第7話 山本勝男と御崎舞
「お前さー、もしかして彼女とか出来ちゃったり?」
――あー、もう、朝からうぜぇな、山本は。
先月からあるプロジェクトの応援要員として、システム部一課の俺は、二課の仕事を手伝っている。結構大きなプロジェクトで、とある企業のロジスティクス、つまり配送関係のシステム刷新のためのプロジェクトだ。これを率いているのが、二課の課長でプロジェクトリーダーの
「いえいえ、山本課長を見習って少しは身なりを小奇麗にしようかなーなんて思いまして」
山本の方はいつも、ベリーショートで丁寧にヘアワックス使って整えられた今風のヘアスタイル。多分、こまめに美容院とか行ってんだろうなって感じ。
「何、俺に媚び売ってんのさ。御手洗のヘアスタイル見てみんな噂してるぜ、遂に御手洗にも彼女出来たのか、って。隠すなよ。うひひ」
あー、全くうざい。みんなが噂してる? 違うだろ。山本自身があちこちで勝手に自ら噂話してるだけじゃねぇか。
――確かに、隣人の櫻井千夏さんを意識して、こんなんじゃみっともないと思って、美容院行ったんだけどさ。でも、ヘアスタイルとかよくわかんないから、「あの写真みたいに」って店内に飾ってあった写真みたいにって言ったら、こんなんになっちゃったの。くっそ、鬱陶しいからちょっと仕返ししてやるか。
「そんなんじゃないですよ。課長みたいにモテ男になれればいいかなぁとは思いますが」
「何それ? 嫌味? もしかして」
やったぜ。俺は山本が一瞬狼狽えて、ちらっと視線をある女性社員の向けたのを俺は見逃さなかった。彼女に聞こえるくらいの声で言ってやったわけだが。みんな知ってるんだからな。山本が誰がどう見たって女癖が悪いってのをさ。
「山本課長、そんなことより、明日のプレゼンテーション資料、いちおう仮案作っておきましたので、サーバーの方に移しておきましたから確認していただけますか?」
「おう、サンキュ。やっぱ御手洗くんは仕事が速いね。助かるよ。やっぱ男は仕事だよ仕事、先週みたいなことすんなよ。じゃぁな」
ったく。一言多いんだよ、いつも。
――先週みたいな、というのは、俺が仕事でミスった件のことで、俺の方が山本より先に帰って、その後処理を山本がしなくちゃいけなくなった、それを延々毎日顔合わせてはチクチク言われる。純粋なミスだから言い訳はしないが、山本はしつこいんだよな、ったく。
大体さ、山本が仕様をどんどん自分で率先して変えるからこっちも大変なんだよ。課内のそれをみんなも不満がってる。でも、それが逆に取引先や上司連中の高評価に繋がっているというのがあって誰も文句言えないってだけで。下で働く方は本当に大変なんだけど、結局は山本が見事にまとめてしまうので信頼するしかない。仕様変更の度にみんなは陰でブツブツ「だったら最初から言えよ」と口癖のように言っていたりするんだからな。
それに、山本にみんなが不満を持つのは他にも理由がある。女癖が悪いというにも関わらず、二課のスペースすぐ側にある総務部の
「あーそうそう、御手洗さぁ、御手洗は所属が一課だからホントは関係ないんだけど、今晩の二課の飲み会に御手洗も来る?」
自分のデスクに戻った筈の山本がまた俺の側に来て、言った。
「え? どうしてですか?」
「いや、急に一人欠席することになっちゃって、もう予約しちゃっててその分だけ取り消すってことも出来ないからさ、どうかなって思ってさ」
ふと、櫻井千夏さんのことが頭を過る。もしかすると、今晩、櫻井さんの「何か考えておきますね」が来るかもしれない。
「いや、遠慮します」
「なんだよ? やっぱ彼女出来た?」
あー、もーしつこい奴だな!
「だから、違いますって。あの人は彼女なんかじゃありません!」
――あっ。し、しまった。どうして、そんな余計なことを……あ、なんか周りからも視線が集まって。
「……御手洗、そのあの人のことについて色々聞きたいなぁ」
くそ、こいつ、意地汚ねぇ勝ち誇ったように笑みを浮かべやがって。……みんなもこっち見てるし、小っ恥ずかしいなぁ、畜生。
「行きますから! 飲み会!」
「何そんなムキになってんの? あはは。まぁいいや、とにかく今晩な。場所と時間はパソコンで確認しておいて」
――くっそ。何なんだ? ったく朝から。あーうぜぇうぜぇ。
つか、なんで俺もムキになって飲み会オッケーとかしてんだよ。そもそも、山本のいる飲み会は行きたくないんだよ。いっつもあいつの
はぁ、プロジェクト応援なんか断ればよかったなぁ、社命だから無理だけど……。行きたくないけど、みんなに聞こえるくらいの声で行くつっちゃったからなぁ。
櫻井さんは、取り敢えず隣人だし、別に今日って約束してるわけでもないから、それはいいとしても、行きたくないなぁ。
――あーもう、なんかムカつく! と俺は取り敢えず飲み会の予定をPCで確認すると、デスクから立って休憩所に向かった。
休憩所はビルの地下にあって、まだ始業したばかりだから誰もいなかった。自販機でカップコーヒーを買い、テーブルにどかっと一人座って意味もなくスマホを弄る。
――まいったなぁ、月曜日からこんな気分の乗らない事態になるとか思わなかった。今日も早く帰って、たとえ櫻井さんが来なくっても、ワクワクして待とうかと思ってたのになぁ。このヘアスタイルだって、その為なんだし。
しかしこれって、毎朝きっちりワックスで調整しなきゃならんとかめんどくさいもんだ。世間のイケメンさんとかって意外とめんどくさいことやってんだなぁ……。
などとポケーッと髪の毛をいじっていると、すぐそばにあるエレベーターホールからこの階に到着した「ポーン」という音が響く。振り返りはしなかったが、誰だろうと思っていると、俺の座るテーブルの横を女性社員が通り過ぎる。微かに化粧か香水の匂いがした。
奥にある喫煙コーナーに入ったその人は、御崎舞さんだった。……へぇ、御崎さんって喫煙者だったのか。確か、山本ってすっごい嫌煙家だったと思うけど、大丈夫なのかな。にしても、あのテーブルに肘ついて、なんか物憂げそうに長髪かき上げながらタバコ吸う姿って、色っぽいなぁ。胸もおっきいし、シャツの間から谷間まで見えてるんだけど……。
と、ぼーっと眺めていると御崎さんはニコッと俺の方に向いてタバコを持った手を軽くこっちに降った。……え? 何? それって何の合図?
