第3話 神崎優作
「ねぇ、もう一年くらい電話で話すとかしてなかったよね?」
「そういやそうかもな。俺も結構仕事忙しくて実家にもほとんど戻ってないし」
「顔合わせたのが今年のお盆くらいだっけ?、
「ケイが飲ませすぎたからだろ」
ケイから電話を貰ってしばらく雑談を続けたが、普段はメッセージのやりとりだけなのに、わざわざ電話で、しかもこんな夜遅くというのがどうも引っかかる。
それで、
「それはそうと、こんな夜にわざわざ電話ってなんで?」
って尋ねてみたんだが、
「いやぁ、特にってわけでもないんだけどさ、……あ、そうそうさっきの話だけど――」
と、明らかに話題を逸らす。てことは、おそらく、電話を思い切ってかけたはいいが、なかなか話難いってことなんだろう。付き合い長いから、声だけでも気持ちみたいなところがすぐわかってしまう。よし、もうちょっとズバッと聞いてみよう。
「なぁなぁ、そんな話をする為に電話してきたんじゃないんだろ?」
と、俺が雑談を強制的に打ち切るように言うと、やっとケイが本題に入った。
「ごめん。なかなか言い難くて。実は今日電話したのはね、隆も知ってるでしょ?、うちの弟が仕事もせずブラブラ、ニート暮らししてるって」
「優作君?、まだニートなの?」
「そう。その優作のことで隆に相談しようかなぁと思って。……でも、やっぱ電話でも言い難いから、明日とか会えない?」
「明日か……、明日は、土曜の半勤だから午後なら」
「わかった、ありがとね。じゃぁまた連絡する、おやすみ」
「おやすみ」
わざわざ会って相談って余程のことかとは思うが、相談の中身まではわからない。
ケイの弟、神崎優作は俺たちの二つ年下。優作とも、ちっちゃい頃はよく一緒に遊んだ仲だが、彼が中学生になると近所の不良とつるむような仲になって、それくらいからあんまり優作とは話もしない。
で、確か、彼は十八歳の頃には早くも結婚。だけどそれも長く続かず、何年か前に離婚したと聞く。子供は一人いたけど親権は取られてしまった、とか。
二ヶ月くらい前に実家に寄った時、ちらっと近くのパチンコ店から出てくる優作君を見た。その時、母にちょっと尋ねたら、家でフラフラしてて定職には就いていない、とは聞いていた。あと、その実家で時々暴れて家族が困っているという。
まぁしかし、ケイと会うのも久しぶり。お互い最近は色々と忙しかったからなあ。どんな相談なのかはともかく、そういう意味では楽しみだ。
***
次の日。昼までの半勤で仕事を終え、ケイと連絡を取って自宅近くにあるショッピングセンター内のスタバで落ち合うこととなった。が、店に着いて店内を見渡してもケイはどこにも見つからない。おかしいな、先に行ってるってさっき連絡くれたはずなのに…。
取り敢えず適当に注文して、商品が出てくるまでにもう一度店内を見渡して見たら、でっかいサングラスをかけて派手なオレンジ色のキャップをかぶってスマホを弄っている、一番奥の隅っこの方にいる小柄な女性がケイだった。
「よう、久しぶり」
ケイと前に会った時は、ウェーブのかかった茶髪の髪の毛が肩幅まで広がっていたような気がするけど、今日は耳まで出てるショートカットになっていて茶髪ではなく黒だった。だからと言って特には驚かない。ケイはしょっちゅう気分を変えたいと髪型を大胆に変える人だから。
「あ、隆、久しぶりだねー」
俺は飲み物をテーブルに置いて座りながら、髪型が変わってても驚きゃしないけど、ちょっとでかすぎるそのサングラスはさすがに異様過ぎて気になる。
「なんだよ? その芸能人が掛けるみたいなサングラス」
「会うの、実は迷ったんだけど、こういう相談はきちんと会ってしないとダメかなと思ってさ」
と言いながら、ケイは俯いてサングラスを取ったが、よほど顔を見られたくないのか、なかなか顔を上げない。
「なに? 今日はすっぴんだとかか?」
「違うよ、残念ながら。……一瞬しか見せないから」
恐る恐るという具合にケイがゆっくり顔を上げると、……うわっ! ロッキーのシルベスタ・スタローンか、それは。
「え? ど、どうしたのその右目、殴られたみたいに見えるけど」
「だよ。……優作に、殴られたんだよ」と言うと、ケイはサングラスを再び装着した。
「うわー、それは痛そう。病院は?」
「昨日ね。…ほら、左手の小指も、これ」
ケイの左手小指が包帯でぶっとくグルグル巻きにされていた。
「…昨日、二階でね、口論してて殴りかかってきて、それで殴られた勢いで階段から落ちちゃって小指も捻挫、痛っ」
「うわー、階段から落ちたの? また、なんでそこまで?」
「知ってるでしょ?、結構家で暴れてるって。仕事もろくにしないし、外出するって言ったらパチンコばっかだし、あんまり酷いから、家族からも散々怒られたりしてるわけ。昨日もそう、それで逆ギレしてね。ちょっと前まではさ、あのクソ嫁が子供となかなか合わせないから可哀想だなぁとか同情してたの。優作は子供大好きだったからさ。でも、最近は荒方がちょっと酷くて、とうとう家で暴れたりとかね。でも、あの子根は優しい子だからさ、暴れた後は一応謝ってもくれるし、昨日も夜に病院連れてってくれたのは優作だし。だからさ、やっぱり、家族なんだから、なんとかしてあげたいなぁと」
