6-3 チャミアの裏切り②
「おい、どうし――」
「チャミア、そこで何をやっているの?」
背後から女の声。
村雨と七鞍は咄嗟に振り返り、愕然とした。
戦闘用のドレス。
元の生地の色に加えて大量の返り血が染み込んでいるせいで、原色そのものと錯覚してもおかしくないほどの紅。
それを優美に着こなすパック・ルービック・ホットアイ――通称・ルビィのプロポーションといったら、まさに絶妙なる凄惨の域にある。
「何をやっているのって聞いているのよ、チャミア。そいつら敵よ。さっさと殺してノルマを稼ぎなさい」
ルビィが一歩一歩、モデルさながらの足運びで三人へ近寄っていく。
フラットなトーンで末の妹に問いかけながら。
その優美な両脚が地を撫でるように叩く度に、ドレスの裾が風を切り裂くようにしてなびいた。
思わぬ会敵――村雨と七鞍に緊張が走る。
それでも彼らは、機関員としての職務を全うしようと、心を奮い立たせて武器を取った。
村雨は左腕にマウントされた
二つの銃口に睨まれながらも、ルビィは驚くべきことに何一つ怯えた様子も、警戒する仕草も見せないでいる。
だからどうしたの? といった平然な具合で、コツコツと赤いヒールで地面を軽やかに叩くばかり。
そうして気づいた時には、五十メートルはあったはずの両者の距離が三十メートルほどまで縮んでしまっていた。
村雨は、半ば恐慌に襲われた。
銃の引き金に指をかけていながら、最後まで引くことが出来なかった。
引く素振りを見せた途端にルビィの眼で――視界に捉えたる全ての事象を焼き尽くす、人造魔眼の力に蹂躙されるビジョンが過ったせいだった。
七鞍は、チャミアのことを『臆病者』と詰った。
それでも、同じ
ルビィの放つ気力からは、躊躇というものが微塵も感じられなかった。
相手を『殺す』と決めた時、すでに行動に移っていてもおかしくないほどに残酷な精神が構えられ、戦闘本能だけで生きているような印象があった。
しなやかな指先も、燃えるような赤髪も、盛り上がる二つの乳房に至るまで。
その気になれば刃に変貌して、こちらの喉元を掻き切るのではないかと錯覚するほどだった。
それほどの強者然とした雰囲気を、ルビィは醸し出していた。
「チャミア、立ちなさい」
「ルビィ姉さん……」
ゴシック服の少女は自力で立ち上がると、村雨と七鞍の間をすり抜けて前に出た。
表情は硬いままで、しかしそこにはどこか、決然とした心のありようが見て取れた。
「早く殺しなさいよ、そこの二人を。どうしたの? 何か理由があるのなら――」
話しかけている途中、ルビィが目を細くしてある一点を見つめた。チャミアの首元だ。
試験参加者の証にして、自由を勝ち取るための交換券たるチョーカーが、そこに無いことに気づいた。
「どういうことチャミア。どうしてチョーカーが外れているのかしら」
ルビィの声が一段と低くなった。備わっている能力とは対照的に、底冷えするような迫力があった。
暗雲たる気に絡めとられるのを避けようと、村雨と七鞍が思わず一歩だけ後ろに下がった。
だが、当のチャミアだけは違った。
ここで逃げるわけにはいかないとばかりに、姉の放つ重圧に耐え切っていた。
臆病者――罵りを糧として、今こそチャミアは発奮の時を迎えていた。
マヤに頼りきりだった少女の姿は、そこにはなかった。
一人の、死の物狂いで自由を勝ち取ろうとする戦士の表情だった。
「チョーカーが外れている理由なんて、そんなの決まってるでしょ。あたしは、もうクリアしたの。この試験を」
「カンニングでもやったの?」
慣れないハッタリはすぐに見破られた。
小馬鹿にするようにして、ルビィの口角が上がった。
「嘘をついちゃいけないわ、チャミア。試験が始まってから、まだ二時間も経過していないのよ? あなたの実力から言って、こんな短時間で五百人近い人数を殺害できるとは到底思えない」
五百人という具体的な数字。チャミアの言っていた殺害人数のノルマに違いなかった。
想像を超える数だった。村雨は眉間に深い皺を寄せ、七鞍は奥歯を強く噛み締めた。
他の
それだけ多くの罪なき血の雨が降るのかと思うと、悔恨と怒気を同時に抱えずにはいられなかった。
しかしながら、二人はまた共通の疑問を覚えてもいた。
《テロ行為を試験に例えるとはな。癪に障る呼び方だが、別の意味でも隠されているのか?》
電脳回線で村雨が七鞍に呼びかけるも、無言の返事が寄こされるだけだった。
てんで見当がつかないのはお互い様だが、途轍もなく嫌な響きをそこに感じたのだけは確かだった。
「正直に答えなさい、チャミア。どうしてチョーカーが外れているのか。場合によってはドクターに報告して、あなたを処罰してもらわなくちゃいけないわ。これはゲーム。そう、ゲームなの。ドクターが考案したゲームなのだから、イカサマなんてやったら彼に失礼よ」
「姉さんは、いつもそうやってドクター、ドクターって……あの人の一挙手一投足に、これまで疑問を感じたことはないの!?」
「何が言いたいの?」
