第42話 「砦攻防戦」編(6)

エルフは自分たちの文化や伝統、生活習慣を頑なに守り、別の種族とは交流しない。ドワーフやアマゾネスといった亜人種、ネコ族やウサギ族といった獣人族のように他種族とともに街で暮らすことも、働くこともない。

今でこそ、王国であれば、宮廷の官吏や軍の魔法騎士、治癒魔術師などの役職に就くエルフは一定数存在している。だがそれは対価として、王国内でエルフだけの独立した地位を得るため、エルフ族の掟に従って務めを果たしているにすぎない。

決して、王国に忠誠を誓い、忠義を尽くしているからではなかった。

大多数のエルフは、王立騎士学院でマリアの同期だったチェスカリーゼの実家のようにエルフが領主を務める土地で、エルフだけで集落をつくり、自分たちだけで日々の生活を営んでいる。

エルフがエルフであることに、ときに他種族を見下すほど強烈なプライドを、過剰なまでの誇りを持っているのは、言うまでもなく世界で唯一、魔法を使える種族だからだ。

神の現し身、神の御姿を映した種族とされるヒトではなく、魔法を操れる自分たちエルフこそが、神に最も近い存在だと信じている。

故に、魔力の根源であるエルフの血、血統を最も尊ぶ。

故に、他の種族との混血はエルフにとって、最大の禁忌だった。


長身でがっしりとした体格、軍服の上からでも分かる豊満な肉付き、赤色のクセ毛に褐色の肌。スズネがアマゾネスなのは間違いない。

しかし、帽子を脱いだスズネの耳は、アマゾネスには決してありえない、エルフ特有の尖った形をしていた。

アマゾネスらしからぬ小顔に切れ長の涼しげな瞳、派手ではなく静謐に整った美しい顔立ち。肌の色こそ褐色で金髪でもないが、あらためて見れば首から上はまごうことなく、エルフの特徴を兼ね備えている。


ダークエルフであれば、エルフ以外の種族がその姿を見ることはなくとも、エルフの里から決して出てこないだけで、存在していない訳ではない。存在が許されていない、という訳でもない。

生命力を自在に操れるせいで他の種族からは恐れられているが、エルフの中ではむしろ、崇拝の対象ですらある。

だが、エルフと他種族の混血は違う。存在が珍しいのではなく、種族の掟で存在自体が許されていない。

スズネは、存在するはずのない、存在だった。

もしも王国でエルフと別の種族との混血児が生まれたら、禁忌を犯した大罪人として断罪され、間違いなく生きていられない。

生涯にわたって追っ手が掛かり、捕まれば種族の恥として親も赤子も、火あぶりにされるだろう。


帝国の地を踏んで以来、日々驚くことばかりですっかり驚き慣れてしまい、大抵のことでは驚かなくなったマリアが、「信じられん…」と漏らし、スズネの耳を凝視して固まってしまうのも無理からぬことといえた。


茫然自失のマリアの手から、スズネがそっと漆黒の大剣を取り上げた。

右手で掲げ上げた剣から途端に膨大な量の魔力が放出され、灼熱の炎となって刀身を覆い尽くす。

「タケル殿下から賜った私の宝物。世界でたった1本、私のために創造された剣。大切な、私の全て…」

瞳を潤ませて魔力の炎渦巻く剣をうっとりと見詰め、陶酔した表情を浮かべている。漆黒の大剣を下賜したタケルへの忠誠を超えた深い愛情を垣間見せた。


普段、あまり感情を露わにしないスズネが、タケルのことを思い浮かべただけで恋慕の情をさらけ出す。屈強な兵士ではなく、女の顔になる。

あの小柄であどけない顔をした皇子のどこに、帝国最強の剣士の一人であるスズネすら惹きつける魅力があるのか、マリアにはまだ分からなかった。

ふと魔力の炎がかき消えた。


愛しそうに漆黒の刀身を指先で撫でているスズネの横顔に、「そうか、エルフの杖と同じ、魔法の触媒として剣を使っていたのか」。ようやく〝魔剣〟の仕組みが理解できたと、納得顔のマリアに「違います」と一言。静かに鞘へ収め、不正解だと告げた。

