4-7 アヴァロとバジュラ、再び

 超現実仮想空間ネオ・ヴァーチャル・スペースから現実世界への帰還。その際に肉体が味わう感覚は、たとえるならば夢からの目覚めに似ている。 

 しかし夢とは異なり、仮想世界は現実の都市と隣り合わせに存在する、まぎれもないもう一つの世界だ。そこで体験したありとあらゆる出来事は、すべからく電脳内に入力され、現実世界で得た記憶と混ざって溶け合う。


 錠一の表情――彼の言葉――都市を訪れた理由――妻の命――組織――研究――

 様々な情報が脳髄を駆け巡る感覚と共に、再牙は静かに覚醒の時を迎えた。

 そして呟いた。

 仮想世界で味わった経験を、現実の出来事だと強く認識するために。


「とんでもないことになった……」


 操縦席ダイバーチェアから体を起こす。肉体の動きに反応して、卵型の防護形態が解除。通常形態へ移行した。

 再牙はアームレストのネット端部から有線を巻き取り、うなじに差し込まれた電脳端末コネクターを慎重な手つきで取り外した。

 瞬間、わずかな痺れが首元に走る。その痺れが、仮想世界での出会いと混乱を乗り越えて現実世界に戻ってきたのだという実感を、彼に十分過ぎるくらいに与えた。

 操縦席ダイバーチェアから降りて、今度は軽く肩を鳴らす。現実世界では三十分程度しか経過していないが、再牙の表情には徒労感にも似た色が浮かんでいた。獅子原錠一の実情を知ってしまったせいだ。彼が幻幽都市を来訪した結果、喪ってしまったものの大きさを噛み締めれば、我が事のように胸が締め付けられる思いだった。


 だが、彼は決して負けたわけではない。そう再牙は思いたかった。

 錠一はその身を犠牲にする間際、重要なデータを再牙に渡した。ドクター・サンセットが所属する、暗黒めいた地下を根城とする『組織』の情報を。


 機関に届ける前に、自分の目で確かめておく必要があるように思えてならなかった。再牙はこめかみの部分を親指の腹で強く押し込んだ。貰ったデータファイルが直ちに解凍される。膨大なデータの数々が、視覚野に投影される。一つ一つ丁寧に目を通すには時間がかかりそうだった。

 再牙は電脳の処理速度を向上させた。頻度の高い用語と、前後する文節のみを選択。要点だけを抑えた状態に再構成されたデータを走査スキャンしていく。


 人造生命体ホムンクルスの項目で、再牙は一旦目を止めた。

 ドクター・サンセットの子飼い。忠実な猟犬部隊。

 その牙は、幼い命を容易く暗闇に引きずり込むくらいには冷酷で強靭であることが読み取れた。

 もしかしたら、並みのジェネレーターが相手だとしても、打ち負かすのは困難だろう。というのも、六名の人造生命体ホムンクルス全員が、ドクターの手で何らかの強化改造手術を受けているとの内容が記載されているせいだ。


「ふざけやがって……」


 言語化しがたい感情が、思わず零れ落ちた。過去に味わった苦い経験が、激しくフラッシュバックしたせいで。


「(ダメだ。もっと冷静にならないと)」


 深く息を吐いて気分を落ち着かせると、再牙は続けて『組織』が取り組んでいた研究内容に軽く目を通していった。

 当然専門外であるから、彼にはその具体的な内容がほとんど理解できなかった。それでも、時折差し込まれる画像データから匂う禍々しさから、この研究が都市にどれだけの危害を与える代物であるかは、大方察せられた。


 さらに走査スキャンしていくと、二つのキーワードにいきついた。その言葉だけが、ここまで洗いざらいにしてきた研究内容の中でも特段目立っていた。

 異質さと奇妙さ。そしてなにより絶対的な脅威の存在を、万人に認めさせるだけの力を、そのワードは宿していた。


――軍鬼兵テスカトル

――Xivalver(シバルバー)


 目下のところ、この二つの言葉が具体的に何を指し示しているのかは、データからは読み取れない。ここまで情報を集めた錠一の手腕はかなりの物だが、その彼でさえ正体が掴めなかったことから、『組織』の中でも最重要機密事項にあたる項目であると、再牙は推察した。


