第8話 御崎舞のお願い事

 仕事に没頭してたので、昼休憩くらいしか御崎さんを俺の隣に座らせるって言う件について考えることが出来ず仕舞い。そのまま標準退社時刻が過ぎる時間となった。もっとも、まだ誰も帰ろうとはしていないが窓の外は明らかに日が沈みかけ。まったく、一日などあっという間だ。


 今日も細かな仕様変更指示がいくつか、山本から出され、みんなブーブー陰口を叩いていた。やれ、あのボタンをこっちに移動させろとか、そのフォントはおかしいとか、画面の遷移をもっとスムーズにしろとか、たったそれだけがどれだけ大変だと思ってんだ。それで品質は上がるとしてもだ、もっと早く言うか、みんなと相談してからして欲しいものだ。いっつも一方的だからみんな不満がたまるんだよ。クソ山本め、確かに有能だけど。


 御崎さんを俺の隣に座らせる作戦は簡単だ。行く店は知ってるし、あの店ならば座敷で、テーブルを四つひっつけて十六人をふた手に、八人ずつ分けて座らせる。だからみんなに詰めてもらって、一番最後にどちらかを選んで座れば、うまい具合に末席の一つが空くことになる。だが問題は、それを実行すべきか否かが問題だ。山本の嫉妬心に火をつけてしまう行為が果たしていいのか悪いのか。


 いや、実際、俺には何の関係もないのはわかってる。そりゃさ、御崎さんはすっげー魅力的だし、俺だって一般男性の端くれだし、もしかしていいことの一つや二つあったらいいのになぁだなんて、妄想もしなくはないが、所詮は妄想だ。

 だからもし、山本に詰め寄られたって、ほんとに何にもないんだから、非難される筋合いもない。そもそも俺を明らかに見下してる山本がだ、俺に対して嫉妬心を抱くなんてことはないのかもしれない。今朝だってあっけらかんと「彼女出来た?」とか嘲笑してくるような奴なんだから。


 みんなでそろそろ一緒に退社して飲み会に馳せ参じようかなぁという空気が感じられる様になったときには、御崎さんのお願いに従ってみようという考えにかなり傾いていた。

 だが、ぞろぞろと会社から歩いて十分ほどのその創作料理店に向かってみんなで歩きながら一人考えていると、やはり御崎さんの目論見がどうしても気になってくる。一体何故なんだろう? それだけは皆目検討もつかなかった。


 などと、歩きながら思案していると、今朝、山本と御崎さんの件で警告を発してきた同僚の伊東が話しかけてきた。

「御手洗、どしたの?なんか考え事してるみたいだけど」

「え?」

 そうだ、こいつにちょっと相談してみるか。

「あのさぁ、実はさ――」と今朝、休憩室で御崎さんから頼まれたことがあるという、その内容を話した。

「マジで? 御崎さんにそんな頼まれごとしてたわけ?」

「そうなんだ。だから伊東君にあんな風に脅されるみたいなこと言われてさ、ビビっちゃって」

「……でもそれ、超羨ましいじゃんかよ。あの御崎さんがなんで御手洗如きに頼み事なんか。なんかムカつく話だな、それ」

「御手洗如きは余分だよ。でも、これってかなりヤバイだろ?」

「確かにヤバイけど。でも、それ、御崎さんのお願いに応じるべきだな」と、伊東は意外なことを言う。

「なんで? 山本から問い詰められたら?」

「しらばっくれりゃいいんだよ。当たり前じゃん、何にもあるはずねーんだから」

「ちょ、おい、おま、他人事ひとごとだと思って」

「違うって。あいつ、独演会ワンマンショーじゃんか。あれかなり鬱陶しいからさ。御崎さんが御手洗の隣りに座ったら気になって独演会どころじゃなくなるんじゃねぇかと」

「つまりあれか、みんなの為を思ってと」

「そうそう、そゆこと。あとさ、御崎さんを俺と御手洗の間に座ってもらうようにしようよ」

「はぁ? お前何考えてんの?」

「いーじゃんか。そんでさ、こう、御崎さんにお酒ついだりしてさ、こっちも酔っ払って、間違えて御崎さんのあのおっぱいにお酒かけちゃったりしてさ、「すみません!すみません!」とか謝りつつおっぱいをオシボリで拭くフリして触っちゃったりして」

「呆れた奴だな。お前さ、それ絶対セクハラで訴えられるぞ」


 まったく。悩んで相談した俺がバカだった。まぁいいさ、とりあえず御崎さんの席確保するか。でも、どうしてなんだろ? なんで、御崎さんが俺の隣に座りたがるわけ?


