第45話 製薬会社へ 5
「黒い―――血液!」
僕は阿部博士の白い肌の内面に存在するそれを見て、事態が全く変わったことを察した。
混乱の中で、どうしてこんなことになっているのかは説明がつかないが。
だが感染していたのか、という事は噛まれたのか。
僕と出会う前に。
入ってきた男は。
もともとは研究所の職員だったのだろう、恰幅のよい男性は壁に背を預け、吐血したまま、動かなくなった。
開いた口元から血が流れている―――それのみが、まだ動き続けている。
僕は―――博士に言う、問いかける。
「感染―――したのか、なんで―――」
いや。
今さっき、注射を自分に打っていた―――という事は、それが原因なのだろう。
「―――あなたが、やったんですね?」
「そうよ」
彼女は、人を一人、殺した後には絶対に出ない表情を浮かべ―――つまり笑顔を浮かべていた。
心の底から沸いてきたかのような笑顔だが、どこから―――どんな………。
「ど、どうして―――こんなことが?どうしてこんなことを―――」
「こんなウイルスになる予定では、無かったのよ」
彼女は、靴音を鳴らし、一歩前に―――僕の方に歩んでくる。
な、何だって?
「こんな予定---?」
そうだ、彼女はこんなことはしたくないはずなのだ。
こんなことをするような人間には、見えなかった―――長い付き合いではもちろんないが、それでもこんなことをしてはいけない、するはずがないとわかる。
「人間の血液に作用するわ。私は常人とは違う力を手に入れた」
予定とは違ったけれど、成功したのよ---。
そういう彼女を、指差して、僕は叫ぶ。
「し―――死んでいるんだぞ、外を!外だ!見てみろ!死んで―――死んでいる人がいるんだぞ!」
こいつ………、こいつ!
「駄目だ………!とにかく駄目だっ、ついていけない!」
「予定とは違ったけれど―――実験は成功したのよ!」
鉄パイプまではそう遠くなかった。
それを駆け寄り、つかむ。
そして狂気の悪魔に飛びかかった。
鉄パイプを全力で振り回せば、今の僕なら常人とはけた違いの威力を出せる―――それを。
彼女は素早くかわす。
躱された、だって―――?
そして打撃を喰らう。
よく見えなかったが、おそらく蹴りだ。
それを喰らって、僕は再び吹き飛ばされる。
破砕音と共に転がったのは、また机上である。
研究機材の付近だ。
くそっ………!
「どうしたんだ!」
と、飛び込んできたのは僕の声ではなかった。
雀荘からの合流組、逢野と檜垣であった。
先程、職員の男性が入って来た入り口だった。
二人は大きな物音を聞いて入ってきたようだが、博士の外見の変化を見て、驚愕の表情を浮かべていた。
僕は、阿部博士と逢野さん、檜垣さんを視界にとらえる。
さらなる悪展開の予感に、素早く姿勢を直し、博士に飛びかかる姿勢に入る。
だが阿部博士は―――その後、身を翻し、走って研究室を横切る―――窓を開ける。
外は曇り空だった――そこから、機敏な動きで逃げ去っていった。
この研究室から出ていった。
二人は僕に駆け寄る。
「博士だったんだ―――あれが、犯人だ」
この事件の犯人、すべての元凶。
「何があったんだ、あの人も感染したのか?」
きょろきょろと、室内を見回す二人。
信じたくないようだし、周りにほかの『感染者』がいたのか、と考える方が、確かにあり得るだろう。
でも。
「そうじゃなかったんだ、自分で打っていた―――ウイルスを注射で」
「じゃ、じゃあウイルスを調べてワクチンを作るという話は………!」
「あれは嘘だ!最初からこのつもりで―――」
二人は職員の男性の死体を目の当たりにする。
まだ信じられなかったようだが、それを見て、どうやら事態を受け入れるしかないと考えたようだ。
この研究室も、ワクチンを作る目的ではなく、どうやらここで作っていたらしい―――元凶を。
ここに、彼女が注射するウイルスを置いていたのだ―――。
ウイルスを。
つまりここに、ウイルスを取りに来たのだろうか。
彼女は多く語らなかったが、大体はその目的だろう。
どちらにせよ、あの犯人から、もっと聞きださなくてはならない。
感染者の、凶暴な人間を殺したのではない、普通の人を殺した。
「人を殺したんだ、あの人は―――!」
「どうするんだ、でも博士、出ていったぞ」
「ああ、でもなんでだ?外には感染者がたくさんいて、別に出ていく意味は―――」
僕も身体能力が変化し、向上している。
興奮時に黒い血液が浮かび上がる体質は、これに関しては気味が悪いと今は思っているが―――。
僕と阿部博士は、同じ症状だ、死ぬのでも、死んでからふらふらと彷徨うのでもない。
正常な意識は残っているものの、ある種の、危険な体になった。
同じ体質でこの研究室で争っても、不利、長引くだけだと判断したのか―――?
「と、とにかくここは駄目なんだろ、戻ろうぜ―――帯金たちのところに」
「そうするしかないか―――病院に戻って―――いや、待てよ。病院だ!」
病院に急ぐ、急いで戻る。
それは僕たちだけではない。
もしもあの阿部博士が、今病院に向かっているとするならば―――!
そんなこと、何か―――大変なことになる。
――――――――――――――――――――――――
三人で走り出したが、海老沢くんの走力、それは人間離れしていて、とても追いつけるものではなかった。
ましてや大通りだ、走るスペースは十分―――だが、あの国立病院も大通りに面していた。
でかい建物だからその立地は不自然なことではない。
だから、だけど危険なのはここを走って、まっすぐ行けば病院に付けるということ。
一本道だという事実。
狂気に走ったという博士が先にここを走って行ったのだとすれば、まずい。
海老沢くんはぐんぐん前に出ていく。
鉄パイプを持って走っているにもかかわらず―――である。
黒い血管が浮き出いているのがわかる―――どうやら運動時に、特に激しい運動時に色濃く浮かび上がるようだ。
しかし追いつくのがつらい。
いや、無理である。
俺と檜垣もまだ二十代だし、もしかすればという気持ちもあったのだが、走る速さも異なるらしい。
病院へ戻る道のり、その道中で、彼は博士を見つけた。
彼女は走ってはいなかった。
走らずに、彷徨っていた腐った感染者を、二、三匹を、蹴散らしているところだった。
当然のことながら、彼女に苦戦している様子はない。
なんてことだ。
「博士!」
海老沢くんが叫んで博士にとびかかった。
つかみ掛かって、二人とも倒れる。
海老沢君に急かされて、俺たちは先に、病院へ急いだ。
何があったかを伝える――それから、それからどうすればいい。
とにかく病院の人と話をしなければならない。
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