 そして最後の走査対象――組織の名称と、所属するメンバーの一覧。


 組織名――ダルヴァザ。思わず強く頷きたくなるネーミング。

 組織に従事するメンバー各々の悪意が燃え盛って熱風を生み出し、上昇気流へと転じて吹きすさぶ様は、確かに地獄の門ダルヴァザを想起させるに余りある。


 主要なメンバー――六体の人造生命体ホムンクルス

 名称は不明。容姿も不明。

 しかしながら恐るべき力を持つ闇の眷属イェーガーたち。


 サブ・リーダー――ドクター・サンセット。本名は茜屋罪九郎。

 獅子原錠一を罠に嵌めた張本人。

 他人の絶望で自らの腹を満たす、許されざる悪しき覚明技官エデンメーカー


 そして、トップ・リーダー――地下女帝エンプレス

 組織の悪行を束ねる黒幕にして、決して消えぬことのない暗黒の炎を生み出す諸悪の根源。

 本名不明。素性不明。ジェネレーターか、非ジェネレーターであるか。サイボーグであるか、非サイボーグであるか。一切合切が謎に包まれている。 


 だが、まさしく奇蹟的と言う他なかった。錠一は決死の電子的サルベージの果てに入手していたのだ。地下女帝が映り込んでいる一枚の画像を。どこかの研究室でドクター・サンセットと向き合う、そいつの姿を。


 中東の踊り子。そんなイメージが沸く衣裳。鼻の下から口元までを紫のフェイス・ヴェールが覆い、腕や首には高価な貴金属が蛇のように巻き付いている。豊満な胸を覆い隠すのは黒色のビキニ・アーマー。腰から下は薄紫のハレム・パンツ。素足の爪に刻まれた虹色のマニキュア。そして、浅黒い肌に刻まれた幾つもの古傷。


 地下女帝エンプレスの性別――若い女。

 その双眸――青灰色の瞳。


 覚えがあった。忘れるはずがなかった。

 だからこそ理性的であろうと努めても、心の一端がみせる激しい脈動を止めることは不可能だった。

 遠くに追いやったはずの過去が、急速に接近してくる予感を覚えつつも、再牙にはどうすることもできなかった。 望まぬ展開を前に、息苦しいほどの衝撃と恐慌が螺旋を描いて、彼の全身を一気に貫いた。

 ヤツとけじめをつけるんだ――大嶽左龍の言葉が、今になってまざまざと蘇る。ばら撒かれていた点と点が、がっちりと結びついて太い線となる。そんなイメージを直感的に描いた時だった。


「古巣に帰れば、懐かしい顔がいるじゃない」


 再牙の鼓膜が遠い過去からの声に震え、そして弾けたように振り返った先。

 目を逸らす事ができなかった。画像の中の人物が今、音も無く気配も感じさせずに現れたという事実を、受け入れるしかなかった。

 もつれあった縁の糸は、もはや解くのが手遅れなくらいに複雑に絡み合っていたのだ。再牙の知らないところで、運命という名の手によって。


「バジュラ……」


 実に、十年ぶりの再会だった。









「久し振りね。元気にしてた?」


 さも、そう口にするのが当然であるかのように、バジュラは笑顔を張り付けると挨拶を寄越してきた。

 しかし、ついさっき真実を知ったばかりの再牙は眼光鋭く警戒心をむき出しにし、一歩二歩と、かつての仲間から距離を置くばかりだった。

 どうやって、俺の背後をとった――脳裡に当然のように浮かんだその疑問を、再牙は直ぐに追い出した。それが愚問であると分かるまで、それほど時間もかからなかった。 


 全ては、バジュラが身につけた最優のジェネレーター能力の為せる技。神出鬼没としか思えない移動能力は彼女の十八番だった。現に致死攻性部隊サイトカインに属していた時の彼女は、そういった使い方でしか能力を発揮したがらなかった。 

