第35話 病院へ 3
病院へ向かう道中は、壮絶だった。
具体的に数えていたわけではないが、『増えている』とは感じた。
敵の数が多い。
「―――荒川さん!」
本当に危機感を感じたのは、防護服のうちの一人が、『あいつら』の大群に飲み込まれたときだ。
大群―――そう、道幅一杯に広がり、あふれんばかりの腐った肉体。
「ああ―――あ、だから言ったんだ!博士、私は職員なんだ、ウイルスに対しての防護服がある、企業として持っているというだけで、特殊部隊なんかじゃあない―――!」
恐慌状態に陥る樫さん。
これほどに人数の差、物量差があったとは思わなかったようだ。
危険は、リスクはあると全員が理解していたが―――今日は運が悪すぎた、あるいは昨日がよかったのだろうか。
俺が出歩いた日が、良かったのだろうか。
樫と名乗った男は泣き言を言い始める。
そもそも彼は最初から反対だったらしい、白衣の女性が無謀にも外出して、ウイルスを調べることに、反対だったらしい。
彼の意見は否定しがたい、ああ、そうだ、至極もっともだった―――弱気な男だと切り捨てられない、冷静な意見だろう。
そして阿部さんを叱責し始めたが、全員が走ることに必死である。
「どうする!引き返すか!一度、雀荘に戻るか!」
「走るしかない―――無理よ!後ろは!」
「じゃあどうすれば―――!」
これは銃がいる。
銃火器が必要なレベルの戦力差である。
思えば俺は安心していたけれど、防具服の二人は、感染者を拘束する蛍光イエローのバンドは持っていたものの、アサルトライフルを装備しているわけではないのだった。
自衛隊か、軍隊の装備しているような―――。
銃火器の類を持っていない時点で、気づくべきだった。
特殊部隊扱いしていたのは、流石に荷が重すぎるというものだろう。
いや、特殊部隊だったとしても、これだけの数、死なない敵を相手では―――。
「う―――わっ―――」
声がして、見れば樫さんが、飲まれた。
茶色の腕が何十本も重なった塊―――とでもいうべき、『あいつら』の大群に飲まれた。
噛まれて感染したかは見えないが、あの数では―――。
そんな様子を、背後を、見る間もなく走らねば。
距離を走る。
もう俺たちがなぜ生き残っているのか、わからない、次の瞬間にでもその時は、来る。
「終わりか、どこかに隠れるところは―――ないか」
「隠れるって言ったって、今更そんなところ―――!」
「お前も何とか言えよ!」
帯金は、いま自分は走っているんだ、黙れと呟く。
初めから無理だったのか、この移動は。
檜垣も竹部も走り続けることに限界を感じ始めていた。
「くっそっ、こういう―――時は、神に祈るのかな」
「いのる―――祈った方がいいのか、あんまり―――俺ん
「天国へ行かせろよ、神サマ!」
発想も死ぬことが前提となっていた。
どうしたお前ら、頭おかしいんじゃねえの、極楽浄土はどんなところかな。
もはや走っても走っても逃げ切れず、それでいて隠れるところも、今のところ見つからない。
「キリストよ、神よ!助けてくれ、仏教から乗り換えるから!」
「母ちゃん、俺―――どこだよ、
宗教の知識が欠けているメンツが、それぞれの思いを胸に、神に祈り始めたその時だった。
前方から、男が一人走って来たので、驚愕する。
マズい、前からも来たのか、あいつらが。
そう思った。
そうなると完全に終わる―――立ち止まるか、と考えを巡らしていた。
男はそれほど年を取っていない―――十代くらいに見える。
鉄パイプだと思うが、それを振り回し、『あいつら』の先頭にいた奴の頭部を殴った。
吹っ飛び、すぐさま別の一体を殴る。
大群がやや滞った。
「走って!」
少年は大声で叫んだ。
日本語で話せる―――『あいつら』ではない!
