第18話 夜の公園にて。

 ちなっちゃんとレンタカー屋さんの前で別れたのが午後七時。最初が午後二時だからトータルで五時間も一緒にいた、つまりデートしてた計算になる。それで俺の方はクリーニング屋さんに出してたスーツを取りに行ってから帰宅。ちなっちゃんはどこ行ったんだか知らん。…あ、そうそう、ちゃんと「たかしさん」って呼んでくれるようになったよ。ひゃっほう。


 でね、自宅に帰るまで全然気付いてなかったんだ。夕方五時くらいにケイからメッセージが入ってたのを。


「どっかで茶でもしばくか?」


 どこの方言だよ、それ。…えっと、ちょっと遅れたけど、行けるかな?


「駅前のミスドで8時集合でいいのなら」


 って入れたら即オッケーが出たので、ミスドへ向かう。ケイは少し遅れてから来た。


「なんだ?ドーナッツ四個も食べるの?」

「違う。一個はすでに食べた。今日の晩飯はこれで済まそうかなと」

「全然落ち込んでなさそうだね。意外とショックも小さいの?」


 ショックどころか。


「ふふふっ。…俺は今、非常に気分がいい」

「あれ?引っ越しは?違うの?」

「いや、引っ越しはあった。しかも引っ越しがあったからこそ気分がいい。だからこうして、豪勢なディナーを楽しんでいる」

「ちょっと、ふざけてないで、真面目に話してよ。一応心配してたんだから」

「ごめん。いや、あのね、ちなっちゃんの引っ越しじゃなくて、近くにちなっちゃんの妹さんが引っ越してきたってことだったんだ」

「なーんだ、そうだったんだ。心配して損した。じゃぁこのコーヒー飲んだら帰るわ」

「え?もう帰るの?」

「だって、なんかうまく行ってるんでしょ?だったら私なんかと話するより、ちなっちゃんと話した方がいいじゃん」


 あ、そう。今日のケイって、なんかえらく冷たいな。色々また報告しようかなって思ってたのになぁ。……いや、待てよ。ケイが冷たいんじゃなくって、俺のほうがテンション高いのかも。昨日から、上がって、そこから一旦ドカンと下がって、また今日になって上がるって、ちょっと上下動激しすぎたからかな。要するに俺は浮かれてるってわけか。


「…うん。わかった。じゃぁ、俺一人でドーナツ楽しんでおくことにする」

「そうしな。良いことあったんなら、一人で余韻に浸るのもいいかもよ。隆って昔からそういうの好きじゃん」

「まぁね。…あれ?」


 ふと、ミスドの外、道路挟んで向こう側に見慣れた顔を見つけたような気がした。


「どしたの?」

「あれって、もしかして、優作君?」

「えっ?どこ?」

「ほら、道路の向こう側。ほら、あそこ、今、自転車に乗ろうとしてる」

「…あ!あいつ、あそこ、パチ屋じゃんか!、ごめん、ちょっと行ってくる」


 ケイは急ぎ足でミスドを出ていったかと思うと、車道をそのまま横切って優作君のいるところまで走った。


 最初は、その自転車のところで立ち話してるだけのように思って眺めてたんだけど、なかなかその場から二人共立ち去ろうとせず、どうも何か言い争ってるような、ほとんど一方的にケイが怒ってるみたいな雰囲気だった。その傍を通る人もほとんどみんな二人を眺めるようにして通り過ぎてる。


 十分くらいだろうか、やっと終わったようで、優作君は自転車に乗って何処かへ走り去ってしまい、ケイはまたミスドに戻ってきた。


「何かあったの?」


 ケイは対面に座ると、背もたれにもたれかかって腕組みし、大きく「はぁ〜っ」と溜め息をつく。


「あのバカ、ふざけやがって。信じらんない。ったく…」


 やっぱりかなり怒ってんだな、ケイ。優作君、何したんだ?


「優作さぁ、今日はハローワークに行ってた筈なんだよね。昨日の晩に約束させて、今朝も優作に何度も確かめて、本人も「行く」って言ってたのに、朝からずっとパチンコ屋に入り浸ってたんだって。…唖然として、言葉も出ない」

「え〜。マジで。優作君、またなんでそんなだらしないことを…」

「ほんと、呆れ返っちゃう。…もう、どうしたら良いのかわからない。情けなくなって…」


 ケイはとうとう、俺の前で泣き始めた。俺はそれを黙って眺めるしかない。そりゃそうだよなぁ、俺にまで仕事先紹介してって頼むくらい、弟の優作君を思ってたんだもんなぁ、ケイって。それを裏切られたってことだから泣きたくなるのは当然だよ。俺にはなんにも力になれないけど、何とか出来るなら何とかしてやりたいんだが…。


 声こそ出さなかったものの、しばらく顔中グッチャグチャにするくらい泣き続けて、やっと少し落ち着いたかなと思ったら、目でそろそろ出ようって合図してきた。


「ケイ、家まで送るよ」

「いい…」

「ダメダメ、ふらついてるじゃん。自転車で来たんだろ?危ないよ、そんなんじゃ」

「うん…ごめん」


 駅前のミスドからは、俺のマンションとは反対方向に五百メートルほどの距離に神崎家がある。ちなみに、その斜め向かい側が俺の実家だ。ちょうどそのミスドの直ぐ側には地元の中学校があって、神崎家までケイを送り届けるその道は昔、二人とも通学路にしていた、通い慣れた道だったりする。俺の方は駅から反対側だから、あんまり最近は通ることも少なくなって、たまにこうして通るとちょっと懐かしかったりする。


