6.罪の経緯(1)

 ストーブの呻る音が、会話の隙間に低く響く。

 扉の向こうから、けたたましい喋り声が聞こえてきた。女中達が廊下を歩いている。あの喋り方、きっとまた誰かの悪口だろう。なんとなく彼女達が部屋の前を通り過ぎるのを待ってから、私は口を開いた。


「そんなおもちゃみたいな鍵で開くところに、農場が何かを隠しているの? それは怜様は知っているの?」

「勿論知らないよ。叶様に話したのは、表向きの話が殆ど」


 伊織の言葉に頷き、体を少し前に乗り出す。


「話、長くなるよ。今日、絶対に全部話さなきゃいけない訳じゃないから、途中で疲れたり眠くなったりしたら言って」


 彼らしい前置きの後、伊織は私を見つめ、話し始めた。




 二回目に捕まったのは、自分の油断のせいだった。俺はまた、地獄に身を沈めるはめになった。


 刑務所で、俺は格好の「標的」だった。若く、力がなく、世間知らずで、この外見。何をされたかは言わないけれど、囚人だけでなく看守からも似たような扱いを受けた。

 うん。一生言わない。今からする話と関係ないし、凛子にだけは知られたくない。

 取り敢えず、髪がこんなになるようなこと、ってぼんやり思ってくれればいい。

 話進めるよ。


 ただ、全員が全員、そういう奴らだったわけじゃない。中には歪んだ「優しさ」を見せて来る奴もいた。そうすることで自分が優位に立てると思ったのか、単に世話好きなのかは分からないけれど。

 彼らから、まっとうに生きるためには必要のない事を沢山教わった。

 上着に入れられた財布のすり方や、針金を使った鍵の開け方みたいなものから、人の殺し方まで。

 あと、こういうお屋敷の作りとか、金目の物はどの辺を狙えばいいのかとか、侵入の仕方とか。

 変な話、このお屋敷に来た時、ああ、あの話は本当だったんだなあ、と思ったよ。


 そして、「あの家は狙うに値しない」とか「あの家の警備は甘い」とかの情報の中で、気になるものがあった。

 秦家の話だ。


 奥様も少し言っていたけれど、秦家は昔からあんなに豊かだったわけじゃない。せいぜいここ三十年くらいで急速に栄えたらしいんだ。

 今の当主が商売上手だった、とか、投資が上手くいった、とか理由は色々あるらしいが、その中の一つに「農場の人間、特に女の子が急速に増えて、『翡翠』が多くなった」というのがある。


 農場の不自然さは、自分が農場にいた時から気付いていた。

 秦家以外でも孤児院を運営しているところはある。でも農場の大きさは群を抜いている。農場にばかリ人が集まる。しかも女の子ばかり。


 覚えていない? よく院長先生が、朝、『新しい仲間よ』って言って、赤ちゃんを紹介していたろ?

 あれ、大体が朝一番で、いかにも生まれたての赤ちゃんで、女の子だった。

 

 女の子は「価値」が高い。

 この家もそうだけど、人間の使用人は女性が多い。だから……嫌な言い方をすると、女の子は「儲かる」んだ。

 その中でも『翡翠』は特別だ。庶民には想像もつかないような額なのに、必ず『売れる』。

 女の子の比率が高ければ、『翡翠』になる確率も高くなる。人間を育てるのは手間もお金もかかるけれど、「自分の置かれた状況を疑わない」という「しつけ」のできた女の子や翡翠が多くいる農場には、国の助成金とか寄付とかが集まったんだろうね。

 俺なんか農場からしたら「大はずれ」だよ。放り出す理由が出来て、喜んだと思う。


 ……って、大丈夫、気にしているわけないじゃないか。平気だよ。優しいな凛子は。俺のことはいいから。

 問題は、なんで女の子の赤ちゃんが、農場にばかリ集まるのか、だ。


 それは農場の人間が、女の赤ちゃんだけを狙って誘拐しているからだ、と言う奴がいた。


 うん。だよね。俺もそう思った。誘拐なんかして、もしばれたら秦家の名前に傷がつく。ありえないだろって。

 でも、悪さをしようと農場を観察していた奴が、見たんだって。

 深夜、小さな赤ちゃんを抱えて農場に向かっている院長先生を。


 そう。おかしいだろ? 親から引き取りに行くなら昼間にするだろうし、農場の子供は用がない限り外に出さない。夜泣きをあやすのなんか敷地内で出来る。

 その話をした奴はその後、農場の女の子を誘拐しようとして侵入して、捕まった。そいつに「仲間」って言われて凄く嫌だったけど、名目上は同じ罪を負っていることになるから仕方がない。


 ……ああ、ごめん。そういう意味じゃない。だから気にしないで。

 凛子は、何も悪くない。


 そいつは「仲間」に対しての「情報共有」のつもりだったのか、侵入経路とか、鍵の保管場所とかを色々俺に教えた。農場内部のつくりとかは置いておいて、鍵の保管場所は初耳だった。

