6-7 異形者(フリークス)の生き様①
彼らは、人間の脳に該当する単一の神経中枢を備えていない。
その代わり、筋肉や内臓を構成する微小粘菌を組み合わせることで、複雑な神経ネットワークを創造し、集合知を獲得した。
彼らの知性の結晶=集合知。それは、能動的な進化を促進させる。
以前、地下の訓練施設で、キリキックの武装の一つを真似て見せたのが良い例だ。
それほどの成長を見せつけるこの怪物たちも、被造という出自ゆえに、首輪が繋がれている。
手綱を握るのはドクター・サンセット。
黄昏の魔術師たる彼が、自前のモンスター達に命じた内容は、たったの一つだけだった。
幻幽都市を破壊せよ。
単純極まりないが、その言葉が包括する範囲は広大だ。
今やその行動は、『自分達に敵対する人物や兵器の徹底的な排除』という形に昇華されている。
一度与えられた命令は、何があっても愚直にこなす。
それが彼らの、人の手で造り出された怪物たちの矜持。命令を遂行するにあたって、死への恐怖は消えているはずだった。
だがしかし、今この時ばかりは、その矜持が揺らぎを見せていた。
恐怖――排除しなければならないはずの敵を前に、命の危険を感じるほどの怯えに襲われていた。
動物的本能が、克服したはずの『死』を恐れていた。
フリップ・フロップの首に巻かれた暗黒のマフラー。
そこから、腕の動きに合わせて放出される鉄塊さえも寸断可能な破壊の糸が、休む間もなく断末魔を生み出していく様を見れば、それも当然の事と言えよう。
縦横無尽に繰り出される、目に見えぬ程の速度で襲い来る強靭な鋼糸の数々。
知性が紙屑のように千切り飛ばされ、五十体近くはいた怪物の群れが次々に三途の
十分と経たぬ間に、残りあと数体というところまで差し迫っている。
「(なぜだ)」
戦いの最中、ふとフリップ・フロップは思った。
身を盾にしてまで逃がした琴美やエリーチカについて。
いや、それよりも前の事について。
詰まるところ、自分はどうして彼女たちを助けるような真似をしたのか。
ぽっかりと空いた心のうちに、当てはめるべきピースを脳裡で探した。
だがいくら探しても、見つからないような気がした。
人の言葉を耳にし続けると理性が崩壊する難病・
何故だと、また新たな疑問が沸いた。
どうしてあの時、自決という道を選ばなかったのか。
同じ病に侵された挙句、最期には獣と果てて何処かに去った同胞たちや、婚約者の弔いのためなのか。
そうだと頷く自分と、首を傾げる自分とがいて、やがて対話という名の思索が、脳の襞で行われようとした。
しかしながら、それは突如として中断を余儀なくされた。
足元で乾いた音が立て続けに鳴ったせいだった。
銃撃だ、と判断した直後には行動を起こしていた。
超高速でワイヤーを首元のマフラーへ回収しながら、軽やかに後方へ飛んでみせた。
鮮やかな回避行動だった。半獣と化したがゆえに、欲しくもなかった動物的直感のなせる業だった。
不可解な銃撃は
暗く閉ざされた屋内で出口を探るような眼差しを、フリップ・フロップは音のした方向へ向けた。
大きく斜めに傾いたオフィス・ビルの壁面に、銃撃の仕手がいるのを見つけた。
ただし、それは人の姿をしてはいなかった。
まず目についたのは、アンモナイトを彷彿とさせる巨大な巻貝だった。
その大きな口の部分から、褐色を帯びた太い腕が二本伸びている。
右腕にはチョーカーが巻かれていた。ルビィやチャミアに仕掛けられたのと、同じタイプのものだ。
その珍妙な殻の生物は、掌の分子間力をもって、両手で壁にへばりつき、百キロは下らない自重を見事に支えていた。
殻の中心が左右に割れていて、そこから大口径の
奈落を思わせるほどに暗い銃口から、細い硝煙がたなびいている。
一目で、異形と分かる出で立ちだった。
「こいつは驚いた。
殻が饒舌な口ぶりで喋った。
正確には、殻の最奥にある発声器官が出した声だった。
スメルトの声だ。
「まさかこの場で、『呪い』をその身に受けた同胞と出会えるとはな。まぁ、私の場合は『呪い』という名の『祝福』だがね」
スメルトの問いに、フリップ・フロップは答えない。
じっと厳しい視線を、自分とは全く異なるタイプの生命体に向け続けるに終始する。
スメルトは、なおも対話を試みてきた。
「もし、私のこの醜くも美しい姿を見て共感を覚えてくれたのであれば、そこをどいて欲しい。できれば同胞とは戦いたくないんだ。私は何も、殺戮を好んでいるわけじゃない。こう見えても、殺す相手は選り好みする性格でね」
「何者だ、貴様」
「スメルト・シェル・ハンドレット」
フリップ・フロップがやっと口を開いたことを喜ぶように、殻の奥で悠然とした調子の声がした。
