第22話


 床を這いずるケヴィンの腹は魔術の炎で赤熱化させられた鎧と癒着していた。腹の中身も焼かれ消化器系の臓器の多くが熱で破壊された。

 それでも彼は這っていた。

 殺人鬼のせいで魔術師のステラを己の腹の下で焼き殺してしまった。彼女の顔面の皮は彼の鎧にまだへばりついている。団長も奴に殺された。もはや旅団で残っているのは彼と…


 ケヴィンはリビングの大きなソファーの裏に隠れている人の足を見た。彼にはその足に見覚えがあった。最後の生き残り、生き残った2人。ケヴィンは彼の恋人であるロウリィを見つけたのだ。彼女はまだ生きてソファーの裏に隠れている。だから彼は這っている。

 昨日、彼女と喧嘩した。子供がほしいという彼女に対してケヴィンは拒絶をしてしまった。彼女の提案はケヴィンにとっての幸福と合致しなかったからだ。彼はもっと自由に生きたかった、自由に恋愛を楽しみたかった。前世ではそれができなかったからだ。それに対して彼女はより大人な幸福、恋愛を達成した人間の幸福を提案してきたのだ。

 だから拒絶した。転生後の幸福観がマッチしなかったから、自分の幸福を優先した。

 ケヴィンは半死の体を引きずって彼女のもとにたどり着こうとする。

 「俺はなんてバカだったのか。なんで彼女の事をちゃんと見なかったんだ」

 這うたびに癒着した鎧が腹の皮膚を引き伸ばし、血が滲み出す。

 「なぜ彼女を幸せにしてやろうと思わなかったんだ!」

 死が限りなく近づき、前世の後悔が今世の後悔と重なる。ケヴィンは前世においては人を愛するチャンスを得られなかった。そして今世においてそれはようやくなされた。だがまだ先があったのだ。

 ケヴィンはただ人に愛されただけだった、他者を愛し共に幸福を作り出すという境地にはいたっていなかった。またしてもケヴィンの世界は後悔に沈んで終わりを迎えてしまう。

 その沈む世界から逃げるかのように這い続け、ようやく彼女のもとにたどり着いた。

 恐怖にすくみ頭を抱えに涙するロウリィの下に。

 「大丈夫、もう大丈夫だよ」

 半焼半死。武器もなく防ぐ手段もないケヴィンはなんとか体を持ち上げ、彼女の手を取り慰めた。

 自分を守る力もない男のその僅かな慰めに、彼女の顔の色は生気を取り戻し、彼の手を握った。ケヴィンはそれ以上のかける言葉がなく、彼女の目を見つめて死にゆく体で微笑んだ。その瞳に優しさを見たロウリィは両手で彼の頬を包む。その口づけはまだ別れに間に合うはずだった。

 彼女の目が彼の背後に現れた影の男、その影が細身の剣を振り降ろそうとしている姿を捉えた。

 彼女は手にあらん限りの力を込め彼の頭部を固定する。

 それは彼を狂剣を防ぐための盾とするためなのか、愛する人に自分が味わっている死の恐怖を知らずに逝かせるためなのか。

 影の男の剣はケヴィンの首筋から喉を貫通し、そのままの勢いでロウリィの鎖骨を砕きながら背中へと抜けていった。それでも勢いは死なず二人の体を引き倒して先端が床面に深く突き刺さって止まった。

