第32話 ドラッグストア 2
ドラッグストアの店内で出会ったのは、白衣を着た女性だった。
大きく、ぎらぎらとした瞳をしている、しかし俺を見下ろしている彼女は良い目つきとは言い難かった。
それでも腐敗した連中の瞳ではないぶん、安心感の方が勝った。
緊張感が感じられる。
さらに言えば、身に着けたその白衣の端々に血は付着していたため、真っ白ではなかったが。
それが、正面。
正面の光景――――。
正面に立っている女。
「いっ痛…………!」
それともう一人か、二人か?
俺を地面に倒している者がいる。
左腕を掴まれて、それ以外はうつぶせに倒れている、倒されている自分―――。
なんてことだ、関節技、だと思うが。
『あいつら』ではない、それは絶対、あり得ない―――だが、これはマズい。
これはこれで、良い状況ではない。
俺を拘束しようとしているもの、蛍光イエローのバンド。
それが視界にちらつく。
ロープで縛るような意味か、と、自分が今されていることを理解する。
俺を縛る気か、とらえる気か。
ぞっとする―――。
外のあいつらを思い出して―――そして、声を上げた。
「ち、違う―――おれは『あいつら』じゃあ―――ない!」
俺は大丈夫だ、敵ではない、あいつらではない―――という意味の事だった。
これで事態は好転するかどうかは、わからなかったが、結果は上手くいった。
「待って」
白衣の女性は言って、しゃがみ込んできた。
彼女は、俺の顔にゆっくりと手を伸ばし、頬に手を触れた。
初対面の人間にまず顔を触れられて、何をする気なのか内心気が気でないが、彼女は俺の―――。
かちり、と小さなライトが点灯し、眩しくなった。
懐中電灯というよりもペンライトのようなサイズだ。
その動作で俺は、いつだったか、医者か―――そう、眼科で診てもらった時のことを思い出した。
彼女にも似た空気を感じる―――のだろうか?
俺は―――そう、検査されてる?
こんなところで。
「―――いいわよ、離して」
彼女がそう言うと後ろの男、二人が少し離れた。
やや安堵するような息遣いが、頑丈な服の上の口元から漏れた。
俺は解放をされたらしい。
「ごめんなさいと言っている状況でもないわ---。怪しい人間がいたら、拘束する。これは譲れないラインよね?」
白衣の女性はそう言った。
後ろにはあいも変わらず、戦闘服(の、ようなもの)に身を包んだ男が二人、俺から目を離さなかった。
雰囲気はそう―――何かの軍隊か、特殊部隊のようなもの。
SWATはアメリカにいるはずだが、まさか本当に来てくれたのか?
それとも警察系の―――日本のもの?
「怪しい人間………?」
俺がそう見えるのか?ちゃんと口が利けるだろう?日本語は話せるだろう?
水が欲しかったんだ、檜垣たちに………ああ、俺の身内のことだが、何はともあれ生存者だ。
そいつらにも渡しに行かなきゃならないんだ。
命がかかっているんだよ、なあわかってくれ。
「そう―――その服はなあに?」
俺はそれを言われてから一度自分の格好を見直し、そして
なるほどなと思う。
合点がいく。
身なりで不審者かどうかを考えれば、人を見た目で判断すれば、完全にアウトだ。
職務質問、待ったなしである。
「ああ―――これか?これはァーーー、そう、麻雀で負けが込んでてな、それでちょっとね………わかるだろ?」
と答えると、白衣の女性は
なんとなく虚勢を張りたくなる。
こっちは床にへばりついている姿勢だし。
実際俺は強気だった―――どうやらせめて、会話ができる相手と巡り会えたらしい。
友好的ではないが、俺と意思を交わせるというか、せめて意志があるというか。
話せるはずだ―――『あいつら』ではない。
幸運としか言いようがない。
納得は完全にしていないようだったが………嘘は言っていないんだなあ、これが。
なぜこんな不審者じみた格好をしているかと言えば、そこまで話すと話を丁寧にすると長くなるのだが。
「嘘は言ってないんですよォ」
これが、本当なんだなあ。
「しいて理由があるとすれば『暴れている奴ら』のためだ。あいつらに襲い掛かられても平気なように、色々と―――」
ほら、噛まれたら危ないだろう。
と身振り手振りで説明すると、女性は
一応は納得をしてくれたようだ。
納得というか、俺が何かをやろうとして、そして失敗したということは伝わったらしく、やや笑顔が沸いた気がした。
「ああ―――そうなの、意味はあるのね?それなら好きにすればいいけれど―――それにしては随分な恰好ね………ふふふ、ファッションセンスは無いわね―――まず、暑くない?」
「傷つくよ………」
好きでやってる格好じゃあないんだ。
そして暑いよ―――水を飲まないと。
