第30話 婚約指輪

 十一月もそろそろ終わり。今日は一日中雨。以前に御崎さんと「ひまわり」って喫茶店に呼び出されて以来、もっかい行ってみたいなぁと思ってたのに、なかなか行けなかった。ジャズ喫茶やジャズの生演奏が聞ける店っていうのが、そこそこあるのは知ってた。が、その「ひまわり」のあまりに隠れ家的な魅力は群を抜く。ビルの谷間のような狭い路地にあって、外からじゃそんな店だとは全くわからないだろうし、何より、このネット全盛のご時世にネットで調べても一つの紹介記事すら出てこない、ってんだから。


 というわけで、仕事終わって一人、喫茶「ひまわり」にやってきた。だが、そこがジャズ喫茶というのは俺の思い込みだった。だって、入っていきなり「あれ?これジャズ?」って。まず最初に掛かってたのは、古い女性ロックシンガー。他のお客さんが話してたのを聞くところによれば、ジャニス・ジョプリンのクライベイビーって曲だっていう。しかし有名ジャズ女性シンガーにも全く引けを取らないどころか、あっという間にその圧倒的な歌唱力に魅了されてしまった。同じく、そのお客さんによれば、史上最高の女性ロックシンガーで、時代を超えて全世界で尊敬されていて日本だとスーパーフライの越智志帆、アメリカだとエイミーワインハウスなどが有名なんだって。ちなみにワインハウスはジャニスと同い年で亡くなったらしい。俺はよく知らないが。


 ジャズを聞けるかと思ったら、意外にも古いロックをその日は色々聴けて、なかなかこれもいいかと思って、また来ようと小一時間ほどで席を立とうとしたら、御崎さんがちょうど入って来た。よく一人で来るって行ってたから危惧はしてたけど、今日は雨降ってるし来ないんじゃないかなと思ってたのにね。あんまり関わりたくないんだけど……。


「御手洗くんこのお店、気に入っちゃったみたいね」って感じで、俺、軽く会釈しただけで何も言ってないのに対面に座る御崎さん。但し、関わりたくないと言っても、お色気悩殺っぽい雰囲気だけは相変わらずで、いわゆる「いいオンナだなぁ」的魅力は認める。この人が俺の童貞奪ってくれんなら、是非お願いしたい、ってくらいには。

「気に入った、っていうかオーディオの音がいいんで」

「だよね。なんかじっくり聴いてしまうよね。何の曲かよく知らないけどさ」

「御崎さんは普段はどんな音楽聴くんですか?」

「コブクロとか? 福山雅治とか?」

 うーん、そいつはここでは絶対に掛からないだろう。

「御手洗君は?」

「最近はエスペランサ・スポルディングとかかなぁ」

「そんなの全然知らない」


 ――みたいに最初は、ふつーに雑談してた筈なのに、いつの間にか男女の色恋の話になって来てて、遂には……。

「で、その子の名前なんて言うんだっけ?」

「櫻井千夏さん、ですけど」

「そうそうその千夏さんのこと、真隣に住んでるんなら、毎日会っちゃったりとか?」

「いやいや、そんな、だって友達だし」

「あれ? なんて言ってるってことは、千夏さんのこと好きなんでしょ?」

 ちっ。俺ってほんと会話が下手だなぁ。バレバレじゃん。でも御崎さんにバレても特に困ることはないか。

「そうですね、一応、ちゃんと交際できたらいいのになぁ、とは思ってますけど」

「ダメだよ、せっかく隣に住んでるんだから、もっとガンガン攻めなきゃ。あんな可愛い子だったら、他の男の人にすぐ取られちゃうよ」

 ケイにも同じ事言われたなぁ……。

「ですかね。毎日一応スマホでメッセージのやり取りはしてるんですけど」

「えー、真隣でそれは何か変。かっちゃんだったら毎日会おうとすると思うよ。最初の頃すごかったんだから、かっちゃんって。毎日帰りに待ち伏せされたんだよ?」

「ほんとですか?」

「毎回やんわり断ってたんだけど、断っても断ってもケロッと次の日にはまた待ち伏せ。「こいつ頭イカれてんのか?」って思ったけど、あんまりにもしつこいから、こっちが根負けしちゃってさ。夕食一回くらいなら付き合ってもいいかなって。それで応じたらその最初の夕食で交際申し込まれて、で今に至る、みたいな」

 へー、そういうやり方もあるんだ。直球投げまくり、みたいな感じか。そういうの俺にも出来るのかなぁ……。

「そういうしつこさは確かに俺には欠けてるところかも」

「御手洗君には御手洗君のやり方があると思うけどね。しつこいからって、うまくいくとは限らないし……」

 って言ったっきり、御崎さんはなぜか沈黙してしまった。


 で、ちょっと店に長居し過ぎかなぁと思って席を立とうとしたら……。

「……正直、もう、かっちゃんと別れちゃおうかと」

「え? 別れるんですか?」

「うん。御手洗君にだけ話した事だけど、何回もこっちからプロポーズしたりとかね、この前なんか、婚姻届まで用意してサインまでさせたのに、「やっぱり待って欲しい」って返されてさ」

