第13話 ジャズに聞き惚れて。

 チャーリー・パーカーのドナ・リーが聞けるとは。…俺、ここ毎日来たって良いぞ。さっきから名曲ばっかで震えが止まらないって感じ。気付いたらお客さんで一杯になってんじゃん。多分、ここ隠れ家的に人気なんだろうな。「ひまわり」って一見間の抜けた様な名前の喫茶店名が却ってかっこよく思えてきた。そう言えば、あの壁に飾ってあるひまわりの絵って確か、ゴッホっていう画家の絵だな。なんか深い意味がありそう…。


「今から言うことは、ほんと御手洗君にだけしか話さないから、絶対社内の誰にも言わないでね」

「ええ、それはもちろん」

「私とかっちゃんて付き合ってもう六年になるの。同棲は三年前くらいからかな。結構長いでしょ?」

「そう言えばそうですね」

「でね、私ももう三十歳。彼は二十八だけど、そろそろさぁ、結婚しててもおかしくないと思わない?」

「それはまぁ。時々、「どうしてあの二人結婚しないんだろう?」とかの話は他の人とかもしてるみたいですよ」


 御崎さんは三本目のタバコに火をつける。タバコってあんまり好きじゃないけど、こう、なんていうか、格好が様になってるって感じは悪くないな、とは思う。御崎さんはすっごくタバコにマッチしてる気がする。


「どうしてだと思う?」

「全然わかりません」

「実はね…、ほんとに絶対に言わないでね。実は、あたしの方から今までにもう三回もプロポーズっていうか、結婚を申し込んでるの」


 ほー。女の方からプロポーズとかありなんだ。…いや、そういう話じゃなくて、え、じゃぁなんで結婚してないの?つか三回って何よ?意味が分からん。


「えっとそれってつまり、三回申し込んで三回とも拒絶されてるってことですか?」

「拒絶…というか、逃げられてる。一回目は曖昧な返事で誤魔化されて、二回目はしっかり考えてみるとか言ってそれっきり返事なし。だから三回目はきっちり返事してもらおうって、こう、ちょっときつく問い詰めたの」


 なるほど。やっぱそれって、山本はまだまだ浮気していたいからだろ。結婚してからだって浮気はするんだろうけど、結婚してない方が何かと都合良さそうだしな。


「あたしと結婚する気はあるのか?って。そしたらね、「ある」ってはっきり返事してくれて、あたしもやっと安心かなぁと思って、それから「プロポーズは俺の方からする。それもきちんとした思い出に残る方法でしたいから待ってて欲しい。一生一度のことだから」って返事してくれて、ああちゃんと考えてくれてるんだって、その時は嬉しかったくらいなんだけど…」

「けど?」

「半年もそれっきりなの」


 え?半年も?…そりゃちょっと酷いぞ、山本。誤魔化し方は最早芸術の域だとは思うが、いくらなんでもそりゃないよ。御崎さん可哀想過ぎる。


「でね、これじゃぁ埒が明かないと思って、それで今週の月曜日に田舎の私の母をこっちに呼んで、母の前ではっきりさせようってちょっと策略立ててさ。母は私の何倍も厳しい人だから、かっちゃんも頭が上がらない人だったりするから」

「大変だね、御崎さんも」

「大変だよ、もう。ところが、月曜日、いくら待ってても帰ってこないからさ、おっかしーなー、御手洗君に送ってもらうはずなのに、と思って確認の電話でもしようかなって思ってた矢先に、あいつからさ「システムトラブルの緊急対応で会社で徹夜になるから帰れない」って連絡があって」

「え?システムトラブル?そんなのないですよ?」

「まぁまぁ、話はまだ続きあるから。確かにあの日、かっちゃんが会社にいたって証拠があるの。セキュリティ解除の記録を見たらかっちゃんのカードで解除されてるってなってたから。でもね、御手洗君に送ってもらったのは理由があって」


 ああその話だ。それそれ、それ忘れてたよ、話面白くなってきて。


「二課の男性陣はかっちゃんに手懐けられてるから、そんなの誰かにカード渡せば誤魔化せるじゃん。でね、話はちょっと長くなってて申し訳ないんだけど、もうちょっと聞いてね」

「良いですよ、ここまで聞いたら全部聞きたい。今、ジャコ・パストリアスのリバティ・シティって名曲が掛かってるけど、それが全然聞こえないくらい集中してるっす」

「君、面白いね。あのね、私が二課の飲み会で護送係決めるのをオッケーしたのは、かっちゃんの浮気を疑ったからなの。それまでね、飲み会があるといつもほとんど深夜回ってしか帰ってこなくて、朝帰りとかもよくあったんだけど、飲み会の終了時間なんか全然早くてその後じゃぁ何してたのかって。色々言い訳はしてくるんだけど、そんなのねぇ…」


 うん、全然浮気してた筈だろうな。


「私が護送係決めて、私も同乗すれば、浮気そのものが出来なくなるわけ。でも、月曜日は私は同乗無理だったから、ちょっとやばいと思ったの。それで考えて思い付いて、護送係が御手洗君なら、まさか御手洗君が口裏合わせるとかはしないだろうと、それで頼んだの」

