第43話 「砦攻防戦」編(7)

マリアやスズネたちは、黒鷲隊本部の2階にある隊員食堂にやってきた。

タケルや幹部専用の食堂も別にあるのだが、各隊の隊長たちはタケルと一緒でなければ決して使わない。砕けた口調で話をしたり、親しく接したり、普段はそうしていても、皇族であるタケルのための場所を自分たちだけで使うという考えを誰一人持っていなかった。引くべき一線は明確だった。

昼食時間はとっくに過ぎ、夕食にはまだ早い時間帯。厨房からは仕込み作業の音が聞こえてくる。

「中途半端な時間にすまないな」

食堂には他に誰もおらず、3人は窓際のテーブル席に腰を下ろした。スズネの向かい側にはマリアが、その隣にミーナが座っている。

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。何にしますか」

補給整備隊長にして普段は隊員の食事を一手に取り仕切る食堂の総責任者、コック長を務めるサリナが水の入ったコップを3人の前に置く。愛らしい笑顔を浮かべてメニューを差し出した。

「さっちゃん、シオらぁめん、大盛りでお願い」

メニューを受け取るやいなや、見もせずに注文したミーナに続けて、スズネも「私もそうしよう」と言った。

「姫殿下は、どうされますか」

小首を傾げてウサギ耳を揺らし、コック服姿のサリナが尋ねた。

シオらぁめん。

それは王国にはない、魅惑の麺料理。器の底まで透けて見える黄金色の澄んだスープは、見た目からは想像できない濃厚で奥深く滋味溢れた味わい。どんな材料で、どうやって作っているのか、まるで想像できない。

王国の豪華な晩餐会で、テーブルにずらりと並ぶ数多くの料理ですら、束になっても一杯のシオらぁめんにはかなわない。そう思えるほど、マリアはシオらぁめんに魅了されていた。

ミソやショーユという聞いたことのない味のらぁめんもあり、それはそれで美味なのだが、細めの縮れた麺に一番合うのは、シオ味だと思っていた。

「ならば、私も同じもので構わぬ」

王女のプライド故、大好物だと悟られぬよう(とっくにバレバレなのだが)素知らぬ風を装って注文した。

「かしこまりました。少々お待ちください」

誰もが頬を緩めてしまう微笑みを見せて、サリナは厨房へ戻っていった。


「さて、話の続きでしたね」

スズネはよく冷えた水を一口含むと、タケルと初めて会ったときのことを回想した。

「帝国には種族間の差別がないといっても、さすがにエルフとアマゾネスの混血では、そうもいきません。表だって差別されることはありませんでしたが、私と親しくしようとする人も、誰もいませんでした」

静かに、語り始めた。


エルフの自治区から遠く、アマゾネスも住んでいない。人の多い街からも遠く、獣人族だけが住む辺境の村、さらに、その外れに、スズネの両親は小さな家を建てて住んでいた。エルフの父親が時折、村の病人を治療することで金を得たり、力のあるアマゾネスの母親が村の農作業を手伝って生活に必要な物資を得たりしていたものの、基本的には誰とも交流せず暮らしていた。

しかし、2人の間に生まれた子どもは、スズネはそういう訳にはいかなかった。

教育を受けるのは子どもの権利、教育を受けさせるのは親の義務。帝国に生まれた子どもは必ず、学校に通わなければいけないからだ。

教室でいつも、スズネは独りだった。

誰も話し掛けてこなかった。毎日、来る日も来る日も誰とも口を聞かず、当然、友達と呼べるような相手もおらず、教師でさえスズネに対しては腫れ物に触るような扱いだった。

時折、聞こえてくるのは、自身への畏怖。「あいつに触るとエルフの呪いに掛かるらしいぞ」などと、いわれのない陰口ばかり。ヒソヒソと声を潜めて「どっちつかず」と呼ばれていることも知っていた。

