最終話


 太陽の8割を遮蔽している巨大な構造体は、太陽の放射するエネルギーの殆どを吸収し脈動を続ける。

 その脈動の間隔は長く、構造体に座り込んでいる主命には小さな余震が起きている、という印象を与えた。

その余震は、もうすぐ彼女の解体を始める本震が起きることを予感させた。


オブジェのガラス面に光る光が、ゆるい変形を続けている。そのガラスに手を触れている主命。その手のひらには、この無とエネルギー流だけの宇宙の中で唯一の生命に触れているという暖かさを感じた。

彼女はここにいる。彼はそう確信していたし、その感覚は正しかった。


「ずいぶん久しぶりだな。ほんの3日くらいしか別れてないんだが…その、90年ぶりくらいにあった気分だ」

主命はそのガラス面に向かって喋りだした。大きな墓標のようなそのオブジェの作り出す影の中で。その影の外はすべて猛り狂う光の世界。男女の思い出話をするには、そこはすこし騒がしすぎた。

「いろいろあったんだよ、色々。前世に戻って、前世の世界ですべてを思い出したし。俺、90歳こえてたんだよ。じいさんだった。その姿をお前に見せたいとは思わないけど…それが俺の正体だったんだ」

90歳の自分を恥じる男の前で、46億歳の星が輝き続ける。

「転生した俺が、やたらに殺したいとか思ってた理由も、やっぱり前世のやり残しが原因だった。他の連中をまったく笑えないな、いや、むしろ転生者の中でも最悪の人間だった。やり残しを自分の恨みを、この世界でばらまいてしまった。

お前の…君の世界で」

オブジェの光は語りかけに答えることもなく独自の動きを繰り返していた。

「俺が前世に戻っている間、君の方も大変だったみたいだな。まあ、こんな形になってるんだから大変だったのはわかるよ」

オブジェをやさしくさすってやる主命。彼は彼女にこんな気遣いにあふれる触れ方をしたことはなかった。

「できれば出てきてほしい。難しいということはわかってる。でもみんなのために、頑張って欲しい。君の全体が君を壊そうとしている、人間的であることが問題だってこともわかるよ。神様だもんな。

前みたいに酒のんで屁をして吐いてるばっかりじゃ怒られるのも当然だな。

でも、なんとかならないかな?今ある世界は悪くない世界だと思うよ。良くもないとは思うけど。俺の前世の世界も良くはなかった、でも消してしまっていいほど悪くはなかった。そう思ってる。住んでいる人間の、世界に仮住まいさせてもらっている身としては、消す必要はないぞって、そう思うんだ。君だってそう思ってるはずだ」

オブジェは答えない。主命は座り直す。

「どうやって戻された前世から帰ってきたか。君に聞かせたかった。けっこうすごいことしたんだぜ俺、そのおかげで地球の神様に怒られたけどな。あいつもそんなに悪いやつじゃないみたいだよ、そういうと君は切れそうだけど。

もう一度君に逢いたかった。前世で最後を迎えたくなかった。死ぬなら君の世界で死にたいと思った。だから帰ってきたんだ。

まさかこんなに予定が早まるとは思わなかったけど」

しゃべり疲れ、舌を唾で湿らせようとするが、太陽の間近でその水分を体は供給できなかった。

「俺は決着をつけに帰ってきた。

地球の神様は俺に君を復活させて、この世界を維持することを望んでいるのかもしれないが、俺にそんなことができないってことはわかってる。あの神様だって本当は無理だと思ってるはずだ。こんなデカい物に閉じ込められたお姫様を救出するなんて芸当、俺には無理だ。

