ハーレム皇子と反逆の姫騎士

海老炒飯

第1話 プロローグ(1)

吸い込まれそうな深い闇色の、真っ黒なドレス。背中の編み上げ紐を結び終えたメイド服姿の少女が、「終わりました。姫殿下、着心地はいかがですか」と声を掛けた。

「あぁ、悪くない」

王国には存在しない『しるく』という高級な生地を贅沢に使って仕立てられた豪奢なドレスは見た目以上に軽やかで、肌触りがいい。悪くない、どころか申し分ないと言った方が相応しい。

「鎧を着けてもよろしいでしょうか」

また別のメイドの少女が尋ねる。

「頼む」

立ったまま短く答えると、5人の少女が一斉に周囲に立ち、テキパキとドレスの上から戦装束を取り付けていく。

手首から肘までを覆う篭手、肩当てと一体になった胸当て、そして、脛当て。どれも眩しいばかりの銀色に輝いているが、もちろん、本物の銀製ではない。これも、帝国で最近開発されたばかりだという特殊な金属で作られている。


鎧を着け終えた少女たちが、足音一つ立てず、楚々とした足取りで下がって行った。

肩を回し、軽く片足を持ち上げて前後に振ってみる。

軽い。

なんて軽いのだろう。

思わず、感嘆を漏らしそうになって、気を引き締めた。

王国で身に着けていた鉄製の甲冑とは比べ物にならない。

これならば、剣を振るうにも全く問題にならないはずだ。

「姫殿下、どうぞ、こちらへ」

促され、部屋の隅に置かれている人の背丈よりも大きな姿見(これほど大きな鏡を作る技術は王国に存在しない)の前に立つ。

鮮明に映し出された自身の装いを見て、胸中、言葉には出来ない複雑な思いが去来した。


よもや積年の宿敵である帝国の軍服を、こうして身に纏うことになろうとは夢にも思ってみなかった。一片の想像すらしたことはなかった。それも当然だろう、自分は、王国の正統なる王位継承者の一人なのだから。生まれ育った王国に、刃を向ける。

裏切り者と誹られることだろう。

しかし、迷いはなかった。

帝国の地を踏んでからの、1年間。この目で見て、確かに感じた。

人と人の、いや、種族、性別をも超えた、雑多な暮らし。そこには、王国と同じように、喜びや悲しみ、生きる者たちの懸命な営みがあった。

そして、王国にはない、一つの、大切な、あるもの。目には見えないけれど、確かに存在する、かけがえのないものを見つけた。

この1年、驚き、悩み、惑い、時に自分自身を責めたこともあった。これまで生きてきた価値観さえも揺さぶられ、ひっくり返され、自身の在りよう、生き方までも否定される思いだった。

しかし、今なら信じられる。

この胸の奥で息づく、熱い想いを。

知らず知らずのうちに、ぎゅっと拳を握り締めていた。


「…あの、姫殿下、とても良く、お似合いです」

おずおずと掛けられた少女の言葉に、鏡の中で彷徨っていた思考がスーッと戻ってくるのを感じた。

見上げている幼い顔立ちの少女の澄んだ瞳を見れば、その言葉がお世辞などではなく、本心から出たのだと分かる。

「そうか」

微かな笑みを浮かべて返すと、少女のネコ耳が嬉しそうに揺れた。見れば、周囲にいる他のメイドたちも、ヒクヒクと獣耳や尻尾を蠢かせている。みな、黒いドレスと銀色の鎧を身に纏った自分を、目を細めて見入っていた。

「ところで姫殿下」

「なんだ」

「髪は、いつもと同じに、いつものように編んで構いませんか?」

腰まである長い金色の髪を一房、掌ですくい上げる。細く柔らかな、豊かに実った小麦のような黄金色。王国の民の憧れ、誰よりも美しいと讃えられた自慢のブロンドヘアを見詰めた。