 飲み会が始まるやいなや、長々とした山本の挨拶が始まってから以降、延々と山本の独演会が続く。それも仕事の話ばっかり。やはり奴はサイテーだ。みんなは話し合わせてるけど、内心はみんな嫌がってて、あちこちで少人数同士会話しようとするんだけど、頻繁に山本が話し相手を指定しては変えるもんだから、おちおち楽しく自分たちだけで会話を楽しむことすら出来ない。その上、飲み会好きなくせに、すぐ酔っ払ってしまう。こりゃマジで堪らんわ。伊東が独演会止めさせろとの意味で御崎さんを俺の隣に座らせる作戦に乗ったのも、そりゃ分かる。俺は本来は一課だから、山本参加の飲み会なんて久しぶりだったからあんまり実感なかったけど、こりゃ酷い。


 ただ、何故だか知らないが、山本が俺を話し相手に指定することは全く無かった。それはそれで御崎さんに席を開けて末席で待つ俺には都合が良かったが、とにかく全然指定しない。チラチラと何度かこちらに視線を送っているのは俺も気がついていたが、俺の方はほとんど寂しく一人で飲み食いしているだけだった。伊東はと言うと、彼も酔っ払って楽しくなってしまったのか、既に全然別の席に移動してしまっていた。つーか、なんだよ、あいつ。あれだけ独演会嫌だって言ってたのに、めっちゃくちゃ楽しそうに山本独演会に付き合ってんじゃん。意味わかんねぇよ。


 ――飲み会始まって一時間ほど経って、その座敷の出入り口になってる襖が開いた。ちなみに俺は末席だからその襖のすぐ側に座ってた。


「すみませーん、遅くなっちゃって」

 御崎さんだった。みんなが口々に「おつかれ~」と挨拶もそこそこ、御崎さんは直ぐに俺の隣りに座る。それを見た既に出来上がってる山本が言う。

「おーい、そんな末席に座らないでこっち来いよ」

 だが御崎さんはこう言ってあっさりそれを蹴った。

「あんたの近くは嫌だよ。うるさいもん。こっちはゆっくり飲みたいんだから、そっちは勝手に盛り上がってて」

 わぁ。なんか一瞬で感動してしまったぞ。つまりあれか、山本って御崎さんの尻に引かれてるって感じか。山本はそれ以上何にも言わなくなったし。


「御崎さん、まずはお疲れ様でした」

と、御崎さんの斜め前に座っていた女性社員がビールをグラスに注いだ。

「ああ、ごめんなさいね。ありがとう」

 と、注がれたビールを半分以上、グラスに両手を添えて一気にぐいっと飲む。わぁ、その仕草もなんか色っぽい。

「御崎さんて、いつも御綺麗ですよねー」と、その女性社員が言う。彼女は確かまだ今年入ったばかりの新入社員だ。

「ちょ、やめてよ、もう。お世辞なんて言ってもなんにもあげないわよ」

「お世辞じゃないですよぉ。御手洗先輩だって思うでしょ?」

 いきなり話を振られた俺は思わず「ごほっ」と咳込んだ。

「…いや、まぁその」

「あ、駄目ですよ先輩、ちゃんと「はい」って答えなきゃ」

 いや、俺こういう会話駄目なんだ。ったく、自分でも呆れるがノミニュケーションみたいな才能ははっきり言ってゼロだ…。だから、結局せいぜいがシドロモドロになるしかない…。

