第23話 学校へ 2
あれは、春。
まだ桜の木が散ったか散らないかという時期に、大抵新しいクラスに進級する。
出会いの季節だ。
クラスには様々な生徒がいて、ずいぶんと入れ替わり、初めて見る生徒も少なくない。
僕にも友人がいた。
が、昨年とは居場所が変わったのだから、今までの友人はここにいない。
だから、新しい友達を作った―――というか作ることができた。
ではどうやって友達を作るか。
クラスメイトと打ち解けたのかと言えば、実はあまり覚えていない。
実はあまり説明できない。
ただ、言えるのは、大きな事件ではなかったということだ。
友達になろうよ、と大きな声で宣言して、あるいは何か大きなきっかけがあって事件があって、そうなったわけではないのだ。
僕の人生は画面で放映されているような、劇的なものではなかった。
無かったし―――それはそう、悪いことではなく、世の多くの人間はそうなのだろう。
きっかけは些細だった。
友人と話すことになったきっかけというにはあまりにも静かで、忘れそうだけれど。
でもしいて説明をするのなら―――。
教室でほかの生徒と同様に、居場所無くおろおろしていると。
隣の席だと、か―――決して遠くない席の。
それほど印象が悪くなさそうな男子を見つけて。
なんとなく彼と目が合って、その目は優しそうで。
「よう」「おう」のような、簡単な挨拶から言葉を交わしていき、そしていつの間にか、言葉数が増えて。
毎日話す間柄になる。
次第にプライベートな話とかも平気でできるようになる、とか。
出会いというのは―――そんな感じである。
そんな感じの、日々だった。
――――――――――――――――――――――
きっかけは些細だった。
僕が正門近くを、ペットボトルを脇に抱えながら通りかかる。
今となっては危険地帯なので、僕は視線を学校内部に向けたまま、静かに歩く。
正門の奥には、倒れている人が見えた。
制服だけではない、私服の大人もいた。
それが見えたので、先生もやられたのだろうか、と思いながら、静かに進む。
正門の奥、玄関のあたりを、歩いている男子生徒がいた。
僕がそれをじっくり検分しつつ歩くと、彼はゆっくりと振り返った。
見つかるのは仕方がない、隠れる場所は歩道にはなかった。
見られた。
が、そもそも見えていたのだろうか、
その出会いに、違いがあるとすれば彼は、「よう」や「おう」のように何気ない挨拶をせず。
「『………ォロロオ』」
と、動物の鳴き声を上げて。
いや、下水道に流れ込んでいく水のような音を喉から鳴らして、発して、こちらに向かってきた。
前に上がっていく両手は、糸で釣り上げられる人形のようだ。
彼の白いシャツが血で赤く染まっていた。
彼は徐々に早歩きに移行し、僕が背を向けて一目散に走る。
彼も走り出した。
印象が悪そうな男子だ。
間違っても友達にはなれない。
僕は走って、ボール用ネットの途切れた空間に行く。
ここからグラウンドに入る―――。
そして、だが部室棟には向かわない。
奴が、意外と近い。
とっさに、ターンしてネットの裏に回った。
位置関係は―――僕、緑のネット、走ってくる奴。
両手を前に突き出した全力疾走の彼は、緑のネットに衝突した。
ネットが男子生徒の体重できしみ、張力が急激にかかる。
僕と目と鼻の先まで、彼の身体は迫り―――そこで止まる。
停止を、させられる。
急ブレーキ。
緑のネットが食い込んだ彼の顔面から、血液が数滴、グラウンドに落ちた。
ネットがびちり、と音を鳴らす。
「―――『ロッ』」
顔をずらすと、肌がずるりと向けて、赤い内部が大気に触れた。
ぴちゃ、ぴちゃ。
「―――ふっ!」
僕はその彼の
鳩尾か、腹のあたりに命中―――彼は吹っ飛び、仰向けに転倒した。
歩道でバウンド。
眺める暇なく、僕は踵を返して、部室棟へ全力疾走する。
全力のダッシュ。
今度こそ―――
走る。
もう少し―――十メートル、五メートル。
速すぎ―――よし、早歩きッ競歩。
右から二番目のドア―――サッカー部部室。
ノックする。
どん、どんどん!
