第11話 天麩羅

 明けて火曜日。今日は週に一度の二課の応援を離れて、本来の所属であるシステム部一課で業務をする日だ。といっても、抱えている案件のほとんどは他の人に任せていて、取り敢えずリーダーとして受け持っている案件の進捗状況確認や必要な指示などを出す程度。比較的小さな案件ばかりだし、それらは今のところ特に大きな問題もなく、重要な対応は一課課長の鏑木かぶらぎさんがやってくれる。鏑木さんは当社在籍30年のベテランで、信頼も厚く温厚な人で、二課課長の山本のようにイケイケドンドンみたいな性格でもなく、みんなから好かれている。で、朝の報告会。


「…というわけで、皆さん、今日は優秀な御手洗君がいますから、どんどんみんなで仕事を振りましょう」

「鏑木課長、そ、そりゃないっすよ。私に振られても…」

「冗談だよ。あはは。でもみんな、御手洗君に早く第一線復帰して欲しいよな?」


 課長がそう言うと、一課のみんなが同意の意味で頷いた。なんかこう言うのって素直に嬉しい。鏑木課長ってホント、部下の気持ちを掴むのが上手いよな。陰でブツブツ不満ばっか言われてる山本とは大違いだ。こんな上司になりたいなぁ、見習うべき人ってこうでなきゃ。


「ほらね?まぁ、二課は今、激務だから、今日は一課で御手洗くんはごゆっくりね。じゃあ解散」


 システム部は三課まであるが、うち一課は、主に二課と三課が新規案件として開発したシステムのメンテナンス業務を主業務にしているセクションである。二課と三課の違いは、大雑把に言うと二課は旧来からのサーバー/クライアントシステム、三課は今業界の主流になってるクラウドサービスっていう、世界的大企業のAmazon Web Service(通称AWS)などのクラウドを使った開発を主にやっている部署、という位置付けになっている。…ただ、ぶっちゃけうちの会社はよくわかっていない。実態は、ほぼ下請使ってやってるからね。うちの会社にネットやソフトウェアの細かくて複雑なことを熟知してたり、プログラムのコードを本格的に書ける人材など数える程しかいないのだ。だから山本みたいに自分の思いつきで仕様変更されると、下請を含めて物凄くめんどくさくなるのである。…どうでもいい話だが。


 で、下請の担当者にペコペコ頭下げてるから(ほんとに電話口でみんな頭下げているんだな、これが)、結構仲良くなってしまう。これは取引先に対しても当然そうなんだが、そんな感じで仕事以外のことも結構話ししたりするのが俺も好きだから、どこの会社がどんな感じで人手不足なのか、なんてな実態もよく聞いたりするわけ。


 鏑木課長のありがたいお言葉を遠慮なく有効に使わせてもらおうと思い、俺は仕事の片手間に、ケイの宿題案件に取り掛かることにしたんだが、…しかし、どこも人手不足で猫の手も借りたい状況だったのに優作君の経歴をちょっと話すだけで、「う〜ん、そういう人はちょっとなぁ」といい返事は結局貰えなかった。中には、その会社の他の部署に話してくれるってところもあったが、多分、直接断らなかっただけだろう。


