第41話 ビンタ

 スマホにはケイからのメッセージや電話の着信が何度も入っていたが、とても見る気にも取る気にもなれなかった。お腹も減っていたけど、食事する気にすらなれない。――あまりに衝撃的なケイについての二つの真実が重すぎて。


 一つは、今現在、ケイは俺が好きだと言う真実。もう一つは、ケイはちなっちゃんの小学生時代のことを知っていたという真実。さらに言えば、二つとも俺に隠していたという真実。前者については理解出来なくもない。俺がちなっちゃんにしか目が向いていなかったから、言い出せなくなった、みたいな風に考えれば。


 でも後者については俺にはどうしても納得できない。俺の前では全く知らないふりをして、俺と同じように驚いて、俺に協力までしてて、実は知っていただなんて。虚仮にされたみたいだ、これじゃ。

 なぜ言わなかったんだ? どの時点からちなっちゃんが寺西千夏だったと気付いていたのかは知らないが、酷過ぎる。ちなっちゃんが過去どうだったかなんて、ケイには何の関係もないじゃないか。


 ……でも、ケイは俺にあのノートを見られたって、気付いてないよな。だったら、何食わぬ顔して、黙っていようか。ケイだって俺に対して平然と知らないふりをしてたわけだし。悪いとは思うけど、今の俺にはケイの気持ちには答えられない。もう少し前なら答えられたかもしれないけど、今の俺にはちなっちゃんしか考えられない。

 どうして好きなら好きと言ってくれなかったんだろうかとも思うけど、もしかするとケイも俺と同じように幼児の頃に約束した「けっこんしようね」が変な呪縛になって――。


 あれ? 待てよ。あの「私は千夏さんのことをあの頃も知っていた」と書かれていたその続きって確かこう書いてあったよな……。


 ――小学生六年になって、隆が私に好きな子が出来た――


 それって、もしかして、まさかちなっちゃんのこと? 俺が? 小六の時に、ちなっちゃんのことを好きってケイに言ったってこと? もちろん小六の時だから俺には記憶はないけど。でも、そうすると、ほんの僅かに思い出したかもしれないあのことに繋がるかもしれない――。


 俺は、ケイの部屋で探して持って帰ってきた優作君の小学校時代の写真を、急いで紙袋から取り出し、一枚一枚丹念に詳しく観察しながら、そのうち何枚かをPCに取り込み、その一枚一枚を拡大したりして、夜遅くまで徹底的に調べ上げたら、見つかった。


 実は、以前に奥井君から借りていた写真はやや不鮮明で、小学生時代のちなっちゃんの顔を確認するのにはいくらPCで補正や加工をしても限界があった。だから、可能性として、自分自身の閉ざされて思い出せない記憶の中にあるかもしれないイメージと一致しないので、脳内のニューロンが反応しない的な可能性もあるのではないかと思っていたのだ。もちろん素人仮説に過ぎないが。


 だけど、もしもっと鮮明な写真を得られたら、脳内ニューロンが反応して、それを契機に自分の記憶を蘇らせることも出来はしないか、などと思ったのである。当てずっぽうに過ぎないかもしれないが、やらないよりはいい。ちなっちゃんは完全否定するし、ケイはあんな調子だから、もはや自分の閉ざされた記憶の中を辿るしかないかな、と。


 見つけたのは計二枚。どうやら優作とはクラスが違ったようで、クラスの集合写真には見当たらなくて苦労したが、二枚とも三年生くらいの遠足の写真に偶然ちなっちゃんらしき生徒が写り込んでて、PCで拡大すると、補正しなくても奥井君の写真よりはずっと鮮明なイメージになった。しかも今のちなっちゃんにすごくよく似ている。


 俺は寝るまでの間ずっと、その二枚の写真を延々と見つめ続けた――。


 ***


 日曜日。何時まで起きてたかも覚えてないが、朝八時くらいまで寝てしまった。実はあの夢を見られるかもしれないという期待もあったんだが、見ることは出来なかった。明晰夢みたいに、見たい夢を自由に見る方法でもないのかな。


