2.掬い上げの男

 いつの間にか眠っていたらしい。遠くから美那様のけたたましい声が聞こえ、目を覚ました。


「冗談じゃないわ、あんな奴ら、餌の価値すらないのよ。全員山間部の土地の整備でもさせて、体よく殺せばいいじゃないの」

「そうもいかないんだよ、分かるだろう。叶家としての義務と責任が」

高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュなんかクソ食らえだわ。あなたはいつもそう。黴の生えたような考えに囚われて律儀に『掬い上げ』をしたり、商売に手を出さなかったりするから、こんなに家が没落するんじゃない」

「いやぁ、相変わらず厳しいね。しかしいくらなんでも『クソ食らえ』は」


 ああ、またか、と思った。

 毎年、この時期になると同じ話題で喧嘩をしている。喧嘩と言っても美那様が一方的に怒鳴り散らして、怜様がのらりくらりとかわしているのだけれども。


「なんで叶家だけが『掬い上げ』なんかしなくちゃいけないのよ」

「分かっているだろう。昔から決まっているからね。美那さんの家が『農場』を運営しているのと同じだよ」

「でもあれは儲かるわよ。ほら、あんな貧弱な小娘一人で、大金を毟り取れるんですもの」


 年中言われているし、本当のことなので仕方がないが、貧弱な小娘でどうもすみません、と心の中で呟いてみる。

 怜様が部屋の中に入って来た。美那様は別の所へ行ったようだ。怜様は私の顔を見て困ったように笑い、「今のは気にすることはないよ」と言った。


「おかえりなさいませ。『掬い上げ』に行かれていたんですね」

「まあね。これで更生した罪人は、今までに数える程なんだが、昔からの義務だ、仕方がない」


 『掬い上げ』というのは、この家に来て初めて知った。

 毎年、冬のこの時期に、罪人の中で態度の良い者、才能のある者を叶家が『掬い上げ』る。つまり、刑務所から出して叶家で働かせる。

 刑期無関係に外に出られるこの制度を励みに、罪人達が態度を良くしたり、掬い上げられた罪人が更生するのを目的としているらしいのだが、あまり良い結果を聞かない。脱走したり、再犯に手を染める奴も多いと聞く。


「今日は美那様、随分お怒りのようでしたね」

「うん、実は『掬い上げ』の罪人の一人を、この屋敷内で働かせようと思ってね」

「ああ、それで……。で、一体なんの係ですか」

「具体的に言えば、その、まあ、えー、凛子の……新しい付き人として、なん」

「えぇ!」


 他人事として聞いていた所を、思いもよらぬ方向から球を投げられて、私は思わず礼儀無視で大声で叫んでしまった。


「ちょ、や、私、一人で大丈夫です! 暇だし!」

「そうはいかないよ、『花嫁』に付き人がいないなんて」

「そんなことより、もっと節約した方が……えぇと、そいつ、一体何をやらかした人なんですか?」

「確か盗みとかだったね」

「そんな、大雑把な……」

「知的で礼儀正しい、良い青年だったよ。前科三犯で地下独房にいたんだが」


 前科三犯で地下独房入りしている奴が、好青年な訳ないじゃないですかっ! という心の声を必死に飲み込む。私は今まで、美那様の気性をあまり良く思っていなかったのだが、今日のこの出来事に関しては、美那様の気持ちが分かる。

 『花嫁』の付き人なんか、ただの見栄、というか名家特有の黴の生えた発想だ。いずれ命を奪う食料に、付き人を与え、着飾らせる。そこに何かの意味があるとは思えない。

 見栄のための付き人だから、地下独房入りの罪人でいいや、ということなのだろうか。


「大丈夫だよ。もし問題があったらすぐに取り換えるから。明日朝、刑務所から直接届けられるからね」


 私の心は完全に見棄てたまま、怜様は優雅に微笑んだ。


 


 その日の夜は、あまり眠れなかった。

 その理由が、不安なのか、恐怖なのか、悲しみなのか、その全てなのか、分からない。私はいつも通り身支度を整え、自分の部屋の窓から外を眺める。


 完璧に整えられたお屋敷の中に、鉄檻を載せた古びた水色のトラックが入って来たのは、一つ刻になった頃だった。

 トラックの荷台にある鉄檻が開けられる。中から、顔を伏せた男が降りて来る。

 どく、と心臓が重い音を立てて潰れる。


 随分背が高そうだ。昨日、怜様は「青年」と言っていたが、乱雑に刈られた男の髪の毛は、遠目には金色の混じった白髪に見える。

 灰色のシャツとズボンの姿で、脚を引き摺り、ゆっくりゆっくり歩いている。

 あの人が、私の付き人になるのか。


 怖い。


 怖い。どんな人なんだろう。地下独房入りの囚人というのは、外国の法律では死罪に値する罪を犯した人だと聞いている。「盗み」で地下独房入りって、一体何を盗んだのだろう。

 怖い。どういう人なのか分からないのが余計に怖い。どれ程の悪人なのか、分からないのが怖い。

 だが、私がいくら拒否しようとも、その声が受け入れられることはないのだろう。


「凛子、いるかい? 今、挨拶させるからね」


 怜様のゆったりとした声がして、私の部屋の扉が開かれた。


 息を呑む。拳を握る。両足に力を入れる。

 せめて、新しい付き人に弱味を見せないように。

 脚を引き摺った、白髪頭の男が部屋に入って来る。

 ずっと俯いていた男が顔を上げた。


 私の喉から、声にならない叫びが破裂する。


「本日より凛子様のお世話をさせていただきます。至らない点が多々あるかと存じますが、叶様のご厚意を胸に、精一杯努力いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 髪の色も、体型も、そして雰囲気も、全く違う。

 でも、鳶色の瞳も、優しい声も、昔と同じ。


 大好きだった。ずっと気になっていた。生きているという事実が欲しかった。

 それがまさか、こんな形で。


 彼は私を見て、丁寧に頭を下げた。

 知らない人に、するように。


「申し遅れました。伊織と申します。

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