第15話 お友達になれたと思ったら…。

 完全なる想定外の事態だ。マジでか…。ちなっちゃんの部屋に訪問って、嘘だろ。夢でも見てるんじゃないのか? いや、これは間違いなく現実だ。いいのか?…いや、いいんだろ、ていうか誘ってるんだから全然いいんだよな、ちなっちゃんの部屋に入っちゃって…あ、いや待て。


「あの、すみません」

「はい?」

「ちょっと、着替えます」

「え?そんな、そのままで全然構いませんよ?」

「いえいえ、すぐ着替えてから行きますので、少し待ってて下さい」

「…じゃぁ、お待ちしてます」


 バタム。一旦俺は着替えることにした。だって、こんな、三日間も洗わずに来てるトレーナーとジーパンじゃ失礼かな、と。確か、クローゼットにまだ買ってから一度も着たことのない新品のカッターシャツあったよな…、あ、あったあった、これだ、この水色のストライプのやつ。それと、滅多に履かない白のジーパン。靴下も臭くないよう新しいの履いておこう…、靴は、いやそれは隣だからサンダルでいいか。よし、行くぞ。


 ピーンポーン。…カチャッ。


「どうぞ」

「じゃぁ、お邪魔します」


 緊張しつつ、玄関の狭い土間でサンダルを脱いで、自分でそれを揃えながらDKに入ろうとすると、入ってすぐのところは天井近くにつっかい棒を利用して白い薄手のカーテンが床までの長さで掛かっていて、「なるほど、こうやっておけばドアが開いても部屋の中が覗き見されないってことか」などと一瞬だが感心したり。


 先にDKに入ったちなっちゃんの後を追うように、そのカーテンを開けると…、うわっ!めっちゃくちゃ豪勢じゃんか!何だこれは?


「どうぞ、そちらにお掛け下さい」


 決して広いとは言えないそのテーブルの上には、色んな食材がお皿やトレーの上に載せて所狭しと置いてある。…あれは、エビだろ、それに、かぼちゃ、さつまいも、玉ねぎのスライス、ウィンナー、舞茸、アスパラガス、茄子、レンコン、鶏肉、ちくわ、大葉、あとなんか端っこの方に串刺しのものまである。で、テーブルの中央には油の入った電気フライヤー。


「ちょっと狭くて申し訳ないかなぁと思ったんですけど、御手洗さんのハンバーグと一緒で作りすぎちゃって」

「いやぁ、こりゃびっくりしました。…え、これを一人で?」

「いえ、昨日から準備はしてたんですけど、ちょっと少ないかなぁと思って追加したらこんなことに。あ、御手洗さんはビールでいいですか?」


 グレーのパーカーにデニムのクラッシュジーンズ姿のちなっちゃんは、肩までの髪の毛を後ろに一箇所でまとめていた。スーツ姿とはまた違ったイメージ。普通の女の子って感じ…当たり前か。


「ビールまで頂けるんですか?」

「どうぞどうぞ、あとワインと缶チューハイもありますよ?」


 ちなっちゃんは、缶ビールを俺の方に置いて、ちなっちゃん自身は缶チューハイだった。


「でもこれ、凄いなぁ、…俺、この前はたかがハンバーグ一個ですよ?」

「あのハンバーグ、ほんとにマジですっごく美味しかったですし、私なんか量で誤魔化すしかないかなって。えへへ」

「実はハンバーグしか、他に取り柄はないんですけどね。で、ここの食材をこの油で揚げていくんですよね?」


 その時、ちなっちゃんは缶チューハイを慌ててテーブルに置いた。


「あ、すみません、そうなんですけど、先に揚げたのがもうこっちにあって」と座ったままキッチンに手を伸ばしてお皿を取る。

「わー、かき揚げだ」

「あんまり上手に作れなかったんですけど、お口に合えば…」

「じゃぁ遠慮なく」


 サクッ。うまっ。こりゃ美味い。俺はかき揚げの一つを十分味わってから胃袋にしまいこんだ


「凄いですよ、かき揚げなんて揚げ物の中でもダントツでめんどくさいのに。これ美味いっす」


 ちなっちゃんは次々に食材をその電気フライヤーで揚げ始めた。


「よかったぁ。自分で作ったのなんて自分でしか食べたことないので、不味かったりしたらどうしようかと思ってたんです。じゃぁどんどん食べてくださいね」


 めっちゃ美味いって。そりゃ、レベルから言ったら神埼のおばさんの方が上だけど、あれはほとんどプロだし、そこを差し引いたら、全然こっちのかき揚げも負けてない。…いや、作ったのはちなっちゃんなんだから、こっちの勝ちだ。圧勝と言っても過言ではない。なんたって、目の前で揚げながら美味しい出来たてを頬張りつつ、ちなっちゃんだぜ?あの憧れの。こりゃプロでも勝てんって。


「御手洗さん、御手洗さん、それ変ですよ」

「ん?何が?」


 と、ちなっちゃんが俺の方に手を近づけてきたので少し焦ったんだが、その手は俺の左胸の方で、何かをビリっと剥がした。


「買ったばかりの服は気をつけましょうね。ふふふっ」


 ちなっちゃんがひらひらさせていたのは、新品の服についているサイズを示すシールだった。素直に恥ずかしい…。


 あとはもう楽しく食事を進めるだけだった。…いや、単に楽しいなんてもんじゃなかったんだ。結局、食事の後片付けまで俺は手伝ったりして、ふと時計を見ると十一時半にもなっていたし。途中お酒が足りなくなって、俺の部屋から持っていったりもした。


