第20話


 腰を抜かし命乞いをする僧侶を殺すことなど、影の男にとっては、魚をさばくのと同じくらい簡単なことである。

 命乞いが無駄と知ると神聖魔法の使い手である僧侶ヘイドンは神の名を唱え始めた。

 「アイラス様、キルクツク様、ヘライブ様お助けを~」

 この世界の神の名をあげ次々と救済を求める。残念なことに彼の死を命じたのはまさにこの世界の創造神であるのだが、一介の僧侶でしかない彼には知ることもできない。

 「神様、仏様、オーディン様、ホルス様~」

 前世でもそれほど信心深くなかったであろうに、前世の神にまですがり始めた。もちろんそれらはこの世界になんら力を及ぼすものではない。

 「イートルクさま、メスハさま、マートベクさま~!」

 殺人鬼の刃が顔面に迫る。命乞いの時間はもうわずか。僧侶ヘイドンは知っている限りの神の名を唱える。神のメジャーマイナーおかまいなしに羅列して救いを求める。

 神の名を聞き飽きた影の男が僧侶の口を塞ぐため、その口にナイフを突き立てる。

 「~~!セティヒトさま!パーシャルティーさま!」

 「止まれ」

 突き立てられようと加速したナイフが空中で静止する。ナイフの持ち主が意識的にできる急停止の動きではない。明らかに物理法則を超えた強制的な停止だ。

 影の男は加速した状態で完全に停止した。

 ヘイドンは自分の眼前で殺意をまとったまま静止しているナイフを見つめて震えた。

 影の男の後ろから女が現れた。

 薄衣だけをまとい体のラインが丸見えの美女。あまりにも場違いである。しかも今の今までこの屋敷の中には存在しなかったはずの女だ。

 その殺人鬼の影から現れたような女が、死刑執行を一時停止された男に尋ねる。

 「お前、その名をどこで知った?」

 「どこって、名前って?な、なんでございましょうか?」

 一時停止を命じて、助命してくれたのが彼女であることは明白なので、ヘイドンは彼女に対して従順であろうとした。

 「パーシャルティー。この名だ」

 「あ、その名前は、どこだっけなぁ~。あ!我々のような人間が集まる勉強会で様々な宗教の研究をしておりまして、そこにこの世界の宗教の百科事典みたいな男がおりまして…。たしかそいつが教えてくれたんです。パーシャルティー、この世界のもっとも古い神の名前です」

 静止させられた影の男は、眼球どころか虹彩すら動かせない。しかしその音だけは聞こえ、脳は「いいかげんにしろ」という言葉を発しようと努力を続けていた。

 「パーシャルティーについてもっと詳しくお話することもできます、どうかお助けを!」

 「いや、もうよい」

 彼女の一言によって、静止されていた殺人行為は途中中断を解除され、実行された。

 神そのものに命乞いをしていた男の口には深々とナイフが刺さり、ひっくり返った眼球から涙が溢れていた。

 「ずれた」

 引き抜いたナイフから血のりなどを拭い取りながら、影の男が不満げにつぶやいた。

 静止させられたため、彼の狙いから数センチずれたのは確かだった。

 「どーいうつもり?俺の仕事の邪魔する気か?」

 「私の名を知る者はこの世界におらん」

 「何言ってるの?神様の名前なんだろ。僧侶ならみんな知ってるだろ。どんな古臭い神だろうと」

 「主命、お前、創造神が自分の作った世界や人に対して一々名乗ると思うか?」

 「あるだろ、人と創造神の出会いとか契約の場とか、いろいろあるじゃん。楽園から追放したり。そん時に名乗ったんじゃないのか」

 「たわけ、そんな事は一度もないし、自分の名前を丁寧に石碑に掘ることもないし、人の夢に現れて説教をしたこともない。神はただ神としてのみ存在しておる。その名を称えられる必要もないし、名前の付いた神殿も必要としない。神は己の名など宣伝しない」

 「でも僧侶達は神の名で奇跡をおこなってんだから、あんたの変名とかで力を引き出してるんだろ」

 「今この世界にあるすべての宗教と神は人間やエルフドワーフ達による創作じゃ」

 その言葉を聞いて、しばらく黙っていた影の男は意地の悪い感じで答えた。

 「今の言葉、この世界の全部の宗教家に聞かせてやりたいな」

 「神聖魔法も通常の魔法と同じ世界の機能を、別のアプローチで発生させているものだ。そこに神の神秘は働いておらん」

 神自身による神聖魔法の否定。影の男は、神の威光を身にまとったと思いこんだまま人生を終えた僧侶の死体を眺めた。

 「パーシャルティーというわたしの名を知る者は、この世界では主命、お前だけだ」

 その言葉はさすがに影の男、主命を揺らしたが、彼は仕事モードを崩さない。

 「だがこの男はその名を知っていた。創造神の名を知ってる奴がいたってこと…やっぱり大昔にどっかで漏らしたんだよ、神様自身が」

 「前にも言ったが、わたしにとって人も何もかも同じく無価値だ。そんなわたしが誰かに会うたびに自己紹介すると思うか?

 ハ~~イわたし創造神パーシャルティーよろしくねって」

 「神も真命を知られては困るってか」

 「さらにたわけだな。困るなどという事は神にはない。しかし、この世界に存在しないはずの名称を知っている奴がいた…」

 「その神の名を知ってるやつが救いを求めてたんだから、神様らしく助けてやってもよかったんじゃない」

 「神は人を助けない。創造神ならなおさらじゃ」

 「ひっでーな。やっぱり俺も創作された神の方に祈りを捧げるわ。そっちのほうが効能があるだけマシだ」

 「くだらん、お前はすでに私という神と共におる。全ては私の掌中じゃ」

 その言葉を無視して影の男は自分のコンディションを確認する。上半身に切り傷・打撲傷があり、手甲も大きくへこんでいる。先ほどの戦闘でダメージを負ったが、まだ仕事の続行は可能だ。

 武装を確認しつつ、女神に聞く。

 「唯一神なら”神”って名乗ればいいのに、なんで”パーシャルティー”なんだ?自分で名付けたのか?」

 返答を期待したが返ってこない。またしても姿を消したのかと女神の方を向くと、口を開け停止した女神がいた。

 「なぜ私はパーシャルティーと名乗った…いつから自分に名前を付けたのだ…」

 「神様が返答できない質問をしたとは、俺も宗教史に名前が載るな」

 仕事モードに切り替えた影の男は、女神の存在を意識から消した。彼女の助力も邪魔も考えないようにした。

 これから彼は残り4人の始末をする。

 13人中9人も殺せたのだ、残り4人はその労力の半分で…などということはない。たとえ残りが1人であろうと返り討ちに合う可能性は十分にある。殺し合いという現場では技量差だけが絶対ではないのだ。

 準備が整い、再度女神の方を振り向くと、女神は返答も挨拶も、励ましもなく消えていた。

 

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