第9話 酔っ払い課長護送係
山本を送って帰れ? そりゃまたどういうことだ? どうして俺は山本を送って帰らなきゃなんないの? 意味がわからん。ていうか、そんなの絶対嫌なんだけど。なんであんなのを送ってかなきゃならないんだ? 酔潰れるだかなんだか知らないけどさ、そんなの俺は知らんてぇの。
そもそも、さっきだってなんで俺の隣をわざわざ指定席にしてまで御崎さんが座ってきたのか結局さっぱり意味わかんなかったし、はっきり言って謎すぎる。どうするよ、これ? さっきは隣の席空けたけどさぁ、流石にこれは――。
「御手洗先輩、それ、なんですか?」
木村さんが御崎さんがさっきまでいた、その俺の隣に座って、俺が手に持って眺めていたその問題のメモを覗き込もうとする。
「何って……ちょ、おい」
すると木村さんは、そのメモをさっと俺の手から奪い取った。
「ちょっと、返せってば」
だが、木村さんは俺とは反対方向を向いてメモを奪い返されないように遠ざけつつ読んでいる。
「これって、……御手洗さんが今日の課長護送係に指名されたんですね」
ん? 何それ? 課長護送係?
「指名って? どういうこと?」
「あれ? 御手洗さんご存じないんですか?」
「ご存知って何を?」
いったいなんの話だ?
「そっか、御手洗さんってほんとは一課でしたよね。二課の飲み会は初めてなんだ」
「山本が課長に昇進してからは、そうかな」
それ以前も結構アイツ酷かったし、課長になってからはもっと酷くなったって聞いてたから誘われても今まで付き合わなかったんだよね。
「実はですね、御崎さんって、実質、山本課長の奥さんみたいな人じゃないですか」
「そうだな、随分と前から同棲してるらしいし」
「それでですね、山本課長ってば絶対いつだって寝ちゃうから、どーしても誰かが送ってかないといけなくなっちゃうんです。でもみんなそんなの嫌じゃないですかー」
当たり前だ。あんなのどうして送ってかなきゃなんねぇんだよ。
「うん、それで当然みんないやいや送って行ってると」
「そうなんですよ。それで、それなら御崎さんに護送係を決めてもらおうって、二課の誰かからアイデアが出たんですよ。御崎さんに言ったら二つ返事でオッケーしてくれて、それからかな、二課の飲み会に御崎さんが出席するようになったのは」
「ふむ。総務の御崎さんが二課の飲み会に出てるのは、そういう理由だったってわけね」
――なるほどね。この送ってくださいっていう御崎さんのお願いって毎度のことなのね。それが今回はたまたま俺だってことなんだと。それなら民主主義的にしゃーないか。
「でも今日は残念でしたね」
「まぁな。誰だって嫌だもんな」
「いえ、そうじゃなくてですね、今日は御崎さんの同乗がないので……」
「ん? 御崎さんが同乗してたからって、結局、一緒に乗って送ってくのは変わんないし一緒じゃん」
すると、何やら木村さん、訳ありそうな表情で少し声のトーンを落として言った。
「あのですね、送ってくのは山本課長が巨漢デブでタクシーから降ろすのが大変だからです。そうじゃなきゃ御崎さん一人でいいじゃないですか」
「だから?」
「だから、そんなの女子社員には無理じゃないですか」
「……だから?」
「だから、それって全部男子社員になるじゃないですか」
ったく何が言いたいんだ、木村さんは。一度に言え、一度に。
「そりゃそうだけど、木村さんは何を言おうとしているの? てかこれ何の話?」
すると、木村さんはさらに訳ありそうな表情をして、声のトーンをヒソヒソレベルまで落としていう。
「男子社員、全員、タクシーには御崎さんと並んで後ろに座るんですよ。課長を助手席に突っ込んで」
……。
……、……、あっ、そういうことか。鈍い俺でもやっと気付いた。
「そっかー、そういうことか、なるほど。役得って奴か」
すると、ご名答と言わんばかりに、明るい表情で木村さんは軽く両手を叩いた。
「そうですそうです。要するにですね、だからですね、二課にはそんなアイデアを出した知恵者がいると」
知恵者? 誰だそれは? ……あっ、こういうのってあいつじゃんか。
「伊東か」
またしても木村さんは軽く手を叩いて嬉しそうな表情。
「さすが御手洗さん!素晴らしい。あははー。……しっかし男って何でそんなにエロばっかなんですか?」
なこと俺に聞かれても、知らんがな。
「いや、でも、エロってほどではないと思うけど。所詮タクシーで隣に座るだけだしさぁ、ちらちら横目で見るだけでしょ」
「えー、伊東さんは、明らかに偶然を狙って胸揉むとか言ってましたよー。あの人、本当サイテーですね」
……あの馬鹿。
「でも、御崎さんのこのメモ、お礼ってなんなんだろ?」
と、木村さんは御崎さんのメモを見つめながら不思議そうに言う。
「送ってくお礼のことでしょ?」
「そんな筈ないですけどね。そりゃタクシー代は全額出してくれますけど、お礼なんて聞いたことないけどなぁ。何だろ? 御手洗さんだけ?」
俺だけの筈はないように思うけど、違うんだろうか?
