第15話 周防 恵
海老沢がいなくなった高校部室棟の一室、サッカー部、部室。
その六畳もない空間で周防恵はただ一人、座り込んでいた。
同じクラスの男子、海老沢は出かけてしまった。
今は、入口に鍵をかけている。
「コンビニ………!」
私もコンビニに一緒に行けばよかった、とは―――思わない。
行ってはいけない。
行ったら、終わる―――死ぬ。
たくさん死んでいる。
死んでいるんだ、もう―――止まらない。
もう外に出たいという気力は沸かない。
海老沢くんは外に行った。
なんてことを―――何もこんな朝早くから―――いや、昼も夜も、どの時間帯もだけれど。
私を置いて出ていかなくても………。
まったく接点がないサッカー部の部室。
そこに一人でいるという事実も、孤独感を手伝う。
「―――何とかしてよ、男なんだから」
ぼそりと、言う。
言って思い出す。
自分が先程あの男子に言ったこと。
「海老沢くん―――に、言ったこと」
………まずい、色々。
なんて―――いやな女、私。
私はなんていやな―――。
これでは私が単なる迷惑な―――。
迷惑でひどい人間。
私が、何とかしてと言ったから―――だから、海老沢君が、一人で出ていったのだろうか。
その可能性に思い至る。
「ううん、私は悪くない」
言う、言い聞かせるように。
願うように、教え込むように。
私が悪いわけではない、私は何も悪いことはしていなかったのだと。
今日も数学の授業を普通に受けていたと。
教室のみんなの心配をしたのも―――確かに心配だったけれど、何よりも私が心細かったせいだ。
リミもユカコも、みんな―――噛まれてしまった、あいつらに。
化け物みたいになってしまった、学校の生徒たちに。
『動く死体』になって―――しまった。
何を思っても今更、戻る手段がわからない。
「なんて言えばよかったの―――!あれ以外!だって、私、何にも悪くないじゃない!」
こんな事態になったのが悪いのだ。
小窓の外には、離れたところに妙な姿勢の死体が、なにかの荷物のように折り重なって落ちていた。
まるで敷布団のように平然と、在る。
ぴくりとも動かず。
海老沢くんは見えない。
「はやく、戻ってきてよ………!」
コンビニということは、ここから近いコンビニ………私が利用するのは南側だったけれど、海老沢君は部室棟を出て、北側に曲がっていった。
北側のコンビニだと、あそこまで―――百メートルはあったはずだ。
海老沢君のことも心配だけれど、心配だし―――私の事にも悔やむ、後悔する。
自分の行い、発言。
「喧嘩しちゃった………あんな、ことを。あんなことを言っただけで、それで最後なんて」
喧嘩して、それで終わりなんて。
もう会えないかもしれないなんて―――そんなことまでは思わなくて。
気軽に言ったわけではもちろんなかったけれど。
あの時はまさか出ていくなんて思わなくて。
マズい、仲直りのチャンスが、ない―――。
あの海老沢くんという、同じクラスで物静かで、でも悪い人ではないであろう男子と。
罪悪感に押しつぶされそうだ。
まさか、私があんなこと言ったから海老沢くんは私のことを嫌いになって、出ていった?
「もう、二度と会えない………」
心臓が痛くなった。
別段、彼に対してかつてから秘めて温めていた恋心などは、無かった。
特別な感情はない。
しかしこれさすがに。
これは、ない………笑えない。
もっと楽しい話をして過ごす未来もあったかもしれないのに。
普段の日常での、教室で。
何気ない雑談から友達くらいにはなれたかもしれないのに。
英語の授業で受け答えする彼を思い出す。
大して印象に残る人ではないので、今色々と思い出していく。
こんなことなら普段からもっと愛想良くしておくべきだった。
ごめんなさい。
海老沢くんもきっと、困っていただろう。
私なんかと二人っきり。
もっと可愛くて、なにか、店で並んでいるモデル誌の表紙に描かれていても写っていても、納得されるような女子と一緒になるべきだった、海老沢くん。
見た目だけでなく性格もひどい女。
なんという有り様だ。
この状況で前向きに事態に取り組めるような、立ち向かえるようなメンタルは、私にはない。
私は普通科高校に通う女子だ。
部室の小窓から死体を見る。
唯一、外界を覗き込める窓は、私の顔のあたりの高さにあって、この小屋にかろうじてつけられたようなサイズのものである。
外界から乗り越えられる恐れは少ない。
しかし見えるのは動かない死体。
灰色の顔が横になっている。
公園で見た石像に少し似ている。
「死んじゃうんだ………」
その時、私は、ふと何故か、口にしていた。
「死んじゃう時もあるんだ………噛まれても、動かなくなって―――、静かに死ぬ人もいるんだ」
ただ呟いただけ。
私は大して考えもせずに、状況を見て、それをそのまま呟いた。
ただそれだけだった。
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