第17話 ちなっちゃんの妹。その名は凛。

「御手洗さんはお友達。とにかく急いでベッド運ぼっ。あんたも持って」

「天気ヤバそうだもんね」


 外はパラパラと雨が降り出していた。近づいてくる台風に伴って雨雲が広がりつつある。ニュースによるとかなり大雨になるらしかった。


 そのマンションはバリアフリーになってなくて、入口が階段になっていたり、通路に結構、住人の自転車などの荷物が散在していて、運びにくくて三人がかりになった。部屋は一階の一番奥にある2DK。中に入ると俺らのマンションよりは大分古そうな感じで、エントランスにはオートロックもなく、郵便用の集合ボックスを見るとチラシやダイレクトメールがぎっしり詰まってるボックスもいくつかあった。なんかそんな感じのマンション。


「あら、大型テレビなんかあるのね?」

「へへっ。「さっさと出て行け!」っつーからさ、「そのテレビくれたらすぐにでも出ていってやるよ」ってフカしたら、「持っていっていいから出て行け」ってさ」

「あんたもなかなかやるじゃない。じゃあ、あのエアコンも?」

「そうそう、「ついでにエアコンも一台いいか?」っつったら、「それでお前の顔見なくて済むんだったら、持ってけば」って言うから、引越し屋さんに急遽外してもらってさ。金は一円も渡さないってとこだけは譲らなかったけどな」

「そりゃあんたが悪いんだから当たり前でしょ」

「アネキ〜、だからアタシは…」

「もうその話はいいから、このベッドどこにセットするの?」

「ああ、奥のちっちゃい部屋に取り敢えず置いておくから、そっちに入れて」


 ベッドを無事入れ終えると、ケーキでも買ってくると言って櫻井姉妹は一旦お出掛け。俺は一人、まだ整理も出来ていないガランとした部屋で、スマホいじりでもしながらぼーっと待つことになった。外は少しずつ雨音が大きくなってきているようだ。


 にしても、顔はそっくりなのに、金髪な髪の毛や性格っていうか、話し方から全く違う櫻井姉妹にちょっとだけ驚いた。お姉ちゃんの方はどっちかって言うと清楚な印象もある少し上品ぽい女の子だけど、妹さんの方は少なくとも上品とは言えないし、如何にもヤンキーっぽい感じ。


 俺は一人っ子だから、姉妹や兄弟のことはよく分からんけど、神崎家の場合は、姉のケイと弟の優作君って、雰囲気はそんなには違わないとは思う。ただ、顔は全然似てないから、ある意味、櫻井姉妹とは対称的。でも、ちなっちゃんの妹ちゃんはタイプとしては優作君に近い。本人の雰囲気もそうだし、若くして離婚してるところとかも似てるよな。


「御手洗さん、お待たせ〜。外すっごい大雨になってきちゃった」

「そうみたいだね。すっごい雨の音してるし」


 ちなっちゃんが入り口で傘をたたんだり、濡れた髪や服をタオルで拭いていると、妹さんの方が先に上がってきて、ケーキと飲み物が入ったコンビニの袋を床において、俺の方を向き直り、


「挨拶遅れました。アタシは妹で一歳年下のりんって言います。今日はありがとうございました」


 と、深々と90度以上の角度で腰を折って挨拶した。おー、なかなか礼儀正しい子だな。意外…とか思ったりしたら失礼か。へぇ、凛ちゃんって言うんだ。


「こちらこそ、御手洗って言います。よろしくお願いします」

「あ、「みたらい」って名前知ってます。「おてあらい」って漢字で書くんですよね?」

「うん」

「アタシは頭、バカだから漢字とか全然さっぱりなんですけど、高校の同じクラスに同じ名前の人いたから知ってたんですよ〜。…あ、御手洗さんはケーキと飲み物どれがいいっすか?」