 ああ、あれか。あのクシャクシャの婚姻届。

「何故なんですかね?」こっちとしては、まだ女遊びしたいからだと思うけどな。

「……そういうのも、もう考えるのしんどくなってきたからさ。そろそろお店出よっか」


 と、外に出たら、雨がどんどん酷くなってきて、御崎さんと二人で駅まで走って、傘差してんのに結構濡れまくりながら、駅舎の入り口まで入った。

「すっごい雨酷いですね」

「もう頭とか服とかビッショビショー」

「じゃぁ、俺、あっちの線で帰るのでここで」

「うん、お疲れ……あれ?」

 と、御崎さんは言って、駅舎の外を見ているので、俺もそっちを向くと……あ、山本がなんかこっちに向かって走ってくるけど。で、山本もこっちに気がついて走って側まで来た。

「はぁ、はぁ……」とかなり息が上がってる様子の山本。

「かっちゃん、どこから走って来たの?」と御崎さん。確かに来た方向は会社の方角ではない。

「渋滞で、はぁはぁ、タクシー動かないからさ、はぁはぁ……今から、会社、はぁ……戻らないと、やばい」

「ヤバイって何が? 今日、確か、あのシステムの最終の検収だったんだろ?」と俺は、山本のスケジュールを思い出したのでそう言ったんだが。

「不具合で……、はぁはぁ、……本格稼働させたら大変な、ことに、なる事がわかったんだ」

「ええ? あれ、明日からじゃんか」

「だから、御手洗も、頼む、一緒に手伝ってくれ」

 それは不味い。あんなデカイ案件が失敗したら大損害だぞ。よしっ。

「わかった、俺も会社に戻る」

 そしたら御崎さんも。

「私も行く!」

 すると山本が。

「まい……、じゃぁ、帰った奴らを、電話で呼び戻してもらうとか、頼む」

「うん!」

 で、降りしきる雨の中、俺たち三人は会社に戻ったんだな。その時点で夜七時半。とにかくひっどい雨で、地方では酷い災害も起きた程だった。


 会社に戻って、呼び戻して来てくれたメンバーらと必死で修正作業が続いて、ようやくなんとかなりそうという目処が立ったのが深夜二時。もう、勘弁してくれって言いたいほど大変だったが、後は朝まで自動化されたテストを通せば終わり。御崎さんも、コーヒーなどの飲み物配ったり、夜食やお菓子の買い出しに行ってくれたりと頑張って助けてくれた。他のメンバーはタクシー使わせて帰ってもらったが、山本と御崎さん、そして俺の三名は朝まで残ることになった。何故かというと、御崎さんは応接室のソファーでぐっすりお休み中で起こし難かったのと、山本は責任者だから、で俺はくじ引きの結果。テストでエラー出たら最低二人で対応する必要があったから。


 夜中の二時、会議室で資料片付けてたら、山本が入って来た。

「御手洗、ありがとう。本当に助かった、感謝してる」

「いいよ、別に礼なんか。まだ朝まで結果見てみないとわかんないんだし」

 山本は会議室の椅子にどかっと腰を下ろして、足をテーブルに投げ出した。

「だな。でも伊藤くんと御手洗がいなかったら、間に合わなかったかもしれないって思ったらゾッとする。マジであの雨の中、このままどっかへ逃げてやろうかと思ったくらいだからな」

 その気持ちはスッゲーわかる。下手すりゃ莫大な損害賠償だもんな。……でも「逃げる」と言えば――。


「なぁ、山本、今日さ、駅で俺、御崎さんと一緒だったじゃん」

「そう言えばそうだったな」

「たまたまさ、駅の向こうにある喫茶店で御崎さんと一緒になったんだよ」

「駅の向こう側?」

「山本は知らなかったのか。とにかくさ、その喫茶店でさ、御崎さん、結構悩んでたみたいだったぞ」

 すると、山本は黙り込んでしまった。山本も十分わかってんじゃん。

「どうして御崎さんと結婚してやんないの?」

「……別にいいじゃん、御手洗には関係ないんだからさ」

「そりゃ俺には関係ないけどさ、御崎さんから話聞かされた身としては、山本の取ってる態度は理解出来ない。そんなに女遊びが大事なのか?」

 すると山本、テーブルに乗せてた足を下に下ろして、机を右手でバン!と叩いた。

「そんな事じゃない。御手洗には関係ないから」と言ったかと思うと席を立って会議室から出て行ってしまった。


 確かにな、俺には関係ない話だけどさ。……でも、なんか気になっちゃうんだよなぁ、あの二人。何でなのかなか……、ん? あれ、なんだろ?

 ふと、山本の座ってた椅子の上に小さな青色の箱ようなものが見えたので、山本が机の上に足投げ出してたから、ズボンのポケットから落ちたのかなぁ? と思って手に取ってみると――。

 これ、指輪のケースじゃん。で、パコッと開けて見たら、ダイヤモンドらしき宝石の指輪が。


 なんだよ、これ。これって婚約指輪じゃねーか。てことは、山本の奴、もしかしてプロポーズのチャンスを狙ってたって事か? だったら、さっさとすればいーじゃんか。なんでさっさとしないんだろ? ……と、ふと御崎さんが以前言っていた、山本が三回目のプロポーズを断った時のセリフを思い出した。


《プロポーズは俺の方からする。それもきちんとした思い出に残る方法でしたいから待ってて欲しい。一生一度のことだから》


 要するに、……その「きちんとした思い出に残る方法」を思いつかないとか、そういう事? まさか、たかが、それだけ? とにかく、この指輪、山本に返しに行こう――。


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