第21話 生きている人たち
用水路に落下した女子生徒、『松江さんだった者』を見て―――。
「はっ………は、は………!」
僕は思わず声を出してしまった。
『松江さんだった者』を見て―――いや、もう落ちたから視界から消えてはいるが。
視界から消えて、おそらく這い上がっては来ない。
「は、はは………ははははっ、どうだ………どうだ!」
勝ち誇った、つもりはなかったが、腹の底から歓喜が沸いた。
あの野郎、落ちやがった。
逃げ切った、逃げ切ったぞ。
生き残った、生き残ったんだ。
ざまあみろ松江さんめ、死んでいろ、死んだ癖をして、死んだ分際で―――生きている人間に襲い掛かろうとしやがって。
ざまあみろ、ざまあみろ。
生きているぞ、僕はまだ。
死んだなら死んでいろ、動くな。
僕は持っていた五百ミリリットルのペットボトル四つを路上において、息を整える。
まわりの住居を見回し、動く者がいないかを確認しつつ、スポーツ飲料のキャップをひねる。
民家から出てくる者はいない。
しかしながら、不穏な、かすかなものおと。
物音が町のどこかから聞こえてくる。
決して清浄ではない、爽やかではない、くぐもった、何かが蠢くような気配が。
耳を澄ましても用水路の、例の物音よりもはっきりとした何かは聞こえない。
だが。
口にペットボトルをちかづけて、ぐっ………と上を見上げる。
心臓の音がすごいことになっている。
水分を乾いた体に流し込む。
思えば昨日から、水分補給はしていなかった。
舌がまず生き返る。
「………ぷはぁ!」
飲んだ。
しかし飲み過ぎたか?
半分くらいは減った、だが飲み過ぎると走るのに支障が出る。
しかし美味い。
美味いと思うぞ、美味いと思うべきだ―――。
生き延びた後に飲む水は格別だ。
ああ、僕はいま、人間なんだ。
ペットボトルを持ち直して、歩く。
歩きながら考える―――。
ぐずぐずはしていられない―――第二、第三の松江さんが、現れないとも限らない―――。
何人かいる。
いや、何匹か、いるはずだ。
昨日はそうだった。
歩けばすぐに見慣れた景色、高校の敷地、その周りの塀を眺めることになった。
やや安心感がある。
一向にあいつらは現れない。
こちらに大きな用水路はない―――慎重に、回りを、あと自動車用のミラーもちらりと見て、左に曲がる。
ここまで来たなら、かなり目的地には近くなった。
ここで気を抜くというわけではないが、目の前以外のことも考えなければならない。
例えば氷室さんと長尾の件。
生き延びている、二人。
生き延びて―――どうやら精神的にまともな部類のままに、民家にいた、二人。
ああいう生徒も、人間もいるのだ。
まだ、かろうじているようだ、存在しているようだ。
まあ、あの接触は成功とは言い難かったが―――中断させられた。
中断したし、接触は良いものではなかった―――最悪の出会いと言ってもいい。
確執も生んでしまったが、僕と周防さんだけ取り残されたというわけでないと、わかっただけマシと言える。
周防さんと合流出来たら、二人で探せるだろうか―――ちゃんとした人間を。
しかし問題だったのはあの氷室さん。
『噛まれた』と言っていた件だ。
包帯を巻いていた。
そして普通の女子生徒として、僕と会話出来ていた件だ。
これまで僕は、この事件は噛まれたら、被害者が暴れ出す事件だと思っていた。
暴れ出して―――気が狂ったように、人を襲う。
だから噛まれても平気というのはありえないことだ。
………嘘だったのだろうか、氷室さんの発言は。
その、嘘の可能性もあるが、長尾も言っていたことだった。
というより長尾の方が強く主張していた。
この子は大丈夫だ、と。
「噛まれても、助かる人も―――いる?」
僅かに希望は生まれた。
生きている人がいる。
しかしこういう時こそ気を引き締めねば。
まだ状況はほとんど好転していないという点が、うんざりする。
状況は続く。
松江さんは対処できて、勝てた。
勝って、
兜の緒を締めるって言うか、兜が欲しい。
「『兜』か---、頭を守るものはマジで欲しいんだけどな」
本当に欲しい。
考えてみれば素肌を丸出しで、顔を外気にさらしてこの状況は、流石に、無い。
考えがなさすぎる、無防備すぎる。
噛みつかれるのを遮る、何かが欲しい。
兜、どこかに落ちてないか。
………あるわけない。
だが現代の兜に近いもの―――ヘルメット。
そう、なにか、バイクに乗ってる兄ちゃんがつけるようなヘルメット―――本当に欲しい。
周辺の民家に気を張りながら歩く。
再び左に曲がろうとする。
これで、高校を一周してきたようなものだ、何事もなければ、グラウンドや、隣接する部室棟はすぐ見えるはずだ。
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