第44話 エアポートにて。

 一月某日。天気は快晴だが、この冬一番の寒波とやらで、寒いのなんの。今日は訳あって有給を取ったが、ちなっちゃんは会社に寄らないといけないということで、現地で落ち合うことにした。俺は寒さにはめっきり弱くて、先に出かけて行ったちなっちゃんには申し訳ないと思いつつ、時間ギリギリまでベッドから出ようとは思ってなかった。


 ――ピーンポーン。

 って誰だよ? くそっ居留守使ってでも出てやんないからな。


 ――ピーンポーン。ピーンポーン。

 ああもう、うるさいな! くそっ、誰だよまったく……。しゃーねぇなインターフォンに出るか。


「はい、どちら様?」

「おケイ様だよ。早く開けてー。寒いー」

 なんでこんなに早く来るんだよ? 予定より三時間以上早いじゃないか、ったくもう……。


 玄関ドアを開けると、耳当て付きの白い毛糸の帽子に、真っ赤なダウンジャケット姿のケイが腕組みして凍えながら部屋に飛び込んできた。


「寒い寒い、あったかいコーヒーでも飲ましてー」

「飲みたいんならキッチンにあるから、御自分で入れてくださいませ。俺はもうちょっと寝る」

 とベッドに戻ろうとすると、ケイが俺の前に割り込んで制止する。

「ちょっと、ダメだよ隆、あんた絶対何も買ってないでしょ?」

「買うって何を?」

「あんたねぇ、ちなっちゃんと、お別れの日なのよ? フツー餞別くらいいるでしょ?」

「えー? いらないよ、そんなの」

 と、俺が言うと、ケイはいかにもガックリと言う様子で大きく溜息をついて、肩を落とし項垂れた。

「とにかく、そんなことだと思ったからさ。コーヒーくらい淹れてあげるからさっさと着替えて」

「わかったよ、もう……」


 ちなっちゃんとのお別れの儀式は昨日ちゃんとやったっつーの。家財道具だって必要なのは送ったし、他のは凛ちゃんのとこに昨日運んで、大家さんにちなっちゃんの部屋の鍵も返したし、全部きっちりやったんだからさ。あとはもう行くだけだって言うのに、餞別? いちいち拘る奴だな、ケイって――。


 ***


 地元で餞別にと、現地では入手困難な日本製のごはん茶碗とお箸を買い、空港に着くと、やっぱりちなっちゃんは先に待っていた。この日まで待ち合わせは一度も俺は勝てなかった。で、台詞も同じ。

「ちなっちゃん、もう来てたの?」

 って、チェックインカウンターに近い椅子に、座って待ってたちなっちゃんにケイが声をかけると、

「私も、さっき来たばっかりですよ」

 だってさ。

「でも、今日なんか、かなり寒いけどさ、あっちはもっと寒いんだよね?」

 と、ちなっちゃんの横の席に腰を下ろしたケイが言う。

「毎日、氷点下マイナス十度以下らしいです」

「ひえー、商社で働く人って大変なんだね。えっと、どこだっけ?」

「モンゴルのウランバートルっていう首都ですけどね。仕事自体はほとんど外には出ないみたいですけど――」


 ――のように、ちなっちゃんとケイがずっと会話してるので、まだ早過ぎるよなと思って、俺は滅多に来ることのないその空港を時間までブラブラすることにした。そしたら、偶然あのカップルに出会ってしまいまして。


「あれ? 御崎さんじゃないですか」

 ちょうど外貨交換の窓口近くにいたのを見つけたんだけどね。

「あら、御手洗くんじゃない、どうしたのこんなところで?」

「ああ、そっか、御崎さんとこはハネムーンでしたね、今日から」

「そうそう、御手洗君は?」

「彼女が、海外赴任するので見送りに」

「えっ? そんな彼女さんだったんだ。すごい彼女さんとお付き合いしてたんだね――」


 のように、色々話してたんだが、御崎さん、どうも山本が見当たらないらしい。手荷物を預けた後、山本はトイレに行くと言ったきり、戻ってこないらしかった。

 だが、キョロキョロしてるとすぐ見つかった。山本の野郎、空港案内カウンターでまたやってやがった。案内係の女性と楽しそうに話してたわけ。

「あれ、マジで病気ですね。ハネムーン出発直前なのに……」

「……本人は未だに浮気は全否定してるけどね、じゃぁ、御手洗君も頑張ってね」

「御崎さんもお気をつけて」

 御崎さんはそのまま案内カウンターに向かい、山本の尻を足で蹴っ飛ばしてた――。



 ちなっちゃんも、そろそろ出国手続き。ケイは二人っきりにすると言って、ちなっちゃんに別れの挨拶を簡単に済ませると、どこかで適当に待つと言って姿を消した。出発口付近は混んでいたので、あまり人のいない少し離れたところに移動した。


「じゃぁ、言って来るね、隆」

 ちなっちゃんは、昨日は絶対に泣かないって言ってたけど、もう目が潤んでる……。

「ああ、ほんと寒いみたいだから、厳重に体には気をつけてな」

 とうとう、目から涙が溢れ出したので、用意してたハンカチをポケットから出してちなっちゃんの頬に当てると、ちなっちゃんはその手を両手で握った。

「隆も風邪とかひかないように気をつけてね。私はいないから……グスッ」

「大丈夫だよ、何かあったら実家近いしさ」

「凛のこともよろしくね……グスッ」

「ああ、連絡は取り合うようにするからさ、大丈夫」

 そしたら、ちなっちゃんは俺の肩の方にもたれ掛かってきて、俺はちなっちゃんを軽く抱きしめた。

「グスッ……離れたくないよ、隆」

「……俺だって。でも一ヶ月に最低一回はこっちに戻れるんだからさ。毎日ビデオチャットもするって昨日も約束したし、それにたったの半年じゃん」

「グスッ……たった、じゃないよ。半年もだよ……グスッ」

 ちなっちゃんが、俺の肩に乗せてた自分の頭をあげて、ふっと俺の方を向いたので、短いキスを何度かした――。


 その後は、ちなっちゃんは全然元気に出国の列に並んで、一度も振り返らずに行ってしまった。


 ケイは、その飛行機を見送りたいというので、クソ寒い風の吹き荒れる展望フロアに上がることになった。ところが、そこから一体どの飛行機なのかを探すのはかなり難しいのでちょっと思案。そこで、ケイは飛行機のことは航空会社はおろか、ほとんど何も知らないみたいだったので、見送る飛行機は俺が適当に選ぶことにした。だって寒すぎるし――。



「行っちゃったね」

「うん、飛んでったなぁ。昼飯にでもするか?」

「うん!いこっ」


 ケイと俺は腕組みして、ターミナルビル内に戻った――。


(完)

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洗剤君とお隣さん 子持柳葉魚改め蜉蝣 @Poolside

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