「詳しい説明は省こう。簡単に言えば私は、君が殺していたあの怪物たちの仲間と言ったところだ」
「この血生臭い馬鹿騒ぎの発案者は貴様か」
「私だけじゃない。
試験――だがそれの意味するところを、当然、フリップ・フロップは理解できない。
また、知る必要もないと感じた。重要なのは、この状況を如何に打破するかという、その一点だけだった。
「あと一人を殺害すれば、私のノルマは達成する。だが君は殺したくない。私と同じ、人の姿からかけ離れながらも、人の言葉と文化を理解できる
スメルトが考え込むように押し黙った。
だがそれも一瞬のことで、すぐに語りを続けた。
フリップ・フロップの怒りを着火させるのに十分な言葉の数々を乗せて。
「君が先ほど逃がした、アンドロイドではない方の少女……人間の少女……そうだ、あの子が最後の獲物に相応しい。決めたぞ。そこをどきなさい。なに、ノルマを達成したら、後は私にとってはどうでもいい話だ。君に危害を加えないことを約束しよう。それで納得してくれるだろう?」
話しを聞き終えるやいなや、フリップ・フロップは両腕を翼のように翻した。
その華麗な動作に合わせるかのように、マフラーから黒々としたワイヤーが鬼気迫る勢いで飛び出し、激しく宙を舞いながら襲いかかる。
その刹那、スメルトの背負う機関銃が途方もないわななきを上げた。
闇夜の中でマズルフラッシュが盛大に炊かれ、荷電粒子を着飾った弾丸という弾丸が、フリップ・フロップ目掛けて放たれた。
転瞬――フリップ・フロップは紙一重のところで、転がりながら銃火を避けた。
それでいて、ワイヤーはなおもスメルトを捉えんと牙を剝き続けていた。
黒く漲る幾条もの力の束は弾丸の軌道を逸らし、叩き落とし、断ち切ることまでやってのけた。
まるで、ワイヤーそれ自体に命が宿っているような、精緻にして躍動感あふれる攻撃だった。
しかして、そのようにして襲いくる死の糸の軌道を、スメルトはほとんど正しく読み切るのに成功していた。
腕と殻の縁の隙間。そこから覗くクジラの髭のような触覚が持つ、空間認識能力のおかげだった。
スメルトは、さながら草原を走るカンガルーのような跳躍力で、複雑怪奇に迫る糸の強襲をやり過ごすと、恐るべき正確さを以て再び弾丸を撃ち放った。
青白い連続した火線がワイヤーの軌道すれすれを飛翔し、フリップ・フロップの足元を穿った。
アスファルトの破片が勢いよく飛散して、視界を覆った。
銃撃の狙いは、フリップ・フロップの下半身にあった。
まずは機動力を奪おうというのだ。
それが感じられたからこそ、彼は止む無く戦略的撤退を選んだ。
両腕を引いて、ワイヤーをマフラーから切り離す。
そのまま横にすっ飛んで、フリップ・フロップはビルの影に身を潜めた。
「気に食わなかった、という訳かな。あの女の子を殺すと決めた私の判断が。そうなのかね? んん?」
スメルトの声が、一段と大きく耳に届いた。
フリップ・フロップは、敢えて無視を決め込んだ。
今朝服用したばかりの、憑物病用の抗生剤。
その効果はまだ持続している。
ゆえに、この場でどれだけ多くの言葉を耳にしようと、理性が崩壊する危険性はない。
だがそれとは別に、フリップ・フロップはスメルトの一言一句を耳にするのが、恐ろしく思えてならなかった。
人間の少女――獅子原琴美の命が、無残にも奪われるところを想像してしまいかねないせいだった。
そんなことがあってはならないと、怒りと焦りがない交ぜになって煮え立っている。
自分でも抑えきれない、それは感情の泡立ちだった。
「別に、健常者が何人死のうが、
呆れたような物言いだった。
遠くで、交戦を告げる銃撃の音が断続的に響いた。
だが他の戦場と異なり、この場は恐ろしいほどの静寂に満たされていた。
それも、いつ崩壊するか分からない静寂だった。
「私は生まれてこのかた地下暮らしだったから、実際に経験したことはないが……それでもネットを通じてあらかたの事情は知っているつもりだ。君や私のような
過去に追いやっていたはずのビジョンが、その時フリップ・フロップの脳裡を過った。
今の医療技術で君を完全に治療することは不可能だ――君は人でありながら、同時に人ではなくなった――辛いだろうが、運命を受け入れなさい――
スメルトの何気ない一言が引き金となり、忘れられない苦い経験者が蘇ってくる。
幾度となく、容赦なしに吐かれた言葉の暴力。
それから身を守るために、男はフリップ・フロップとして生きることにした。
くだらない世の中を、くだらない態度で凌ごうと決意した。
そうするしかなかった。
「この都市が、お前に何をしてくれた? お前が受けた罪を洗い流す為の、必要な舞台を整えてくれたとでも言うのか? 砂漠のように枯れた心に、たった一滴でも潤いを与えてくれた者がいるか?」