 だが、今のバジュラならどうだろうか。

 きっと、自らに備わった力の多様性を柔軟に受け入れ、全く異なる使い方を熟知しているに違いない。

 再牙には、そんな風に思えてならなかった。


「あなたの顔を見ていると、改めて宣告されている気分になるわ。この身は不老で、常に好調を保ち、使い捨ての消耗品として生み出されたということを」


 陶然としていながら、壊れかけの人形を思わせる笑み。


「……お前、生きていたんだな」


 噛み締めるように再牙は言った。大嶽左龍の言葉を信じていなかったわけではない。それでも、実物を前にしたことで思わず口をついて出てしまった。

 あるいは、二度と交じることはないだろうと思っていたお互いの人生が、ここにきて衝突を迎えた事に、軽く狼狽したせいかもしれなかった。


「台詞の割には、あんまり驚いていないみたいね」


「それはお互い様だ」


「なに言ってるのよ。私もね、こう見えて驚いているのよ。でもそれ以上に、ラッキーって気持ちの方が強いわ。こうしてまた、あなたと再会できるなんてね」


 ダルヴァザの首魁・地下女帝エンプレスことバジュラは、踊る様にステップを踏みながら、さっきまで再牙が使用していた操縦席ダイバーチェアにしな垂れかかった。まるで、愛しい人を抱きしめるような所作だった。


「どうしてだ」


 再牙の問いかけ。震えと怯えが微かに混じっていた。意識しているわけでもないのに、ますます足が後ろに下がった。バジュラとの距離は十メートルもないが、精神的にはずっと離れている実感があった。近寄ろうにも近寄れなかった。


「どうしてここを訪れた?」


「それって、私が口にすべき台詞だと思うんだけど。まぁいいわ。同じ釜の飯を食った間柄だし、ほんのちょっぴり教えてあげる」


 少しだけ身を起こし、バジュラが小さく失笑を漏らした。その、一見すればチャーミングな仕草も、彼女の全身から匂い立つ黒い気配が隠し切れていないせいで、台無しだった。


「ここは私にとって、それなりに縁深い場所でね。想い出が詰まっているところなのよ。あのクソ忌々しい部隊にいたころよりもずっと良い想い出が詰まった、私の新しい故郷でもあるわ。全てに終わりを告げる前に、一度立ち寄ってみようと思ったの。でも、そんな気まぐれの果てに不思議な巡り会いがあるなんて、人生ってのはつくづく分からないわね」


「お前は、血塗られた想い出に浸るような奴ではなかったはずだ」


 再牙の説得するような言葉を受け、バジュラの長い睫毛が花のように揺らめき、視線に怜悧さが舞い降りた。


「その言い草からして、何か知っているようね」


 氷のような声でバジュラが探りを入れてくる。再牙は軽く息を呑み、気後れせざるを得なかった。記憶の中で生き続けている彼女と、目の前で暗鬱とした雰囲気を如何なく発散している彼女との解離が、あまりにも激しいせいで。

 だからと言って、踏み込んだ足を元の場所に戻すことはできない。そのまま突き進むべきだと自身に言い聞かせてから、再牙は口をきった。


「ドクター・サンセットと組んで、一体何を企んでいる」


「……どこで知ったの? この施設には、組織に繋がる資料なんて何一つ残っていない筈なんだけど」


 バジュラの双眸がますます細められ、剃刀のように鋭くなる。彼女は操縦席ダイバーチェアから離れると、周囲を冷静に見渡し、少しだけ考えてから「ああ、そう」と、納得が言ったかのように呟いた。


「まさかとは思うけれど、あの裏切り者が生きていたのね? ドクター・ロックが、あなたに全てを教えたのね? 肉体はとうの昔に朽ち果てたはずが、何故か情報体アバターだけが生きている。そういうことなのね?」


「なかなか、切れ味鋭い推測だな」

 

「ごたくはいいから、どうなの? というかあなた、どうしてこんな場所にいるの? 地下施設への入口は完璧に塞いだはずなのだけれど」 


「関係ない。どんな強固な壁だろうと、それを崩して真実を探り当てるのが俺の仕事だからな」


「……仕事?」


「万屋稼業って奴だ。今の俺の食い扶持がそれだ」


「ふうん。それで、目的は達成できたのかしら?」


「ああ。いまさっきな。仮想の世界で錠一氏から全て教えられたよ。彼は亡くなったが、彼が死の間際に遺した意志は、今もこうして残っている」


 そう言って、再牙は己の分厚い胸板を軽く叩いた。死者が遺した想いは正しく受け継いでいると、主張するかのようなポーズだった。


「バジュラ、答えろ。お前はこの都市を……幻幽都市をどうするつもりなんだ。何を目的に、あんな研究をしているんだ?」


「そんなの、決まっているじゃない」


 そこで、バジュラの口元がきゅーっと歪み、引きつった嗤いが部屋に木霊した。


「幻幽都市を破壊する。それがダルヴァザの、ひいては私自身の願いでもあり目標よ」


「なぜだ。どうしてそんなことに固執する」


 バジュラが驚いたように目を見開いた。そんな言葉を、あなたの口から耳にするとは思わなかった、とでも言いたげな様子だった。


「忘れたの? アヴァロ。私たち致死攻性部隊サイトカインが、都市の連中からどんな目に遭わされたのかを。都市の治安を守るために、やりたくもない仕事をやらされて、その果てにどんな仕打ちを受けたのかを」


