第5話 見つめられた謎
「洗剤君、頑張って」
「なんだよ? その洗剤君って」
「洗剤貰ったから洗剤君。昔ほら、電車男っていうのあったじゃん。あんな感じ」
「意味わかんねぇよ」
「で、メッセージカード書いたの?」
「あ、書いてない」
「もーしょうがないなぁ。じゃぁあたしが書いてやるよ。洗剤君はハンバーグ焼かないとね」
――俺の方はフライパンに蓋をして焼き加減を見つつ、ケイはテーブルの椅子に座ってメッセージカードにメッセージを書き始めた。しっかし、なんでケイはこんなにやる気なのかな?
「書けたよ。こんな感じでどう?」と、そのメッセージカードを見てみると……。
先日は洗剤を頂きありがとうございました。
余り物ですがよろしかったら是非お召し上がり下さい。
あと、良かったらお友達になって下さい。
では 405号室
――何? お友達になって下さい?
「ちょ、待てよこれ、こんなの駄目だよ」
「何が駄目?」
「お友達になってくださいとか、んなの絶対気味悪がられるってば」
「わかってないなぁ洗剤君はさ。いいから、私を信じなさいって。こうするのが肝心なの」
「本当に?」
「絶対この方がうまく行くからって。お皿に盛り付けたら、そのお皿ちょっと貸して」
ケイに促されるまま、ハンバーグと突き合わせを盛り合わせて特製ソースをかけてラッピング。その皿をケイに渡すとメッセージカードをセロテープで皿の裏側に貼り付けた。
「よし!、これであとは渡すだけだね。頑張って、洗剤君、レッツゴー!」
「レッツゴー、とか…、ああでも、なんかドキドキしちゃって」
「さっさと行きなって。何ならあたしがピンポンダッシュしてあげようか?」
「いいってそんなの。わかったよ行くよ」
「いってらっしゃーい。ちゃんと自己紹介もして向こうの名前も聞いとくんだよ」
ピーンポーン。うわぁ、遂に押しちゃったよ。マジで緊張する。また吃ったりなんかしたらどうしよう…。
「はーい」
「あ、どうも夜分恐れ入りますが、隣の御手洗です」
「はーい、開けますのでちょっとお待ち下さい」
なんか、皿持ってる手が震えてるんだけど…。いいのかなぁしかし、こんなことして管理会社に通報されたりとかしないかな? これくらい大丈夫だとは思うけど、時々変な事件とか報道されたりするし。これってヤバくね? つってももう止めらんないけど――。
「お待たせしてどうもすみません」
「あ、いえいえ。あの、昨日は洗剤ありがとうございました。その御礼と言っては何なんですけど、これよろしかったら……」と俺は左手に持った皿を差し出した。
「え? ハンバーグ、ですか?」
「はい、一応。ちょっとその作り過ぎて余っちゃったもんで」
「ああ、そういうことですか。よくありますよね、一人暮らししてると」
「そ、そうなんですよ」と、完璧に彼女のために作ったのに嘘をついた。
「へぇー、なんかでもこれすっごく美味しそうですね。それにまだ出来たてみたいだし…」
そりゃそうだ、あなたの帰りに合わせて焼いたんだから。
「ええ、さっき作ったばっかりですけど。……あ、そうだ、あの失礼ですけど、その、お名前はなんと?」
「ああ、そうですね。私は……」
「……」
――ん? どうしたの? 俺の顔を舐め回すようにじっくり見つめて固まってるんだけど。
「どうかしましたか?」
「……あ、いえ、な、何でもありません。わ、私は
「いえいえ、こっちもすいません、こんな夜分に」
「どうもありがとうございます。ちょうど夕食作ろうと思っていたので助かります。では」
――てことで、取り敢えずこれで作戦成功、かな。早速自分ちに戻って、ケイにガッツポーズを決めてみせた。
「グッジョブじゃ、洗剤君」
「その洗剤君ていうのやめろってば。はぁ〜しかし、無茶苦茶緊張したぞ」
「たまにはそういう緊張も悪くないんじゃない? へぇ、彼女、櫻井千夏さんって言うんだね。春なのか夏なのかよくわかんない名前だね」
「春なのか夏なのか…、っておい、お前もしかしてドア越しに聞き耳立ててたのか?」
「だって、気になるじゃん。ともかく、まずは成功だったんじゃない?」
「でも成功っつったって、ハンバーグ食べてもらってそれでおしまいじゃんか」
――するとケイは洗い物を始めていた俺の背後に立って、ポカッとかるく俺の頭を叩いた。
「って! 何だよ? いきなり」
「一体その脳味噌はどうなってんのか私が知りたいよ。ちゃんと回ってんの?」
「いや、だからさ、別に告白とかしたわけでもないし」
「告白? あのねぇ、だから日本人男子って駄目なんだよね。いまどき告白とか、あたしそういうのってバカじゃないのかと思うんだよね」
「だってさぁ、告白しなきゃ交際とか始めらんないじゃんか」
「前時代的だよ、前時代的。日本人くらいだよ、告白に拘ったりするのは。海外だと普通は告白とかいちいちしなくても、デートしたり、食事したりして、そんな感じでお互いの気持を少しずつ確かめていって、それでブチューっとかキスしてって感じで進めていくのが普通なの」
――確かに。そう言えばそうだ。海外の映画やドラマ見てても「お付き合いして下さい!」みたいなシーンは見たことがない。
「だからね、少しずつ進めていけばいいじゃん。少しずつ、少しずつうまくいくかどうか確かめてさ、駄目って判断したらさっさと引けばいいだけだし」