 テレビを着けたら、ちょうど天気予報。今日は一日穏やかな天気だと言っている。カーテンを開けて外を窓越しに見ると、雲は多少あったが、確かに心地好さそうな日差しが差していた。――よし、ならばデートしようと思い立った。


 昨晩はおやすみメッセージのやり取りはしたけど、そんなことは一言も言ってない。もちろん無計画。でも、隣に住んでるるから直接言いに行けばいいし、断られりゃ諦めれば済むだけだし、と思って。

 直接聞きに言ったら、すぐにオッケーが出た。ただし、午前中は妹の凛ちゃんと用事があるからということで、午後一時に映画館の前で待ち合わせ、ということになった。その場の思い付きだが、御崎さんに以前貰った無料映画鑑賞券をやっと使う機会に恵まれたってことである。


 ――それで、朝ごはんをご飯と味噌汁だけで軽く済ませて、午前中はぼーっと過ごそうかと思っていたら、十時くらいにインターフォンが鳴った。受話器に出るとケイだった。


「おはよー、たかし」

 なんでこんな時に……。

「おはよー。なんか用?」

「……ドアをノックしなきゃ開けてくれないの?」

 まいったな。顔合わせるのは、気が進まないんだが仕方ない。止むを得ず、ドアをゆっくり開けると。そこには無表情のケイが立っていた。

「なに? 朝からどうしたの?」

「……」

 ケイは黙ったまま、俺が部屋の土間から出ないで五十センチほど開けていたドアを、もっと外側へ自分でゆっくり開き、肩幅より少し股を開いてから、ドアの開口部がそこで固定されるように自分の足で止めると、上下の唇を口の中に巻き込んだ。

「黙ってちゃ……」


 ――俺がそう言い終わらないタイミングで、ケイの右掌が俺の左頬に最大戦速で打ち付ける。一瞬で、俺の腰から上、首までが右方向にまるで雑巾をきつく絞るかのように大きく捩れてしまうくらいの破壊力。当然、廊下中にこだました。


「痛っ! 突然何を……」

「スッキリした! じゃな!」

 そう叫ぶようにいうと、ケイは即座に踵を返し、早足で階段室へ向かい、そのまま降りて行った。

 いったい何なんだ? それにしても、痛ってぇな。――部屋に上がって鏡を見ると、左頬が完熟トマトかと思うが如く真っ赤で、うっすらとあのケイの小さな掌がプリントアウトされていた。……これ、デートまでに元に戻るかなぁ。


 ――もしかして、あれ見たのバレたか。


 ***


 日曜日の繁華街。まだ十二月に入ったばかりで寒さもあまり感じることもなければ、日差しも心地よく、多くの人出で賑わう。その映画館の正面入り口もその例外ではなく、映画を見に来たであろう老若男女、カップルもそこそこ目立つけど、その入り口の外で壁にもたれてスマホを弄っているちなっちゃんは、それよりもさらに目立つ――少なくとも俺にとっては。


「ちなっちゃん、早いじゃん」

 今回こそは、と俺は十分も早く来たというのに。

「私も今さっき来たとこだよ」

 やっぱりその台詞か。次は絶対俺がそのセリフ言ってやる。

 ビジネスルックと普段着くらいしか見たことなかったけど、ちなっちゃんは、カジュアルなスタイルもよく映える。白のニット帽に、薄手の白のセータ、ベージュのハーフコートに首元は淡いピンク柄のストール、スリムなデニムパンツに黒のハーフブーツ。

 俺なんか、チェック柄のカッターシャツに水色のセーター、デニムパンツにナイキのスニーカーだよ。他人が見たら釣り合わないよな、これじゃ……。

「なに、ブツブツ言ってるんですか?」

「いや別に。映画何見る?」

「映画見ようって言ったのたかしさんじゃないですか」

「そ、そうだけど、何見てもタダだし、全然考えてなかった」

 と俺がいうと、ニコッと笑って、すっと俺の右に回って腕を組んで来た。

「今度からはちゃんと計画してね」

「はい、そうします」

 初デートうまく行くかなぁ……、一応ラストに行くところは考えてるけど――。


 映画は確かに計画して行くべきもので、下調べどころか、そもそもお互いに見たい映画すらなかったので、何を見たらいいのか全然わからず、しょうがないからキアヌ・リーブス主演ならいいのではないかということになった。