「忘れるものか。だが、もう終わった事じゃないのか!? いまさら掘り返したところで、何も――」


「終わってなんかいない!」


 女帝の叫ぶような怒鳴り声が、再牙の説得を掻き消した。だがそれも瞬間的なことで、すぐに怒りは鳴りを潜めた。

 代わりに彼女は、怯えたような態度を見せた。その身に備わった力を最大限発揮すれば、恐れるものなど何もないはずなのに。

 両腕を胸の前で交差させ、バジュラが己の体をきつく抱きしめてみせた。これ以上、何人たりとも自身を傷つけてはならないという、無言のメッセージだった。


「終わってなんかいない……私の中ではずっと、あの日の悪夢が、今でもずっと繰り返されている……何度も何度も……あの日味わった屈辱に苛まれ続けている」


 青灰色の昏い眼差しが再牙ではなく、何もない虚空へ向けられていた。そこに、命を賭して戦うべき相手を見つけ出しているようだった。

 再牙は、かつての同僚にかけてやるべき言葉を模索しようと試みた。だが、どれだけ深く考えても見つからなかった。どんな慰めも、彼女の固く閉ざされた心には哀しいくらいに届かないのだと直感した。 


 バジュラの瞳が、またもや再牙を見つめた。

 そこに、はっきりと期待の感情が芽生えているのを、再牙は感じ取った。


「ねぇ、アヴァロ。私と組まない?」 


「なんだと?」


「聞こえなかった? 手を組みましょうって言っているのよ。淑女からのお誘いよ?」


「こいつは驚きだな」と、再牙は鼻で笑い捨てた。


「この状況でそんな言葉が飛び出してくるとは。面の皮が厚くなったんだな。昔のお前からじゃ考えられない積極性だ」


「なりふり構わなきゃ、やっていられないもの。だってそうでしょう? 私たちに残された時間・・・・・・を思えば、悠長に時の流れと遊んでいる場合じゃないもの」


「残り限られた人生をどう使うかは、俺が俺の意志で決めることだ。お前の指図は受けない。都市破壊を企むテロリストの仲間入りなど、ごめんこうむる」


「なによ、その言い方」


 バジュラの目の色が、途端に変わった。

 期待があっけなく失望へと変わった瞬間だった


「憎くないの? あいつらの事が。都市の管理者ぶって偉そうにふんぞり返っている機関の奴らが。ありえもしない偽の情報に踊らされた挙げ句、手のひらを変えて私たちを裏切り者扱いした都民の奴らが」


 忌まわし気にバジュラが吐き捨てた言葉の中には、幾つもの毒棘が仕込まれていた。触れただけで死に値するだけの猛毒。それこそが、今のバジュラの精神状態を如実に現わしていた。


「私は憎いわ。言葉にできないくらい。だって当然じゃない!」


 バジュラが、悲痛な叫びを上げながら両手を大きく広げた。


「奴らのせいでこんな体になっちゃったのよ!? 機関の奴らが……あいつらが、私たち人造生命体ホムンクルスの寿命を勝手に設定して……そのせいで私たち、もうあと五年しか・・・・生きられない体になっているのよ!? ねぇ!? まさか忘れてしまった訳じゃないでしょう!?」


「覚えている」


「だったらどうして!? どうして奴らを殺してやりたいと思わないのよ!? あなたが『あの事件』を起こした理由は、そこにあったんじゃなかったの!? 覚明技官エデンメーカーのグループが私たちに『限界寿命年数の件』を秘匿していたから、だからあなたは機関を滅ぼそうとしたんじゃなかったの!?」


 事件――サイトカイン騒乱ストームと後に呼ばれることになる、都市の根幹を揺るがした反乱。支配者層に君臨し続けることを当然の事と断じていた蒼天機関ガーデン覚明技官エデンメーカーたちに一矢報いるどころか、血塗れの肉塊と化させた事件。