感染者たちの顔の向きが、声のする方向、少年に集まる。
「走って―――!コンビニ!少し先のコンビニには『いない』!コンビニ―――!」
少年は大群の中で、鉄パイプを振り回し始める。
力強い動きだった。
襲い掛かってくる大人は、大人だった者は、腕と頭、というか口をむき出して、少年にまっすぐ突っ込んでくる。
少年は持っていた鉄パイプでそいつを撃退するのだが―――これが力強い轟音だった。
吹っ飛ぶ襲撃者に対して、少年の身体は、すぐに次と戦う。
殴った後、さらにもう一度殴る。
少年が前に蹴りを繰り出す。
腹に命中して、炸裂した。
腹のあたりが爆発したかのような威力で、血が、付近の民家の塀にばちゃりと、飛び散った。
強い―――筋力が桁違い、としか言いようがないが、明らかな異様だ。
そして彼が血まみれになっているように見える、全身、黒い。
黒く見えた。
首に打撃を受けて吹っ飛んだ何体かが見えたが、俺たちは、それをのんびりとみる間もなく、走っていった。
その少年の言うとおり、コンビニに走ったし、それ以外の選択肢は思い浮かばなかった。
幸い、病院に行くという目的からは、そう外れていない、道中だ。
ルートはほぼ変更なし。
店内には動かない死体があったし、頭部が破壊された死体がいくつか、ドアの外にはあった。
俺たちは震えあがったが、しかし店内には―――いない、いないのは少年の言うとおりだった。
水はまだ、無くなっているわけではなかったがこの状況で何かを飲んだり食べたりする気が起きる奴はいなかったらしく―――最初に、ちびちびと飲み始めたのは阿部だった。
妙な動きをした少年が、駐車場の向こうに見える。
真っすぐに近づいて来る。
さっきの少年は、上半身を―――アレは、拭いている。
返り血を拭いていて、それをしながら、近づいて来る。
「すいません、遅くなって―――」
少年は真っ赤な鉄パイプを持ったまま走ってきて、店内をまず、覗き込む。
敵がいないかを、見ているのだろう―――。
俺たちは、彼がちゃんと帰って来たことに驚愕する。
しかもその話し方に、やや落ち着きがみられるのが―――異常ですらある。
「だ、大丈夫なのか」
「いえ、流石に多すぎて―――やはり『用水路に落とす』のが―――いいというか、連れて行きました、誘導して、捲いたりしました」
コンビニの店内には、水や食料などがあって、しかしそれ以外もある。
タオルを―――商品のタオルを二つ、三つ取って―――少年に渡す。
そして血をぬぐう。
二つ、三つでは、それでもタオルがすべて赤く染まり、足りないのかもしれなかったが、ようやく年相応の、若い肌が見える。
「助かったよ、ああ―――高校生か?」
俺は彼の表情が、なんだか暗いことに気付く。
悲しいとか、恐れている表情という意味ではない。
黒いことに気付く。
返り血はかなり拭き取れた。
それでも皮膚の下の血管、黒く浮き出ているのに目を奪われた。
いつだったか、理科の実験で―――あの頃は高校じゃなくて中学生だったかもしれないが―――植物の葉脈を思わせた。
それが肌に、文様となって浮かび上がっている。
なんだ―――血液が?
感染したのか?
しかし日本語だ、話せている?
「ありがとうね、この近くに住んでいる子?」
「この近くに住んでいるっていうか―――ああ、高校に通ってはいます」
通っていました―――と彼は言う。
彼は赤く染まったシャツだったが、しかし高校指定のカッターシャツなのだろう。
「私は阿部よ。ウイルスの研究をしていたわ、企業は潰れたけれど」
というと、少年は最初、何のとこかわからなかったようで、阿部はこの事件のことを説明する。
「ウイルスの―――はあ………え、ウイルスとは?」
少年は俺たちの発言に困惑した表情だったが、名乗り始めた。
自分も名乗らなければならないのか、と気づいた様子だが―――
朦朧としたような、表情をしている。
本当に健康なのだろうか?
「ああ、僕は―――
ただの高校生………なのだろうか。
返り血でカッターシャツが真っ赤な彼は、とてもそうには見えなかった。
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