当時はまだ、別種族同士の結婚は珍しかった。

ましてエルフとアマゾネスの混血という極めつけに異質な存在と、どう接していいのか、誰にも分からなかっただけなのだと、今にして思えば、理解できる。

だが、まだ幼かったスズネに、分かるはずがない。

「自分はどうして生まれてきたんだろう」

「自分には生きている意味なんてないんじゃないか」

「自分を必要としてくれる人はきっと誰もいない」

「自分のような異端の存在はいない方がいいんだ」

スズネは苦笑を浮かべながら、「子どもの頃はいつも、そう思っていました」。マリアに打ち明けて、「それでも学校に通い続けたのは、両親を悲しませたくなかったからです」と続けた。

スズネの両親は、スズネが孤独に生きていることを知っていて、でもそれを慰めるようなことはせず、代わりに精いっぱいの愛情を注いで育てた。

種族の壁を越えて結ばれただけあって、とても仲が良く、3人で暮らす家はいつも笑顔と温もりに溢れていた。

「まぁ、学校では結局、楽しい思い出など一つもなかったですが」


王国だったら、エルフの混血は生きてはいられない。孤独であれ生きていられるだけで十分ではないか。ぼんやり、そう思ったマリアが修学塾に通っていたときは、王女ということでもてはやされ、周囲にはいつも取り巻きがいて、すべてが自分中心に動いているようだった。

スズネとはあまりに境遇が違いすぎて、孤独の深さ、抱えていた悲しみなど、我が身に引き寄せて想像することができなかった。共感も実感もできなかった。確かに楽しくはなさそうだ、程度の感想しか浮かばなかった。


「スズネ、大変だったんだね…」

ミーナも初めて聞いたのか、身を乗り出してスズネの手を取り、大きな瞳を潤ませている。自分のことのように受け止めているようだった。

「昔の話だ。今となっては、どうということもない」

対して、スズネの方があっけらかんとしていた。アマゾネスらしい褐色肌に赤毛、エルフらしい清楚に整った顔立ちと尖った耳。スズネの薄い唇は、ニッと円弧を描いて笑っていた。

スズネが、辛かったらしい過去の身の上をまるで他人事のように、どうして笑って話せるのか、それもまた、マリアには理解しがたかった。

「学校を卒業した後は、ご説明する必要もないと思いますが、到底、他の子どものように街で仕事に就けるはずがなかったので、帝国軍に入りました。学校の授業で格闘技や剣術は得意だったですし、それに何より」

窓枠の細く長く伸びた影が、コップの水を飲み干すスズネの横顔に掛かっていた。

「帝国軍は実力主義ですから。実際、強くさえあれば、自分の居場所を得ることができました」

スズネの長い睫毛が微かに揺れた。目を細めて愛おしそうに、首に嵌めた黒革のチョーカーを長い指で触れた。

「タケル殿下に初めてお目にかかったのは、軍に入って結構経ってから…、たしか、軍警察から猟兵大隊に移って間もない頃でした」


帝国軍警察本部には、魔法と科学の両方を取り入れた捜査部、街や村の治安維持を担う地域安全部の他に、もう一つ部署がある。


「軍警察で所属はどこだった? もしかして」

尋ねたミーナのネコ耳が興味深そうにヒクヒクと動いている。思い当たる節があるのか、正解を確かめるような口ぶり。探るようにスズネの顔を下から覗き込んだ。

「特別公安部だ」

「やっぱり!」

両手をパチンと合わせ、椅子に座ったまま器用に飛び跳ねた。

「すっごぉい! 特公とっこうから猟兵大隊って、すっごい、えりーとじゃないですか!」

はしゃぎながら、驚きと尊敬の眼差しを向ける。

「その特公というのは、」

スズネの過去には正直、さして興味はない。だが、帝国軍の、敵軍の情報となれば話は別だ。マリアは小さくため息をついてつまらなそうに耳元の金髪をかき上げると、「どういう部隊なのだ?」。関心があるとさとられぬよう、ただの相づちといった態度を装って、ミーナに尋ねた。

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