 退社すると、すぐ、その事をケイにメッセージした。


「そっか。仕方ないよね。隆ありがとう」

「もしかしたら、どっかまだあるかもしれないから、あったらまた連絡します」

「ありがとう。ところで、櫻井さんの方はまだ?」

「うん、櫻井さんからは特にハンバーグのお返しとかは貰ってないんだけど、ちょっと昨日の夜、色々あってさ」

「色々、とは?」

「これのやり取りじゃ、話が長くなりそうだから今は話せない」

「どんな色々なんだろう?あれからすっごくそっちの進展が気になってさぁ、今晩、こっちに寄らない?」

「こっちって、ケイんちに?」

「そう。お母さんも「隆くんのハンバーグ凄く美味しかったから今度うちに夕飯来て貰なさい」って言ってたし、今日は天麩羅だよ」

「やったー!絶対行く行く!」

「オッケー。お母さんに言っとくからね」


 神崎家には結構有名な日本料理店の料理長を勤めていた親父さんが。過去形になってるのは、去年六十歳の若さで亡くなったからだ。ヘビースモーカーで肺がんで亡くなった。見つかった時にはステージ4っていう、既にかなり進行していたらしく、半年治療を続けたが駄目だった。ケイはすっごく親父さんを尊敬していて大好きで、親父さんの葬式の時には泣くのをとっくに通り過ぎて、魂の抜け殻みたく、酷い状態だった。


 そんなケイを見かねたケイのお母さんが、わずかでもケイに元気になって貰おうと、親父さんが新婚の時にお母さんに教えたっていう本格的な天麩羅料理を、親父さんに負けないくらいのレベルで再現して、作って毎日食べさせた、っていう。親父さんは、滅多に家では料理はしなかったが、たまに作ると決まって天麩羅だった。ケイは最初、泣きながら「お父さんだー、お父さんだー」って言って喜んで食べたって言うから、それを聞いた俺も感動して一緒に食べたら、これが天下一品の天麩羅で、高級日本料理店で食事しているような錯覚を覚えたものだ。


「あら、お久しぶりね、隆君」

 神崎家まで出向くと、ちょうどケイのお母さんが買い物から帰ってきて自転車から荷物をおろしているところに出会でくわした。

「お久しぶりです。今日は御呼ばれに上りました。…あ、お手伝いします」と、たくさんの買い物の荷物が詰まった袋を手にした。

「ありがとう。今日は隆くんのハンバーグに負けないように、おばさん頑張るからね。ケイ〜、隆君来たよー」

 ドアを開けた神崎家の二階の方から「はーい、今行く〜」とケイの声がする。

「ケイから話し聞いてるけど、優作のこと、ほんとごめんなさいね」

「いや、何のいい話も結局なくて、俺の方が申し訳ないです」

 ドタドタ音を立ててケイは二階から階段を降りてきたようだ。

「…ほんとにねぇ、今日もあの子どこか行っちゃってて、優作からも隆くんにお礼言わせようと思ったんだけど、ごめんなさいね」

「いえいえ…、じゃぁ遠慮なくお邪魔します」

「あんたさ、うちに遠慮なんかしたことある?」と玄関まで出てきたケイが言う。

「はいはい、こちらも一応社会人として成長しましたからね」

「だったらとっとと童貞卒業しろっつーの」

「こら、ケイ!失礼なこと言わないの!隆君ごめんなさいね、躾がなってなくて。こんな調子じゃとても隆くんのお嫁さんには…」

「ちょ、こら、お母さん、余計なこと言わなくていいから!夕飯の支度早くして!隆は奥でテレビでも見て待ってて」


 いつ来ても、神崎家のお母さんとケイは賑やかで、こっちまで楽しくなる。うちの実家もそこそこ普通に楽しいけど、隣の庭が羨ましいっていうか、普通過ぎて。


「はー、疲れた」と、リビングに来たケイはどかっと一人がけのソファーに腰を下ろした。

「ケイは今日は仕事は?」

「休み。ホテルの方はレストランとか宴会場も、今日は設備工事とか点検で全休だからさ」

「ケイも一応レストランのコックさんなんだからさ、天麩羅とか一緒に作れないの?」

「ダメダメ、あんなレベル絶対無理。だってホテルなんてさぁ、実態は供給センターでまとめて作ってあるのを温めたり切ったりして、並べて出してるだけなんだからね。だから、うちでも手伝いは食材切ったりするだけ。それでもお母さん結構うるさいんだから」

