第29話


 テラ教会の内部では、カルハス司祭による主命にたいする勧誘が進んでいた。

生まれた場所や今までの暮らし、いつ前世の記憶が戻ったのかなど、同郷の者に対する親愛感を一杯に司祭が訪ね、答えを聞き出し、今までの苦労をねぎらっていた。

主命が返した答えはすべて偽りであった。適当に用意した答えを返しながら、仕事を行う時期を見計らっていた。

広い教会内には司祭とキリコと呼ばれた修道女だけ。たしかに仕事をしやすい環境ではあるが、主命はなにか不穏さを感じて行動に移れない。準備されたかのように安易な環境が作られすぎている。

それになおかつ、この司祭には毒っ気がなさ過ぎた。殺意の焦点が集中しない。主命は自分の心身の不調を疑いながら、話を長引かせるしかなかった。

「つまり、いまだに前世の記憶があやふやなんダネ」

司祭の質問は核心部分に到達していた。本来なら適当に作り話の前世の記憶を言うべきところなのだが、主命は真実を語ってしまった。彼はいまだに前世の記憶がおぼろげにしかなかった。あるのは前世から続いている殺人衝動のみ。その衝動部分は知らせず曖昧であるとだけ伝えた。

「キミはまだこの世界で行うべき真の使命に目覚めてなイ…大丈夫、神は君をいつも見ている。今も見てくだサッテマス」

宗教の売り文句を聞き流そうとした主命であったが、その言葉が異常に胸に染みるのを感じた。それは彼にとってあまりに意外。そんなものに感化される部分が自分にあるということに驚いた。

「キミを送り出した神は、君の幸せだけを願っています。誰かに利用される人生でなく、自分で切り開く人生を願っています。もっと自分を信じて解き放つのデス」

勧誘がクライマックスに入っている時、修道女は奥の小部屋に入り、窓から外に合図を送る。隠れていたカギロの手勢が教会の周囲を固める。30名の兵士が蟻の抜け出る隙間も塞いでいく。

自分の瞳に熱いものを感じた主命は、これ以上勧誘行為を受け続けるのは危険だと感じ、もはやここまでと仕事を開始した。

胸元から取り出した写真をテーブルの上に滑らす。一人の日本人の写真。今、彼の前にいる金髪碧眼の美男子とは比べようもないさえない男の写真。

「志水春一、両親がインチキ宗教にはまり一家崩壊。お前は宗教屋との訴訟トラブルの末に殺された。そんなお前が今や一大宗教のトップ。前世の恨みを今世で返したか?」

殺人前の真名暴き、どんな転生者も震える行為をされたにもかかわらず、司祭の顔色はまったく変わらなかった。

「ハイ、その通り。私は前世の恨みを原動力にその仕返しをこの世界でオコナッテいまーす」

「わが神の命によって、お前の命をもらう」

「あなたの神はただ一人です。私と同じ神です。そして神は人殺しなど、同族殺しなど命じることはありません」

思わず激高してしまう主命。自らの神を否定されることが彼の怒りのスイッチになってしまっていた。

すぐさま抜き出したナイフをなんの考えもなくカルハスの頭部に振り下ろした。

激しい金属音が教会内に悲鳴のように鳴り響く。忽然と姿を現した修道女の持つ金属の棒がナイフを防いでいた。

間一髪で助けられたのに驚くほど冷静なカルハス司祭はテーブルの上の写真に手をかぶせたあと、それをつまんで主命に見せた。

さえない男の写真は金髪碧眼の美男子の写真に変わっていた。

「なぜ転生してまで、人の道具となる人生を選ぶ?」

司祭の声には哀れみがあった。

司祭の手品に驚く主命。その顔面に修道女の鉄棒が迫る。とっさに椅子ごと後転し避ける。修道女がいまだ椅子に座ったままの司祭の前に立ち、主命の魔手から主人を守る。

修道女は両手に太い金属の棒を持つ。こん棒のように思えたが、その棒は金属のチェーンで結ばれていた。修道女はその重く太く固い棒を二本、器用に振り回し始めた。右手左手回転。左手右手回転。

