第38話 千夏、酔潰れる。

 朝からこんなクソ大雨ってマジかよ。毎朝やるって決めたのになぁ。……結構きつい雨だし、やめとこうかなぁ。……いや、やっぱりやる。決めたことだし。スマホで調べると、大雨洪水注意報発令中。昼前くらいまでは続くらしいが、ともかく雨降っててもやらねば。


 部屋の中からベランダ越しに、その大雨を眺めつつ、毎朝やると決めたとは言え、うまくいくかなー? とやはり不安。昨晩もスマホでちなっちゃんとメッセージのやり取りは出来なかった。どーしても引っかかっちゃうからなぁ、過去のことが。でも、大雨だからって、一日でやめるわけにもいかんだろうと――。 


 しかし、ちなっちゃんは時間に正確だった。昨日と同じ朝七時四十分にはマンションから出てきた。昨日は明らかに待ち伏せとわかっただろうけど、同じようにエントランスのすぐ外で待ってたのに、声かけても雨音が激しくてちなっちゃんはこっちに気づかない。仕方ないのでちょっと追いかけた。


「ちなっちゃん、おはよー」

 ちなっちゃんは立ち止まってすぐ振り返ってくれた。

「おはようございます、酷い雨ですね」

「すごいよなぁ、でさ……」

 って夕飯を外でって言おうとしたら、横を通り過ぎた車がかなりの水しぶきを撒き散らしてって、水は掛からなかったが、こんな酷い雨の中言うセリフではないなと。とにかく駅まで急ぐしかない。


 それで、やっと駅舎に着いて、お互いに傘を畳みつつ、やっと言えた。

「ちなっちゃん、今日はどう? 夕食一緒に外で」

 すると、少し間があってから、ニコッと笑って、

「いいですよ。どこで待ち合わせしますか?」

 ってオッケーもらえた。何だこれ?、すっごいすんなり行ったではないか。

「じゃぁ……、えっと、仕事中にメッセージするから」

「わかりました」


 まさか、こんなにすんなりいくとは思ってなかった。それに今日はニコって笑ってもくれたし。ともあれ、意外と幸先はいいかもしれん。昔のことにさえ触れなきゃ、何とかなる。よしっ!


 ***


 にしても、ほんと俺って経験の無さが酷すぎる。だって、夕飯一緒に外で食べると言ったって、どこにすればいいのか皆目分からない。んとに馬鹿。何で前もって決めておかないのか。仕事中に何度もスマホで食べログとか検索したりしても、余りに多すぎてどこにすればいいのか悩みまくり。


 その姿を後ろからこっそり見てる奴がいた。同僚の伊東武雄だ。


「悩むよな、そう言うのってさ」

「ちょ、何だよ、後ろからいきなり。伊東かよ」

 伊東は俺の隣にある自分のデスクに座った。

「分かるよ分かる、俺も超迷ったもん」

「お前、一体何の話してんの?」

「とぼけんなよ。それ……」と伊東は言うと、周りをチラッと見渡して声を潜めて「デートだろ?」と囁くように言った。

「だったら何なんだよ?」

「いやいや、俺も先週同じことしてたからさ。相手は誰だと思う?」

「知るかよ」

「そんな冷たくしないで、もっと興味持って欲しいなぁ」とニヤニヤしやがる。

「何で伊東のデートの相手に興味持たなくちゃなんねーんだよ、ってば。……お前、もしかして自慢したいわけ?」

「当たり! だってさぁ、大成功したし、御手洗ちゃんには知って欲しいかな、と」

 あーもう、どーでもいいわ、そんな話。さっさと終わらせよう。

「で、誰よ?」

「聞いて驚くなよ?」と言うと、また辺りを見渡して声を潜め、「……新人の木村静香ちゃん」と言った。

「……それ、ちょっと驚いたわ」いや、ほんとにちょっと驚いた。こいつ、新人の女の子に手を出しやがったのか。

「だろ? ビックリしたろ?」驚くなって言ったじゃねぇか、今さっき。……あ、そうだ、それならこいつに聞いてやろう。

「で、そのデートで食事はどこに行ったの?」


 棚ボタって奴だなこりゃ。伊東が木村静香とデートで使ったと言うイタリアンレストランを使うことにした。早速、ちなっちゃんにメッセージ。待ち合わせ時刻はそのレストランで夜八時と決まった。


 ***


「ごめんごめん、俺の方が近いのに遅れちゃって」

 ちなっちゃんは先に来て待っててくれた。

「いえ、私もさっき来たところなのでそんなに待ってないですよ」

 なんとなくだけど、ちなっちゃんは多分結構待ってたと思うんだけどな。


 パスタやサラダ、スープ、などなど味はそこそこと行った感じのお店ではあったが、フォッカッチャが美味くて、食べ放題だったからちなっちゃんと二人で結構食べた。

 会話は思っていたよりはずっと弾んだ。お互い社会人だから、仕事の話がほとんどになったけど、商社の人ってめちゃくちゃ多岐にわたって商材を扱ってる、やってないのは武器密輸と人身売買と薬物くらい?、みたいな話が盛り上がった。もちろん、過去の話には一切触れなかった。


