第10話 海老沢譲司⑦


もはや夕暮れではない。

外は完全に暗くなったが、学校のところどころに存在する電灯のおかげで、グラウンドの様子がうかがえる。


グラウンドの様子全体というよりは、隅っこだけであるが。

男子生徒がゆらゆらと動いていた。


男子生徒―――『だったもの』いや『だった者』が、女子生徒に覆いかぶさり、噛みつく。

女子生徒が、のろのろと、もがく。

水の中で揺れる水草のように―――まるで力が籠もっていない。

体重の移動がひどく緩慢だ


女子生徒は―――それもかろうじて制服で男女の違いが分かるのみで、顔色はわからない。

彼女は男子生徒をのろのろと押し、そして振り払えなかった。

振り払えなかったので、仕方がなく、彼女は男子生徒にかぶりついた。

かぶりつき、押すというか―――体重をかける。

そんな動き。

男子生徒が、呼吸を詰まらせたような、びくりとした仕草をみせる。


それが、海老沢が小さな窓から見た光景だった。




「なにか、見えたの………?」


周防が訊ねる。


「いや………まあ」


海老沢が窓から目を離さず言う。


「なに、何があったの」


「なんていえばいいか―――いや、意味もないことが、あって―――どういえばいいか………同じだよ、外は、前から、夕方から、何も、同じ………」


外の光景は、相も変わらずである。

あいつらがうろついている―――本来はあいつら、ではなく、共に学校に通うはずだった人たち、通っていた生徒、教師が。

いや、どうだろう、学校の外から住人が紛れてきているかもしれない。


頭を抱えたくなる。

実際には海老沢は、頭は抱えず、言葉のトーンが落ちていくのみである。


スマートフォンを伺うと、時計は19時半を回っていた。

すっかり夜である。


「今日はここで―――一晩明かすことにするよ………、しかないみたいだね」


海老沢は周防に言った。

月明かりが小窓から差し込み、それだけが彼女をうっすらと照らしている。


「するよって―――勝手に決められても………私の意見もあるんですけれど」


苛立ちを押さえられない、という口調。

海老沢が振り向き、窓の前から、ドアに歩き戻る。

外の様子は見なければならない。

だが出来る限り、二人でドアに座り、完全にふさぎたい。

入られたら、侵入されたら非常に厄介である………というか、おしまいだ。


「周防さんの意見?それは―――それは、なに………」


小さな声しか出してはいけない状況である。


「………」


「なに」


「外に出て――それで、警察に、とか………助けを呼ぶの」


「!無理だよ、外はあいつらが………」


一応言いきっては見たが、海老沢もその考えはあった。


「それは―――それは、今は無理よ、でも時間がたてば」


「………」


「そう、どこかで出るチャンスもあるし―――って、いうことよ」


「そうだな………」


僕は彼女の意見をけっして否定はしなかったが、少しの違いで焦りを生んだ。

仮に今すぐドアを開けて出て行かれでもしたら、この状況で偶然見つけだした安全地帯を、あいつらに襲撃される恐れがある。

臆病というなら笑えばいい。

今生きているのは奇跡といってもいい、それを失うことを恐れて、何が悪い。


立ったままだと対峙しているような感覚になり、すこしよからぬもんもを感じた。

彼女の隣に、座り直す。


「そうだな、いつかは出なければいけない」


「今日はここで………?」


「ああ、ここで一緒に寝ようか」


なんの気無しに言った台詞だったが、彼女が何も言い返さず、停止した。

なんだか、変な間が開いてしまった。

何故か笑いが出そうだ、知らんけど。


「周防さん―――一応聞いておくけれど、噛まれていないよね?」


こんな切り出し方で申し訳なかったが、僕は尋ねた。

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