「少しずつねぇ……よく分かんないけど、でも正直、無理だと思うよ。あそこまで可愛い子が俺とその、付き合うとかあり得ないと思うし」
「そんなのわかんないよ、やってみなきゃ」
「やってみなきゃって、何をどうするんだよ?」
「だーかーらー、あのハンバーグ、あれ、こっちのお皿じゃん」
「お皿?」
「あんたほんとに頭悪いのね。櫻井さん、次はこっちに絶対必ずお皿返しに来るわけ。それも多分明日」
――、そっか。そりゃそうだ、お皿は必ず返しに来る。なるほど、つまりその時にまた何か会話が出来るってわけか。わぉ、すげぇ、これマジで大作戦だったんだ。
「ケイって凄いや。一体どこでそんなこと教えてもらったの?」
「隆も知ってるでしょ? あたし一体何人と付き合ったと思ってんの? ……えーっと、数えてないからわかんないけど、とにかく、やる男はやるの。ほんと、めっちゃくちゃ頭使って攻めてくる人もいっぱいいたよ。それでも結局は合うかどうかが問題だからさ、あんま関係ないんだけど、でもとっかかりはね、少しは工夫が欲しいよね」
「――あ! わかった! メッセージに「友だちになって下さい」って書いた理由が」
「偉い! 洗剤君も少しは成長したね」
つまり、「お友達になって下さい」に対する返事を櫻井さんは考えなきゃならないってことだ。こっちの意図はただハンバーグ食べてもらう事とか、隣人として親しい関係作る事じゃなくて、とりあえず、その先の友達になって欲しいってことだと。そっか、むしろ意図もなく手作りハンバーグ渡すって手が込み過ぎでおかしいもんな。
――でも、何で櫻井さん、あの時俺の顔舐め回すように見つめて固まったんだろ?
「あのさぁ、櫻井さん、ちょっと不思議な振る舞いをしたんだよね」
「不思議な振る舞い?」
「うん、なんかね、名前を尋ねたら十秒くらい俺の顔見つめて固まっちゃって。あれ何なんだろう?」
大き目の皿にうちの実家と神崎家用に作ってあったハンバーグを、タッパに詰め直しながら、少し思案してケイは言った。
「たしかに変な間があったよね。あれって隆を見つめてたのか…。その名前言った後ちょっとあたしには聞こえなかったんだけど、彼女なんて言ってたの?」
「目が悪いからって。でもなんか、それ、理由になってないと思うし」
「目が悪い…んー、誰かに似てるとか。よくあるじゃん、街で友達に似てる人とか見かけた時とかさ」
「でもさぁ、俺、目の前にいて、名前もちゃんと名乗ってて、いくら目が悪いからって、そういうのとはちょっと違う気がするんだけど」
「…ま、あんまり気にしなくていいんじゃない? なんかあるんだったらそのうち分かるよ。そろそろ帰るね、これマジ食べたいし、お腹ペコペコだし」
――ケイが帰った後も、どうしてもそのことが気になって仕方がなかった。あれは、確かに街で友達か誰かに似てる人を見かけたときのような視線だけど、目の前にいる名前まで名乗っている俺をそんなふうに見るというのはおかしい。
それに「目が悪い」と言うのは明らかにその本当の理由を誤魔化すために言ったんだ、と思う。だけど、じゃぁ他に理由がなにかあるのかと考えても、思いつくものはない。過去に何処かで会っている、というのであれば、それを言えばいいだけだし、第一、俺があんな可愛い女性を忘れるはずもなかった。忘れるわけはない。
もしかすると、櫻井さんって、過労なのかなぁとも思った。過労だとすれば、一瞬ぼーっとしてしまったって感覚は分かる気がする。俺だって最近、そこそこ残業続きで疲れてて時々ぼーっとしてしまうようなこともある。櫻井さんももしかするとそうなのかもしれない。だって、昨日だってあんな遅くに帰ってきてたし、今日だって土曜日というのに帰ってきたのは九時前だったし。そもそも一体どんな仕事してるんだろう? なんかニュースとかでもどっかの大手広告代理店で長時間労働で自殺したって話もあるし、もしかすっと、結構ヤバかったりするのかなぁ。でも、ま、俺の旨いハンバーグ食ってもらってだな、ちょっとは元気出してもらえばそれでいいのかもしれん。過労だとすればの話だけど。
***
目が覚めて日曜日。特にすることはない。大抵、休みの日と言えば、たまに映画見に行ったりする程度で、家でぐーたらしてることが多い。趣味といえるような趣味もなく、もちろん彼女もいないし、27歳にもなると一緒に遊ぶような友達も皆無だ。パソコンでぼーっとFacebookやTwitter、動画配信サイトで映画を見るとか、実につまらない独身生活を過ごしている。「俺、このままただただ仕事だけして年老いていくだけの人生なのかなぁ」などと考えることも最近多くなった。仕事はそれなりに大変で、そこそこやりがいも感じてやってるけど、極端な話、俺から仕事を取ったら何も残らない、って感じ。もしかしたら、行く末はこのマンションで孤独死してるのかもしれない――などと、何度も溜息つきながら、ベーコンエッグやサラダなどを自分の超朝食に用意している最中だった。
ピーンポーン。まだ朝八時に何だろう?と思って、インターフォンの受話器にも出ずにそのままドアを開けるとそこに立っていたのは櫻井千夏さんだった――。
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