 でも、さすがに誘拐しているとは思えなかったし、興味もなかったから、この話題は「ふーん」くらいで流していた。


 その後、刑務所内部での扱いに命の危険を感じ始めたこともあって、二度目の脱獄をした。




 暫く夜勤の日雇いとかをしながら大人しく過ごしていたが、たまたま農場の近くで働く機会があった。流した話題だったとはいえ、あの話が多少は気になって、作業をしながらなんとなく観察することにしていた。


 そうしたら、ある日、見たんだ。

 夜中、一人で歩いている院長先生を。


 もう、丑一つか二つ刻くらいの時間だったよ。俺は仕事が暇だったこともあって、院長先生の後をこっそりつけてみた。

 院長先生は、農場から少し離れたところにある一軒家に入っていった。

 そこの事は知っていた。農場の施設で、がらくたを納める倉庫だと聞いていた。敷地内に入り、窓から中を覗いてみたが、よく見えなかった。


 先生が夜中に倉庫に入る理由が分からない。暫くしても出てこない。

 俺は得体の知れない嫌な予感がして、仕事を放り出して見張っていた。


 もうすぐ夜が明ける、という時に、院長先生が出てきた。

 白い布にくるまったものを抱えて。


 後をつける。

 院長先生が農場に入る直前、抱えられた白い布の辺りから、ちいさな泣き声が聞こえた。


 なんで倉庫から赤ちゃんが出てきたんだ。


 その日は結局、仕事をクビになって寝床に戻った。

 寝床に入っても、考えることは一つだ。

 ガラクタしかないはずの倉庫から、赤ちゃんが出てきた。いきなり湧いて出てくるわけないから、なんらかの理由でしばらく倉庫に赤ちゃんを放置して、夜中に引き取りに行ったのか。


 どうして隠すように倉庫に置いて、放置したのか。

 まさか、本当にどこかから誘拐して、一時的に隠していたのか。


 農場が、罪を犯して儲けているかもしれない。


 その日の夜中、農場に侵入して、鍵束を盗んだ。

 ろくに下調べもせず、なんの証拠もない状態で、俺は罪を犯した。

 そう、罪だというのに。


 もし誘拐だったら、赤ちゃんの親はどういう思いをしているか。

 そしてもし、凛子の親が、どこかでそんな思いをしていたとしたら。


 倉庫の中には簡単に入れた。中は古い家具なんかが詰め込まれていて、埃っぽく、静かだった。

 赤ちゃんの姿はなかった。

 まあ、そうしょっちゅう誘拐するわけない。取り敢えずその日は帰ろうと思ったが、床の鍵穴に気がついた。


 埃の積もった床の、その部分だけ埃がなかった。地下室でもあるんだろうかと思って、鍵束から鍵を探したらぴったりのがあった。


 中は階段になっていて、降りるとそこそこ広い空間があった。その空間には電気がなかったので、地上の微かな灯りを頼りに辺りを見回した。


 そこにはたいした荷物がなかった。もしここに赤ちゃんを置いていたら、泣いても外には聞こえないだろう。可哀想に、と思った時、荷物に半分塞がれた扉を見つけた。

 扉を開ける。中は狭い通路になっていた。


 通路の向こうに耳を澄ますと、微かに音楽のようなものが聞こえる。人がいるのかと、足を忍ばせて歩いてみた。


 音楽はだんだん大きくなる。聞いたことのないような、独特の激しい音だ。

 歩き進めるごとに、奇妙な感覚に囚われる。

 床を歩いている、という実感がない。外の光は届いていないから、手探りだ。だがその触れているはずの壁の感触も、不確かなものだった。

 耳の奥が、重い空気に押されて痛くなってくる。


 しばらく歩くと、行き止まりになっていた。だが音楽は聞こえて来る。壁を触ると、金属の感触に触れた。どうも扉になっているらしい。回すタイプのノブらしきものの下に凹凸があった。鍵を差し込む場所らしい。

 手探りで鍵を探す。三つくらい試してみたが、穴に入らなかった。

 思い出す。

 そういえば、鍵束の中に、一つ、変な鍵があった。

 小さく薄く、机の引き出しの鍵よりも安っぽい、おもちゃみたいな鍵に似たもの。どうも鍵穴は小さそうだから、もしかしたら、あの変な鍵は、ここの鍵なんじゃないか。


 鍵はすぐに見つかった。

 鍵穴に入れる。

 するりと心地良い感触で、鍵が吸い込まれる。

 回す。鍵が開く。

 扉を開ける。


 その途端、破裂したような大音量の音楽と、鮮やかな光の洪水に全身を貫かれる。




 ねえ。凛子。


 凛子は農場とお屋敷しか知らない。街の様子は、俺とちょっと見たものしか知らない。

 俺は街を見ている。本も色々読んでいる。だから東京国の事は、結構知っているつもりだったんだ。


 だけどさ。知らなかった。


 この世には、こことは異なる空間があって。

 そこには別の世界が広がっていて。


 その世界には、こことは違う、別の『東京』があるんだ。

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