「ははっ、そ、そうかもな。うん」

 すると、御崎さんが助け舟を出してくれた。

「ちょっと、先輩をからかったら駄目だよ。だいたいねぇ、いまどき、女の人に向かって「綺麗ですね」とかもセクハラだよ。あたし総務だからハラスメントにはうるさいよ」

「えー、そうなんですか?」

「だよなぁ、御手洗くん。ほら、黙ってないでなんとか言いなさい」

 と背中を軽くバンと御崎さんが叩いた。その勢いで持っていたグラスからビールが溢れる。

「あら、ごめん。ちょっとお絞り取ってくんない?」

 と新人女性社員に御崎さんが指示する。御崎さんがそのお絞りでテーブルの上に溢れたビールを拭いたかと思うと、そのまま俺の太腿辺りに溢れたビールまで拭こうとしたので、流石に慌ててしまう。

「あ、御崎さん、そこはいいです!自分で拭きます!」


 ――ところが「いいからいいから」と、ガンガン拭き始める、俺のズボンを…。


「わぁ、いいなぁ、御崎さんに拭いてもらうだなんて、羨ましいなぁ先輩」と新人女性社員。

「こらぁ、そうやってまた御手洗くんをからかってるな。ふふふっ」

 いやあの、「ふふふっ」ってそれ、笑うところ?…と、ふと何やらその瞬間、強烈な視線を感じた。山本だった。げっ!睨んてるじゃんか、明らかに。


「ねぇねぇ君、名前はなんて言ったっけ?」と御崎さん。

「あ、申し遅れました、木村静香きむらしずかって言います。今年入ったばかりの新人ですが、よろしくお願いします」

「そっかそっか、新人さんだったよね。木村さん、ちょっと悪いけど、みんなの分の飲み物聞いて、注文してくれない?あたしは瓶ビールでいいから」

「分かりました。御手洗先輩は…」

 と木村さんは順次、他の人の注文を聞きに行った。すると、木村さんが席を離れたのを見計らったように、御崎さんが小声で俺にだけ聞こえるような声で、ビールで濡れていた座敷の上を拭きながら話しかける。

「どうしたの?御手洗くん。かっちゃんの方を見てるみたいだけど」

「え?…あ、いや、別に何も」

「もしかして、ガンつけてきたんじゃない?」

「ええ、なんか、そんな感じですけど…」

「やっぱりそうか…」

「やっぱり、とは?」

 だが、拭き終わっても御崎さんはそれに対する返事はしなかった。というよりも、どうもその「やっぱりそうか」は俺に対する返事ではなくて、独り言のようにも思えた。


 その後、木村さんが席に返ってくると、山本独演会に付き合わさせられている人達には悪いなぁとやや思いつつ、三人でそこそこ盛り上がるような会話をして過ごした。

 御崎さんにお願いされたとは言え、結果的に末席に座るようにしたのは大正解だった。何と言ってもくだらないサイテーの独演会に付き合わなくて済むし、御崎さん、木村さんと話すのはなかなか楽しいものだったから。あんまり飲み会とか付き合わないけど、こういう具合に気楽に楽しく会話出来るってのもいいよな、うん。俺ももうちょいノミニュケーション能力付けなきゃいけないのかもしれん。


 で、御崎さんが来て一時間くらい経った頃。

「あ、もうこんな時間だ。あたし今日はちょっと早く帰らないと駄目なんだよね」

 と御崎さん。

「え〜?まだ御崎さん来てから一時間くらいしか経ってないですよ?駄目ですよ、まだ」と木村さんが席を立とうとする御崎さんに言う。

「ごめんね。また今度一緒に飲みに行こうね」

 と、あくまでも帰ろうとする御崎さん。その際、誰にも見つからないような形で、ジャケットのポケットから一枚のメモを俺にさっと手渡しながら、一瞬、コソッと俺にこう耳打ちしてきた。

「悪いけど、お願いね」

 で、軽くみんなにも挨拶してさっさと帰ってしまった。


 なんだろう? お願いって? と思いつつ、そのメモを読んでみると……。


《山本は必ず潰れて寝てしまうと思いますので、申し訳ないのですが、帰り御手洗さんが送ってあげて下さい。よろしくお願いします。P.S.お礼は致します》


 ん? 何これ? ――。

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