第20話 尾行

 山本はおそらく今日動く可能性が高い――。あいつなら絶対やる。ちなっちゃんのあのハンカチを本人に返しに行く筈。


 今までたくさんの山本の武勇伝を聞いてきた。やつが自分自身で吹聴している中でも最もビックリした話が、なんと小学生四年生の時にはすでに三叉交際していたって話。それが同じ小学校ならまだ分からなくもないが、全員違う小学校の学年問わずっていうんだから、聞かされる方としてはどうしても興味をそそる。


 話がうますぎると思うところはないわけではない。当然聞かされる方は「いくらなんでもそれはねぇよ」と最初は疑う。ところがその疑念を次々に崩壊させていくような話の持って行き方をする。


 その三叉の話の時はこうだ。会社の昼休みに大勢で団欒している時に、そういう話の流れになって山本がその経験の話をし出した。最初は「いくら山本でもそれはない」という空気だったのに、三枚の写真で一変させてしまう。なんと、山本の手帳から、その交際していた三人の女の子の写真を登場させたのだ。みんな「えー!マジだ!」などとびっくりして、信じ込んでしまう。しかも三人とも確かに写ってる帽子も名札も学校が違うんだから。当然三枚とも山本とペアである。


 もしそれが、御崎さんが言ってたような「自分のイメージを作り出すための作り話」ならば、いくらなんでもやり過ぎではないか。ただ、ちょっと出来過ぎな気もしなくもない。普通は、そんな話いちいち吹聴するようなことはしないとも思うし。だが、山本のそうした自慢話はなかなか疑うのが難しい。極端な例だと、飲みに行ってそこで知り合った女の子をお持ち帰りしてホテルに入るところまで、バッチリその時一緒にいた人に目撃させてるからね。まさかホテルに入って何もないなんてある筈がない。


 だから、御崎さん以外はおそらく誰一人として、「山本は女癖が超悪い」って話を疑ったりしないのである。疑う方が頭イカれてる。ただ、山本は御崎さんにだけはそう思わせないように振る舞うのが上手いのであろう。奴ならそれくらい朝飯前だろうし、女の扱いに手慣れているわけだからね。


 しかし――。それは困る。今回だけは止めて欲しい。だって、ちなっちゃんとドライブデートまで達成したんだし、とにかく滑り出しは順調なんだから、邪魔するな、と。それに……、やっぱ妹さんの凛ちゃんが言ってたあのことも、どうしても気になってしまって……。ちなっちゃんが別にそうだろうと、そうでなかろうとどっちでもいいけどさ……、それが山本になるってのはやっぱ、それは流石に認められんわけで。


 あーもう!山本にだけは、ちなっちゃんのを奪われるとか絶対あってはならん!


 …ってな感じで、仕事中ずっと山本の方を伺いつつ、そんなことばっかり気にしてたから、俺は決してやってはならぬ大失敗を犯してしまった。


「おい、御手洗ちゃん、ちょっと酷いよ。例のExcelファイルそっちの画面で開いてみてよ」と、山本が俺の席まで来て言うので、開いてみたら、データーがグッチャグッチャ。くっそー、こりゃ確かに俺が間違えてると認めるしかなかいなぁと思ってたら、「残業延長申請、俺の権限で許可するからさ、絶対今日中に直してくれ」って命令されてしまった。


 くっそ。打つ手が無いから、今日は山本をストーカー、…じゃなくて尾行してやろうと思ってたのに。俺は何やってるんだ?こんな時に。踏んだり蹴ったりじゃんこれじゃ。


 通常業務終了時刻午後5時。とにかくExcelファイルをできるだけ早く、可能な限り早く仕上げる以外に方法がない。山本はさっさと退社してしまった。だが、すぐにはちなっちゃんのところには向かわない可能性もまだある。でもこれ…、どんなに頑張ったって、少なくとも夜九時までは掛かるレベルじゃんかよ。マクロプログラムなんか組んでる暇ないから手作業でやんないといけないしなぁ…。きっつー。


「あれ?御手洗さん今日は残業なんですか?」


 ちょっと離れたところに、二課の新人、木村静香がいた。


「そうなのよ。自分でやったから仕方ないけど、データがぐっちゃぐちゃで今日中に直さないといけなくってさ」

「それはご愁傷様って奴ですね」

「ホントご愁傷様だよ。木村さんはまだ帰らないの?」

「いえ、帰ろうとしたら忘れ物に気がついて取りに戻っただけです」


 ちっ。一瞬、手伝ってもらえるかと思ったのにな。


「そうなんだ。じゃぁお疲れ様」

「お先でーす。…あ、そうそう、この前の飲み会で、あのメモにあった御崎さんのお礼って何だったんですか?」

「なんか、映画鑑賞券だったよ。五枚も入ってた」

「わー、いいなぁ。それ私にも一枚下さいよ」

「御崎さんが俺にくれた券だけど…、じゃぁ今度持ってくる」

「ほんとに?じゃぁ今から御手洗さん手伝ってもいいです!」

「マジで?」

「ウソです。勝手に他の人の仕事を許可なく手伝ったら怒られますからね」


 なんだよ。一瞬期待したのに。そんなのバレなきゃいーじゃんか。


「はいはい、とにかくお疲れ様」

「あ、そうそう、御崎さんと言えば、さっきすれ違ったんですけど…」

「?」

「あれ、どう見ても山本課長を尾行してるように見えたんですけど。浮気調査かな?」

「尾行?浮気調査?…御崎さんが?」

「ええ。だって、御崎さんのあんな格好、見たことないですし、テレビでよくあるじゃないですか、刑事が犯人を尾行してる、みたいな。まさにそんな様子だったんですよ」

「ホントに?山本を御崎さんが尾行してたの?」

「はい。やっぱり、山本課長と付き合うって色々大変なのかな?じゃぁ、お先でーす」


 御崎さん…マジかよ。そういや、あの「ひまわり」で、動かぬ証拠をどうたらこうたら言ってたからな。まさか自分から尾行するとか想像もしなかったけど、相当本気で悩んでんだなぁ。