 そこまでの会話で、ちなっちゃんについて色々知ることが出来た。


 年齢は想像通り、25歳。職業は中規模の商社勤務で、営業担当だって言うんだから凄い。海外で赴任していた経験もあるんだとか。だから、英語とフランス語と中国語がペラペラレベルっていう才女。かっこいいなぁ、って言ったら「単なる便利屋稼業みたいなものですよ、実態はすごく地味」なんだとか。とにかく、お互いに全然相手の職種を知らないものだから、仕事の話が大半になった。あと、山本の話しも少しした。さすがにハンカチの件は言わなかったけどね。


 ちなっちゃんが、ここに引っ越してきたのは約一ヶ月前。俺はちなっちゃんのことは先週、洗剤貰うまで全く知らなかったが、ちなっちゃんは引っ越してきてからすぐに知ってたらしい。引越しの挨拶もちゃんとしたって言うんだが、記憶がまったくなくて「嘘だろ?」って言うと、「ひっどーい」と怒られてしまった…軽くね。引っ越してくる前が中国の深センってところ。その深センでの話がかなり面白かったんだがそれは長くなるので割愛。


「…櫻井さんてさぁ、思ってたより全然普通だよね」

「それどういう意味なんですか?ていうか、どう思ってたんですか?」

「いやぁ、何ていうか、見た感じ、別世界に住む人みたいに思ってて」

「別世界って…、同じマンションに住んでるじゃないですか。それに…その、櫻井さんって止めません?」

「櫻井さんだから、櫻井さん、ってだけだけど?」

「ちなっちゃん、でいいですよ。みんなもそう呼んでくれますし、海外でもちなっちゃんですし。えへへ」

「へぇ、海外の人でもそう呼ぶんだ、ちなっちゃんのこと」

「そうそう、そんな感じで遠慮なく呼んでください。…でも、今日はほんとに楽しかったです」

「うん、俺も楽しかった」

「…こっちに引っ越してきてから、近所には知ってる人は誰もいない単身赴任みたいな感じですし、ちょっと寂しかったんですよ。友達とはSNSで連絡は取ってるんですけど、あとは仕事が友達なだけだし。会社の人とは遊んだりもしますけど、やっぱり会社の人は仕事上の付き合いってだけだから」

「そうだったんだ。じゃぁ俺が友達申請したっていうのは、ある意味、バッチリだったんだ」

「最初は、ちょっと警戒しましたけどね。変な人だったらどうしようって。えへへ」

「だよなぁ。最近はニュースとかでも、同じマンションでストーカー被害とか殺人事件とか物騒だもんね」

「私もストーカー被害とかありましたよ、昔。もう怖くて怖くて。でもこんな仕事なので割りとすぐ引っ越しで助かりましたけどね。それでね、御手洗さんはどうなのかなぁって少し不安はあったんですけど、あんな美味しいハンバーグ作れる人に絶対悪い人なんていないって確信したんです」


 …いや、ちなっちゃん、それ、かなり危ない確信だと思うぞ。信用してくれて嬉しいけどさ、ハンバーグが美味しいのとは何の関係もないと思うんだが。って言いたくなったが止めた。時計の針が十二時を指す手前だったので、流石に帰らなきゃって思ったからだけど。


「じゃぁ、そろそろ戻るね」

「え…あ、もうこんな時間なんですね。夕食付き合っていただいてありがとうございました」

「お礼をいうのはこっちの方だよ。美味しかったし楽しかったし。またやろうよ」

「そうですね。…あ、携帯の番号交換しませんか?」


 わお!やったー!携帯番号までゲットできるとは、…隣だから別にいいって気もするけど、素直にこれは嬉しい。ちなっちゃんの電話番号で電話してお互いにゲット。で、もう戻らなきゃって、俺は玄関でサンダルを履いてたんだ。そしたら、ちなっちゃんが、またしても後で気になって仕方がないことを聞いてきたんだよね。その時は、すぐにもっと気になることがあったので、特に気にはしなかったんだけど…。


「あの、最後にひとつだけ質問させてもらっていいですか?」

「いいけど何?」

「御手洗さんって、出身はどちらなんですか?」

「ああ、この辺。実家は割とすぐ近所にあってね」

「やっぱり…」

「やっぱり、とは?」

「あ、いえいえ、何でもないです。それじゃぁ、おやすみなさい」

「おやすみ」


 バタム、と、ちなっちゃんの部屋から出てドアを締めた直後は、その「やっぱり」が引っかかってたんだけど、自分の部屋に入ろうとしたら、ちなっちゃんの部屋の方から電話で誰かと話してる声がふと聞こえて。で、駄目かなぁと思いつつ、ドアから漏れ聞こえるその声に聞き耳を立てちゃったんだよね。だって、ちなっちゃん、明らかになんか怒ってるんだよ。


  …だからさぁ、なんでそんなに急なの?

  …ええ?おかしいじゃんそんなの。

  …私、この前ここに引っ越してきたばかりだよ?

  …それは仕方ないと思うけどさぁ、急すぎるよ、そんなの。


 みたいな、なんか揉めてるような揉めてないような話で、ちなっちゃんも色々あるんだなぁ、とか思いつつ、まぁあんまり盗み聞きなんかしないほうがいいよなぁと思って部屋に入ろうとした、その直前だったんだ。


  …分かりました。じゃあ引っ越しは明日なのね。これから用意しておくけど。


 え?…何?明日、引っ越し?

 誰が?…って、え?ちなっちゃんが?

 今、仲良くなれたばっかなのにか?

 そ、そりゃないよ〜。

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