第42話 火事の真相

 ちなっちゃんは、テラスの外側、土砂を積載した船がゆっくり移動するその川面に視線を移し黙っている。少し風が流れて彼女の前髪が揺れると、額を開けるように髪の毛を何度か梳く。俺はただ何度か、ゴクリと唾を飲みじっと返事を待つしかない。やがてその視線は、一瞬だけ俺の方を向いたかと思うと、テーブルに置いたままのコーヒーカップを軽く掴むようにして持つその手に移る。親指がカップの外側を撫でている。


「……たかしさん、その前に言わなければならないことがあります」


 ――その話を今このタイミングでするのかと、少し予想外だったが、俺は薄々ちなっちゃんもわかって来たのだろうと思った。だから少し緊張したけど、ちなっちゃんの話をじっくり聞くことにした。


「最初、まさかと思ったんです」

 俺は、コーヒーカップを皿ごと左手に持ち、スプーンでゆっくり三回程掻き混ぜてから、その縁を口元へ運ぶ。

「まさかそんな筈はない。あの隆君がこの世に存在している筈がない、って」

 ――そこまでは考えなかった。俺ほどではないとしても、ちなっちゃんも記憶が薄らいでよく思い出せなかったのかと思っていたのだけど。

「どうして? あの頃、報道は大々的にされていたから知っていた筈だと思っていたけど?」

「重体だった、とは聞いてました。でも、父も母も亡くしたあの頃、正常な判断は出来ない状態だったんです。だから、重体なら死んだんだろうと、勝手にそう思ってしまって……」

 ……そうだったのか。だから、最初あんなに不思議そうに何度も俺のことを舐め回すようにじっくり見つめてたのか。

「それに、誰が私たち姉妹の面倒を見るのかって、親類同士でかなり揉めたりして、その後もきちんと報道を調べることも出来なかったから」

 隣にいた、女子大生と思しき三人組が席を立ち、少し賑やかだったテラスも静かになった。

「でも……隆君が死んだと思い込んでて、あの時、私が隆君を死なせてしまったのだと、自分を酷く責めて、苦しんで、苦しんで、……最初は訳がわからなったけど、隆君は死んでなかったんだって分かった時、……本当は私、パニックだったんです」

 多分そうなんだろう、とは思ってた。それで、おそらく、、過去には目を閉ざしておこうとしたんだろう。俺がケイに自分の本当の気持ちを伝えなかったように、ケイが真実を俺に言わなかったように――。


 ***


 今から十六年前、俺が小学五年生で夏休みが明け学校に通いだした頃、小学校近くの文房具店『寺西文房具店』に一匹の黒の芝犬、三太がいることを知った。


 ある日、その文房具店の前を通ると、その三太が俺に吠えてきた。少し怖かったけど、俺は給食で残したパンを放課後、食べながら帰宅することが多かったので、ふとそのパンを三太に見せると喜んで食べてくれたのが、三太と仲良くなったきっかけだった。それからは給食でパンが出る度に、毎回のように三太に持って行って食べさせてた。そのうちに、俺が近づくだけで、遠くからでも喜びの鳴き声で俺を受け入れるような仲になり、やがて三太もパンなどどうでもよくなり、俺も三太のことが大好きになった。


 それで、その日もそんな風に店の前で三太の頭を撫でてパンを食べさせていると、そのことは当然お店のおばさんも知っていたけど、今からお父さんが散歩に連れて行くから一緒に行ったらどうかと言われた。もちろんすぐオッケーした。すると、店の奥から二歳学年下の当時小学校三年生だった寺西千夏、ちなっちゃんがお父さんに手を引っ張られるようにして出てきた。


 今も昔も変わらず、俺は一瞬で恋に落ちた。――彼女は当時から俺にとって、眩しくて仕方がないそんな存在だった。


 それからは、俺も塾へ行ったり、ちなっちゃんも習い事などがあって、そんなに頻繁ではなかったけど、最初に出会った日と同じように、三人で一緒に三太の散歩について行ったり、ある時にはちなっちゃんのお父さんなしで、俺とちなっちゃんの二人だけで三太を公園に連れて行き、日が暮れるまで一緒によく遊ぶような仲になった。


 そして、俺が六年生に上がって間もない五月、ケイがイギリスから帰ってくる直前、ちょうど俺の誕生日にちなっちゃんから誕生日プレゼントを貰った。その誕生日プレゼントに添えられていたバースデーカードに、「大人になったらたかしくんとけっこんしたいです」と書かれているのを見つけると、飛び上がるほど嬉しくて、その場で、ちなっちゃんに向かって「うん」と言い、二人で「約束だね」と指切りげんまんもした。――だけど間抜けな俺は、そのことをイギリスから帰ってきたケイにそのまま伝えてしまい、その場でケイにビンタされて、「隆君とは絶交だ!」とまで宣言されてしまった。


 そしてとうとうあの日がやってきた、七月十五日――。


 俺もちなっちゃんも短縮授業で、セミがあちこちで鳴き始めていた、まだきつい日差しが照りつける中を、いつものように二人で三太と一緒に近くの公園に出かけて、一通り遊んで寺西文房具店に戻ってきたその時だった。


「隆君、あれなんだろう?」

 ちょうど、文房具店に面する道路の反対側の歩道を歩いてた時だった。その手前にある交差点を渡ると、すぐ文房具店というところまで来て、店の軒先から煙か火のようなものが見えた――かと思うと、すぐに炎が入り口から飛び出すようにして店のテントに火が燃え移った。