「さぁね。何なんだろうね?」
「なんか微妙に興味あるなぁ。御手洗さんだけ特別?」
「なわけないでしょ」
「私も特別扱いされたいなぁ、――お礼、貰ったら何だったか教えてくださいね」
「あーい」
***
飲み物注文係の木村さんと二人末席でそこそこ楽しく喋ってたら、いつの間にか随分静かになってきたみたいだった。状況としては、俺たちの他に3つくらいグループに分かれて喋っている。――が、山本がどこにも見当たらない。そろそろお開きの時間だし、俺は介助役やらないといけないし。すると、誰かから「今日の課長護送係は誰?」と声がする。
「ああ、それ、御崎さんに指名されたのって俺だけど、山本ってどこに行っちゃったの?」
「こっちこっち」
と伊東が上座の背後にある衝立を動かすと、山本は畳の上で大の字になってグーグー
それで、山本を無理やり起こして、二階だったので三人掛かりくらいで必死になって山本を階段でおろし、伊東が山本の右側、俺が左側から支えてタクシー乗り場まで歩かせることになった。その三人分のカバン持ちを入れると、何と三人係りである。手間のかかる野郎である。
巨漢でへべれけに酔っ払ってフラフラの山本を、苦労の末、何とかタクシー乗り場まで着くと、うまい具合にタクシーはあまり待たずにゲットすることが出来た。で、山本を載せようとしたんだが、今回は俺と二人で後部座席なので先に俺が乗り込んで、伊東が山本を押し込む形になったのだが、これがまた大変。さっさと乗れっつってんのに、乗ろうとしてなんども降りようとするみたいに巫山戯やがって、正直その時点で頭にきてた。クソ酔っ払いめが。
「伊東君さ、こいつ、家に着いたら大分マシになるってほんとなの?」
確か、他の誰かがそんなことを言ってたと思うので、ドアが閉められる前に伊東君に尋ねた。そうでないなら、こんなクソデブどうすんだ?