 そのきっかけとなったのは、致死攻性部隊サイトカインを構成する十二体の人造生命体ホムンクルスに備わった、ある重大な欠陥のせいだった。

 生まれた時から成人の肉体を持ち、外部入力機器を用いて何億種類もの電位パターンを入力され、彼らは多くの知識と体系的な戦闘技術を叩き込まれた。加えて、人工的に開発されたジェネレーター能力までも埋め込まれた。そうして造られた彼らは、まさに生粋の戦士たちだった。


 しかし、ゼロ歳児の大人になるまで培養槽の中で育成された過程で、細胞の分裂回数を決めるテロメアは限りなく酷使され、大量のエネルギーが細胞成長のために費やされた。   

 大いなる力を得た代償は『期限付きの寿命』という形で現れた。人造生命体ホムンクルスの開発は常に、そのリスクを背負わなければならない。


 この世に生み出された二〇二五年当時の段階で――彼らの限界寿命年数は二十年。


 再牙やバジュラたち致死攻性部隊サイトカインのメンバーに与えられた生命活動の時間は、たったのそれだけだった。


 この事実は彼らに伝えられることはなく、トップ・シークレットの案件として隠匿された。それでも、再牙たちを造り出した覚明技官エデンメーカーのグループは、実験・・を失敗だとは少しも思わなかった。むしろ大成功だと喜んだ。機関の上層部――最高枢密院の円卓に居座る長老たちが望む通りの代物を生み出せたからだ。

 短期間の間に都市の治安を回復に持っていけるだけの戦力を有し、役目を終えた後は勝手に死んでくれる存在。それが権力者の欲したモノだった。

 そして、その願いに沿う形で再牙たちの肉体に組み込まれた機能こそが、限界寿命年数だった。

 目的さえ達成できればいい。使われる側の身の上など、どうなっても構わない。そんな自分勝手な都市の支配者層の心が、透けて見えるような仕組みと言わざるを得ない。


 自らの肉体に隠された秘密。それを最初に知ったのは、再牙ことアヴァロだった。

 肉体を好調に保つための特殊検診を受ける為に、グループが運営する施設に出向いた際、偶然にも会話を聞いてしまったのだ。自分達の肉体について、まるで老朽化したビルの解体について語り合っているかのような、覚明技官エデンメーカーたちの無機質な会話を。


 再牙は、そこで耳にした会話を記憶したまま、仲間たちの下へ赴き、ありのままを伝えた。

 伝えた結果どうなるかは、十分に分かっていた。悲劇じみた結末を迎えることも、薄々感づいていた。

 しかし、それでも抑えきれなかった。ドス黒く溢れ出す怒りと憎しみを。そして『この感情を仲間たちと共有しなければ』という、途轍もない使命感が生まれた。激しい絶望を燃料として行動し、自分達の生存意志を、暴力を以て主張せねばならないと切迫した。


 それほどだった。

 自分達を物体のように扱っている彼らの悪鬼たる所業も、それを黙認している蒼天機関ガーデンも、何もかもが許せなかった。

 全てを焦熱の彼方に葬りたくて、たまらなかった。


 数日後、ある日の夜に、致死攻性部隊サイトカインは機関に対して反撃の牙を剥いた。血で血を洗う殺戮を繰り広げ、グループを構成していた覚明技官エデンメーカーの全員を皆殺しにした。

 言語化し難いほどの被害を機関側は被ったが、それでも最後には物量が戦況を逆転させた。

 建都以来初となる大規模な内紛を引き起こした末に、致死攻性部隊サイトカインは壊滅した。彼らが反旗を翻した理由を、機関上層部はしっかり把握しながらも衆目から隠し通し、真実は闇の彼方に葬り去られた。

 

 命からがら機関の追撃から逃げ切った再牙の心に、一矢報いてやったという達成感は生まれなかった。それどころか、途方もない後悔だけが残った。深海のように暗く、決して癒えることのない後悔が。