「ヌンチャクかよ。今日はやっかいな仕事だな」

主命は両手に長めのナイフを携えて女カンフー修道女に向かう。


長椅子が砕け燭台が破片になって飛ぶ、イコンは破壊され聖なる場所に破壊の嵐が吹き抜けた。こん棒ヌンチャクの攻撃範囲は主命のナイフより広い。さらに重いこん棒を振り回し、その勢いに修道女は自分の軽い体を乗せて飛び回る。極めて厄介な相手だった。その二人の死闘を眺めながらカルハス司祭はいまだに椅子に座ったままお茶を飲んでいる。

主命は柱が立ち並ぶ壁際に退避する。空中をヌンチャクが飛びその上を修道女が飛ぶ。自分の投げたヌンチャクに引っ張られて空を回転した修道女が主命の後ろに着地し背中を蹴飛ばす。ふらついたところにヌンチャクを叩きこむが、これは避けられ石壁に穴をあける。この機を逃がす主命ではない。手に持ったナイフを二本とも投げる。壁に当たり勢いがなくなった重いヌンチャクは自由に動かせるものではない。飛んでくる二本を防ぐには武器を手放すしかなかった。

ナイフはかわしたが、さらに主命の体が飛び込んできた。男は自分の重い体重を利用し、軽い女を押し倒し馬乗りになる。頭部を強く打った修道女であったが抵抗はやめない。爪をたて拳の放ち股間を蹴ろうと暴れる。主命もここで決めねば獲物に逃げられると必死に、馬乗りになった女を殴る。

綺麗な一発が入り、女は再び後頭部を床に叩きつけられて失神した。

ようやく立ち上がる主命、傷だらけのひどい有様である。ゆっくりと教会の暗がりから光の当たる司祭の場所へと戻ってくる。司祭はいまだにこの場所の主であるという余裕を失わず椅子についたままだった。

隠した最後のナイフを抜き出す。宗教家を殺すくらいならこの一本で十分である。

司祭の眼前に立つ主命。手には殺意みなぎる凶器。

主命の眼前に立ち上がる司祭。まな板の上でも料理人に微笑みかける笑顔。

ゆっくりとナイフを持ち上げ振り下ろす。飾り気のない殺人鬼の技。

そのナイフは司祭の額の上で静止した。

驚く主命。重力も筋力もそれ以上ナイフを下ろせない。司祭の笑顔は変わらない。いったん距離を取りさらに勢いをつけナイフを差し込もうとする主命。再び寸前で静止させられてしまう。今度は明確に、なにかの力が働いているのが分かった。なにかの力を感じる。その力がこの司祭を守っている。主命が見上げるとそこには教会の巨大なレリーフ、リカーシュ教の神の像が光を浴びて主命を見下ろしていた。

その神像と同じ光の中にカルハス司祭もいる。

主命は様々な要因を考える。おそらく魔術。神聖魔法と思えたが、唱えていた様子もないし、ここまで完璧な結界というのも知らない。

「魔術か」

余裕ある相手の心理を利用して聞き出そうとする。

「神の力だ」

「たわごとを」

場所がまずかったか。主命は教会という場所が司祭にこれほど有利に働くとは思わなかった。

「疑うな、神の力を」

司祭が手を伸ばすと、主命の手足は硬直した。驚愕する主命。司祭は魔術に必要な手順をいっさい踏んでいない。それなのに彼の自由は一瞬にして奪われたのだ。さらに主命の体は宙に持ち上げられた。

「主命、君を哀れに思うよ。悪い魔女にたぶらかされ殺人の道具に仕立て上げられた。君のあるべき幸福は彼女によって奪われたのだ。さあ主命。彼女を呼びたまえ、君を不幸にしたあの女の名を叫びたまえ」

