第43話 製薬会社へ 3




大東雅だいとうが製薬の敷地内、その研究室に続く廊下には、死体がいくつか、口から赤黒い血液を垂れ流し、横たわっていた。

垂れ流し、と言ったが表現もしたが、血液がほとんど凝固しているので、やや適切でない。

口から黒赤い乾いた個体が出ている、というような光景であった。


俺―――逢野と檜垣は、その殺風景極まりない現場の中で待ち合わせ中だ。

先に行った阿部博士―――この事件の解決を左右する人物と、あの高校生。

彼らが戻ってくるまで、ここにいなければならない。

死体の近くで待っている。

待ち合わせとしては、待ち合わせ場所としてはほぼ最底辺であり、デートの待ち合わせをここでやったら破局は確実である。

殺風景ではない、殺された風景だ、これは。


死体だけというわけでもない―――その他にも、物が散乱していた。

多くは、研究に使われるもの―――黒いバインダーにまとまった書類や、プラスチック製の、透明な容器内のもの。


檜垣は、しゃがんで、そのうちの一つを取り上げる。

水色がかった透明なケースを見れば、簡易血液型検査機材―――と書かれている。

俺はそれを見て、声をかける。


「おい、お前………あまりいじらないほうがいいぞ」


「ああ、そうだな―――」


檜垣は、それを再び、元の場所に戻そうとした。

倒れている死体の、すぐ近くに落ちていたものだった―――これでは遺留品のようなものだ。

欲しい食糧などならまだしも、やはり触れないほうが賢明だろう。

食糧―――は、この企業にも非常用の備蓄くらいならあるのだろうか。

こんな事態だ、見つかれば拝借したい―――簡単に買い物に行けない状況である。

結局、今のところそれらしきものは見つからないが。


だが檜垣は取り上げた、機材を戻す動作を途中でやめた。


「血液………?」


彼は、呟く。

呟いて透明なケースを空けて、その中から道具を取り出した。

俺は黙って見ている―――檜垣は雀荘組の中では落ち着きのない方だったので、この行動もいつもの事のように見ていた。

檜垣がケースの中から注射器らしきものを取り出して、死体のそばに屈みこむ。

死体の、手首に触れ、その部分の服をずらす。

布を捲くって、二の腕を露出させる。

注射器の針先を死体の腕に向けて近づけていく―――ところで、流石に声をかけた。


「ちょっと待てよ、お前何を………」


「大丈夫だ、死んでるから」


「いや、そん………な、だからって………」


そう言って、死体の腕に針先を入れ、そこから採血をし始める―――

そこには言いようのない沈黙があり、俺はそこから真剣さのようなものを感じとった。

悪ふざけのテンションとは違うようだが―――。


「お前、注射とかやったことあるのか?」


「―――予防接種とかあるだろう」


「いやいやいや―――」


あれは、されるがわじゃねえか。

素人が医療行為をするな―――何かの犯罪と取られてもおかしくないぞ―――。

し、しかし、相手は死体だ、文句は言わない。

死人に口なしではあるけれど。


これは、たとえ檜垣が注射のミスをしても罪とは言い切れない気はする。

それと、このミスは―――、これも医療ミスの一種だと言えるのだろうか。

わからないが目の前で恐ろしいことが起こっている。



俺は人間として、やってはいけないことぐらい、あると思っている―――つもりだ。

ああ、ガキの頃から失敗はあったし、何も問題を起こさない男子ではなかった。

俺も昔はワルだったとは言わないが、悪ノリは好きだ。


だけどこれは―――ない。

あまりにも罰当たりな、悪趣味な。

俺は檜垣の代わりに、亡くなった方に対して手のひらを合わせた。

これで許されるだろうか?

頼むから許してくれ。

成仏しろよ。俺はそういうのだけは駄目なんだ、幽霊だけはやめてくれ。


死体をいじくり回す、というほどではない、血を抜くだけなら、実際に見ると検査と言った風体で、そう残酷な光景でもなかったが、それでもひやひやした。

注射針を抜くと、赤い液体が注射器の半分ほどまで溜まっていた。

腕の方からは、血を抜かれた跡が、小さな赤い玉のように残っていた。


針の先にカバーをつけず、検査キットをまた、探って取り出す檜垣。

他にもあるのは―――予備の針のようだ。


「逢野―――廊下にある、他のやつを、引きずってきてくれないか」


「他の………って」


何のことだ、と問うた。


「死んでるやつ」


と、作業をしながら言った檜垣の端的な台詞を、短い台詞を聞き―――俺は血が凍る思いだ。

俺は、ぎくしゃくと首を動かし、廊下にある死体を見る。


「死んでるやつ、こっちに移動させてくれ、その人も検査する」


「い―――いやいやいや!」


何言ってんだこいつ。

怖い、怖すぎる―――。

怖いのと、あと意味が、意味が解らない。

それをする意味を探しても、見つからなかった。


そもそも。

さっきから何をやっているんだ。

いよいよ頭がおかしくなったか、付き合いは長いつもりだったが、結局はそういう奴だったのか?

冷静になるべきかもしれない―――賭場で知り合った仲じゃないか、そういえば。


「おいお前、流石にまずいだろ、会社だぜ、しかも」


「職員はたぶん死んでる、ていうか生きている人と会ってねえだろう」


「そう………じゃねえよ!」


「あった!」


声をやや高くして、何か小さな検査用紙を持ち上げる。

何があったんだ………。


「検査に使うものだ、これに血液を垂らす」


俺はケースを見る………血液検査用だって?

そんな検査をして何になるんだよ。


その機材自体は初めて見るし、そんな機材がそんな形状で存在するのは、初めて見るが、しかし製薬会社の研究室の前だ、人間の血液に関する、それくらい、あってもおかしくはないだろう。

俺は結局、死体には触れなかった。

そのため檜垣が歩き回って、計三体の職員の死体―――ほとけさんに、近づいて、検査を繰り返した。

俺はまだ怖い―――。

恐れ多いのもあるが、この事件が起きてからは、死体が動き出す可能性もあったので、ゼロじゃなかったためだ。

檜垣は終始、沈黙が多く、悪ふざけの雰囲気は一切消し去っていた。

検査を終えた。


「三人、死んでるやつを検査した………が、全員O型オーがただった」


そう言った。

それが事実、それで何の意味を持つかは、まだわかりかねたが。

O型だって―――いやそりゃあ血液型検査の機材なのだから血液型がわかるだろう、それがどうしたんだ。

まあ素人がちゃんと使えるという事に関しては驚いたが―――説明書はないように見えたぜ。

罰当たりなことを。

俺はO型だけど、ちなみに。


「三人ともO型だ」


「三人とも?いや、それは―――なんだよお前、医者でもないのに。それにO型の人間は多いだろう、おかしくないだろ、そんなに」


檜垣が黙り込む。

俺の呆れる感情がようやく伝わったのか、死体の前で姿勢を変える。


「専門家に見せないとわからないな」


檜垣が言って立ち上がる―――じゃあ彼女に見せよう。

何かわかるかもしれない。

そのために来たんだ、そもそも血中の細かな、そのウイルスとかを見て調査するんだろう、素人が何をやってもどうしようもないだろう。


「なんにせよ、血は取らなきゃあならない」


なにか病気にかかっているんだから―――と檜垣が言う。


「しかも噛まれて、血液を通して移るってわかっているんだから、重要なのは間違いない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る