「それで納得しました。なるほどー、山本の浮気を防ぐ為だったんですね」

「そうそう、それと、お母さんが来てるからきっちり帰ってきてもらわないといけないかなって。でも、かっちゃんは結局帰ってこなかった。システムトラブルとか言ってたけど」

「御崎さん、別に山本に何の義理もないんでバラしますけど、システムトラブルとかじゃないですよ。あいつ、帰るのやだって言って俺んちに最初泊まろうとしてたんです」

「えー。それホントなの?」

「ええ、俺、最初は絶対イヤだったんですけど、どーしても嫌だって土下座までされちゃって。いや結局、最終的にはあいつが会社に泊まるって言い出して、結局そうなっちゃったってとこですかね」


 御崎さんタバコ四本目。曲はチェット・ベイカーのマイ・ファニー・ヴァレンタイン。


「そっかー。つまり、かっちゃんは逃げたってことなのね。それで全部辻褄が合うわね。飲み会でこっち睨んできたりとか、あれ、かっちゃんがどうしようか困ってたんだろうね」


 要するに、御崎さんのお母さんまで家に来てて、結婚から最早逃げられないってとこまで追い詰められて、俺を利用して逃げたってことだな。あのやろ、相当ふざけてんな。


「でも一つだけ意味がわからないことがあるの。ちょっと待ってね…」


 と、バッグの中からハンカチを取り出した。


「これがかっちゃんのカバンから出てきたんだよね。ハンカチくらい、誰かから借りたりすることもあるのかなぁとは思ったんだけど、なんか引っかかるし…。それにこれ、どっちかっつーと女性モノだと思うしさ。御手洗君のじゃないって言うし」


 覚えてる、覚えてる。それ、彼女のハンカチだ、間違いなく。


「それ、貰っていいですか?」

「え?やっぱり御手洗君のものなの?」


 俺はそのハンカチを受け取りつつ言った。


「違います。隣人の櫻井さんっていう女性のハンカチです。実はその、あの晩、山本とちょっと揉めちゃいまして…」


 と、その夜のことを説明し、櫻井さんのハンカチを自分で返すと言って山本が持って帰ったことまでをきっちり御崎さんに説明した。


「それって、かっちゃん、浮気する気満々としか思えないよね。えー、ちょっとショック…やっぱりそういう人なのか。ないと信じたかったのに…」

「正確に言えば、このハンカチは俺が受け取りましたから、少なくとも、山本がうちのマンションまで来る理由はなくなって、浮気も未然に防げたってことになると思いますけどね」

「そりゃそうだけど…でも、やっぱりショックだなぁ。ホントは浮気なんかしてないって信じたかったのになぁ…」


 それっきり、御崎さんは黙りこくってしまった。でも、信じたいって気持ちはわからなくはないけどさ、そりゃ浮気そのものの動かぬ証拠なんて多分誰も知らないけど、行動見てたら疑わないほうがおかしいってくらいなんだから。御崎さんも可哀想だなぁと思う反面、そんな男を信じたあなたが悪い…とまでは言わないけど、なんかそんな気もしなくもない。


「ねぇねぇ、そのハンカチ、ちょっと返してくれない?」

「え?」

「かっちゃんのカバンに戻すから」

「なんでですか?俺が返すって言ったと思うんですけど?」

「浮気の動かぬ証拠にしようと思い付いたの」

「動かぬ証拠って…ほんとに浮気されたら駄目じゃないですか」

「かっちゃんはまだ浮気してない」


 はぁ?この人、まだそんなことを…。


「いやいやこのハンカチは、浮気をしようとしてたって意味ではその証拠なわけだし」

「でも、浮気まだしてないじゃん。だからするんだったらやってみろって。そのハンカチをほんとに直接返しに行ったら、もうそれだけで浮気やったんだって認めて…それからどうするかは決めてないけど、とにかく、返して。お願い」


 まぁ別にいいけどさ。この人、何、意地はってんだろう?


「じゃぁ、どうぞ。お好きな様に使って下さい」

「なんか変な話に付き合わせてしまってごめんなさいね。もう迷惑は二度とかけないから」

「はい、映画鑑賞券五枚も貰ったし、それにこんな良い喫茶店も知ることが出来たし、今日は良かったですよ」

「御手洗君、ホント、ジャズ好きそうだもんね。クリームソーダも。マスター、お勘定お願いしまーす」


 結局、喫茶「ひまわり」では二時間もいたことになる。話をずっと聞かされるのは疲れたけど、学生時代にハマったジャズがまた聴けたし、結構音のいいオーディオ組んでたみたいだったから、ほんとに多分今後は時々一人で行くことにしよう。


 でも、御崎さんはマジ分からん。浮気して欲しくないはずなのに浮気させようとするとかさっぱり意味不明。まー、やるならやるで勝手に浮気すれば…、あ、ちょっと待てよ。そりゃダメだ。ダメだダメだダメだ!相手は櫻井千夏さんではないか!


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