「あの男が、約束を守ってくれるとは思えない。あの男は所詮、あたしたちのことを駒扱いしているだけの外道なんだよ!? このまま奴の言葉に黙って操られていれば、きっと良くないことになる。正気に戻ってよ姉さん! 今ならまだ、間に合うから!」
「その言い方はあんまりじゃないかしら、チャミア」
ルビィが、その整った美貌に僅かな苛立ちを覗かせて言った。
「私たちを造り出し、こんなにも素晴らしい力を与えてくれたのは、神でも悪魔でもない。ドクター・サンセットという一人の偉大な科学者よ? だったら、彼の発言に従うのは当然でしょうが。子供が親の言う事を聞くことの、一体何が間違っているというの?」
「矛盾しているってことだよ。姉さんもキリキックもスメルトも、みんなドクターの言葉を鵜呑みにして、本当の狙いに気づいていない。よく考えてよ。ドクターは私たちを解放するなんて抜かしてるけど、そのために自分の野望の手伝いをさせているんだよ? こんな、殺人ノルマなんてのをあたしたちに課せて、これから自由にするはずの身を精神的に縛り付けている。おかしいとは思わないの!?」
「別に、何も普通のことじゃない」
突き放すような口ぶりだった。それまで身振り手振り説得を続けていたチャミアが、力を喪ったように肩を落とした。
「全てはドクターの言葉だけが真実よ。彼が私たちを解放すると言ったのなら、それに従うまで。彼が都市陥落の為に私たちの力を借りようとしているのなら、それに快く応じるのが当然の義務よ。親に育てられた子供としてのね」
「ルビィ姉さん……」
「私たちはね、自分から自由を望んではいけない立場なの。でもそれを、不幸と思ってはいけないわ。ドクターの言葉がいつも正しい道を作ってくれるのだから、その上をただ歩いていればいいのよ。ドクターが私たちを《外界》に解き放つというなら、黙ってそれに従うことで、私たちは私たちでいられる。そんなことも分からないなんて、本当にチャミア、あなたは出来損ないの妹だわ」
決定的な一言だった。チャミアの表情に影が差し、もうどうしようもないとの思いが沸いた。
マヤを除いた他の兄姉たち全員の精神に、ドクターの呪いじみた言葉が根強く棲みついているのだと思った。どんな手段を講じても拭えないのだと痛感した。
チャミアにとって、ルビィは
ルビィはどう思っていたか分からないが、チャミアはマヤに向けるのとは違う安心感を彼女に対して持っていた。
めんどくさそうにあしらわれることも多々あったが、それでも嫌いにはなれなかった。
だが、もうそんなことは言っていられなかった。
自我の自由を優先するチャミアの前で、ルビィは確かな障害として君臨し始めていた。
「……そう、ようやく理解したわ、チャミア」
ルビィが右手で耳にかかった髪をかき上げ、一人ごちるようにして熱っぽい吐息を零した。
そうして続けざまに、死を呼び込む花蕾を瞳の奥で輝かせた。
「あなた、兄姉を売る気なのね? そこにいる二人の雑魚に。ドクターを裏切るのね? ドクターの計画を、滅茶苦茶にする気なのね? 兄姉の調和を乱すつもりなのね?」
矢継ぎ早な、それでいて抉るようなルビィの責め。
チャミアはしばしの間を空けてから、静かに頷いた。
もう後には引けないとの誓いと共に。
「……図星ってところかしらね」
ふっと、ルビィが長い睫毛を伏せた。
「そういえばチャミア。言ってなかったけど私、ノルマ達成するまでの殺害人数ね、あと
その美貌に、魔が舞い降りた。
ルビィの人造魔眼の奥で花蕾の紋様が五分咲きに花開いた。驚異的なスピードで。
「まぁノルマクリアしたところでさぁ!? 殺しは愉しいから、もう少し暴れさせてもらうつもりなんだけどねぇ!」
背筋が凍るような発言の後、火柱が立ち上がり、視界に入っていた三人を飲み込もうとした。
だがしかし、魔女の放つ死の炎は、誰の命も奪うことはなかった。
チャミアが何時の間にか
炎の柱に呑み込まれ、熱風の残渣だけを後に残して骸骨が身代わりに焼け滅びた。
「チョーカーの件はもういいわ。どうせここで、私の魔眼に焼かれるのだから」
死刑宣告――姉妹の縁が千切れ飛んだ。
チャミアは口を真一文字に閉じていたが、ルビィがゆらりと右手を動かす気配を見せた途端、
「二人とも、物陰に隠れて!」
小さな体から精一杯の声を張り上げた。
弾かれるように、村雨と七鞍が地を蹴って左右に飛び、それぞれが雑居ビルの陰に隠れた。
刹那の後、開いた空間に熱炎が降り注いだが、チャミアが呼び出した骸骨によって消化された。
オートバイが、巻き添えを喰らって爆発四散した。
「その戦い方、何時まで持つかしら」
防戦一方のチャミアを前に、
「裏切り者は潔く死ぬことね、チャミア。アンタもそこにいる雑魚機関員も、すべからくドクターの人生から追い出してやるから、覚悟なさい」
凄絶な笑みと共に、魔眼が咲き乱れた。
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