ただ俺は自分の決着を君に見てもらいたくて、できる限り君のそばで行いたくて、ここまで来た。

世界をどうするかは、もちろん君の自由だ。創造神パーシャルティー。


俺の前世、天野主命は無実の罪で裁かれその人生を長く牢獄に閉じ込められた。長かった、とても長かった。

そして転生し、その恨みをこの世界で晴らし続けた。殺し続けた。前世で培った世界に対する恨みを、無関係のこの世界にまき散らした。

たしかにそれは君という誘惑者がいたからだともいえる。しかし、君にそそのかされる前から俺は前世の恨みの塊で、産みの母すら殺した男だった。

転生者の多くが前世の恨みを行動原理とする。儲けられなかった、受け入れられなかった、愛されなかった。幸せになれなかった。

その恨みをこの世界に吐き散らかした。俺もその一人か?いいや俺は違った。その行いはまぎれもなく悪、断罪されるべき悪だ。

たしかに君はそれを許した。罪はないとやさしく囁いた。神の許し、絶対の資格をくれた。

だが、神が許そうと、それを許さない男がいた。

俺だ」

天野主命の肉体には二つの人生が一つになった人格が入っている。20代の殺人鬼と90代の冤罪の老人。

「前世において俺は二つを求めた、世界中全てを殺してやりたいという復讐と正しき裁きが俺を救ってくれるという正義だ。

パーシャルティー、人間が神に求めるのは何だと思う?公平さだ。

公平だと信じられればつらくても生きていける。だが不公正だと思えば、人は恨みを抱えて転生をする。

二度目の人生で前世の恨みを晴らせれば、結果はプラスマイナスのゼロになり、公平になる。そう思っている。

そして公平さはもう一つの顔を持つ。

”因果応報”だ

悪は必ず罰せられる。俺が前世で求めたものはこれだった。裏返せば正しきものは必ず報われる。牢獄で俺が念じていたのは因果応報、ただそれだけだった。

君なら”そんなものは人間が勝手に作り出した幻想だ、天国も地獄もそれを保証する神様のバックアップ施設だと思っているのだろうが、そんな場所はこの宇宙のどこにもない”って言うんだろうな。たしかにそんなものは存在しない。存在しないからこそ人間は神にそれのみを求める。


因果応報、悪しきことを行えば必ず罰せられる。

パーシャルティー、俺の転生後の行いは、前世の俺にとって許されない事だった。

前世の記憶を持ちながらそれを行っていたならば、魂を悪の道に落とすこともできたかもしれない。だが順序が逆だった。

俺は人殺しに落ちた自分を見てしまった。冤罪で投獄され、無罪である自分のみが世界で唯一正しい存在だと信じていた自分が、その正しさを捨て去ってしまった己を見てしまったんだ。

今、俺の人格は一つだ。前世も転生もない。ただ一つの長い人生を生きている男だ。そしてその信じる倫理も、感じている罪悪感も一つとなっている」

立ち上がる主命。彼は腰からナイフを引き出す。今の彼が唯一もっている武器。悪に立ち向かうための最後の得物。

太陽の強すぎる光を反射するその刀身。返った光がオブジェを鋭く照らす。その光にオブジェは少しだけ震える。

「こうするためにここまで来た。君に知ってもらいたかった。いろんなことを。

酷いことをして回った人生だったけど、君に知り合えてよかったってことも」

ナイフを手の上で回転させ、その刃先を主命自身に向けた。

オブジェの光が強く明滅し始める。

「今からする行為は、君の許しを必要としない」

ナイフを両手で持ち、その行く先を固定する。胸に、心臓に向かって。

「神が許したって言い訳もできる。前世の恨みを晴らしただけって言い訳もできる。転生者が悪だったって言い訳もある」

構造体が震える。地平線が波打っている。

「だが、俺の正義が許さない。パーシャルティー、君は正義なんてこの世にないって言うんだろう。

世界にないんだった、世界に与えるまでだ。

人が世界に与える。公平さも、正義も

…与えるまでだよ…」

主命ののどの渇きは強かった。一杯の水が飲みたかった。体はまだ生きたいと願っていた。

「最後に伝えておきたかった。

パーシャルティー、君に罪はない」

突き刺されたナイフの速さは、彼が行ったすべての他殺行為と同じ早さだった。

彼の殺人技術はいかんなく発揮され、ナイフは骨の間を滑り込み、的確に心臓を貫く。えぐり、自らのとどめを刺す、死ぬ瞬間まで自分を殺すことに必死であった。噴き出した血が、保護膜から抜け出した瞬間に蒸発し消滅していく。