「ケイ、大丈夫?もう泣き止んだか?」

「うん。なんとかね。…なんか今日は冷たくしちゃったみたいでゴメンね」

「いや、それは俺の方が浮かれ気分だったからさ。気にしてない」

「…隆、やっぱり気にしてたんだ」


 あんだけ泣いててもそういうところは鋭いんだな…。


「いちいち言わなくていいから」

「ううん、…ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだよ、……妬けちゃった、かも」

「妬けた?って」

「だってさ、隆とちなっちゃん、うまく行ってるんでしょ?」

「あ…、まぁ、そうかな」

「あたしの方は、最近ちっともいいことないからさ」

「でもケイは彼氏いるじゃん」

「…いない。言ってなかったね。少し前に別れたよ」

「あのホテルマンの人とはもう別れてたのか。それって早すぎないか?」


 同じ職場のホテルで知り合ったフロントの男性と付き合い始めたって聞いたのが、ちょうど一ヶ月前。


「だって、あの人、奥さんいること隠してたんだもん。不倫なんか絶対イヤだし」

「そうなのか。そりゃ駄目だな」

「ちなみにちなっちゃんは当然、彼氏はいなかったんだよね?」

「え?ああ、多分。直接は聞いてないけど」


 妹の凛ちゃんも「アネキ、処女っすよ」とは言ってたから、多分そうかと。


「やっぱ彼氏欲しいなぁ。まともな人だったら誰でも良い」

「たまには、しばらく独り身で過ごしたら?」


 ケイは、ほとんど隙間なく、彼氏がいる状態の生活を送ってるからね。


「それもいっかなぁ。…どうしても寂しくなっちゃうんだよね。なんでなんだろうね。…あ、あそこの公園でちょっと休もうよ」

「うん、別にいいよ」

「あたしもう大丈夫だし、公園まででいいよ」


 夕方まで降った大雨で水溜りだらけの公園。もちろんそこは、ケイともよく遊んだ公園だ。夜の公園なんて初めてだと思うけど、公園の片隅では剣道の竹刀を降って練習している中学生くらいの男子が一人いた。僕らはそことは反対側のベンチに腰を下ろした。


「ここも昔とぜんぜん変わんないね」

「うん。もしかしたら赤ちゃんの頃から来てた筈だよな、俺ら」

「生まれてからずっと地元民だもんね。あの子、大会でもあるのかな?」

「かもな。剣道とか大っ嫌いだけど。臭いし痛いし」

「でも、公園って良いよね。大きな公園より、こういうさ如何にも町の公園って感じの方がアタシは好き」

「俺は…、そもそも公園なんか縁ないし」


 公園って、夏は暑いし、冬は寒いし、雨降ると遊べないし、怪我もするし、虫には刺されるし、今だってリーリー秋の虫の鳴き声がうるさいし、実は昔からあんまり好きではなかったりするんだな、これが。


「そうでもないよ。もしさ、ちなっちゃんとデートするくらいの仲になってさ、行くとこ困ったら、公園に行けばなんとかなるよ」

「そんなもんなの?デートなんか…、えっと、したことないから分からん」


 しかし、今日のあの五時間は俺にとっては少なくともデートだと言い張りたい…。


「じゃぁ、やってみる?」

「やってみる、とは?」

「予行練習」

「それ、何の話?」


 すると、いきなりケイは、口を尖らせつつ、頬を膨らませて俺を睨む。


「いやだから、予行練習って何のことなのか、さっぱりなんだってば」

「いいから、黙ってじっと私の目を見て」

「目?」

「そう、じっと見つめたまま動かさずに。はい、やって!」

「わ、わかったよ」


 言われるがままに俺はケイの目をじっと見つめたんだ。そしたら、ベンチの上で、ケイがするするっと間を詰めてきて、俺の横にピッタリくっついて来て、顔をこう、ゆっくりそのまま俺の顔に近づけてきて…。それで心臓が急にドキドキしてきて体中から汗が吹き出てきたような感覚になってきて…。


「隆、目をゆっくり閉じて」


 え?何?え?なんで?そ、そんなまさか?

 って感じで十秒くらい目を閉じてても何も起こらないから、あれ?って思ってたら…。


「はい、予行練習おしまい」って。


「ちょっと、何なんだよ、これって」

「だから、予行練習って言ったじゃん。隆って経験ないからさ、ほら、あの中学生剣士みたいに練習させた方がいいんじゃないかと思ってさ」

「もー、ドキドキしちゃったじゃんかよ。ちなっちゃんとは別にまだただの友達なんだからさ、そんな練習いらないってば。お前悪趣味だろ、それ」

「へへへ。ドキドキしたのか。27にもなって可愛い奴だな」

「うるせぇっつ~の。もう帰ろうよ」

「うん。帰ろう帰ろう」


 公園の出入り口まで二人で歩いてたところまでは覚えている。気がついたら、俺は救急車で病院に運ばれるところだった――。

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