 凛ちゃんは、床の上でケーキの箱を開けて、コンビニの袋から飲み物と紙のお皿、それと使い捨てのコップを取り出した。ちなっちゃんはトイレに入ってる。


「じゃぁ遠慮なく…そのモンブラン貰おうかな。飲み物はコーラで」

「ここの店のモンブランが美味しいんだってアネキも言ってました。アタシもモンブランにしようっと。…床の上で申し訳ないっすけど、じゃぁこれで…、どうぞ」


 トイレからちなっちゃんが出てきた。


「ほんとにひどい雨…、あ、凛!、それ私のなのに!あんたさっきそれと違うの頼んだじゃない!」

「いーじゃん、他にもまだあるんだからさ。わぉ、これうっま」


 ちなっちゃんモンブラン食べたかったのか。じゃあ、俺まだ食ってないし…。


「これ、まだ食べてないから、ちなっちゃんこれ食べて」

「え?あら、御手洗さんはいいんですよ。今日のお礼って意味もあるし、それオススメですよ。私は別のにします。…もー、凛ったら」


 ちなっちゃんは、ケーキの箱からシュークリームを自分用に取り出しながら言う。


「この前ね、物件探しでこの近くに凛と一緒に来てた時に見つけたケーキ屋さんなんですけどね、そのモンブランがその店の評判らしくって」


 そうなのか。ちなっちゃんがそう言うなら、ちょっとしっかり味わってみるか…。


「…へー、確かにそんなに甘くなくて、ちょっと深みのある感じのする味。何だろ?ワインかな?」


 すると、横で聞いていた凛ちゃんが。


「御手洗さんってば、あれですか、グルメな人だったり?」

「え?…そんなんじゃないけど、どうして?」

「なんか、テレビで見るレポーターさんみたいだから。アタシそんなの全然わかんない。で、アネキとどういう?」


 凛ちゃんは、俺とちなっちゃんを見比べるような上目遣いをする。ちなっちゃんがそれに返事した。


「だから、ここに来た時に言ったでしょう?お友達だって」

「お友達だって色々あるじゃん。セックスフレンドだってお友達だしさ」


 …なわけねー。


「凛。男の人の前でよくそんなこと言えるね、あんたって子は。御手洗さんは同じマンションでお隣同士で仲良くさせてもらってるだけ」

「あー、そういうのってあるんだ。へー、お隣同士なのか。いいなぁそれ。あ、そうそう、ここのお隣ってどんな人なのかな?いい人だったらいいのになぁ」

「そうね。後でちゃんと挨拶しておいたほうがいいよ。ちゃんと引っ越しの挨拶で渡すお土産もお姉ちゃん買っておいたからさ、…奥の部屋に置いてあった筈だから、ちょっと取ってくるね」


 そう言って、ちなっちゃんがほんの数分、奥の部屋に言っていた間に、凛ちゃんはとんでもないことを俺にヒソヒソ声で言うのだ。


「御手洗さんって、アネキに惚れてるんでしょ?」


 え…。いきなり、何を言い出すんだ?で、一瞬、答えに窮していると…。


「そんなに考え込まなくったってわかりますよ〜。イイコト教えてあげよっか?」

「イイコト、とは?」


 すると、凛ちゃんは奥の部屋でまだ探しものをしているちなっちゃんの様子を、首をそっちの方へ伸ばして伺ったあと…。


「御手洗さん、耳貸して。…アネキ、処女っすよ」


 ブッ!…何なんだ凛ちゃんって。…俺は、目を丸くして沈黙するしかなかい。どう反応していいのやら、呆れたというか、なんつーか。言って良いことと駄目なことってあると思うんだけど…。


 すぐに、ちなっちゃんはこっちに戻ってきて、引越しのお土産品をキッチンの上に置き、そろそろ帰ろう、ということになった。


「じゃぁ、あとはもう大丈夫だよね?」

「うん、夕飯とかコンビニで買ってくるし、大丈夫だよ、取り敢えず。アネキ、色々ありがとう。御手洗さんもありがとうございました」


 というわけで、まだ雨の降り止まない中を帰ることになったのだが、凛ちゃんが別れ際にニヤニヤしながら俺にだけウィンクしてきたのは忘れられない。まぁとにかく、顔がそっくりな、たった一歳違いの姉妹でも性格は全然違うってこともあるのだなぁ、と。…つか、性格はあの子、相当悪いんじゃないか。だから離婚されちゃったのかも知れんし。