倒れていく主命。

構造体が大きく震え、その鋼鉄の地平にひびが入る。

オブジェの光は狂ったように乱舞する。ゆっくりと落ちていく主命の体が、そのガラス面に映し出される。

光は狂乱し、ついに一つに集結する。光が女神の姿になった。

ガラスが割れはじけ飛び、女神パーシャルティーが再びこの世界に飛び出した。

崩れ落ちる主命を受け止め、抱きしめる。

彼女の流す涙は、太陽に光の中、溶けずに輝いていた。

「主命!」

必死に名を呼ぶが、彼の命はまさに尽きかけようとしており、その返答は弱かった。

「やあ、久しぶり…」

「バカが!なにをしておる!」

彼女の手に輝きが集まる。創造神たる彼女には、失われていく彼の命を取り戻す事など容易いことであった、しかし、

「邪魔をするなよ」

死にゆく男の声は神の動きを止めるほど強かった。

「なに?なんで!」

「俺の償いだ。俺だけのものだ。俺が世界に求めているものを、俺が与える…それだけ…君が世界を与えてくれたように…」

彼女のためらいは、最後の一瞬を逃してしまった。主命の命がその体から去っていった。



彼の体を抱きしめ、抱え上げる。蘇った女神は彼の遺体を抱えながらゆっくりと飛び上がっていく。

その足元にあった巨大な構造体は崩壊を始めた。それがあまりにも巨大であるために無音であるはずの宇宙空間にも崩壊の音が響いた。宇宙に響く神の泣き声のように。

細分化された構造体は、まるで今まで封じ込めていた太陽の逆襲によって溶かされるかのように形を変えていく。

主命を抱えた女神の前に地球の神が現れた。

「女神は蘇ったようで、ご再誕を祝福すべきかな。それともお悔やみかな」

女神の顔つきはそれまでと違い優しく、母親の様に主命を見ている。

「生まれたものは死する定めも持つ。生と死が等価とは言わないが、生と死は常に同数である。喜びも悲しみも同数であってほしいな」

肩をすくめて同意する地球の神

「この男は自害することで私を動かした。そして今度は同じく自害で女神とこの世界の崩壊を救った。二つの世界の二つの神を、二つの自害で動かしたのだ。大した男だ。一つの魂に収めておくには惜しい人間だった」

「彼はこの世界で死にました。そしてそれは永遠に変わりません。彼の願いを消すことは、私にはできない」

「彼は結局、正義感に自分を求めた。

人は人生の様々な部分、そのどれを基準に選択するかで自分が決まる。顔で決めるか、欲で決めるか、好きな色で決めるのか。何をもって自分とするか?

二つの人生の中で、自分自身を決める絶対の基準として、彼は培った正義感を自分自身と決めた。そしてそれを貫いた…ナイフの刃の様に鋭く」

「自分でない自分が幸せになっても、それは自分の幸せにはならない…」

女神のつぶやきに眉を上げる地球の神。

「さて、そろそろお別れのようだ。この世界の神パーシャルティーよ。

ずいぶん迷惑をかけてしまったようだ。謝罪しておこう。ところで…」

「この世界に転生してきた者を処罰するようなことはもうありません。転生者も私の世界に受け入れます。そうした方がいいと、彼も言っていますから」

主命の額に手を触れながら、女神は優しく言った。

地球の神はその二人を交互に見た後、

「それでは…」

この世界から姿を消した。


遺体を抱いた女神が太陽を上昇していく。構造体は溶け、滑らかに輝く金属に変わる。それは細く細く伸び、太陽の周囲を飾る何重もの輪になる。

女神が手を掲げると、その超巨大な輪はさらに形を変え、太陽の周囲を飾る巨大な紋様となった。



地上にいるキリコは輝きを取り戻した太陽が以前と違うことを、その光の形から知った。

木漏れ日の影が示す太陽の形、手をかざして見る太陽の形、前とは違う。

太陽を中心とし、空に輝く美しい紋様。

暗闇に閉じ込められていた太陽が、美しく新しい姿で蘇った。

全ての人が地に付し祈る。

キリコの目からも涙が自然とこぼれた。

「新たな神がこの世界に生まれた」

そのことを新しい太陽が全ての者に伝えていた。

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