第17話 長尾さん



僕は何も言わない。

まず、スマートフォンが予想通り―――というのも悲しいが、いつまで経ってもつながらないので、それの電源を落とす。

ポケットに、しまう―――。

しまいながら、周囲を確認した。

人影は今もない。

転がっている、数人の死体以外は。

まあ、ネットなど、試していないことはまだあるが―――それより緊急だ、今は今。


「あ、あなたは―――」


「氷室―――氷室、由佳ひむろ ゆか


「ああ、まず言っておこう、落ち着いて、何もしないよな、あんた―――」


「私?私は大丈夫―――『あの病気』にかかっていないから何もしないよ」


喋れるんだな、珍しいタイプの人間だ―――やっと出会えた。

周防さん以外に。

ここで、僕はついにこの世界がまだ機能している確証を得た。

生き残っている人間。


「皆はどこに行った?―――他の」


「私たちも探しているの―――」


言いながら彼女は進み出てきた―――学校指定の靴を履き、小走りで、陽の当るところに出てきた。

他人と喋りたがっている風なのは推測できた―――というか、僕もいい加減、独り言をつぶやきつつ歩くのはよくない。


彼女は右腕を少し上げた。

右手首に包帯を巻いていたが、そこから血はにじんでいないようだった。


僕はそれを見て、数秒、見つめる―――


「ちょっと、由佳ユカぁ………ねえ、いつまで開けっ放しにしてるのよ、私は入り口を閉めてきてっていうお願いをしたんだけど―――」


栗色の髪の毛で、やや巻き毛がキュートな子だった。

玄関から、氷室という少女にむかって、のそのそと歩いてきたのは。

彼女もおそらく同じ高校の生徒だろう。

そして僕の存在に気付くと、表情をこわばらせて、停止した。


「ひっ………!」


栗色の髪の女の子が、僕を見て、囁くような悲鳴。

眼球をくわっと見開き、頬を片方だけぴくぴくと動かす。

その部位だけ違う生き物のようだった。


栗色の髪の子は、僕の方を見た―――その時名札が見えた、『長尾ながお』という名札が左胸についていた。

名札というものは、状況理解に役立つらしい―――今までの人生で意識してこなかったが。


そして長尾は、氷室という少女を一瞥する。

いや一瞥ではなく、二度三、三度見して、言う。


「な、何してんのあんた!まずい、まずいじゃない!」


氷室由佳の腰を両手でがしりと掴んで、そして家の中に引きずり込もうとする。

僕を警戒の眼差しで、食い入るように見つめながら。

はやく―――早く―――と無理やり引きずろうとして、完全に怯えきっている。

そんな彼女に僕は、とっさに呼びかける。


「ああっ!いや、海老沢だ、僕は高校生の」


何故自己紹介をしたのか、自分でもわからない。

わからないが、とにかく口をはさんだ。

会話を成立させたい。

今なら―――解ける、誤解を解けるはずだ。

『被害者』ならそもそも日本語は喋れないだろう。

僕は噛まれていないということを身体全体でアピールするんだ。

そうしかない。


「僕は―――いいか、僕は大丈夫だ、あのう―――」


なんて言えばいいのだ、この状況で。

初めてなのでどういえばいいか。

探す、言葉を。


「あのうつまり―――『大丈夫なやつ』だ―――噛まれていない、僕は噛まれていない」


氷室由佳はなおも栗色の髪の子に引きずられる。

栗色の髪の子は、僕の方を見た―――その時名札が見えた、『長尾ながお』という名札が左胸についていた。


「それより君!」


僕は言う。


「そっちの子―――氷室さん―――、その子が噛まれたんじゃないか」


「噛まれ?」


「そうだ、その包帯―――かまれたんじゃあないのか、被害者に!」


「ええ、噛まれたわ!」


長尾が答える。

その氷室という子は、噛まれた、とはっきり聞いた。


「だから包帯巻いたじゃない―――」


「………!マズい、その子は、いいかよく聞いて」


『被害者』に噛まれた、それは。

それは包帯を巻いた、だからどうにかなるというものじゃあない。

僕は確信をもって言うが、悪意がなかった。

意地悪でも何でもなく、この時、その女子を救おうという、心配心しんぱいしんのみ―――。

いや正義感すらあった―――その感情で動いていた。

いっぺんの迷いもなく。


「駄目だ、離れて」


「この子は大丈夫」


「この子はって………」


「「噛まれたら絶対って―――誰が言ったのよ!」

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