「―――
ついに戻ってきた。
ついに僕は戻ってきた。
ノックをするうちに、ペットボトルが三つ、四つと下に落ちる。
ぼとん、べこん。
構わずに、僕はドアノブを回す。
がちゃがちゃと回し―――ドアが揺れる。
鍵がかかっていた。
「開けてくれ周防さん開けてくれっ、僕だ―――僕だ海老沢だ、開けてくれ」
水を持ってきた。
「水を持ってきた、コンビニの―――!水だ、お茶だ!」
………サッカー部部室の内側から、声が聞こえない。
「返事をしてくれっ!」
「いま、開ける!」
女子の声だ。
内側からした。
壁を隔てていたから小さい声だったが。
来た!
僕が歓喜の中で、炸裂すするかしないかのうちに―――物音が―――する。
ドアの鍵のあたりから、かちゃかちゃと、音がする。
周防恵が操作しているのだろう。
鍵をいじっている、開けようとしている。
「急いでくれ………! は、はや………」
僕は学校正門の方を向く。
さっきいた場所だ。
あの名も知らない男子生徒、僕が蹴り倒した生徒が、歩き始めていた。
ネットの途切れた空間に、いた。
位置関係―――僕、二十メートルほど、血まみれの彼。
その間にネット無し。
障害物、無し。
「は、はや………?」
彼が歩いてこちらに向かって来る。
僕はドアノブと、彼を―――往復で見る。
二往復、三往復。
「はやくっ!」
いや―――今のは、大声になり過ぎた、マズい、呼び寄せてはまずい!
あの一体だけでも厳しいのに、くそ、360度を注意しなければ―――み、見れるか?
周囲のことまでっ、わからないがやるしかない!
あの血まみれの彼はスピードを出し始め、走るところだった。
足音が迫る。
―――かちっ
鍵が鳴って、ドアがばん―――と開く。
危うくそのドアがぶつかりそうになったが、受け止める。
「海老沢くんっ」
「これ―――!」
僕は足で軽く蹴った―――先程、ノックしていた際に床に落としたペットボトルを。
お茶、スポーツ飲料。
足で、サッカー部部室の中に、五百ミリリットルペットボトルを、二本、三本………四本目が周防さんの足に当たり、跳ね返って外に出てしまった。
「えっ!」
周防さんはいったい何事か、と足元を見る。
予想外のペットボトルを足元から喰らって。
「僕もこんな行儀の悪い渡し方になるとは思っていなかったよっ」
しゃがんでひっつかんで取りこぼしを部室内に、放り込んだ。
リバウンドを制する者は―――というやつだ、五百ミリリットルはデカい、この状況では。
「水だっいれろ早く!」
入れ終わってから言ってしまったが。
「えっ?えっ!」
僕は振り返る。
走ってくる奴が―――勢いづいて。
一瞬見ただけで、僕はこの勢いでは、仮に部室に逃げ込んだとしてもドアが壊れるかもしれないと感じた。
彼がドアを壊すかもしれない、昨日の時点で、かなり叩かれているからな、このおんぼろ小屋は。
いや、この彼は、僕に向かって走ってくる。
僕に向かって―――真っすぐ。
周防さんはまだ見えていない?なら―――
僕は素早くドアを閉めた。
何か言おうとした周防さんが、見えなくなった。
僕は後方に逃げる。
血まみれの彼が僕に向かう―――方向はこっちに。
彼の口を―――噛まれるのを避けるために、手では、弱い―――。
脚だ………!
さっきの要領で、足を上げる。
足の裏を彼に向けた。
噛まれることはなかった。だが僕は転倒する。
彼の全力のタックルに押されて、倒れこむ。
噛みつきを何としても避ける。
そのために、妙な態勢になってしまったことは確かだ。
「く、そ………!いや………『水』はオッケぇだ………」
呻き声をあげる僕。
痛くないわけではないが、動ける。
ミスったかもしれなかった。
だが、水を部室に届けた分、これで制限なく動けるというものだ―――。
あとはこの、僕にのしかかって血をぼたぼた落としている彼を、どうすればいいか、それだけだ。
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