護する機関員ソルジャーは、本部センターから派遣されている生え抜きエリートですからね。機関の中核を形成している呪装鎮圧部隊イシュヴァランケェから区域守護監査官ガードナーが選出され、しかもその全員がジェネレーターの腕利きです。おまけに、環境光学迷彩カメリア視覚欺瞞アイスナッチを見破る特殊な人造魔眼が搭載されているだけでなく、彼らの電脳ブレインにも強力ハイ・クオリティ攻性防壁ファイアウォールがセットされていますから、下手な小細工クラップは無意味です。敷地内は死魂霊マーラー徘徊ワンドしていますが、これはタリスマンを装備していれば問題ないノー・プロブレムでしょう」


「つまり、第一関門が最大の障害というわけか」


「あと気になる点と言えば、地下施設アンダー・ラボの存在ですな」


「そんなものがあるのか?」


都市伝説ロアの一つですよ。今から百年ほど前の遺物レガシィ旧関東軍ニッポニア・アーミー極秘実験施設イニシャル・ラボが地下にあって、カンパニーはソイツを秘密裏イニシャル所有ホルダーしていたという話です。どうも、ただの製薬会社アステラスじゃなかったみたいですね、あそこは」


 再牙は腕を組むと、じっとその場から動かなくなった。ロア老の話を聞けば聞くほど、確信めいた予感が生まれてくる。しかし、潜入しようにも頑強な警備を前にしては、正攻法に頼るのは危険だ。

 相手の裏をかくにはどうすれば良いか。顎に手をやり、目元に挑戦的な気配を漂わせながら再牙は虚空に視線を投げていたが、やがて思い切ったように尋ねた。


「ここ最近、立川市の地下区画アンダーで勢力を伸ばしている奴は誰だ?」


地下六番街ヘキサ・ロードのジェンキンスですな」と、ロア老は細目に鋭い眼光を宿して即答した。


電子ヴァーチャルドラッグの密造販売イニシャル・ビズ、それに屍愛玩奴隷コープスドールの卸し業もやっていて、二、三年前から猛威ジャガー・ノートを奮っています」


屍愛玩奴隷コープスドールとは、また嫌なイメージを沸かせる言葉だな」


「要するに、死姦嗜好ネクロフィリアですよ」


 言いながら、ロア老の表情に明らかな嫌悪の情が浮かんだ。口にするのも憚られるほどの禁忌の匂いが、そこにあるのだ。


集合無縁墓地コンプレス・グレイブから調伏済みの死体ボディ強奪スナッチして、心霊工学スペクター・テック意識クオリアをプログラムさせた、生ける死者リビング・デッドです。そういうのを愛玩目的セックス・アピールで買うやつらってのは、決まって上級都民ハイクラス異常性欲者マッド・サヴァンばかりで、惜しげもなく大金ビッグ・マネーを支払うそうです」


「収入は、電子ドラッグよりもそっちの方が多いようだな……どんな男なんだ? そのジェンキンスとかいう男は」


「本名、悪白元和あしろ げんわ。年齢は四十二歳。大禍災デザストル以前は、とあるヤクザ――まぁいわゆる、今で言うところの都市渡世トライブの長を務めていたようで。病気で亡くなられた奥さんワイフ屍愛玩奴隷コープスドール化して以降、そっちの商売ビズに乗り出したんですよ。見た目は悪魔デイモンみたいな男で、性格は野蛮で粗雑ハード・コア。しかし妙に繊細な部分もあり、身内ファミリーに対しては恐ろしいくらいスケアリィやさしい男ソフトリィです。彼の為なら命を投げ出すのも惜しまない連中チルドレンもいるくらいで、ある程度のカリスマ性を持ち合わせています」


 そこまでの財力と多くの兵隊を抱えながらも、ジェンキンスは必要以上の勢力拡大に乗り出していない。ロア老が防波堤となっているのだ。罪に満ちた世界でも、節度を持って生きるべきだという、かつての昔にロア老がジェンキンスに向けて放った至言。それが、怒りと悲しみのままに妻の生きた屍を愛する彼の琴線に響き、暴走の一途を辿るのをせき止めていた。まさしくロア老なくして、立川市の地下区画アンダーは成立しないことを示す良い例だ。


「ジェンキンスと敵対している勢力は?」


「いくつか覚えがあります。データを送りますよ」


 再牙は電脳内に送られてきたデータを全て視覚野上に広げると、ジェンキンスの敵対組織の名前、構成員の数、主要幹部の面子を、数分で頭に叩き込んだ。


「ありがとう。貴重な情報、感謝する」


 そう言って、再牙は電脳回線を通じて、ロア老の口座に金を振り込んだ。

 いつもの手慣れたやり取り。ロア老の寛大な好意のおかげで、受け取る情報量が多い時も、ある一定の金額にまけてもらっている。

 しかし、この時ばかりは事情が違った。

 ロア老は再牙が振り込んできた金額の桁を見て、素っ頓狂な声を上げながら目をぱちくりと瞬かせた。


「ちょっと二代目! なんですかいこの大金ビッグ・マネーは!? いつも支払って貰っている額の十倍以上じゃないですか!」


「貰ってくれ」


「いや、しかしこれは……」


「事後処理にでも使ってくれ」


事後処理サービス・ビズ?」


「これから、ジェンキンスのところに乗り込む」


 言っていることの意味が分からず、ロア老がぽかんといった表情になった。静かにざわめき始める彼の心を慰めるように、再牙がにっと歯を見せて笑った。


「心配しなくとも、あんたの身に危険が及ぶような真似はしないし、あんたの名前を出すつもりもない」


 それだけを約束すると、再牙は店を出た。

 残されたロアは、電脳内に流れ込んでくる風水眼フェイ・ガンの予期情報に目をやり、ひそかに息を呑んだ。

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