第41話 「砦攻防戦」編(5)

見上げると、澄んだ青空が広がっていた。

白い雲が左から右へ流れていく。

王国と、同じだ。

こうして見る空は、王国と何ら変わらない。

帝国の皇子が目指しているという、新しい世界とは何なのか、まだ分からない。だが、なぜ自分に帝国を、帝国の人々を、日々の営みを、見てほしいと言ったのか。

ひと月が経ち、それは薄々分かる気がしていた。

単に帝国の治政を知ってほしかったのではない。

恐らく、自分は問い掛けられたのだ。

帝国と並び立つ王国の王女として、どんな国を目指しているのか、と。

あの、自分よりも年下の、あどけない顔をした少年、帝国の皇子に。

狭い世界で、ずっと、目の前にある世界がすべてだと、当たり前だと、疑いもせず、変えられず、変えようともせず、ただ苛立って、張り詰めていた。

まるで憑き物が落ちたようだった。

ゆっくりと深呼吸する。新鮮な空気が身体の中いっぱいに満たされる。

身体の力が抜けていく。

皇子と剣を合わせて一杯食わされたことなど、どうでもいい。

悔しい気持ちはあるが、すっきりとした気分だった。

持っていたコップをベンチに置いた。

手の甲が、硬い物に触れた。


何気なく見るとそれは、スズネが愛用している漆黒の大剣だった。希少にして貴重、強大な威力、膨大な魔力を秘めた魔剣が無造作に、敵国の王女の手が届くところに置いてある。

「その剣が気になりますか」

マリアの視線に気付くと、「持ってみますか」。返事を待たず、スズネは大剣を持って立ち上がるなり、いきなり、そのままマリアに向けて鞘ごと放り投げた。

「ま、待て」

鞘の幅はマリアの引き締まった腰と同じぐらいあり、小柄なタケルの背丈よりも長い大剣の重さは、いかばかりか。

力のあるアマゾネスならば持ち上げることも容易いだろうが、座ったままとはいえ、到底受け止められるはずがない。

とっさに両腕で抱えるようにして受け止めた。マリアは難なく受け止めて、戸惑った。

「これは、どういうことだ!?」

驚くよりも、拍子抜けしていた。

「軽い、でしょう」

悪戯が成功した子どものように、スズネは愉快そうに笑っていた。

軽い、などという表現では足りない。見た目の大きさに比すれば、重さなどないに等しいのではないか。信じられないほどの軽さに、「いや、しかし…、あのときは確かに…」。どういうことだ、とスズネの顔を見やる。

「わざと重い剣を持っている振りをしたんです」

バッサ砦至近の町へ向かう途中、深夜、マリアとの決闘で、漆黒の大剣をいかにも重たげに抜き、両手で構えても剣先はフラフラと揺れていた。

「見た目どおりの重たい剣なら当然、大振りになる。そう判断し、私が振り抜いた後、姫殿下が懐に飛び込んでくるよう誘ったんです」

実際、その通りになった。スズネの策略にまんまと嵌まり、罠に飛び込んだことになる。

「ですが、姫殿下の剣の速さは聞いていた以上でした。本当は一撃で仕留めるつもりだったんです。今だから言えますが、あの瞬間、姫殿下の剣を防ぐので精いっぱいでした。正直、かなり焦りました」

「…そうだったのか」

「ですから、姫殿下の剣は相当お強い。私が保証します」

もう一度、スズネが繰り返した。


王国で鍛えてきた剣技を褒められて悪い気はしなかったが、しょせん負けは負けだ。浮ついた気分になるつもりはなかった。

マリアは漆黒の大剣の柄に右手を添え、左手だけで鞘ごと持ち上げた。片手だけで軽々と持ち上げられた。

細く長い指で、そっと表面をなぞる。

黒く塗られているのではなく、剣全体が、柄も鍔も鞘も、すべての部分が同一の、もとより黒い金属でできているように見える。

魔剣をこれほど間近で見て、触れたのは王女であるマリアにとっても初めてだった。


「この剣は、いったい何でできているのだ?」

鉄のようだが、そうであれば、これほど軽いはずがない。

マリアの素朴な疑問に「私にも分かりません。一度タケル殿下に尋ねたことがありますが、教えてはいただけませんでした」と、スズネは即答した。返す刀で「姫殿下、抜刀しても構いませんよ」。思わずマリアが「いまなんと言った?」。そう聞き返すほど、驚く台詞を口にした。

「どうぞ剣を抜いてみてください。姫殿下なら片手でも十分扱えるはずです。見た目よりもずっと使いやすいと分かるでしょう」

「スズネ、そなたは自分が何を言っているのか分かっているのか」


いま、マリアが手にしているのは刀身に魔力を帯びた魔剣だ。どれほど強力な威力を持っているか、1カ月前に目の当たりにしている。

エルフでなくとも、ヒトであるマリアでも、強大な魔法を放つことができる魔剣を囚われの身とはいえ敵国の王女に抜刀してみよ、と言う。

マリアがその気になれば黒鷲隊本部の建物を、周囲を取り囲む高い石壁を破壊し、逃亡を図ることだってできるはずだ。

何らかの意図を持って、マリアを試しているのかと疑ってしまうのも、当然といえた。


「だいたい、魔剣には簡単に抜刀できないよう封印が」

「封印などされていません」

マリアの言葉を遮って、「遠慮なさらずにどうぞ。それとも姫殿下は、細身の剣でなければ上手く扱う自信はありませんか」。意に介す風もなく平然と、挑発するような台詞で再び勧めた。

そこまで言うのなら、とマリアは右手で柄を握り締めた。勢いよく漆黒の刀身を抜き放つ。

「どうです? 良い剣でしょう」

何も起きなかった。

スズネは愛剣を自慢するように胸を張り、「両手で構えてみてください」と続けた。さりげなく、ミーナがマリアの左手から巨大な鞘を引き取る。

魔力の欠片も放出される気配はない。

「なぜだ?」

深緑の虹彩をした宝石のような瞳を見開き、青空の下で露わになった、艶のない漆黒の刀身を見詰めた。

「なぜ魔力が解き放たれない? 魔剣のはずではなかったか?」

もしや見た目が同じだけの偽物か、単にからかわれたのか。振り返り、スズネを睨むように見た。

「この剣は魔剣ではありません。そもそも誰も魔剣だとは言っていないでしょう」

「ならばどうして!」

「この剣から魔力が放たれたのか、その理由を今から姫殿下に教えて差し上げます」

スズネが被っていた編み上げ帽を脱いだ。赤毛がこぼれ背中に広がる。

マリアは息を吞んで絶句した。

「お分かりになりましたか」

「…そなた、…まさか、…アマゾネスと」

あまりの衝撃に、声が震えていた。

「ええ、そうです」

「エルフの…、混血ハーフだったのか…」

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