「ふふ、一度ちゃんとしたお店に行った方がいいわ、コスプレしようとして、失敗した人みたいになっているわね」
あんたもあいつらと同じようなことを言うんだな。
それよりもっとひどいが。
「ちゃんとしたお店ねぇ………?」
なんとなく呟いてから、言ったことは―――ぼんやりしていたから、あまり意識せずに言った。
「ちゃんとしたお店は………今も
こんな事件のただなかで。
というと、女性はどこか微笑んだまま、表情は停止していた。
男たちの方は店の外にも意識をして、危険に対しての警戒、その姿勢を崩さない―――そうしていてくれ。
本当に頼む、頼む、助かるのだ。
「ところであんた―――ああ」
「
「阿部………さん。あんたはここの店員さんだろう―――?ちょっとお聞きしたいことがある」
「違うわ」
「えっ」
「私はここに
ここの店員ではない。
彼女も俺と同じ、入ってきた人なのだろうか―――外部から入ってきた人。
いや、白衣を着ているからドラッグストア関係の何かなのかと思ったのだが、本当は、やはり医者なのか。
なんにせよ………目的がある。
とりあえず、俺は水を飲んだ。
この店の店内には、予想通り水があった。
予想通りというか、ここになかったら本当に困る、途方に暮れる事となったのだが。
二リットルボトルの天然水があり、それをラッパ飲みした。
美味い。
お世辞にも冷えているとはいいがたい、ぬるい水だったが―――美味いものは美味い。
体温が気になったので、上着を脱いだ。
だが、途中で、やはり不用心すぎるかと思い、脱ぎかけになった。
「―――生存者がいるんだが、何人も」
ひと息ついてから、本題を捲し立てる。
ここから少し離れた、最寄り駅の近くの雀荘に、俺以外に三人。
水や食料に不安がある。
状況を出来る限り伝えた。
阿部は、白衣の女性は二十代前半と言ったところだろうか―――その目つき、落ち着きようはやはり、知的なイメージがあった。
警戒を怠らない男二人はといえば、見ればその装備は大したものだった。
まず、先程は脱いでいたヘルメットらしきものを身に着けていて、頭、顔、首は安全圏だった。
防弾チョッキ―――おそらくそうだ、そう見える。
もちろん教えてもらったわけではないが、それを中心に黒ずくめで、防御力が高そうだ。
軍隊か、あるいは特殊部隊と言っても通用しそうである。
いつだったかのテレビで見たものと類似点は多いように思われる。
ブーツも高そうだな。
同じく、肌を見せないように苦心した俺の―――俺の二十二世紀型ファッションとは、天と地ほどの開きもあるだろう。
「なに?何を見ているの」
いや、服をね―――。
それはどこで売っているのか、とは聞いても無駄なのかもしれないな。
本心を言えば、俺も今すぐそれに着替えたいところだ。
「なあ、あんた、あんたたち―――助けてくれ、というか―――助けは来るのか」
状況は良いのか悪いのかわからないが、判然としないが味方らしい。
最初の行動は自衛だったようだ、それが今では逆に、安心を覚える。
彼らはこの状況で生き残るために行動している人たちだ。
ならば俺は助かるのだろうか。
水や食料などを得ることは可能のようだ。
ひとまず、このドラッグストアの店内は安全圏のようである。
そう思うしかない。
ならば、この後どうするか。
ずっと閉じこもっているわけにはいかないし、戻らなければならない場所もある。
「助けは、来る………いえ」
女性は直ぐに返してきたが、やや歯切れが悪かった。
「その―――助けは来る、ではなく、行くのよ」
そんなことを言う。
行く?
行くとは………誰がだ、えっ……俺が行くのか?
「あなたたちは『病院』に行ってもらうわ、ここから少し離れた国立病院よ、そこに避難して―――と」
病院―――その言葉を聞いて、はっとした。
今まで救急車などを呼ぶというパターンは雀荘の三人と話し合ったが、確かに、目的地は病院なのだ。
病院の敷地内に入ってしまえば、確かに安全だ。
記憶の中で、記憶から、頑丈な建造物、白く清潔な空間、消毒液の臭いが沸いてきた。
あの場所に行けば。
「生存者はそこに集まっているわ」
「わかった、病院だな………!わかったけどあんた、なんでそれを知っている、医者なんだな?でも」
「医者じゃあないわ―――まあウイルスを相手にしていたけれど、同じに見えるのでしょうね」
「えっ」
「『博士』、そろそろここも離れたほうが―――」
ふいに、後ろの男二名のうちの、一人が言った。
言った。
はかせ………?
「そうね、生存者は彼以外いないようだし」
彼女は店の入り口に目を向けた。
「では―――行きましょうか」
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