「ああ、今はそんな感じだけど、大抵は割とさっさと酔いは冷めちゃうみたいよ」
「ならいいけど、心配だなぁ。じゃぁ行くわ。運転手さん、取り敢えずこの方向しばらく真っ直ぐだから、出して下さい」
タクシーなんて滅多に乗らない。飲み会とかあんまり行かないし、行ったとしても山本みたいに酔いつぶれるほどは飲まないし、終電過ぎてまで仕事することもないし。車も持ってないから、車の中から夜の繁華街の景色って見たことあんまりないんだよな。なんか独特の風景。
なんかあっちにもこっちにも酔っ払いサラリーマンっぽいのがウロウロしてっけど、こういう世界ってホント縁ないよなぁ。あれなんか、クラブのママさんかなんかなんだろうか、手を降って見送ってたりして。なんか別世界だよね。
山本は結構色々店行くって話だけど、そういうとこで女癖の悪さを発揮してたりするんだろうな、きっと――。
「お客さん、まだ真っ直ぐですか?」
「ええ、まだ真っ直ぐでいいと思いますけど、ちょっとスマホで確認しますね」
ったく、のんきにグーグー寝やがって。ほんとに着くくらいにはマシになってんのかなぁ――と、思った矢先、山本がいきなりバカっと上体を背もたれから起こしたので俺はビックリした。
「すんませーん、運転手さん、◯◯町って分かります?」
なんだなんだ? しかも◯◯町ってお前んちじゃないぞ? それって――。
「はい、わかりますけど、ちょっと方向違いますね」
「○○町行って」
「はい、わかりましたー」
と、運転手はウインカー出して次の信号で右折しようとする。
「ちょ、山本って、◯◯町、違うだろ」
「そう、御手洗んち」
「はぁ? お前まだ酔っ払って」
「アタマは酔っ払ってねぇよ。身体はフラフラだがアタマはバッチリさ」
「まぁいいけど、これじゃ逆に山本が俺を先に送ってくって形になるけどいいの?」
「違う違う、俺は今日は家には帰んない」
「帰らない?」
――すると、山本、腕組みして少し思案してるような素ぶりを見せてからしてから、言った。
「悪いけど御手洗さ、今晩だけ泊めてくれないか?」
はぁ? 何言ってんのこいつ。
「山本を泊める? 俺が?」
「ワケは後で話すから、スマン。運転手さん、◯◯町の◯丁目交差点のとこまでね。悪いけど、もうひと眠りさせて」
って、どいうつもりなんだ? こいつ。つか、絶対あり得ねぇってば。くそっ、このやろ、ひと眠りとかさっさと寝やがって。なろー、こうなったら――。
「運転手さん、申し訳ないけど元の道に戻って」
「え? 元の道ってさっきの大通り?」
と。運転手が聞き返してきたかと思うと、即座に山本が目を開けて慌てて言う。
「ば、ばか。戻らないって! 御手洗んちに行くんだって!」
「行かねぇよ! 何でお前を泊めなきゃなんないんだよ!」
「だから今日だけって言ってんだろ! 一応今お前の上司なんだから命令には従え!」
「仕事じゃねぇだろうが!運転手さん、さっきの道に戻って下さい!」
「戻らなくていいよ運転手さん!」
「お、お客さん、ちょっと困ります!」
と、困り果てた運転手は急ブレーキに近いくらい思いっきり減速して道端にタクシーを止めた。
「喧嘩するんだったらここで降りてもらえませんか? 申し訳ないけど、それ以上口論するんだったら通報しますよ?」
すると、山本が運転手に向かって言った。
「申し訳ない。あの、ちょっと降りて話し合いますので、ここで待ってていただけますか?」
「分かりましたけど、まだ喧嘩するようだったら即座に警察に通報しますよ?」
「了解っす。……御手洗、一旦降りてくれ」
仕方ないので、山本の後を追うようにタクシーから降りる。
――その場所は繁華街から少し離れた、まだまだ時間的に交通量の多い大通り沿いの歩道上。
「山本さぁ、どんな理由あるか知らないけど、そんないきなり
と、かなり気分を害した口調で言ったのだが、山本は急に
「すまん。ホント申し訳ない。でも俺、今日だけは駄目なんだよ、どーしても自分ちには帰れないんだ。玄関先でもバスルームでもいいからさ、今晩だけ、泊めてくれたら嬉しい」
かなり切羽詰まってる様子は伺えるけど、でもなぁ……。
「ダメだって。お前、御崎さんが家で待ってるんだろ?」
「……だからその、まいちゃんが」
なんだ、妙にその巨漢が小さく見えるんだけど?
「まいちゃん? ああ御崎さんのことか。御崎さんがどうかした?」
「と、とにかく、ホント申し訳ない。これ、お前の貸しにしていい。仕事のミスとか全然この先当分、俺の方でなんとかするからさ、とにかく今日だけ! 今晩だけ泊めて下さい!」
と言うなり、突然道端にしゃがみ込んで、俺に向かって土下座までする。流石にそこまでされると呆れるしかない――。
――て言うか、こいつ、御崎さんのこと、まいちゃんとか呼んでるわけか。なんかこんな状況で笑えるけども。ま、土下座までされたらしゃーないか。
「分かったよ。一人暮らしで狭くて汚いけど、今晩だけなら泊めてやるよ。恥ずかしいから土下座なんかやめろって」
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