第11話海老沢譲司 8



 何時いつだっただろう。

 日本列島に台風が襲来し、それの規模はかなり大きく、暴風警報か、それに近い何かが当然、発令されていた。


「田んぼの様子を見に行ってくる」と言って出かけた男性が、亡くなるというニュースがあった。

 画面上で文字となって示されていた。

 何時だっただろうというか、いつもだったと思う。

 何度か、あるいは毎回、毎度―――聞いたことがある。


 テレビを見ていた父親。

 なんでそんなことを………と僕の父親は呟いた。

 僕も少なからず、それを感じたが、亡くなった人へ、非難するようなことをとやかく言うのは嫌で、なんとなく言わなかった。





 部室棟、サッカー部の部室。

 偶然飛び込んだその六畳あるかといった部屋で一晩明ける僕たち。

 夜が明けたら、すべて夢だった、ということもなく。


 朝陽が小さな窓から差し込む中………僕と周防恵は目を覚ましていた。

 僕も彼女も動かなかった。


「周防さん」


「………起きてたの、なぁに」


 身体を動かさずに、こちらも見ずに、背を向け言った。


 ―――噛まれていないよね。

 昨日そんなことを言った僕だったが、彼女は小さな声で、大丈夫、とだけ言った。

 噛まれているか、いないか。

 大切なことだった。


 まあ、一晩、彼女と背中合わせのような距離で寝たのだから、それで僕は平気なのだから、彼女は『あいつら』になってはいないのだろう。

 それは、確実と言えた。


「近くで寝る必要性あったの?結局」


「いや、ドアを押さえながら寝たいんだよ、出来るだけ」


 僕と偶然相部屋になってしまった周防恵が『あいつら』でないことは、証明されたように思う。

 彼女は無事だが、それは少数派で、僕のクラスメイトの多くは、一晩と言わず数分で『あいつら』になってしまった。

 ただならぬ状況に、僕は無我夢中で逃げたため、すべてを見ていたわけではないけれど。。



「周防さん―――、昨日あんなことを聞いたのは悪かったよ、でも大切なことだ」


「………」


「………大切なことだ………それと、今日のことだけど」


 これからのこと。


「水か、食料かが―――欲しい、その両方か」


 今、既に喉が渇いていた。

 目も乾く気がした。


「どうあがいても必要なものだから………取りに行こうと思う」


「取りに行く………?」


「コンビニとか。高校近くの」


 駅までの往復路………通学で利用する道沿いなので、慣れている場所だ。

 慣れている場所だった。

 今はどうなっているだろう、いつものように店員がいるのだろうか。


 ペットボトル入りの飲料を思い浮かべ、近場で手に入れることができる場所お思いついた。

 しかし、言ってから気が付く、容器に入っていなくとも、お店でなくとも、水道の蛇口をひねれば、水は手に入る。

 いずれは食料も行きたいところだが。


「遠くはないから」


「ちょ………っと、待って」


 考えながら手で制した周防さん。

 声が小さいというか、消え入りそうだ。


「それは、しないといけないこと………?」


「水がないと………周防さんだってそうでしょ」


「わかっているけれど、少し違う、海老沢くん、何か―――急いでいる」


 急いでる、焦っている、良くない………と彼女は言う。

 僕はそれを黙って聞いていた。

 僕は―――僕はそれでも、自分が焦っているとは思えなかった。


 急いでいるのは、この部屋の外。

 部室棟の外。

 外では―――何かが起こっている、急速に、何かが―――進んでいる。

 この世界で、ただならぬ事態が起こっている。


「水がないと生きていけない―――から。一日は持ったけれど………」


 言いながら、たしかに僕は焦っているし冷静でもなくなっているように感じた。

 そんなうすら寒さを感じた。

 何かの知識で、おそらくは本で。

 いや、何かのテレビ番組だったかもしれないけれど。

 人間は生命維持に、食事より水が重要だ、と書いてあった。


「周防さん………良くなっている可能性もある。外が―――何か状況がよくなっている可能性もある。だから、行ってくるよ」


 言って、夜の間死守したドアのカギを、僕は静かに開ける。

 音を立てないように、覗き見る。


 外には誰もいなかった―――ドアの近くに、誰もいないことは確定した。


「きっと水を持ってくる。僕だけ行ってくるよ、ここにいてね、周防さん」


 部室棟のドアは、きぃ、と小さな金属音を立てる。

 周防さんは固まっていた。


「ちょっとコンビニ行ってくる」


 言って僕は、ドアを閉じた。

 見える高校のグラウンドでは、風が吹いていた。

 それが捲いて、砂の色が、大気に見える。 

 別段、嫌な臭いがするわけではなかったが、何故か僕は口元を覆っていた。

 身震い。


 僕は歩き出す。


 ―――ちょっとコンビニ行ってくる。


 それは果たして、田んぼの様子を見に行くのと、どちらが危険だろうか。

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