 帰路を出発したのは夕方5時前。土砂降りの酷い豪雨で、こっちの帰り道では無事だったけど、市内あちこちで道路が冠水していると、軽トラのラジオから流れてくるニュースでは言っていた。当然、市内どころか隣接県まで大雨洪水警報発令中。なので、冠水こそなかったけど、渋滞がひどい。一時間経っても半分も進まない。来た時には30分で来られたのに…。


「なんかすみません。妹にも重々叱っておきますので」

「あ、いやいや、別にそんな、あんまり気にしないで」

「でも、あの態度酷かったでしょ?もう24歳にもなって一応結婚もしたんだから、ちょっとは大人になって欲しいなぁと思ってたんですけど、まだまだで…」


 なんか、妹さんには相当苦労してるみたいだな、ちなっちゃん。


「いやぁ、俺なんか一人っ子だから、兄弟とか姉妹ってすっげぇー羨ましいよ」

「でも、御手洗さんは御両親はご健在なんでしょう?」

「うん、両親共々、いたって普通。それ以外に言いようがないくらい普通」

「うちは、両親はいないんです。家族はあの子と二人っきり」


 え?…両親がいない?って…。


「小学生の頃に両親を亡くしてるんです。それで、親戚の方に預けられてたんですけど、あちこちの親戚でたらい回しみたいにされてて、それでちょっと妹がグレちゃったっていうか…」

「そうなのか。それは大変だね」

「ええ。でも…あ、すみません、曲がるとこ通り過ぎちゃった」


 こんな大雨だもん。この時間でも真っ暗だし、ずっと地元の俺でも間違えるかも知れん。


「この先の信号2つ目で曲がると良いよ。慌てなくたって大丈夫だからさ」


 そう、慌てなくて全然いい。これはドライブデートなのだ、俺の中ではな。


「なんか暗い話ですみません。私、謝ってばかりですね」

「謝らなくていいのに謝るからじゃん」

「そんな、なんか申し訳なくって」

「申し訳なくなんかないって」

「…御手洗さん、それって…プッ、なんかおかしい。クスクス…」

「え?なんか変なこと言った?」

「だって、クスクス…、なんかツボに…、クスクス、はまっちゃった…アハハ、ゴホッ」


 …実は。「申し訳なくなんかない」ってワザと言ったんだ。あんまり何回も謝ってきて少し辛そうな感じだったから、ふとだけ。それが、まさかそこまでハマるとは全く考えもしてなかった。…つか、何がそんなに面白いのかよく分からんけど。


「ちなっちゃん、ちなっちゃん、笑ってないでちゃんと前見て運転して。もう信号変わって動いてるよ」

「あ、す、すみません」

「まーた、謝った」

「もー、御手洗さんてば、…クスクス」


 …なんかイイ。これ凄く良い感じだぞ、うん。この前の食事会も楽しかったし、いいじゃん、こんな感じ。やっぱこれはデートだ、間違いなく。うん。雨よもっと降れ、冠水したって良いから。渋滞も酷くなっていいから。頼むよ、ホント。


「そうだ。ちなっちゃん、ちょっとさ、お願いがあるんだけど」

「え?なんですか?」

「その、…御手洗さんって呼ぶのやめようよ。俺もちなっちゃんって呼んでるんだからさ」

「えー。下の名前、とかですか?」

「そうそう。俺みたいにタメ口はまだ無理かもだけど、…いやタメ口でも別にいいんだけど、「隆君」でも、「隆さん」でもいいからさ。「御手洗さん」って呼ばれるの、なんかムズ痒いっていうかさ」

「えー。…分かりました。ですよね、私も私から「ちなっちゃん」って言えってお願いしたんですものね。じゃぁ、言いますよ。…、ゴホンッ」

「そんな、タメまで作って言うこと?」

「たかし、…、…、さん?」

「はい、何でしょうか?…つか、なんか照れるよな」

「なんでですかー?御手洗さんがそう呼べって言ったんじゃないですか。もぉ、…クスクス」


 うはっ。やっべ、この空気。イイ感じすぎる。…あ、こら、雨あがるな!もっと降らんか!



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