第6話 「王女来訪」編(4)

決断したマリアの行動は素早かった。

まだ夜も明けきらぬ、山々の稜線がようやく明るくなりつつある頃、王宮の一角にある白薔薇騎士団の宿舎前には、騎士のきらびやかな甲冑をまとい白馬にまたがったマリア以下計5騎が準備を整えて集まっていた。

「スクロ二ーニャ、ずいぶんと大荷物だな」

自らの力で砦を奪還する第一歩を踏み出すべく意気揚々としたマリアが、スクロニーニャだけ妙に多くの革袋を馬に付けていることに気付いた。

かすかに表情を揺らしたスクロニーニャは「道中、何があるか分かりませんから、雨具や糧食など多めに準備いたしました」

「そうか。さすがスクロニーニャだ。よく気がつくな」

馬上のマリアは選りすぐりの部下たちを前に、胸を張って告げる。

「我ら騎士団の手で必ずやバッサ砦を帝国の下賤な者どもから取り返すぞ。よいな」

「はっ! 王女殿下と白薔薇騎士団の名において必ずや!」

「出発!」


大陸西方の王国、その中央に位置する王都の周囲には、見渡す限りの平原が広がっている。肥沃な大地は一面の小麦畑だが、王族の直轄領は王都周辺の一部だけ。大部分は貴族たちが収める諸侯国領となっている。

貴族が居城を構える諸侯国の領都と王都の間には、道幅が広く石畳が敷かれた街道で結ばれているが、移動の手段といえば馬車が一般的なため、引き馬に負担が掛からないよう街道の多くは山坂を避けて整備されていた。

また、逃げ出した奴隷の男たちが盗賊となって潜んでいる恐れのある森も避けている上、帝国との事実上の国境線となっている大陸中央を縦断する大河が近づくにつれ、街道は万一の侵攻に備えてわざと遠回りするようになっていた。

王都からバッサ砦に近い拠点の町まで、どんな早馬でも2週間がかり。重い荷を積んだ馬車なら1カ月はかかる、というのが常識だった。

マリアたちがそれだけの遠距離をわずか1週間足らずの驚異的な早さで町近くまで来ることができたのは、ひとえにスクロニーニャが持っていた詳細な地図のおかげだった。

マリアたちは、スクロニーニャの地図に記された山道や、時には森の中の獣道同然の細い道まで馬を走らせ、日中ずっと駆け抜けてきた。


野営した草原で、たき火の明かりを頼りに広げた地図を見ているスクロニーニャの隣に、マリアは腰を下ろした。他の騎士たちは草原で横になり、ぐっすりと眠っている。

「王女殿下、お疲れでしょう。どうかお休みください」

スクロニーニャの表情にもさすがに疲れの色が見える。

「いや、私は大丈夫だ。それでどうだ、明日には町に着けるのか」

「はい、この先の森を真っ直ぐ抜ければ、なんとか明日の昼頃には到着できるかと」

「そうか」

マリアは信頼する部下の言葉に、柔和な笑みを浮かべた。

うなじのあたりで一つに編み込んだブロンドのほつれ毛が、草原を吹き抜ける風で揺れている。

「それにしても、その地図はすごいな。道とも呼べぬような小道まで書き込んであるではないか。これがなければ、もっと時間が掛かっていただろう」

「万一のとき、どこが戦場になるか分かりません。敵の背後に回り込んで急襲するためには、日頃からこうした情報を知っておくことが肝要です」

「さすがだな、スクロニーニャ。本当におまえは頼りになる。砦を奪い返した暁には王国一等勲章を授かれるよう進言してやろう」

「我が身に余る光栄にございます。いまは王女殿下のご期待に応えられるよう努力するのみにございます」

王国の一等勲章を授与されれば、小貴族並みの領地も与えられる。平民に生まれた王国軍人にとっては最大級の栄誉だった。にもかかわらず、スクロ二ーニャは喜びの欠片もない平素と変わらぬ淡々とした口調で答えた。

「いよいよ戦の時が近うございます。王女殿下がお疲れのご様子では部下の士気にもかかわります。どうかお休みください」

「そうか、そうだな。ならば私も少し横にならせてもらおう」

甲冑を外した軽装の騎士服姿で、マリアは草原に横たわった。夜空には、王宮の寝室の窓から見るのと変わらぬ、満点の星空が広がっている。

どうすればこの頼れる片腕が喜び、笑顔を見せてくれるのだろうか。そんなことを思い浮かべながら、マリアは瞳を閉じた。


バッサ砦近く、王国軍の拠点まで後少しという森の中で、行く手を土砂崩れでふさがれ、マリアたちは馬を下りざるを得なかった。

「ここで馬を捨て、先に進むことはできないか」

焦りの色を隠せないマリアに対し、「恐れながら王女殿下、それは大変危険です。森の中を真夜中、徒歩で進むことになってしまいます」。騎士の一人がなだめるように答える。

すでに日は暮れ始め、鬱蒼とした森は一足先に薄暗くなり始めている。

左側の斜面から崩れた土砂は木々を巻き込み、右側の崖下まで崩れ落ちている。崩落してまだ間もないらしく、今も時折、石つぶてが転がり落ちてくる。

たとえ馬を捨てたとしても、崩れた土砂を人が乗り越えるのは極めて危険な状態だというのは誰の目にも明かだった。

「町まで後わずかだというのに、ここで引き返さねばならんのか…」

愛馬の脇に立ち、苦々しげに呟いたマリアの傍らへ、地図を広げたスクロ二ーニャが歩み寄った。

「少し戻ったところに川へ下りる小道があるようです。いったん川岸に下りて今夜はそこで野営し、夜明けとともに川沿いに馬を進ませるのはいかがでしょうか。王女殿下、多少遠回りになりますが、明日の夜には町に着けると思われます」

「よし、分かった。そうしよう」

スクロ二ーニャの進言を、マリアは迷うことなく受け入れた。

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