ちょうどよい機会かもしれないな、と思う。

そうすることに何の意味もないが、これから新たな道を歩んでいく。決意した自分自身への証だと考えて、言葉にした。

「いや、編まなくてよい」

普段はうなじの辺りで束ね、邪魔にならないよう一つに編み込んでいた。

「えっ!?」と短く漏らし、戸惑う少女へ、告げる。

「切ってくれ」

鏡の前で、椅子に座った自分の後ろに立つ少女が鋏を手に持ち、もう一度、確かめるように「姫殿下、本当に、よろしいのですか」と尋ねた。

「あぁ、構わない。そうだな、出来るだけ短くしてくれ」

なるべく穏やかに、しかし、迷いなどないと伝わるように、はっきりとした口調で答えた。


シャキン、シャキンと鋏が鋭い音を鳴らすたび、床に金色の髪が散っていく。

じっと鏡の中の自分、その胸元を見やる。

自分のためだけに作られた特製の甲冑の胸当てには、「剣を掲げた黒鷲」の小さな徽章が刻まれていた。

少女たちのメイド服の襟元にも、同じ徽章が留められている。

帝国軍唯一にして随一の精鋭、帝国皇帝直属の特務部隊「黒鷲隊」に所属する者だけが着けることを許された徽章。こうして身の回りの世話をする彼女たちもまた、本職はメイドなどではなく、自分の護衛を兼ねた黒鷲隊の隊員だった。

一人ずつならばともかく、この部屋にいる全員を一度に相手にしたならば、自分でも敵わないだろう。実戦経験も豊富な一流の兵士たちなのだ。

「…姫殿下、出来ました」

肩にかからない程度に切り揃えられた髪に手をやり、「うむ、上出来だ」。そう言うと、鋏を手にした少女はホッと安堵の息を吐いた。

軽くなった首元に満足し、立ち上がったところで、ふいに背後から「姫殿下、どうぞ、これを」と声を掛けられた。

振り返ると、メイドの取りまとめ役(にして黒鷲隊の中でも五指に入る実力の持ち主)のネコ耳少女が、床に肩膝を着いた最敬礼の姿勢をとっていた。両手で恭しく1本の剣を掲げ持っている。


聖剣「クリスタルローゼスホワイト」


王国の正統王女である証。

鞘も柄も、一点の澱みのない純白。

鍔や鞘の部分には水晶で精緻な飾りが施された宝飾品さながらの美しさでありながら、魔法で強化された刃の切れ味は鉄の鎧をも両断する。

「うむ」

王族らしく鷹揚に頷き、1年振りに、半身ともいえる剣を手に取った。

見た目以上にずしりとした感触が右手に圧し掛かる。

帝国の軍服姿で王国の聖剣を腰に下げる。えもいわれぬ感慨が胸の内に満ちてくる。

メイドの少女たちも全員、まとめ役の少女の背後で同じように肩膝を着いて深々と頭を下げた。

「此度の姫殿下の黒鷲隊副隊長ご就任につきますれば、喜びと感激に満ち溢れた我らの心中、言葉で現すこと出来ぬほどであります。我ら一同、全力で御身お護りする所存につき、姫殿下におかれましてはどうか、我らが主君、総隊長とともに、存分に王道をお進みください」

メイドのまとめ役の少女は、この1年間、未知の敵国での日々に戸惑うことばかりだった自身にとって、最も身近にいた一人だった。正規の肩書きは、黒鷲隊総隊長の護衛を専門とする警護隊長。少女の力強く真摯な、忠誠を誓う言葉に「面を上げよ」。王女として威厳に満ちた声色で応える。

少女のくりっとした猫瞳を真っ直ぐ見詰め返す。

「我が決意、決して揺るぎはせぬ。諸君らの働きに期待する」

「はっ!」

メイドではなく、警護隊として一糸乱れぬ唱和。全員がもう一度、胸に右拳を当てて深く頭を垂れたところで、コンコンと扉をノックする音が広い部屋に響いた。

「総隊長がお見えになりました」

扉の向こうから、すっかり聞き慣れた女性の声が聞こえた。

「支度は出来ている。開けてよい」

大きな扉が軋む音一つ立てることなく、静かに開かれた。

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