 しかし、これで俺が尾行する必要はなくなったってことだから助かったとも言える。自分が逆に尾行されること考えたら嫌だったし、尾行って行為自体あんまやりたくない行為だしな。ともあれ、やらなくて済んでよかった。仕事早く片付けよう――。


 結果、予想よりは大分早く、夜八時には退社することができた。それで、電車に揺られて自宅最寄り駅改札を出るまでは「もしかしてマンションで山本御夫妻の修羅場とかあったら嫌だなぁ」くらいにしか想像はしてなかったんだよね。それはそれで見ものかもしれないとも思いつつ。ところがだ…。


「あ、御手洗君」


 改札を出たところで、御崎さんが声掛けてきたんだ。


「あれ?御崎さん、こんなところでどうしたんですか?」

「御手洗くんのマンションてどこ?」って辺りをキョロキョロ見回しながら俺に尋ねる…。

「何処って、…ていうか、そもそもどうして御崎さんがここにいるんですか?」


 その時点で俺はピンときた。はっはーん、さては…。


「…実はね、かっちゃんの後をけてきたの。ハンカチの件、今日やるんじゃないかなと思ってさ」

「山本を尾行してたんですか?」知ってたけど、一応とぼけてみせる。

「そうなのよ。でも電車降りるところまでは尾けてたんだけど、降りたら見失っちゃって困って、しょうがないから改札で待ち伏せするしかないかな、って」


 やっぱり。


「意外と御崎さんも準備が出来てなかったんすね。そんなの、総務なんだから俺の住所なんてすぐわかったはずでしょ」

「あ、そっか。全然思い付かなかった」


 間抜けな人だなぁ。ていうか、何なんだ?その格好。黒のキャップにサングラスで白のコートって、それ不審者みたいなんだけど。


「何時間くらいここで待ち伏せしてるんですか?」

「一時間くらいかなぁ」

「あれ?確か、夕方5時で退社してませんでしたっけ?」

「うん、かっちゃん一旦牛丼の松屋に寄ったり、本屋さんに寄ったりしてたからさ」

「松屋は牛めしです」

「どっちでもいいでしょ?そんなこと。それより、どうしよ?」

「どうしよったって、ここで待ち伏せしてても、タクシーとか使われたら意味ないでしょ」


 …うーむ、御崎さんの尾行に期待した俺もバカだな。どうしようもなかったとは言え、知ってたから御崎さんに連絡でもすればよかったかもな。不味いぞこりゃ…。


「じゃ、とにかくマンションまで行きましょう。まだ間に合う可能性もないこともないし」

「そうだね」

「でもせめてサングラスは外して下さい。それは不審者過ぎると思いますよ」

「あらそう?かっちゃんにバレちゃいけないと思って。じゃぁ外す」


 バレバレだって、それじゃ。もしかして気付かれて撒かれたんじゃないの?


 急ぎ足でそこから八分で到着。エントランスから四階フロアまで、山本の気配は何処にもない。もしかすると、ちなっちゃんがまだ帰ってないから、もし来たとしてもすぐ帰った可能性もある。取り敢えず、御崎さんを外で待たせて、自分の部屋に一旦入ってからベランダ越しに隣を覗いたら、部屋は真っ暗だった。


「御崎さん、隣はまだ帰ってきてないみたいですね。結構遅いこと多いみたいですし」

「そっか。でも少なくとも駅までは来てるし、改札で待ってても出会さなかったし、まだどこかにいるのかな?」

「うーん…、タクシー使って帰ったかもしれないし、改札とかで見逃したのかもしれないし。あ、一度、山本に電話したらどうですか?」

「そうだね」


 でも、電話にも出ない。困ったな、こりゃ。


「取り敢えず、こんな四階フロアにいたって仕方ないから一旦駅に戻りますか。もし山本がこっちに向かってるんだったら、駅からは割りと一本道だし、ばったり出会すかもしれませんよ」

「じゃぁそうしよっか」


 と、特に名案もなく駅までの道を二人で歩いた。


「まさか御崎さんが山本を尾行するとか、全然そこまでとは思ってませんでしたよ」

「あたしもね、尾行なんてされたことはあっても、したことはないからさぁ」

「されたことあるんですか?」

「あるよ。それも何十回もされたよ、今まで」

「へー。それはストーカーとか?」

「ストーカーはどうなんだろ?危害は一度もなかったけど、盗撮されたことはあるかな。まだ一人暮らししてる時ね、家まで尾けられて、窓の外から写真取られてさ」

「えー?警察には?」

「一応届けたけど、犯人は捕まらず、みたいな」


 女の人は大変だなぁ。ちなっちゃんもそう言えばストーカー被害にあったって話してたなぁ。…なんか、腹減ってきたなぁ。


「そろそろ駅だけど、どうします?」

「どうしよう?」

「山本にもここまで会わなかったし、もう帰ってもいいんじゃないですか?」

「そうだね。御手洗くんお腹好かない?あたしもうお腹空いちゃって」

「じゃぁ、あそこのファミレスでも行きますか?」

「うん、そうしよう」


 と、多分その空腹が接近警報だったに違いない。いやもう、びっくりしたなんてものではない。俺も御崎さんも、そのファミレスに入って目が点になった。


 だって、ちなっちゃんと山本がそこにいたんだよ、二人でテーブル挟んで――。


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