 2人の唇は僅かな距離を残して触れ合わず、まるで二匹の昆虫のつがいをまとめてピンで刺した標本のように、床に固定された。



 リビングは悲惨な死体がいくつも転がっていた。焼き殺された女、首を切られて死んだ男、刺し貫かれて同時に死んだ男女。

 その死体達に囲まれて影の男が立っていた。

 影の男はようやくマスクを脱いだ。

 汗に汚れ血に汚れ、脱ぐのに苦労した。

 「フウ」

 天野主命はようやく一息つけた。周囲を見、数を数える。

 「11,12…」

 「13人全員殺したぞ」

 女神パーシャルティーが祝福もねぎらいの言葉もなく現れていた。

 「わかってるよ、殺しながらちゃんと数えてたし。仕事終わりの確認だよ。最後の点呼」

 「点呼しても誰も声を返さんぞ」

 「とにかく全部終わった、んだよね?」

 「ああ、見事なものだ。容赦なしだな」

 雇用者の最終確認を聞いて主命はへたり込んだ。さすがの彼にしても今日は大変な一日だったようだ。

 「座るな。とっとと出るぞ」

 「あ、ちょっと待って、まだあるから」

 死の館からの退去を申し出た女神に、主命はそう言ってテーブルを指差した。

 そこにはまだ手付かずで残された大量の料理がのっていた。

 「料理が何だと言うんだ?まさかお前」

 「食べるよ。こっちはまる二日何も食ってないしね。それに食い物を粗末にするとバチが当たるっていうしね」

 「粗末にしてもバチなんか当てんぞ」

 女神の反応を無視して主命はテーブルに付くと、死者の残り物に手を付けてバクバクと食い始めた。

 「だいたい、あんたが13人殺人の予告状を当日に送るなんて言い出すからこんなことになったんだぜ」

 女神も仕方なくテーブルの向かいに座る。目の前には死者の残飯が山盛りである。

 「それをお前が泣きついて土下座して頼み込むから、予告状を送るのを3日も先延ばしにしてやったではないか」

 「土下座はしたが泣いてはいない。泣き顔は作ったが。忍び込む策を練る暇もないからイチかバチかで搬入される肉に忍び込んだが、おかげで俺は肉の中で2日間も身動きとれずに冷やされてたんだぞ」

 肉をむしゃむしゃと食いながら神に文句を垂れる主命。さすがに今回の過酷な任務は、腹に据えかねるものがあったのか。

 「その肉を細工をしてやったのは私だぞ。だからこそうまくいったのだぞ。神の細工の見事さがあってこその成功だ」

 「手伝ってくれたのはありがたいが、肉に包まれて2日も暮らしてみろ、自分が何者だったのかも忘れちまうところだったぞ」

 「母の母胎に返ったようで夢見心地か?けっこうな殺し屋だな」

 豪華な部屋、豪華な食事、そこで言い争う2人。それを眺めるのは今しがた殺された死体ばかり。

 「うまいな、コレ」

 死者の残り物が美味いとこの男は言った。それを死んだ者たちの死んだ目が見て、風に震える死者の鼓膜が聞いている。

 「これが美味いというか、お前は」

 女神パーシャルティーは呆れたように言う。殺した相手に囲まれて飯を食って感想を言える、そんな男を見る彼女の目にはほんの少しの哀れみが漂う。

 女神は目の前の揚げ物をひとつ取り、口に入れる。

 咀嚼を繰り返し、味を探る。

 「これは…美味いのか?」

 味がわからないようだ。

 「これは、美味い!あんたは知らないだろうけど、この料理はこの世界でもけっこうな部類に入る上物の食い物だ。得したな!」

 口の中の咀嚼物を飲み込む女神。

 「そうか、お前にはコレが美味いと感じるのか」

 哀れな生きものを前にして、女神は料理をもう一口食べた。

 主命は食べ続け、女神もいろいろな味覚を試した。その光景は徐々に一人の食事から、二人の食事へと変わっていった。


 「しかし、神のなす業ってのは無慈悲なものだな」

 その無慈悲な行為をし、残り物にも手を付けている主命が言う。彼の目には前世の無念を今世で晴らせなかった死体達が映る。

 「神とは常に無慈悲。慈悲をなくすのではなく初めから慈悲などないし、手加減も手心もない。慈悲も手心も人によって作られた”暴力の加減”だ。それを人の心を持たぬ者に期待する方が愚かじゃ」

 その神の無慈悲がこの屋敷を死者で満たした。神が今宵行った行為は、虐殺といわれる類いの事だ。

 主命は冷めたスープを飲んでその無慈悲な指令を出した女神を見ている。

 「なあパーシャルティー、あんたなんで人間の格好をしている。別に人でなくても俺は言うことを聞く。”殺しの許し”を与えてくれるんだったら、あんたは石でも牛でもいい。なぜ人の、女の姿をしている?」

