3-2 都市社会の光陰②
公園を出た再牙と琴美は、捜索屋との待ち合わせ場所に指定されている店を目指して、旧靖国通りへ向かって歩き始めた。しばらくして通りから少し外れた横道に入ると、
同じ新宿駅の中央新西口方面でありながら、先ほど歩いてきた表通りと比較してみても、昼間の歓楽街は賑やかさとはかけ離れた場所だった。のべ六百万の人口を誇る幻幽都市。その中でも五本の指に入るほどの人口密集地帯である新宿にこんな一面があるのかと、その意外性に琴美は呆気に取られた。
目につく店という店が開店準備中の
通行人はまばらで、どういうわけか、年若い女性がほとんどだった。よくよく観察すると、彼女らはバーやクラブの裏口から外に出ていって、それだけで水商売に勤める人達なのだと分かった。
すれ違う女性たちの服装は地味な印象を与えるものばかりで、それでも服の下に隠されたスタイルの良さは、まだあどけない琴美にも簡単に見抜くことができた。ヒールに包まれた足の運び方から、バッグから小物を取り出すちょっとした仕草まで、あらかじめ計算されているかのように優雅で気品に満ちている。
自分が持っていないものを全て手に入れているように、彼女らの存在が映ったせいだろう。憧憬に近い念を抱いて、琴美は無意識のうちに視線を送っていた。その、人間離れした美しさを持つ女性たちへ。
「ここら辺のクラブやバーに勤める、接客業務用に調整されたアンドロイドだ」
琴美の意識が女性たちに向けられているのに気が付いた再牙が、我慢できないと言わんばかりに、横から解説を入れてきた。
「正確には、女性型のアンドロイドだからガイノイドと呼ぶべきところだが、この都市で
「人間じゃないんですか?」と、琴美が驚き気味に尋ねた。
「中身は精密機械の塊さ」
「酔えるんですか? 機械なのに? だとしたら凄い……」
「まあほどほどだな。泥酔はしない。体内にアルコールを分解する装置が搭載されているから、それでコントロール可能なのさ。アンドロイドってのは、体の中にいろんな装置を収めているものでね。あんな細身の体型でも、体重はおそらく九十キロは下らないだろう。ウチのエリーチカより、少し軽いっていうくらいかな」
再牙の言葉を聞き終えた途端だった。今まで靄がかかっていた思考の一端が、急激に晴れていく感覚に琴美は襲われた。そうして、今度こそ本当に琴美の口が間抜けに開かれ、発言の信憑性をしつこく確かめるような視線を再牙に送った。
「あのぅ、エリーチカさんって、アンドロイドなんですか?」
「あれ、そんなに驚く? 言ってなかったっけ?」
「今初めて知りました。そうですか、あの子、アンドロイドだったんだ……」
琴美は再牙から目を逸らして口どもった。エリーチカの正体をようやく把握したという
エリーチカの氷結めいた無表情さと、彼女が機械仕掛けの人形であるという事実が、
そんなイメージが沸いた時、琴美の目は自然と、通り過ぎ往くアンドロイド達へ引き寄せられた。
バーやクラブでの勤務を終えてメンテナンスに向かう女性型アンドロイドらは、まるで人間の女友達同士がそうするように、抑揚に富んだ調子で互いに意思疎通を行い、会話に弾みを持たせていた。
「アンドロイドって、あんな風に笑うんですね」
感情の起伏に著しく乏しいエリーチカの顔を脳裡に思い描きながら、新しい発見をしたように琴美は言った。
その時、彼女の頭の中で、
「
「昔は、アンドロイドの役割はああいうものじゃなかった。
「もしかして、エリーチカさんもそうだったんですか?」
身体メンテナンス受診のために、今はこの場にいないエリーチカ。そんな彼女の双肩から生えていた二本の腕を思い出しながら、琴美は訊いた。
最初に二人が出会った時、この肩から伸びる二本の腕は重量物を運ぶのに最適なのだと、彼女は補足していた。まさに、
「君の言う通り、エリーチカは都市で最初に製造された、
「ピュグマリオン・コーポレーション――機械分野における大企業が率先して、アンドロイドの本格生産体制を築き上げた。それが十八年くらい前のことだ。都市復興の礎を築くために、彼らの力がどうしても必要だったんだ。足場の悪い場所で作業するには、二足歩行型の人型機械の方がうってつけだからね。でも、それも今じゃ色褪せた想い出さ。
「どうしてですか?」
「アンドロイドに向けられるニーズが変動したからだ」
「ニーズ?」
「世論がそれを求めたと言ってもいい。社会で要求される、快楽とサービスを提供するのに必須な諸項目を一つ一つ組み上げて、人間にとってより都合の良いアンドロイドを造ろうとする動きが活発化したんだ。その結果――」と、再牙は言葉を区切って、
「――ああいった、サービス業に特化した
「居場所がないって……都市復興のために働いていた
珍しい事に、琴美が詰め寄るような口調で訊いた。
人々の願望に沿って製造され、しかし時代と共に忘れ去れる人の姿をした機械。都市再興のために酷使され、復興の目途が立つと同時に用済みの烙印を押された、生きた人形たち。