 たまに夜空を見上げる時、死んでいった仲間たちの事を、再牙は今でも思い出すことがあった。

 その時に限って、自然と贖罪の念が生じた。俺が仲間たちを焚きつけたせいでこうなったのだという、自責の念が。


「私は、絶対に彼らを許さない。死んでも後悔させてやるわ。私という存在を生み出したことを、徹底的に底の底まで思い知らせてやるのよ」


 バジュラの瞳が、暴力的な彩りに満ちていた。その細い腕が怒りに震え、空気を潰すように拳を握り締めていた。

 まるで、怒りに駆られていた昔の自分を見ているようで、一気に居たたまれない気分に再牙は陥った。


「本当に、すまなかった」


 目を伏せ、そう言葉に出す。

 バジュラの瞳から怒りが少しだけ消えた。


「どうして謝るの?」


「俺のせいだ。あの時知ってしまった事実は、ずっと俺個人が抱えているべきものだったんだ。反乱を起こすなら、俺だけがやるべきだった。機関に対する恨みを、お前に抱かせるべきではなかった……本当に、すまなかった……」


「いまさら何を言っているのよ」


 バジュラが、さっぱりとした調子で言った。それから何がおかしいのか、フェイス・ヴェール越しに慎ましやかな笑みを浮かべた。


「もしかしてあなた、後悔しているの? あの事件を起こしたことを? 私たちを巻き込んだから?」


「そうだ」


「気にしないでよ。部隊にいた頃は色々あったけど、私ね、けっこうあなたには感謝しているのよ?」


「……なんだと?」


 雲行きが怪しくなるのを機敏に感じ取った。ぶるりと再牙の背肌に粟が立った。

 バジュラが唐突に、地球とは全く異なる言語を操る異星人のように思えてきた。


「暴力を振るうことは素晴らしい。そう教えてくれたのは、他でもないあなたじゃない」


 うっとりとした表情で、バジュラが謡うように言った。美貌に艶が現れ、瞳は氷のように冴え、ますます匂い立つ悪逆の香りは、その濃度を指数関数的に増大させていく。

 部屋の温度が、急激に下がっていく気配があった。再牙はもう、ただ絶句して彼女の紡ぐ言葉に耳を傾けるしかなかった。

――俺が、変えてしまったというのか? 彼女の心を?

 けじめをつけるんだ――脳裡で鳴り響くリフレイン。


「自らに備わった力を、私は恨んでいたわ。こんなものがあっても、本当の正義には辿り着けないって。でもそうじゃなかった。分かっていなかったのは私のほうよ。強大な力は、思う存分に見せつけてこそ。暴力こそが、人生を切り開くただ一つの高潔な剣であり、絶対の正義。あなたがあの日、覚明技官エデンメーカーのジジイ共を屠り去っていく中で、そう確信したの。ああ、この人は今、正しい事をしているんだって。自分の意志で、自分の運命を切り開こうとしているんだなって」


「何を……何を言っているんだ」


「理解できない? つまり、私に与えられた力を私自身がどう使おうが、誰を傷つけようが殺そうが、関係ない。自身の道を切り開く暴力的行為にこそ、正義の心は宿っている。正義感溢れる暴力の前では、すべてが等しく愚かで、無力な存在なのよ……機関が私たちをモノ扱いしたように、私も都市をモノ扱いするわ。この力で……《果て無き絶海ナインス・ゲート》の力で、どこまでも叩き壊してやるの。そうでもしなければ、見えない世界というのもあるでしょう?」


 バジュラが、縋るような笑みを浮かべた。本人としては微笑んだつもりなのだろうが、再牙からは後先考えぬ獣欲を剥き出しにした、危うい表情にしか見えなかった。

 どこまでも鋭く、どこまでも長く、どこまでも頑丈な、決して折れることのない濁った刃そのものだった。


「アヴァロ。昔のあなたは、その人体強化能力を常に発揮し続けていたわね。正義の名の下に。治安維持活動に一言の不満も漏らさず取り組み、多くの穢れた血を流してきた。それでいいのよ。ただ一つだけ、間違いがあった。あなたが従っていたのは正義でもなんでもない。人間の命を玩具のように扱う、とんでもない奴らだったってことよ」


「それはお前も同じじゃないか。お前も、自分の勝手な願いの為に、多くの人々を殺そうとしているんじゃないのか!」


「とんだ勘違いよ。彼らは『生贄』になるの」


「生贄?」


「私は都民の生命感だけは尊重している。決してモノ扱いしている訳じゃないわ。彼らは都市の為に死ぬんじゃない。私の為に死んでいくの。私が、私自身の過去を乗り越えるための布石になるのよ」


 すっと、バジュラが目を細めた。


「私は残り少ない未来を前向きに生きるために、自らの過去を乗り越える。他でもない私自身の為に、そうしなければいけないの。私は私の人生に価値をつけたい。その為に都市を破壊する。ここにいる限り、私はきっと、どこにも行けないから」


