第43話 夜景の見える公園にて。

 初デートの帰り道。夜八時三十分、駅を出て二人で自宅まで歩いている最中、ちなっちゃんと俺は少し議論になった。

「……そうなの、あそこは会社が借りてるところで、私は家賃半額しか払ってないの」

「いいなぁ、それ。俺は全額負担だもんな、自分で借りたからだけどさ」

「だから、万が一の時はね、隆さんが引っ越さなきゃいけないの」

「いやいやそれはおかしいだろ。ちなっちゃんの会社とは俺は何の関係もないんだからさ」

「だって、私が引っ越したら全額負担になっちゃうし、それだと、私の方が損になっちゃうじゃん」

「そ、そうだけど、その半額を俺が負担するってわけにもいかないしさ、その場合はやっぱ公平にじゃんけんで決めるしかないんじゃないの?」

「公平じゃないじゃん。なんかハンデつけなきゃ」

「ハンデ? 引っ越す方の引っ越し代を、引っ越さない方が負担するとか?」

「それじゃ安過ぎますよー」

「ふーむ、意外と難しい話だなぁ」

「だからね、……フフッ」

「だから?」

「別れちゃいけないんですよ」

「ちなっちゃん、上手いこと言うじゃん」

「上手いことって何だ? 当たり前じゃないか、隆さん」


 ――みたいな話を歩きながら、マンション近くまで話してたら、エントランスの外に見覚えのある顔が。


「……ケイ?」

 するとケイは、もたれ掛かっていたマンションエントランス脇の壁から身体を離すと、ゆっくりとこちらの方へ向かってきて、こう言った。

「ちなっちゃん、隆、借りていい?」

 ふと、ちなっちゃんを横目で見ると、ちなっちゃんは特に意外な様子もなく、むしろ笑みすら浮かべて、ケイの方を見てコクリと頷いた。そしてちなっちゃんは、俺の方を向くと、

「隆さん、私はここで。じゃぁ」

 と言って一人、マンションのエントランスに入って行った。

 俺は、ただポカンとするしかない。

「隆、車に乗って」

「車?」

 ふとケイのいる方を見ると、エントランス前に駐車していたボックスタイプの軽自動車の運転席の外側に立っていた。

「これ? に乗るの?」

 ケイは何も答えずにそのまま運転席に乗ってドアを閉める。

 仕方ないので、俺もその助手席に乗った。

「この車は?」

「今日ちょっとね、友達に借りてたからさ、明日返すんだけどね」

 そう言うと、ケイはエンジンを掛けて、車を走らせ始めた。

「どこへ行くんだ?」

「……ドライブ。ちゃんとシートベルトしてね」

「ああ」と言いながらシートベルトを締めつつ「でもドライブって、こんな時間に?」と俺はケイに尋ねた。

「うん、ちゃんとちなっちゃんにも言ってあるからさ、なるだけ隆を早く返すって」

「え? それどう言うこと? さっきちなっちゃんは頷いただけで……」

「それは後で話す。初デートで疲れたろ? 隆は少し休みな」

「……なんか、随分事情がわかってるみたいだな、ケイ」

 俺がそう言ったあとは、ケイは黙ったままだった。どうもケイとちなっちゃんは俺の知らないところで連絡を取り合ってたらしい、と言うところまでは推測で分かったけど――。


 ケイが車を停めたのは、走らせ始めてから三十分後。そこは少し高台にあって、地元では夜景が綺麗に見える公園として知られているところだった。その駐車場に停めたままでもフロントガラス越しに夜景はよく見えた。