振り向いたスズネの表情は、もとに戻っていた。

「いま、詠唱していないでしょう」

指摘されたとおりだった。漆黒の大剣が魔剣ではない以上、刀身に炎を発現させるためには魔力を制御する呪文詠唱が必要になる。


魔力は、エルフの体内から放出されただけでは、ただそこにあるだけでは、世界に何の影響を与えることもできない。

見ることも、触れることも、臭いを感じることもできない魔力を利用するためには、攻撃や防御に使うには、呪文詠唱が欠かせない。

放出する魔力を詠唱によってさまざまな物質、現象に変換し、制御してはじめて、魔法として発動する。魔力は、詠唱する呪文によって、さまざまな効力を発揮する。

そのための呪文を、エルフは何世代も掛けて編み出し、蓄積してきた。

優れた術者であれば(ユキナが掌を触媒に治癒魔法を使ったように)自身の身体を触媒として魔法を発動させることができる。多くのエルフが杖を触媒にするのは、魔力を放出するイメージが描きやすく、魔法へと無駄なく変換でき、制御もしやすいからだ。


「エルフの血を引く私の身体には魔力があります。魔力量は精霊種と同等か、それ以上。ですが、私は魔法を使えません。呪文詠唱で魔法を発動させることができません。何度やってもできませんでした。恐らく、私が純血のエルフではないからだと思います」

スズネが再び剣を抜いた。

「魔力など私にとって、何の役にも立たない、無駄でしかないものでした。でも、タケル殿下が授けてくださったこの剣さえあれば、呪文詠唱などせずともこうして魔力を流し込みさえすれば」

刀身が、今度は炎ではなく、激しい稲光を帯び始めた。

「魔法を発動させることができる。殿下のお役に立つことができる」


マリアは以前、奴隷商人の殲滅作戦でリリカが呪文詠唱なしに杖を振るっただけで大規模転移魔法を発動させたときのことを思い出していた。リリカが思わず口走った言葉を覚えていた。

「詠唱刻印…。剣自体が、スズネの代わりに呪文を唱えてくれる、という訳だな。それが、その剣の秘密か」

「そうです。帝国の最重要軍事機密の一つ、術者の詠唱が不要な魔法発動、詠唱刻印です。魔力を流し込む位置を変えるだけで」

稲光が瞬時に消え失せ、スズネとマリア、傍らにいたミーナをも覆う大きな半円の魔法障壁が発動した。

「すごい」

ミーナが思わず感嘆を漏らす。

「なぜ、そんな重要な秘密を、敵国の王女である私に明かした?」

「姫殿下にお伝えするよう、殿下に言われていましたから。理由は分かりません。ただ、姫殿下には詠唱刻印が持つ意味を考えてほしいと仰っていました」


詠唱がいらないというのは、大きなメリットだ。しかし、魔力自体はエルフしか持ち得ていない。詠唱刻印が、どれほど大きな可能性を秘めているのか、(バッサ砦が陥落したときの戦闘で何があったのかを知らない)このときのマリアにはまだ、思いが及ばなかった。

一方で、分かったこともある。


「なるほど、それほど貴重な剣を与えられれば確かに、スズネが殿下を慕うのも理解できる」

「そうではありません」

スズネが不満げな表情を浮かべて否定した。

「殿下は私に、私のような異端の存在に…」

石造りの黒鷲隊本部、3階にある隊長室へ顔を向け、言った。

「生きる意味を教えてくださったんです」


「生きる意味?」

「ええ、そうです。初めて殿下にお目にかかったときのことです」

スズネは剣を収めた巨大な鞘を軽々と背負った。

「姫殿下、お腹は空いていませんか」

昼食後、ずっと剣を振るっていた。激しく動き続けたせいで空腹でないといえば嘘になる。ただ王国の正統王女として、素直に頷くのも憚られた。

乱れた金髪のまま戸惑うマリアをよそに、「私はもうお腹ペコペコです」。ミーナが明るく元気よく、代弁するかのように声を上げた。

「話すと少し長くなりますから、場所を変えましょう」

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