第32話 夢の中の犬

「優作、さっきの人を知ってるの?」

 ケイがそう言うと、優作は腕組みしながら上を向き、しばらく思案してから言った。

「うーん、……思い出せない。でも確かにどっかで見たことある」

 ケイの方を見ると、私は知らないとばかりに、肩をすくめた。

「見たことあるって、優作君、どっちの方? 金髪の? それとももう一人の方?」

「それも……、なんかスッゲー似てたし」

 確かに、瓜二つとまではいかないけど、そっくりには近いってくらいだからな。だからっつって、優作君が見たことあるからって、それががどうしたって感じだけど……。

「じゃ、隆、また」と、ケイと優作は帰って行ったんだけど、エレベータに乗るまで優作は何度も首を捻っていた――。


 それから三十分後くらいに、松茸なんつー滅多に食することなんかない高級食材ももらったことだし、なんか作ろうと思っていつもの駅前のスーパーに買い物に出かけた。

 さっと茹でた豚バラしゃぶしゃぶ肉と、薄切りした松茸を、サラダ油とバター同量で炒めて、塩コショウして、醤油をかけると美味しいと言うレシピを、確か料理愛好家の平野レミが言ってたよなぁと思い出して、豚ばらしゃぶしゃぶ肉を買おうかな、と。

 それで、スーパーの肉売り場まで言って、豚ばらしゃぶしゃぶ肉を探してたら、ふと牛肉のある方にあの金髪を見つけた。

「こんばんわ、凛ちゃんも買い物?」

「あ、こんばんわ。ええ、アネキと二人でさっきも来てたんですけど、作ろうとしたら牛肉忘れてて」

「夕飯何作んの?」

「ビーフシチューっす。あ、御手洗さんも一緒に食べます?」

「うーん、どうしよっかなぁ。……じゃぁ、こっちも作るから、それそっちに持ってくし、一緒に食べよっか?」

「りょーかいっす。二人より三人の方が楽しいし」


 ――というわけで、期せずして、ちなっちゃんの部屋の方で夕食になった。


「……へー、じゃぁ凛ちゃんの元旦那さんってすっごい厳しい人だったってわけか」

「そうなの。毎日激おこぷんぷん丸みたいな人」

「それはでも、凛が旦那さんを怒らせるからでしょう?」

「だからさ、アネキは知らないからそんなこと言えるんだよ。あの人のかまちょぶりはマジパネなんだからさ」


 ってな風で、イマドキJK語満載みたいな凛ちゃんの話し方がちょっと新鮮だったが、夕食後三人で楽しく会話が盛り上がった。で、ふと、優作が言ってたことが気になって聞いてみようと思ったんだ。


「ところでさ、神崎優作って知ってる?」

「え? 誰? てか聞かれてんのはアタシ? アネキ?」

「あー、どっちも」

「アタシは知らないけど、アネキは?」

「うーん、……知らないなぁ。隆さん、その神崎って方はどういう?」

 ふーむ、全然知らないみたいだなぁ。よくわかんないけど、ただの優作の勘違いみたいだな。ま、取り敢えずどういう人かは説明しとこうか。

「いやね、ちょっと前に廊下で、ほら俺んとこに来てた人いたじゃん。その男の人の方がね、二人見て「どっかで見たことがある」って言ってたからさ、聞いてみただけ」

「ああ、あの男の人ですか。……うーん、私は全然記憶にないなぁ。凛は?」

「さっきの、背の高いリーゼントっぽい髪型の口髭生やした男の人ですよね? ちょっとイケメンかなぁと思ったけど、……知らないなぁ」

「そっか、ならいいけど」


「で、その隣にいた女の人って、もしかして?」

 ……うっ、なんだ凛ちゃん、そんな口角上げてニヤついて意味深な。

「凛ちゃん、だからさ、あの人とはほんと何にもないんだってば」

「……アタシ別に何も言ってないけど。あはっ」

 ちなっちゃんはと言うと、俺に背を向けてキッチンで洗い物を続けているのだが、なんかその沈黙の背中は、やっぱ耳そばだててるよな、明らかに。これって、やっぱ完全には疑惑は晴れてないってことなのかなぁ……。

「とにかくさ、あの子は親友の神崎恵子って言うんだけど、ほんとに泊めたのはあの日だけ。ちっちゃい頃からの幼馴染で仲いいってだけで、そんな関係じゃ全くないんだからさ」っと言ってチラッとちなっちゃんを伺うと、……まだ無言の背中。

