終幕

いるべき世界へ

 一週間余りが経過した。


 カーステレオから流れるニュースの数々が、琴美の体を運ぶ小さな空間を静かに埋め尽くしていった。

 都市がどれだけの被害を受け、どれだけ多くの人命が喪われたかを、ラジオのアナウンサーが極めて感情を抑えた声で告げていく。


 理不尽な運命の前に破れていった、それら一つ一つの命について、琴美は出来得る限りの想像を巡らしたが、最終的には父の顔が浮かんだ。


 二日前、まだ入院中の火門再牙の口から、詳細を聞かされた。

 父の事と、父を酷使した挙句に殺害した者達の詳細について。


 茜屋罪九郎ドクター・サンセットと、バジュラ――邪神を召喚し、都市を滅ぼそうとした二人の黒幕。

 彼らと父の関係性について再牙から教えられた時、怒りを覚えなかったと言えば嘘になる。


 二人が敷いた罠に嵌らなければ、父は今頃家に戻ってきていて、母の命も助かるかもしれなかった。

 一瞬でもそう感じてしまった自分がいた。


 だが、全ては過去に葬り去られてしまったのだ。

 穏やかな家族の団欒。それに必要なピースは喪われ、もうどうやっても取り返せない。

 そのことを意識すると、体の内側を針で突かれているような痛みを覚えた。


 しかしながら同時に、その心の痛みを和らげる術を琴美は学んでいた。

 それが彼女にとっての幸運だった。


 今は代わりのピースがあった。父の愛情という名のピースが。

 それこそ、一人の万屋の手によって送られた、ダストの中から掘り出された贈り物ギフトに違いなかった。


 ――自分はもう、大丈夫だから。

 ――心配しないで、お父さん。

 ――頑張って、生きてみるから。


 ショルダーバックの中で眠りに就く父の写真を思い浮かべながら、琴美は静かに胸の中で感謝の呟きを漏らした。

 体の芯で、穏やかな空気が流れる感覚があった。

 その流れが、地の底に引きずり落とそうとする囁きの一切合切を浄化して、もう何処からも声は聞こえてこなかった。


 無線給電のタクシーは、バイパスを走り抜けていく。

 右手に色彩豊かな商業施設アミューズが見え、その奥には、半壊した工業プラントの薄青く巨大な機械が、密林のように佇んでいた。


 後ろを振り返ってみれば、修繕途中の高層建築物や住宅街が見える。

 まだ所々に刻まれたままの人為的災害の爪痕を見て、しかし琴美は、きっとこの都市は近いうちに復興すると信じてやまなかった。


 どれだけの苦境に立たされても、何度も蘇ってきたのだ。

 その繰り返しだったのだ。


 明日を生きる為に、皆が必死になって生きている。

 奇怪な都市を心から愛する名も無き人々の意志が強く根付いている限り、幻幽都市が滅びることはないのだとさえ思えた。


 別れは、消毒液の匂いがする部屋で行われた。

 再牙は結局、琴美が差し出してきた金額の半分しか受け取らなかった。


『こんなギミック仕掛けられたんじゃ、大道芸人にでも転職してみるのもありかな?』


 そう言って笑うと、彼は機械化された右手首を三百六十度に何度も回転させてみせた。

 その前向きにしてユーモアの込められた姿勢が、琴美の心の中から一抹の寂しさを拭い去っていった。


『どうかお元気で。大丈夫です。貴方ならきっと、前を向いて歩けます』


 エリーチカのその言葉に、背中を強く押された。思わず涙ぐんで、抱きしめ合わずにはいられなかった。

 金属繊維の肌を持つアンドロイドの肌は冷たく、しかし琴美は確かな熱さを感じた。

 エリーチカの命の輝きを感じ取れた。


 自分の心を助けてくれた恩人に向けて、彼女は誓った。

 また必ず、幻幽都市を訪れる事を。


 今度は依頼人ではなく彼女の『友人』として、あの巨大な壁門ゲートを潜るのだ。

 それも、きっと近いうちに。


 太陽は真南に昇り、澄み渡る青空を照り輝かしている。

 ラジオから流れていたニュースは何時の間にか終わり、エンタメ系の番組に切り替わっていた。

 車内に流れる騒めきを、ボリュームに触れる運転手の手が吸い取っていく。


《外界》に戻ってやるべきことは沢山あった。本当に沢山あった。

 しかし琴美の心は、待ち受ける未来に対して臆するどころか、期待で満ちるばかりだ。


 ようやく自分の人生を歩けるのだと思えた。

 今ならきっと、正しい方向に向かって、最初の一歩を踏み出せる自信があった。


「お客さん、何か良い事でもあったんですか?」


 タクシーの運転手が、唐突にそんなことを聞いてきた。

 琴美は少し驚いて、バックミラー越しに運転手の顔を覗き見た。

 少し太目な体型をしているその運転手は、人懐っこい笑みを浮かべると、


「いやぁ、さっきからお客さん、ずっと頬が緩みっぱなしだったから」


 運転手の言葉に少し照れた様子を見せながらも、琴美はにこやかに答えた。


「父に、会ってきたんです」


「ほぉ、お父さんに」


「はい」


「いいねぇ、仲が良くて」


 運転手は羨まし気な視線を送りながら、重い溜息を吐いた。


「私にも君ぐらいの娘がいるんだけどね、最近全然会話が無くて。寂しいよ。昔はあんなに可愛かったのになぁ。やっぱり年頃になると、変わっちゃうものなのかなぁ」


「そんなこと、ないと思いますよ」


 他人の家庭事情など分からない。

 それでも自然と、琴美の唇は優しさを紡いでいく。


「貴方を大切に思う心は、きっと娘さんにもあるはずです」


 窓の外に視線を移す。

 都市を世界から隔絶させんとそびえ立つは、曲面を描いた巨大過ぎる白い壁。


 そこに黒い存在を見た。

 壁門ゲートの一部が連なるビル群に遮られ、かと思いきや不意に顔を覗かせてくる。

 それを何度か繰り返した果てに、タクシーは一般道へと入っていく。


 タクシーは、もうあと二十分もすれば壁門ゲートへ辿り着く。

 彼女自身が居るべき世界へ、その小さな体を届ける為に。

 奇妙な体験をし続けた来訪者を、夢から醒ますかのように。

 父からの確かな愛情を受け取った少女へ、勇壮を与えんとするように。


 出口が近づいてくる。


 琴美は瞼を瞑りながら考えた。


 門に向かってどんな形の一歩を踏み出すべきか。


 あの世界でどんな風に生きていくべきか。


 ただ、それだけを考えた。





 完

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アナザポリス・リビルド-怪力乱神の未来都市- 浦切三語 @UragiliNovel

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