両者の距離は五十メートル以上も離れているのに、やけに近くで囁かれたような感覚だった。
「いなかっただろう? 所詮、人などその程度の存在なんだ。私には分かるのだよ。人間は醜い。途方もないほどに。見かけ上での優劣に固執し、まるで本質を見ようとしない。そんな奴らに、私の人生が阻害されて良いはずなどない。健常者など、塵芥として消えてしまえば――ふむ、これは」
静かに憎悪を撒き散らすのをピタリと止め、スメルトの触覚が円を描いた。
大気の微細な振動を感じ取ったのだ。
フリップ・フロップの、さながら暗殺者じみた虚を突く攻撃が足元に迫っていることを悟ると、
「中々の貫通力だな、そのワイヤーは」
スメルトは勢いよく跳躍を決めて、ビルの壁面から離れた。
刹那、轟音を弾かせてビルが崩れた。
舞い落ちる瓦礫のシャワー。
その向こうから姿を現す、月光に照らされた黒い輝線。
ワイヤーは縦横無尽に軌道を奔り、追いすがる様にしてスメルトの殻へ。
猛然と
コンクリートの塊を豆腐のように切断する獣拷ワイヤーの力を以てしても、奇怪なる巨大殻を砕くには力不足だった。
スメルトは宙を舞いながら、さかしまの姿勢のまま、正確に照準を定めて
無数の電磁発光する弾丸が削岩機のように、フリップ・フロップが身を隠しているビルの壁面をガリガリと削っていく。
このまま防御一辺倒に傾いていれば、攻撃の主導権はあっという間に相手に握られてしまう。
それでは駄目だった。
デス・ゲームを乗り切るには、身を捨てる覚悟で攻撃を浴びせなければならなかった。
不意に、銃撃が止んだ。
はやる気持ちが、フリップ・フロップの中で生まれた。
早期決着を望みながら、鋭く呼気を吐いて車道へ躍り出て、両手を勢いよく振るった。
マフラーから飛び出したワイヤーの群れが、大気を切り裂く。
その音を鼓膜で感じ取りながら、フリップ・フロップは、自分がよもや罠の只中に飛び込んでしまったかのような錯覚を覚え、背筋を粟立たせた。
そう直感した要因は、敵がとった奇妙な姿勢に関係していた。
いつの間にか重機関砲を殻内部に収納し終えたスメルトが、右手の平を地面につけて、その逞しい右腕一本で全体重を支えていたのだ。
それでいて左腕は、ストレートを放ったボクサーのように、地面と水平に突き出していた。
まるで、距離の離れたフリップ・フロップの心臓を掴み取らんとするように。
得体の知れぬ
瞬間、腕を引き千切ろうと迫っていたワイヤーの束に異変が生じた。
見えない爆撃を喰らったような勢いで、ワイヤーの一本一本があらぬ方向へ散った。
『何か』の力を受けて、弾き飛ばされたのだ。
弾丸や鋼すらも容易く断ち割ることを可能にする獣拷ワイヤーが、あろうことか力で圧し負けた。
衝撃的事実を認識した直後に、焼くような熱い痛みが全身を駆け巡った。
フリップ・フロップの腕と言わず足と言わず腰と言わず。
コートを貫通しながら、あらゆる箇所に弾丸が突き刺さった。
負傷――意志とは関係なしに、フリップ・フロップの肉体が悲鳴を上げた。
彼は崩れるようにその場に膝をつくと、荒い呼吸を繰り返した。
生暖かい血が、下着を濡らしていく。
幸いなことに急所は外れていたが、それでも皮膚を剥かれ、針を突き刺されたような痛みが全身を蝕んだ。
「おや、速過ぎて見えなかったか? ならもう一度見せてやろう」
得意げな声の調子の後、またもやスメルトの腕から滴の雨が迸った。
それこそ、切るべきカードを切った瞬間だった。
剛腕に仕込まれた眼という眼がおぞましくも開眼し、その表面に厚い水の膜を張ったかと思いきや、一時に炸裂してのけたのだ。
スメルト必殺の一撃――
そうして魔術めいた跳弾を繰り返した果てに、フリップ・フロップの両腕の肉と神経と骨とを完璧に砕き破壊した。
断じて偶然によるヒットなんかではなく、精緻に威力と発射角度を調節して放たれた必然の攻撃だった。
激痛に耐え忍ぼうとするも、堪えられずにくぐもった声が漏れる。
それでも、フリップ・フロップの猛獣めいた眼光から未だに光は喪われていない。
まだ決着はついていないとばかりに、決死の力を両方の足に込めて立ち上がった。
「勇気と蛮勇を履き違えてはいけない。もうワイヤーの使用は封じられたというのに、それでも私に立ち向かうつもりかね?」
勝ち誇ったつもりで、スメルトが言った。
五十対ばかしの眼が埋め込まれた左腕を、依然として向けながら。
そうして一歩も、その場を動こうとしなかった。
勝利をほとんど確信しながらも、一切手を緩めないと宣言しているかのような態度だった。
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