 ケイはエンジンを切ると、近くの自販機まで缶コーヒーを買いに行った。

「隆はダイドーが好きだったよね。はい、これ」

 と、定番のダイドーブレンドコーヒーのホットを手渡されたので、そのままプルトップを開けて一口飲む。ケイはジョージアだったが、同じように一口飲んだ。

 そのまま、しばらく二人とも車中から夜景を見つめて沈黙が続いた。


 先に口を開いたのはケイだった。

「……昨日の晩ね、ちなっちゃんと二人で会ったの」

「昨日?」

「うん、隆が私の家を出て行ってから一時間後くらいかなぁ、たまたまね、駅前のスーパーの近くで偶然会ってさ、お茶でもどう? って誘ったの」

 その時間くらいって、俺は確かまだ頭に血が上っててベッドで仰向けになったままだったな。そっか、昨日会ってたのか。


「……ちなっちゃんと色々話ししててね、ああ、この子なら私は勝ち目はゼロだって」

「勝ち目?」

「……隆、あれ読んだでしょ?」

「……」

「バレバレだよ。引き出し開けっ放しだったし」

 え……。あのノート手にとって読んでて、元のページ開いたままにして引き出しに入れ直したまでは覚えてるけど、締め忘れたのか。

「もういいよ。見られちゃったものは仕方ないし。ある意味見られて良かったしさ」

「良かったって?」

「……スパッと諦めがつくきっかけになったし。気持ちいいほどビンタも決まったし。フフッ。痛かった?」

「痛かったって、……ほっぺた、出かける寸前まで真っ赤だったんだぜ」

「そんなに? ごめんごめん。ちなっちゃん何か言ってなかった? ほっぺた」

「多分、ほとんど消えてたから。……ちなっちゃんとは、どんな話したの?」

「それは二人だけの秘密。フフッ。――でもね、色々話してて、この子なら隆を取られてもしょうがないなって。少しは悔しいけどね」

「……」


「それでね、隆はちなっちゃんが昔のこと隠してるの、すっごく気にしてるようだから、さっさと話しちゃいなって、隆なら大丈夫だからって、アドバイスしてあげたの」

「……そっか。ケイがアドバイスしてくれたからか。俺、なんでちなっちゃんが今日そのことを話すんだろう? って思ってたからさ」

「うん、あの子も隆と一緒、怖がってんの。怖いから逃げちゃうんでしょ? 隆も多分私が怖かったんだと思う。今更言っても仕方ないけどさ」

「……」


「まぁね、私もそうなんだけどさ。隆がちなっちゃんとの昔を思い出さなきゃいいのにって、ずっと悔しくって。……初めて見たときから知ってたの、あの子だって」

「初めてって、……え? まさか、あのハンバーグの時?」

「うん、エレベータの中でさ、じっと見ててさ、あれ? もしかして? って。名前も千夏って言うしさ。びっくりしたよ、ほんと」

「でも、なんでそんなにすぐ分かったの?」

「だって、忘れるわけないよ。隆が小六の時に私にあんなこと言ったからさ、悔しくって、どんな子だろうって何回もあの文具店に見に言ったんだからさ、目に焼き付いてるもん」

「……そっか。俺バカだったもんな、あの頃」

「今も、そんなに変わんないんじゃない? あはは。……でも、ごめんなさい、知ってたの黙ってて。まだ怒ってる?」

「……そうだなぁ、ダイドーじゃ足りないかな」

「え? たったそれだけ? じゃぁ私と間接キスできるジョージアもあげるから許して。あはっ」


「怒ってないよ。俺だって、ケイの事……」

「その先は言わないでいい。聞きたくない。でもさ、一つだけ絶対に約束して欲しいの」

「約束って?」

「ちなっちゃんを悲しませるなんて私が許さないから。必ず幸せにしてあげて。いい? 絶対だよ?」

「うん、分かった。約束する」

「絶対だよ?」

「分かったよ、そんなに何度も……」

 ふとケイの方を見ると、目に涙をいっぱい溜めて、悲しそうな顔で俺を見つめていた。――かと思ったら、運転席から助手席の俺の方にいきなり抱きついてきた。そして子供のように、「隆、隆、隆……」とずっと嗚咽し続け、俺の胸のあたりを涙でぐしょぐしょに濡らした。俺はただ、ケイを優しく包むように抱きしめるだけだった――。


***


 十二月二十四日。俺とちなっちゃんは不幸にも、初めてのクリスマスを一緒に過ごす世間の一般的なカップルのように楽しむことは不可能だった。何故って、俺の方は仕事でとんでもないトラブルに巻き込まれて終電でしか帰れなくて、ちなっちゃんの方もご同様で、俺より十分ほど早く帰れただけだったし。


 もちろん、帰って細やかなクリスマスイブを俺ん家の方で祝ったし、プレゼントも慎ましく交換もしたのだけど、その最後にちなっちゃんの方から重大発表がなされるだなんて。やっとカップルらしくなり始めた矢先なのに――。

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