「へぇ、ホテルのレストランってそうなんだ。なんか仕事の実働部隊はホントは下請がやってるって感じのうちの会社みたいだ」

「そんなことよりさ、さっきの件、色々って昨日何かあったの?」

 ふと、俺はケイの顔を眺めた。だいぶ腫れはマシになってきてたみたいだった。

「ケイは目のどっちかって言うと上だけど、俺は下を殴ったっていうかさ」

「殴った?何よ何よ?隆が誰かを殴ったわけ?」とケイは身を乗り出す。

「まぁまぁ、話はちょっと長いから。どこから話せばいいのかなぁ…」


 俺は、二課課長で同僚の山本ってのがいること、酔い潰れた山本を送っていかなきゃいけなくなったこと、何故か山本が帰りたがらず、俺んちに泊まるっていい出して仕方なく連れて行ったこと、だが部屋に入る前に俺がブチ切れてしまったこと、それで殴ったことなどを簡単に話した。


「わぁ…。なんか高校生か大学生みたいなレベルの話だね。あはっ。でも、隆が殴っちゃうなんてよっぽどブチ切れたんだ。あんたみたいな人がまたどうして?」

「だってさ、イヤイヤ連れてって振り回された挙句に、思いっきり笑いやがったんだぜ?酷いだろ」

「へぇ…でもさぁ、なんかそれって、やっぱ男同士だなぁって聞いてて羨ましくなっちゃった。そのあと割りとソッコーで仲直りしちゃったりとか?」

「そうそう、流石に暴力は駄目だって思ったからさ」

「うわぁ、いいなぁ。なんかそういうの憧れちゃうなぁ。女ってそういうのは基本ないからね。ネチネチジメジメ基本陰湿だし。男になりたーい」

「男にねぇ…、でも男だって色々あるんだぜ」

「どういう意味?」

「山本さぁ…、いや実はさ、殴った時、部屋から櫻井さんが出てきてさ」

「え?ちなっちゃんも絡んでる話なの?」

「ちなっちゃん、ってお前、やけに馴れ馴れしい言い方するんだな」

「だって、あの子めっちゃ可愛いじゃん。ちなっちゃーんって愛称で呼んでファンになりたいぐらい」

「馬鹿かお前は…まぁいいや、とにかく、大声で喧嘩だからさ、それに気付いてちな…、違う、櫻井さんがこっちにきてさ、取り敢えずハンカチで殴られたところ押さえた方がいいよって感じでハンカチを渡されてさ」

「ほーほー、それからどうした?」

「それがさ、山本の野郎、そのハンカチ俺が返すって言ってんのに、使ったのは自分だから自分で洗って自分から返すって持って帰りやがったの」

 すると、ケイはパンと片手で自分の膝を叩いてこう言った。

「上手い!やるぅ!山本って人!そうそうそう言う感じなんだよ、大事なのは」

「ちょ、おい、なに、山本の方を褒めてんだよ?」

「隆に必要なのはそういう、女の子に対する頭の回転の速さなの。ていうか、常にこう、隙きあらば瞬殺で獲物を狙う鷹のようにあらねば」

「鷹って、…え〜でもあいつ、山本さぁ、ちゃんと彼女いるんだよ?それもすっごいいい女の人がさ」

「わっ、そりゃ最低だ。一瞬で冷めた。浮気するやつは最低だ。だから男は嫌なんだ」

「おま、男になりたいってさっき自分で言ったじゃんか」

「いや、やっぱ女でいい。ていうか、…おかーさーん、夕飯まだー?」と大声でケイがおばさんの方に声をかけたかと思うと、おばさんは天麩羅を盛り付けた大きなお皿を持ってちょうどこのリビングに入ってくるところだった。

「はいはい、今出来たばっかりだよ。ケイ、早くテーブル出して」

「はーい。隆も手伝って」


 いつ来ても、ケイのお母さんが作った天麩羅って最高だ。その美味しさを評論家みたいにうまく表現する言葉は持ってないけど、評論家だって言葉の限りを尽くして褒めたくなるだろう。ミシュランガイドに載せたいくらい。お母さんの愛情と、亡くなった親父さんの愛情がいっぱい詰まった天麩羅。


 だが、まさか世の中にそれを上回る天麩羅があろうとは、この時は俺には知る由もなかった…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る