 バジュラが、再牙に向かって手を差し伸べてきた。

 殉教者を楽園へ誘おうとする、それは天使のような素振りだった。


「一緒に、自由になりましょう? アヴァロ。あなただって、本当は苦しいのでしょ? 懸命に耐えていたのよね? 孤独の中、ずっと一人で生きてきたのよね? 良く理解できるわ。私もそうだったから。でも、もう一人じゃない。私がいるわ。だから――」


 バジュラが、その小麦色に焼けた足を一歩、白い床に向けて伸ばそうとした時だった。轟音が、にわかにバジュラの足先数センチのところで爆発した。床が焦げ、破片があたりにばら撒かれた。見ると、何時の間にか再牙の手に、マクシミリアンが握り締められていた。


「それ以上、こっちに来るんじゃねぇ」


 冷たい鋼を握り締めながら、再牙は眼光鋭く、拒絶の言葉を吐いた。バジュラが一瞬、狐につままれたような表情になった。それからすぐ、哀切のこもった目の色になり、だがやがては青灰色の双眸に、深い落胆と静かな怒りの念を宿す。


「浅はかな結論ね」


 差し伸べていた腕をだらりと垂らし、バジュラは俯いた。再牙はマクシミリアンをしまうと、腰を低く落とし、いつでも速撃に対応できる態勢を取った。バジュラが仕掛けてくると予測し、それでいてなお、彼女の暴走を止めなければならないという意志から出た行動だった。

 だが、再牙の予想に反し、バジュラが牙を剥けてくることは無かった。代わりに、一歩二歩と後ろ向きに歩き、少しずつ再牙から距離をとっていった。


「その選択、きっと後悔することになるわよ」


 再牙の耳元で虫の羽音にも似た異音が鳴り、バジュラの眼光がパールホワイトめいて燐光を溢した瞬間。空間が捻じれるようにして歪み、湖面に小石を投げ入れた時のような波紋が彼女の背後で生じ、円形状の別空間が現れた。

 円模様を描く虹色に輝く、どこに繋がっているかも不明な異空間の創造。最優のジェネレーター能力――《果て無き絶海ナインス・ゲート》の発動だ。


「もう誰も、ダルヴァザの業火からは逃れられない。大禍災デザストルの時と同じように、この都市はもう一度、灰の中に沈むのよ」


「バジュラ!」


「アヴァロ。私、こう見えても諦めが悪いの。必ずあなたを、組織に取り込んでみせるわ」


「何度言われようと、俺の考えは変わらない!」


「どうかしらね」


 不敵な笑みを浮かべ、地下で悪意を溜め込み続けていた女帝は、虹色の異空間へ後ろ向きに倒れていった。異空間は彼女の姿を完全に飲み込み終えると、たちまちのうちに収束し、消滅した。 

 そこで、まるでタイミングを見計らったかのように、着信音がけたたましく鳴り響いた。


「もしも――」


「再牙、今どこにいるんですか」


 電話に出るなり、エリーチカの無感情な声色が響く。


「まだ立川市だ。どうした。何かあったのか?」


「ミセス・ミストの……射撃場近く……公園です。すぐ……てく……さい」


 唐突な電波障害。そのノイズが告げている。

 いよいよ、都市陥落の時が始まったと。


「おい!? なんだ、どうした!?」


「と……かく…………て……」


 そこで電話は途切れた。


「くそっ! なんてこった!」


 迷っている暇など、一辺もなかった。直ちに能力を発動。薄茶色の瞳が青く光り輝く。両足に力を込めて床を蹴り飛び、再牙はガントレットに覆われた拳を突き上げて、天井をぶち破った。

 冷えた外気が雪崩れ込む。その中を掻い潜るようにして、再牙は地上に出た。オルガンチノのポケットから、タブレット状の端末を取り出しながら。


 端末に表示された都市全域の地図上に、エリーチカの体に埋め込まれたセンサーが発する生命活動信号が、赤い光点となって浮かび上がる。それが消えないことを必死に祈りながら、再牙は地を駆けた。

 タリスマンの効力は依然として働き、死魂霊マーラーは林の陰に隠れたまま出てこない。だが、死魂霊マーラーよりも更に強大且つ禍々しい力の到来が、その予兆が既にあった。


 けじめをつけろ――

 覚悟を決める時が近づいていた。

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