「……なんか、納得のいかない話ですね」
今この時、この都市にやってきて初めて、琴美は怒りらしい怒りを抱いた。情緒や思いやりを切り離した、冷徹なる社会原理。そこから垣間見える人の身勝手さに、憤然とした。
依頼人の感情を汲めない再牙ではない。琴美の食らいつくような態度を
しかし一方で、すぐに寂しげに目を伏せてしまった。仕方が無いのだと、誰にでもない誰かに諦めるよう促すような素振りだった。
「君、お人形遊びをしたことは?」
「ありますよ。それが、どうかしたんですか?」
「同じって意味だ。この都市に住む人々も、お人形遊びがしたくなったんだ。善意の話し相手になってくれて、文句の一つも言わず、従順と主人の欲求に付き合ってくれるパートナーを欲した。泥に塗れて、ただ黙々と働く不愛想なアンドロイドじゃなく、『人間らしいアンドロイド』を大衆は求めた」
「不安や疎外感から逃れるためにですか?」
「それもあるが、新しい娯楽を求めた結果、というのが一番の理由だ。人は、より魅惑的な娯楽を追及するために、好奇心を働かせていると言ってもいい。それが、アンドロイド製造の基礎理論を確立した
「
「アンドロイドの知性と感情を司る半有機生体パーツにして、
それは、エリーチカがあらゆる状況下において、なぜ無感動な表情を維持しているかの答えを示しているのと同時、残酷な響きとなって琴美の胸を強く打った。
出力が制御されているということは、逆に言えば入力には問題がないことを意味しているのだという事は、琴美には直ぐに分かった。
エリーチカは人間の感情を正しく受信している。しかしながら、言葉に含まれた気持ちやニュアンスを理解していても、それに対してどのような感情を見せれば良いか分からない。
誰かの都合で、エリーチカたちはそんな仕様にされてしまったのだ。まるで、望まぬままに檻に入れられた獣も同然だった。
だが、琴美が最も悲劇的だと痛感したのは、これらの事実を、恐らくは全ての初期型アンドロイドが
「
「文句ひとつ言わない、都合のいい性格をしているってところですか」
意外な言葉が、意外なところから飛んできた。再牙は思わず足を止めると、琴美の方へ軽く視線を投げた。
横顔が髪に隠れているが、それでも、彼女が今どんな思いでいるか、手に取る様に理解できた。その小さな体から、波飛沫の如く怒りの気が発散されているのを、再牙はひしひしと感じ取った。
「私、この都市にやってきて、ずっと『しょうがないな』って気分だったんです。街の人達が護身用に拳銃を携帯しているのも、訳の分からない建物がそこら中にあることも、薬物を押し付けられた挙句、人質にされたことも、全部しょうがない事なんだって。ここは、私がいた世界とは違う世界なんだから、郷に入れば郷に従うって精神でいなきゃ駄目だなって、思うようにしていました」
でも……と、琴美の小さな肩が密かに震えた。
「アンドロイドの件は、全然しょうがなくないと思うんです」
「……」
「上手く言葉にできないんですけど……間違っていると思います」
「……ありがとう」
「え?」
琴美が思わず振り仰いだ。再牙が、凶相に似つかわしくないほどの穏やかな笑みを浮かべていた。
「俺の知る限り、そんな台詞を言ってくれたのは君で
まるで安心したかのような再牙の柔らかい笑みは、琴美の瞳に大層印象に残った。それでも、彼女の鬱々とした気持ちが、澄み渡る青空のように晴れることはない。エリーチカに対して、行き場のない哀れみを抱いているからではなかった。
彼女の背後に潜む、都市を支えている得体の知れぬ根源。それに問いかけてみたいと思ったせいだった。なぜ、このような状況になることを望んだのかと。
「俺も、君と同じ気持ちでいる」
再牙が、正面を向いて告げた。そうして、寂しげに笑った。
「大したもんだよ、幻幽都市の科学力は。アンドロイドを、人間と問題無くコミュニケーション可能な段階に造り変えたんだから。でも、その科学の力に頼るのは、ここだろうと《外界》だろうと人間なんだ。世間は皆、流行に乗っかって新しい製品や新しい技術に目映りする。それを悪い事だとは思わない。むしろ、人間社会が辿る必然的な
生み出してしまった力に対して進んで責任を負わんとする者が、果たしてこの異形の都市にどれだけいるというのか。
肥大し続ける科学技術。それが社会に与える便利さも意義も、時と共に忘れ去られていくか、跡形もなく変容していくだけだ。
そういった、人間個人の力ではどうしようもできない世の中の流れというものを全部理解していて、あえて再牙は続けて言うのだった。
「自分達の都合で造った過去の遺産を、用済みだと切り捨てるのは人間の傲慢だ。世間が何と言おうと、エリーチカは俺にとって、大事なパートナーなんだよ」
自分に強く言い聞かせているかのような語り口だった。
琴美は、かける言葉がまるで見つからなかった。
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