「ふざけるな!俺は自分のやりたいことをやっている!お前らを皆殺しにする。転生者を一人残らず俺が殺すんだ!」

「願望を自分一人で生み出しているものだと思うな。他人が、社会が願望をお前に植え付ける。だがそんなの願望でも君は責任は取らなければならない。主命、これは神の罰だよ」

主命の左腕が勝手に持ち上がる。持ち上げられ持ち上げられ、違う方向へとギリギリと曲げられる。骨がその限界を超えて曲げられ、ついに折れた。

主命の叫び声が教会の見事な設計によって巨大に鳴り響いた。

教会の大扉が強引に開かれ、男の死体が転がり絨毯の上を長く滑った。この教会を取り囲んでいるはずの私兵隊隊長の死体だ。

「貴様、何をしている」

女神パーシャルティーが新興宗教の総本山に乗り込んできた。

外の光を背後に回し、後光きらめくパーシャルティー。吊られた状態でその姿を見た主命は思わず涙を浮かべる。嬉し泣きではなく、恥から涙が出たのだ。

「これはこれは女神様。粗末なわが家へようこそ。できれば扉はゆっくりと開けていただきたい。長持ちさせたいのでね」

司祭カルハスはすでに軽い男の仮面を脱ぎさっていた。

「その男を放せ。丁寧にな」

パーシャルティーの言葉には怒気が籠っていた。肉体が彼女に行動を命じていた。

「了解しました」

切り離された主命の体は床に叩きつけられた。女神の髪が揺らめき逆立ち始める。

「貴様、何者だ?」

近づきながら訪ねる。彼女がその気になればこの教会ごと男を消滅させることは容易く、彼女の心理状態からしてもその可能性は高い。

主命が痛みの中で体を起こす。この司祭には謎が多い、その力の出どころも不明だが創造神相手にどう対処ができるのか、それを見たかった。そんな主命を横目で見て、女神はさらに司祭に近づく。

「迷える転生者に正しい道を進んでもらいたいだけの者です。私の望みはそれだけにございます…女神、パーシャルティー様」

その名を知るものはこの世に限りなく少なく、その姿を知るものは主命以外に存在しない。

女神の髪が逆立った。

光の矢のように女神が飛び出し、光り輝く拳を叩きこみ、司祭の体をその信ずる神の像に磔にした。

この一撃で司祭は絶命したはずだった。しかし、女神の光輝く攻撃は彼の手に受け止められていた。人間の意外な能力に不敵な笑みを浮かべた女神は拳にさらなる破壊の力をこめる。創造の力を反転させた何物をも滅ぼす神の滅光。さらに叩きつけられた司祭の体によって教会全体が震え神像にひびが入り砕ける。

それでも、

「パーシャルティー。種を愛さぬ貴方に私を倒すことはできません」

創造神が放ち続ける滅光の光の中、いまだ司祭は人の形を保っていた。まぶしすぎて見ていられない主命の耳にも二人の声は届いた。

「お前はいったい、なんなんだ?」

この世界全ての生みの親である創造神、全知であるはずの彼女は彼を知らなかった。全能であるはずの彼女の力は彼を滅ぼせなかった。

彼は彼女の力をはじき返した。パーシャルティーは吹き飛ばされ主命のそばまで転がった。

天井が崩れた教会にさらなる光が流れ込む。その光はパーシャルティーではなく、あの男のために輝いた。

光の中を降りてくる男。金髪碧眼の完璧な体。着地した男は二人を見下ろし宣言した。

「私は神だ」


「馬鹿な!」

女神パーシャルティーのそばで主命が否定する。この世界の創造神が隣にいる。彼女以外にこの世界に神などいないはず。

男の視線はやさしく、殺人鬼主命であってもいつくしむべき無害な対象として見ていた。その口からでる言葉は教会などを利用せずとも荘厳な響きを持っていた。

「そうだ、私はこの世界の神ではない。私は、主命よ、お前がいた前世の世界の神。地球を創った創造神だ」

女神は立ち上がり神と対峙した。

彼女の目の前にいるのは「この世界に転生者を送り込んでいた」、憎むべき侵略の神であった。

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