「え? あれって火?」

 何が起こり始めていたのか、さっぱりわからず、二人ともその場で呆然としていると、いきなり三太がちなっちゃんが手に持っていたリードを振りほどいて、店に向かって吠えながら駆け出し、そのまま中に入って行ってしまった。


 「三太! 行っちゃダメ!」と叫んだのはちなっちゃんだった。俺はまだ事態がなんなのかわからず、立ち尽くしていると、店の中から何人かの小学生が飛び出して来た。その間にもすごい勢いで火勢は増している。二階にもあっという間に燃え広がった。

 かと思っていたら、三太に続いてちなっちゃんも店に向かって駆け出し、まだ火が燃え移ってなかったいつもの入り口とは道路に面して反対側にある入り口から、中に入っていってしまい、やっとそこで、目の前でとんでもない事態が進行していることに俺は気付いた。


 周辺に住んでた人たちも何人かは既に、火事に気付いて外に飛び出してきていた。その時、俺は慌てふためいてほとんどパニックになりながらも、「ちなっちゃん!」と何回も叫びながら、周りの人の制止も聞かずに、ちなっちゃんが入っていった、そのまだ火が燃え移ってない入り口から後を追うようにして中に飛び込んだ。


 するとちょうど、反対側の入り口から中に入った三太が、店の中で炎に囲まれて立ち往生していて、ちなっちゃんがどうにかしてサンタのところまで行こうとするも、暑くて煙たくて行けずにいる姿があった。俺はとっさに、店の商品の置いてある棚の下を這って行けば三太を助けられると思い、「俺が行くから、ちなっちゃんは早く外に出て!」と叫んで、棚の下の荷物をどかし始めた。ちなっちゃんは俺の後ろから何度も「隆君、三太を助けて!」と声をかけていた――。


 これがあの火事の真相だった。その後二人とも逃げ遅れてしまい、駆け付けた消防士に助け出された時には、俺は火傷は酷くはなかったものの重体で意識不明、ちなっちゃんは背中に大火傷を負った。

 ただし、そのデートの日に全て思い出していたわけではなく、その時点ではまだぼんやりと少ししか思い出せてはいない。以上は、後々になって、徐々に思い出していった記憶の断片を含めて推測で繋いだものである。


 ***


「それで、あの写真を見た時、ちなっちゃんはあんなに吃驚したんだ」

「……はい。隆さんは全く覚えてないんだろうとばかり思っていたので、まさか昔のことを知ろうとしてるだなんて思ってもみなかったから」

 コーヒーはとっくに冷めて常温になっていたが、俺はそれを一口だけ啜った。

「いや、今も全然思い出せないよ。まだまだ俺の記憶はそんなにうまく繋がったわけじゃない。ただ、――夢が教えてくれた」

「夢?」

 ――遠くで船が警笛を鳴らす音が響く。多分さっき川を通り過ぎて言った砂利運搬船が別の船とすれ違ったのだろう。

「うん、たまにね、変な夢を随分前から見るようになってさ。同じ夢なんだけど、ほら、友達の神崎恵子ってこの前会ったじゃん?」

「ああ、あの泊まったっていう」

「そう。あの子の弟が、ちなっちゃんと同じ小学校にたまたま通っててさ、当時の写真を見せてもらって、ちなっちゃんの写ってる写真見つけてさ、それをじっと長いこと見つめてたら、ああ夢の中に出てくるあの子ってちなっちゃんだったんだ、って見えて来たんだ」

「どんな夢なんですか?」

「夢だからわけわかんないんだけどさ、三太も出てくるし、火事の時の叫び声も出てくるんだけど、何回その夢を見てもずっと、ちなっちゃんだけが誰だか分かんなくて」

「変な夢ですね」と言ってちなっちゃんは笑みを浮かべた――。


 風が微風から弱風くらいに変わりつつあり、ちなっちゃんが髪の毛を抑えたりすることが多くなって来た。でも店を出る前にやはり答えを聞かなきゃいけない。


「ちなっちゃん、それで返事は?」

 すると、ちなっちゃんは少しだけ口を開いて、何故だか少し意地の悪そうな笑みを浮かべながらこう言う。

「それ、言わなきゃダメですか?」

「うん、ダメ。はっきりさせとかないと、何かとさ」

「何かと? 何ですか?」

「だからその……隣同士だし、色々あるじゃん」

「色々とは?」

 何だよ?、ちなっちゃん、さっきからニヤニヤニヤニヤと――。

「だったら、言わなくていいよ。その代わり……」

 俺は周りの人に聞かれたら不味い、というような素ぶりでテーブルの上に身を乗り出し、右手で手招きしてちなっちゃんに顔をこっちに近づけるように指示。

「もうちょっと近づけて」

 と言ってすぐ側まで近づけ、ちなっちゃんの顎の辺りに指を当てて顔を正面に向けさせると――。


 ちなっちゃんはゆっくり椅子に深く座りなおして、しばらく俯き加減で恥ずかしそうな、それでいて悪戯っぽく上目遣いに俺を見つめたかと思うと、黙って軽く頷いた。


 ――オッケーってことなのかな。


 それで、店を後にして、二人仲良く手を繋いで、枯れ葉の舞う繁華街を駅に向かって歩いてた。その最中、ふと、どうしてこのタイミングで、ちなっちゃんは、過去のことを言おうとしたんだろう? って――。


 




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