 「食事をし、味わうために人の体をしておる。歯で砕き、舌で味わい臓腑を満たす」

 食べ物が気に入ったのか、女神の食事のスピードは上がっている。

 「ふざけるな、全知全能が売り物のあんたが俺なんて狂人に殺人依頼をするのもどうかしてる。いくらでも自分でできるだろうに」

 「お主は電波の受信が良いからの。これからはラジオとやらで命令するかの”汝、主命よ人を殺しなさい~”」

 よく見たら女神は酒まで飲んでいる。

 「酔っ払ってんのか?まさかお前?」

 「酔ってなんかない。ちょっと脳神経が停滞を起こしておるだけだ」

 主命は赤ら顔をした女神の顔を見つめる。酔い崩れた彼女は普通の少女のようにも見える。酒は彼女の顔だけでなく胸元も赤く染めていた。

 「このように、人の事を知るためには人の体が必要なのだ」

 一瞬にして彼女の体から酒精は消えた。顔の赤みも胸元の火照りも消え、主命の目の前から酔った少女は消え、女神の厳しい目が戻っていた。酔いも覚めるも自在の体だ。

 「アリの考えを知るためにはアリになるしかない」

 「随分大雑把だな。全知なんだからそれくらいわかるだろう」

 「神に慈悲はない。慈悲を知らんのだ。知識として慈悲を知っていたとしても適用させるためには症状を観察して慈悲の用量を測らねばならん。この体も全知のための一環だ」

 「人の体でしか人の感情を測れないってことか。その割には…」

 主命が周囲を見渡すと死体しかない。

 「やっぱり慈悲がないな」

 「転生者は死なねばならないからな」

 「俺もか?」

 また酒を飲んでいる女神は、グラス越しに眉を上げて主命に答えた。自分で想像してみろ、と。

 その行き着く先を考えないようにしている主命は、自分のした質問と答を忘れた。

 「つまり慈悲はないと、慈悲を発揮する気がないとしたら、本当になんのために人の体なんだ?」

 「アリの企みはアリでないと理解できない。アリは穴掘りの結果、ダムに穴を開けて崩壊させた。アリはなぜ穴を掘るのか?なぜダムを崩す危険を考えないのか?

 それはアリという精神のスケールで観察するしか答えは見つからない。神の視座に座していてもこの事態は解決できない。それが私がわたしである理由だ」

 「事態って、転生者が社会的成功を収めている事か?世界が前世の技術で革新を起こしているってことか?」

 「そういったことには興味はない。世界は変化し続ける。右に行こうが下に行こうが私は関知しない」

 「人がどうなろうと興味はないですよね。ところで料理の味はどう?」

 「うまいな」

 「だろ~?」

 共通点がないよりあったほうがいい。この料理がうまいといえる神ならば、どこかで通じているのだろう。通じていた所で慈悲をかけてくれる相手ではないが。

 「この感情、それを持っていたい」

 「生きている喜びってやつ?」

 「いや、我が身を汚された憤怒、怒りを私は保たなければならない。そのためにもこの体が必要なのだ」

 またしても女神は豹変した。彼女の髪が電気を帯びたように浮き上がる。目は炎を宿したように輝き、呼気は熱風に変わる。食事の手を止めてしまう主命。それほど彼女が突然発した怒りの感情はすごかった。この女神は自分の感情をアクセルを踏み込むように突然マックスにできる。

 先ほどまでの穏やかな女神は消え、今は怒りを全身からほとばしらせている。怒りながらも冷静な心も並走させているのか、言葉はスラスラと出てくる。

 「ともすれば全知全能というものは行動を鈍らせる。いつでもできる事に焦るということはない。しかし今の事態においては人間的スピードで人間的感情のままに対処しなければならないのだ。その行動の動力源として、この人間の体から発する怒りが必要なのだ」

 喋りながら怒りのステージが上がった。彼女の持つスプーンが熱に溶けたように曲がり、全ての光が神の怒りに反応して光量を上げる。人体に神の怒りを内蔵した少女によって館が震え出す。できたての死者たちがブルブルと震える、それは周囲にいる人間に死を予感させるレベルの異常現象だ。

 死が近づくと主命の心は逆に冷静になる。神の怒りを前に彼は冷静になれるのだ。

 「なにがそんなにキミを怒らせる」

 「何者かが私の世界に汚物を挿入し、薄汚いザーメンを撒き散らした。この!私の世界に!」

 「そのザーメン、受け入れることはできないの?」

 「だから女の体を使っているッ!」

 汚された少女の怒りが光になって膨張し館すべてを充満した。

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