「そんな関係ってどんな? あはっ」こいつ、調子に乗りやがって。

「だーかーらー、幼馴染なだけってさっきから言ってるじゃん」

「へー、……でも、なんか幼馴染っていいよね。幼馴染かぁ――」


 って、凛ちゃんが言ったその時、ドン!ってちなっちゃんがキッチンのシンクに食器か何か落としたみたいな音がしてちょっとビックリ。そしたらすぐにちなっちゃんが。

「凛、悪いけどお風呂洗ってくれる? あなたこっちのお風呂に入って帰るんでしょ?」

「え? まだ早くね?」

「さっさと洗って!」

 って、偉くきつくちなっちゃんが凛ちゃんに命令口調で言う。その上俺にも、

さん、申し訳ないけど色々とすることがあるので――」

 と、帰って欲しい意思を示す。

「あ、じゃぁ、ごちそうさまでした」と自分の部屋に帰ることに。

 でもその後、「おやすみ」って言ったのに凛ちゃんだけが返事して、ちなっちゃんは何も言わなかった――。


 ***


 ――あれ、やっぱ、ちなっちゃん、怒ってたのかなぁ


 確か、ちなっちゃん、さっき俺のことさん、つってたし。

 怒ってなきゃ、さん、なんて言わないよな。


 はぁ……。やっぱ、ケイが泊まったってこと、ちなっちゃん気にしてんのかなぁ。

 メッセージで直接……、聞けねぇよな。つか、もしかして、また返事返ってこないかもしれんし。

 あーあ、どうすりゃいいんだ?、これ。

 つい一昨日までは、普通にメッセージ楽しくやってたのになぁ。

 でも、ケイをあの日、泊めたのってあんなの断りようがなかったし。まさか凛ちゃんがインフルエンザの看病に来てて、氷枕の氷をあのタイミングで取りに来るか、と。

 どうして、ちなっちゃんの冷蔵庫で氷作っとかねぇんだよー。

 ……なこと言っても、今更しゃーねぇけどさ。

 やっぱし、いくら幼馴染だからっつって、親友つっても相手が女の子だと、エッチの一つや二つあったってイマドキ不思議じゃないってことなんだろうか? 凛ちゃんもそんなこと言ってたけど。

 でも、実際何にもなかったのになぁ……、後ろから抱きつかれただけだし、ほとんど寝ぼけてたし。ノーブラおっぱい背中で触感あっただけだし。……はぁ。


 ――あ、でもさ、てことはだよ? え? つまり、ちなっちゃんは、俺に……え? つまりあれか、要するに、その、えーっと……なんて言うんだこれ?


 ――好き、ってこと?


 てことになるよな? だって俺のこと好きでもないのに、ケイを泊めたからって怒るわけないよな? だよな? ……うーむ、この考えに対する反論は……、特になさそうだ。え? でもこれ、マジで? ウソ……。

 ――いやいや、そうなるよ、それしかないって。

 ――ちなっちゃん、俺のこと好きなんだ。


 わー! やったー! やったじゃん俺! なんかチョー嬉しいんだけど。

 マジかよ! まさかちなっちゃん、俺のこと好きなんだ!

 やったー! わーい……。


 ――いや待て。もうちょっと慎重にならないと。

 

うん、浮かれてはいけない。

 仮にそうだとしても、あの真面目なちなっちゃんのことだから、ケイを泊めた件についてはやっぱり怒ってる、と。

 怒ってるってことは……、つまり、俺は評価下げてる、と言うことになる。

 てことは、どうにかして、挽回しないといけない、と。

 そう言うこと、かな?

 要するにだ、これ以上評価下げてしまうと、仮にちなっちゃんが俺のことを「好き」だったとしても、「好き」で終わってしまうことになる、と。


 ――てことはどっちにしてもこれ、ヤバイってことじゃんか。


 わー、どうすりゃいいんだ? これは……


 ――みたいなことを延々と考えてたのは覚えてる。ベッドの上でそんなことばっかずーっと考えててなかなか寝付けなかったんだけど、とにかく延々と考えて、いつの間にか眠りについてしまった。

 それで、寝てる時に、何日かぶりにまたあの夢を見たんだ。例の美少女が出て来て、わけのわからない意味不明な展開で、で必ずその美少女の声「隆くん助けて!」でパッと目が覚めるって夢。


 ただ、ほとんど同じなんだけど、少しだけそれまでとは違う夢だった。それがどうして今までと違うのかはわからない。


 けど、あの犬は実在した。絶対に間違いない――。




 


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