 が、これ、デートで見る映画じゃないな、と。何たってキアヌが凄腕の暗殺者で、人が殺されまくりっていう映画。個人的にはその殺し方があまりにも斬新でかっこよくて気に入ったけど、とにかくデートで見るような映画ではない。終わっても特にちなっちゃんに感想は聞かなかった。

 でも、映画館でもずっと手を肘掛の上で繋いでたから、まぁいっかと――。


 終わってからは、繁華街で色んなショップをぶらぶらしたり、ペットショップでちなっちゃんが子猫をじっと眺めてたらお店の人がその子猫を抱かせてくれたので、その写真を撮ったり、少し休もうと和風のカフェに入って本格的なロイヤルミルクティーを飲んだりして過ごした。ちょっと高くて気持ちが引いたけど、それなりに上品なお味でございました。ちなみにデート代は全て割り勘ということになった。


 ――ところで、何故、俺は今日デートすることにしたか。


 よくよく考えると、隣同士というのは便利なようで、そうでもない。今日のように、ちなっちゃんが凛ちゃんと用事があったからデートらしく待ち合わせができたけど、なければ同じマンションからの出発だし、帰ってくる場所も同じで、お互い一人暮らしの隣同士でバイバイって、結構不自然なのだ。考えてもみたまえ、もしこれがエッチもする関係にでもなったりしたら?


 あるいは考えたくはないけども、万が一別れることになったら? もしそうなったりしたら、どちらかがお引越しなどという、ある意味わけのわからないコストを負担せざるを得なくなる。


 だから、お互いの気持ちを図るという意味では「告白」は不要なのかもしれないが、やはり最低限そこだけははっきりさせておかねばなるまいと、それを早いうちにしておこうと思って、デートを思いたったのである。何ともムードもへったくれもない理屈っぽい話だが、どう考えても最低限そこだけははっきりさせておかないと不味い、と――。


 だけど、それがどのタイミングで言い出せばいいのかよくわからなくて、困った。俺は当然初めての正式デートだけど、多分ちなっちゃんもそうで、デートが楽しくて仕方がない。世の中にこんな楽しいことがあったのかと思うくらい楽しい。別に何をするわけでもないのに、ただ二人で腕組んだり手をつないだりして、ぶらぶらして歩いてるだけでも楽しい。


 ま、そうなることもあろうかと、宇宙戦艦ヤマトの真田工作班長よろしく、雰囲気のいいディナーの場所だけは決めておいた。少し寒かったけど、店の奥に五つほどの丸テーブルのあるテラスがあって、川沿いに面するのでそこからの夜景も楽しめるなんとなく落ち着く雰囲気のある場所だ。そのテラスに一応予約はしてあった。

 料理のメインはそこそこ評判のステーキ料理だったけど、俺の方は言わなければならないことを何とかここで、と料理の最中も気にし続けて、あまり食事は楽しめず仕舞いだった。で、店員さんが食後のコーヒーを持ってきてくれたタイミングで俺は切り出した――。


「ちなっちゃん、あの、なんていうのかな、やっぱりその、はっきり言わないといけないと思って……」

 ああ、もう、本当にどう言えばいいのか。いざ言うとなると難しい。

「はい」

 ちなっちゃんは、二人分のコーヒーに砂糖とミルクを入れながら、続きを待っているような目つきをして俺を見ている。

「その、いいかな。ちょっとあらためて言わせて下さい」

「はい」

 と、俺の顔をちなっちゃんは相変わらず真面目な顔してじっと見つめている。俺はその視線に緊張しつつ膝に両手をついて、一回咳払いすると、勇気を出して言った。


「お付き合いして下さい」


 俺は、ちなっちゃんが素直に「はい」と返事するものだとばかり思っていた。でもそうは問屋が卸さなかった――。

 


 

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