確かに昔の優作くんは優しい子だった。俺は幼児時代をよく覚えてて、ままごと遊びとか色々やってて後片付けしているのはいつも優作だった。そんな優作くんが中学生になって不良と付き合うようになった時、意外だなぁと感じたりもした。ただ、背も高くて目付きとか結構鋭い感じだったから、ちょっと怖かったってのはあったけど。
「うん、ケイのその気持ちはわかる。わかるけど、それを俺にどうしろと?」
「隆、ちょっと前に会社で出世して偉くなったんでしょう? 隆の会社でなくてもいいから、取引先とかどっか優作取ってくれそうな会社ないのかなぁと思って」
「なるほどね。でも、出世っつっても、たかが主任だし。…うーん、前に俺がちらっと人手不足の話ししてたの覚えてたんだな?」
「そうそう。隆の会社ってIT系の会社でいろんな会社と取引してて、あちこち人手不足で困ってる、って言ってたからさ、分野は違うかもだけどもしかして、と思ってさ」
「でも、ハローワークとか情報誌とかで探してみたり、とかはダメなの?」
「違う違う、そうじゃなくて隆からの紹介って言えば、あの子だってそうそう無視もできないと思うんだ。割と義理堅い所あるし」
「なるほどねぇ。…今、話聞いたばっかりだから約束はできないけど、ちょっと考えてみるよ」
「ありがとう」
「でも、ケイを殴って階段から落としたの優作君なんだろ? それでもそうやって弟想いとか、ケイってなんか凄ーい」
「だってやっぱり家族だからさ、…痛っ」
なるほどね、とにかく優作君の相談だったわけね。にしても、優作君も自分で仕事探せばいいのに、どうして荒んだ方向に行っちゃったんだろうな。離婚されて子供にも会わせてもらえないから、やり場のない怒りをケイや親にぶつけてるってことなんだろうか。
「ところで、話全然違うけど、隆ってまだ童貞なの?」
飲みかけてた豆乳ラテを吹き出しそうになった。
「おまえって、とことん失敬な奴だな」
「相変わらずか。社内恋愛とかないの? 女の子そこそこいるんでしょ?」
「いるけど、ねーよ、社内ではさ」
「あれ? 社内ではって、会社じゃないところで好きな人でもいるの?」
あ、しまった。昨晩の隣人さんのことがチラッと頭に……。
「いやいや、大した話じゃないからさ」
「隠すな。私にそういう話隠せるわけないでしょ」
――そういや、昔からケイはこんな感じだったな。そういうとこ忘れてたかもしれん。とにかく、俺に好きな子がいるかどうかを、スッゲー気にするんだよね。だからって、ケイが彼女になってくれるとか、そういうことじゃなくて、なんて言うのかな、ずーっと彼女いないから、いつ出来るのか? 心待ちにしてくれてる、みたいな。
「いや、ほんとに大したことないんだってば」
「まぁまぁ、そう言わずに話してみなって」
「…わかったよ。わかったけど、バカにするんじゃないぞ」
「しないから話して」
テーブルに両肘ついて前傾姿勢になったケイ。サングラスの奥で腫れた右目もしっかり開いているようだ。
「実はさ、俺んちの真隣に住んでる人が、すっごい可愛い人だって昨日初めて知ってさ」
「ふむふむ、それで?」
「洗剤貰ったんだ」
「はぁ? 何それ? それじゃ分かんないからもっと詳しく」
――というわけで、昨晩のその隣人さんとの接触の件を全て話すことになった。
「でもま、たかがそれだけの話さ。可愛い隣人さんから洗剤もらったってだけ。それだけの話」
この時までは、ほんとにそう思ってたんだよ。確かに、その可愛い隣人さんとお付き合い出来たらいいのになぁとは思ったよ。思ったけど、そんなの無理だって、最初から諦めてた。
ところがケイは違ったんだ。
「隆さ、それ、ちゃんとお返ししなきゃ駄目だよ。タダで洗剤貰ったんでしょう? だったらきちんとお礼の意味を込めてお返しなきゃ」
「お返し?」
「だから隆は駄目なんだ。そういうのをチャンスだと思わなきゃ。もしかしたら、そのチャンスが一生一度のチャンスで、逃したら一生後悔するかも知んないよ」
「そんな大袈裟な話か?」
すると、ケイは腕組みしつつ、少し上を向いて何か思案したかと思うと、俺にこう言うのである。
「とにかくさ、お返ししようよ、お返し。何がいいかなぁ…、あっ、あるじゃんいいお返し。あれでいうこうあれで」
「あれって?」
「あんたのあれ、めっちゃくちゃ美味かったし、絶対喜んでもらえるよ。お隣さんなんだからあれがピッタリじゃん」
「だから、そのあれってなんなんだってばさ」
すると、ケイは「あ、れ」とスタバの向かいにある店の方を指差した。
「え? あのハンバーグ専門店がどうかしたか?」
「隆の手作りハンバーグお返し大作戦、決定!」
俺は、唖然としながらそのハンバーグ専門店を見つめた――。
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