わけが分からずポカーンとしていると、御崎さんが喫煙コーナーから出てきて、俺がいるテーブルの対面に腰掛けたではないか。
「初めましてじゃないけど、はじめまして。話したことないもんね」
「ええ、そうですけど?」
「さっきの、すっごく面白かったんだけど」
「さっきのって?」
「御手洗君、だっけ?」
「あ、はい、御手洗です」
「御手洗くんさぁ、かっちゃんみたいにモテ男になれればいいかと思って、だなんてすっごい厭味ったらしく……あ、かっちゃんって山本のことね、あんな風に人から嫌味言われてるの見たことなくてさ、かっちゃん、すっごく狼狽えてたし」
――それはそれとして、ダメだ、御崎さん、俺みたいなののそんなすぐ傍に対面で座るとか刺激的すぎるんですけど。しかも、そ、それって胸、なんでシャツの上の方のボタンを外してるんですか? と、思わずゴクリと唾を飲みそうになった。
「ちょ、何よ御崎くん、どこ見てんのよ」
「え? す、すみません」
「ったくもう。あのさぁ、このシャツ会社からの支給品なんだけど、ただ単に物理的にボタンが閉まらないだけだから。ったく男ってやつはどいつもこいつも。セクハラだよ、それ」
「申し訳ありません……」と、俺は項垂れるしかなかった。でも、それ見るなっていう方が拷問なんだけど。
「まぁいいけど。でね、御手洗君にちょっとお願いがあるんだけど」
「お願いとは?」
「今日さぁ、二課の飲み会あるでしょ。私も行くからさぁ、あたしの隣に御手洗くん座ってくれない? 上手いこと開けておいて欲しいっていうかさ、あたしちょっと遅れるし」
「出来なくはないと思いますけど、またどうして?」
「いいからいいから。適当に理由作って開けるようにしておいてよ。あたし御手洗君の隣りに座るから。じゃぁね、仕事に戻るから」
と、そそくさと御崎さんは席を立って休憩所を後にしてしまった。
御崎さんが俺の隣に座る? なんで? そりゃ席を開けるくらい出来なくはないと思うけど、……なんで? 首を捻るしかない。いやまぁ、そりゃ悩殺バディの御崎さんだからさ、悪くはないけどさ、今初めて話ししただけの人をなんでなんだろ?
俺は首を捻りながら、仕事に戻った――。
だが、自分のデスクに戻ると、隣席の同僚、
「御手洗さぁ、御崎さんとなんか関係あんの?」
「関係って?」
「いや、御手洗、さっき多分下の休憩所に行っただろ?」
「うん」
「それを追うように御崎さんがエレベーターホールの方に出ていってさ、それをじーっと山本が目で追ってたわけ」
山本が目で追ってた?
「だから何? 確かに御崎さんのタイミング的にはそうだったと思うけど」
「なるほど、御手洗と御崎さんは休憩所に同時にいたんだな」
「でも、その、たまたま一緒だっただけで」
あ、でも、たまたまじゃないな、これ。御崎さんが、ああいうお願いをして来たってことは、伊東の言うとおり俺を追いかけて来たのか。
「やばいよ、それ」
「ん? 何がやばいの?」
「あいつ、すんげー御崎さんにゾッコンなんだからさ」
――確かにそれはよく聞く話だ。なんでも、俺より三つ上、山本からすると二歳年上の御崎さんが同じ会社にいるのを山本が見つけるなり、その日から物凄いアプローチをしてモノにしたと聞く。
そう言えば、一度、同じ社の違うフロアの男性が御崎さんを口説こうとしたらしいが、山本は血相を変えてその男性社員のところに乗り込んで、かなり厳しく問い詰めたらしい、とも噂で知っている。えー、俺もそうなっちゃうってこと?
「いやいや、そりゃないって。俺と御崎さんだぜ、そもそも世界が違うよ。相手になんないし」
「いやそれはわかってるけどさ、御手洗がそのヘアスタイルしてきた今日その日に、しかも朝一番に
「ないない。たまたま一緒にいただけだし」
実際には、たまたまではなさそうだけど……。
「なら、いいけど。山本のあの目付き、ただ事じゃ済まないって感じにも見えたぜ。気をつけろよ」
「うん」
――いやしかし、おい。つーことはだ、今日の飲み会で御崎さんと隣席だとか相当やばくないか? しかも俺が御崎さんのためにわざわざ席を開けておくとか、結構マジヤバなのでは? でも、御崎さんから頼まれただけだし、それ以外理由はないし。御崎さんのお願いに従わないほうがいいのか?
困り果てて、同じフロアをふと見渡すと、受付で外部の人とやり取りしている御崎さんが視界に入った。御崎さんもこっちに気がついて軽くウィンクしてきた、様な気がした。どうしよ? ――。
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