 その後、ちなっちゃんがなんと仕事で使うというスナックがあり、そこへ行こうという話になった。それ自体にも驚いていたのに、店に入ったら入ったでボトルキープまであって、意外過ぎて吃驚。仕事上のお付き合いがあるから仕方ないとは言ってたけど、俺はボトルキープどころかスナックを含め夜の世界は全く知らなかったからさ。で、スナックでもカラオケとかを歌ったりと、色々とちょっと盛り上がり過ぎて、気付いたらちなっちゃんがカウンターで突っ伏して寝てて、タオルケットが掛けられていた。


 で、タクシーでもよかったんだけど、終電に十分間に合うくらいにちなっちゃんが起きて来たので、電車で帰ろうということになった。だが……、ちなっちゃんは明らかに飲み過ぎ。電車の中では寝てたけど、駅に着いてからが――。


「た、たかしさん、フラフラで歩けない」

 と、電柱で止まってうずくまること十回以上。

「でもさ、楽しかったよねー」

 というセリフは数えきれず。

 俺は仕方なく、ちなっちゃんの腰に手を回してそのふらつきを抑えつつ、通常なら十分の道のりを、その倍の二十分以上かけてやっとマンションに到着。

 俺はもうこの時点でほぼ完全に酔いは覚めてた、と同時に結構疲れてた。フラフラな人間をマンションまで連れて帰るのがこんなに大変だとは。腰に手を回しても役得とか考える余裕もない、ちなっちゃん酒臭いし。


 それで、四階フロアに上がって、部屋の前で半泥酔状態のちなっちゃんとバイバイ、というわけには行かず、仕方ないからちなっちゃんの部屋に一緒に入ったら、突然、ちなっちゃんは靴を脱いだかと思うと脱兎の如く大股で奥のベッドまで行って、そのままベッドにうつ伏せで倒れこんでしまったのだ。


「ちなっちゃん、ダメだよそのまま寝たら」

「隆さん、うるさい」

 こんなちなっちゃん見るの初めてだ……。取り敢えず水でも飲ませようかと、キッチンまで行ってコップに水道水汲んで戻ってくると、ちなっちゃんのうつ伏せになってるベッドに腰掛けた。

「ちなっちゃん、水飲んで」

 すると、うつ伏せになった状態から、体を横向けて上半身だけ起こし、コップを受け取って水を飲んだかと思うと、またうつ伏せに――。

「……もう、帰っていいよ。あたいはダイジョービ」

 ダイジョービって……いや、そのままじゃ、また風邪引くってさ。

「ちなっちゃん、取り敢えず着替えようよ」

「……うう、そんなことよりさ、あの人本当にただのお友達?」

「あの人?」

「そう、あの女の人」

「誰の話をしてんの?」

 酔っ払って俺を誰かと勘違いしてんのか?

「……決まってんじゃんか。隆さんの女友達と言えばさぁ、……あのお泊まりの」

 ――ああ、そのことか。つか、酔っ払うとこんな口調になるのか、ちなっちゃんって。真面目一本かと思ってたのに……。

「友達だよ。ただの友達」

「……嘘だ」

 はぁ? ちなっちゃんおかしいよ。

「いや、本当だってば。あの時だってただ泊めただけ」

「……隆さん嘘吐き。もうやだ、サイテー」

 何がサイテーなんだ? つかなんで嘘なんだよ。

「嘘じゃないってば。なんでそんなこと言うの? ちなっちゃん」

「だって、凛が「絶対やってるに決まってる」って昨日も言ってたもん」

 ……原因はアイツか。ふざけやがって。くそー。

「ないないない。天に誓ったって神様に誓ったって、あいつとは絶対エッチなんかしないから」

「……」

 あれ? 反応がない。寝たのか?

「ちなっちゃん寝た?」

「やってなくても、好きだったりするの?」

 え……。

「いやだからさ、親友……」

「親友とか関係ない。好きかどうか」

 ちなっちゃん、どうしたのかな? 酔っ払ってるから変なこと言ってるだけ?

「と、とにかくさ、ちなっちゃん、まずは着替えないと」

「後で着替える。……答えは?」

「答えって、そりゃ親友だからさ、嫌いなわけないじゃん」

「……好き、なんだ」

「だから、それは親友としてさ……」

「いいなぁ……」

 なんなんだ?これ。

「とにかく、着がえよって、ちなっちゃん」

「……」

 あら、ダメだ、とうとう本当に寝たか――。


 俺は止むを得ず、起こすのは諦めて、どうにかこうにか上着のジャケットだけ脱がせて布団をかけてあげた。


 ――まさかなぁ。このちなっちゃんと俺が同じ火事の被害者とは。ったく信じられんよ。こんなの奇跡としか言いようがない。……ほとんど何も思い出せないけど、一緒に遊んでたりしたのかなぁ。でも、多分、俺はあの時――。


 そのベッドの脇に腰掛けて、少しの間、ちなっちゃんの寝顔をぼんやりと見つめてから、そろそろ自分ちに戻ろうかと、部屋の戸締りだけを確認して、電気を消して部屋を出ようとしたら……。


「……約束したのに」


 と、ちなっちゃんが寝言を言ったように聞こえた――。

 




 




 



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