第5話 「王女来訪」編(3)

「母上! バッサ砦奪還のため、今すぐ軍を出すべきです。ご決断を!」

マリアの母であり、王国の最高位である女王が臨席して開かれた御前会議は、堂々巡りの議論が続いていた。

業を煮やしたマリアが出兵を求めても、女王は「そのように大きな声を上げるとは、なんとはしたない。ここは皆の意見を聞きましょう」と、逆にマリアをやんわり窘めるだけ。女王の象徴でもある豪華な王冠の下で、砦の陥落になど何の関心もないとばかりに焦りの色一つない表情を浮かべている。

普段の政務からして、ほとんどが有力貴族の言うとおり承認するだけ。自身では何の判断もしない女王の態度が貴族たちをのさばらせ、思うがまま権勢を振るうようになった原因だと思っているマリアは、しかし、唇を噛みしめることしかできない。


各地を治める貴族にとって、これほど都合のよい存在はいない。

農作物の不作のせいで自領から私兵を出す余裕はないと皆が声を揃える。出兵に応じて自分たちの懐具合を痛める気など、さらさらないのだ。女王直属の王国正規軍を出すべきだと、自分たちに都合のよい結論を押し通そうとする。

対して、王宮で実務を取り仕切る役人たちもまた、主張は同じ。貴族からの納税が滞って王宮の財政は逼迫しており、余計な出費につながる王国軍の派兵はしたくないのが本音だ。

もとより、長く続いた平和な時代のせいで王国軍は大幅に縮小されており、万一の時は貴族領諸侯国の私兵をもって対処することになっている。もし帝国の大部隊が砦を拠点に攻め込んできた場合、太刀打ちできるか心許ない。

それでも貴族たちは、「そうなったら、その時に考えればよいではないか」と食い下がる。

面倒事の押し付け合いといった様相を呈してきた御前会議に困り果てた重臣がひな壇の上に顔を向けても、女王は我関せずとばかりにそっぽを向いている。


マリアは、苛立ちと怒りを押し殺すのに精いっぱいだった。

王国の一大事にこの有様は何なのだと、一刻を争う一大事だというのに貴族も役人も自分たちのことしか考えていない。ただ一人、バッサ砦に最も近い弱小貴族だけが、「誰でもいいから早く軍を送ってちょうだい。帝国に私の領地を奪われたらどうするつもりですか」と慌てふためていている。年老いたその貴族が弱り切った顔で、「カインツ将軍、すぐにあなたの軍を寄越しなさい」と声を張り上げた。

女将軍は胡乱げな目つきで名前を呼んだ貴族の方へと顔を向ける。

特徴的な褐色肌をした女将軍は、この御前会議の場で唯一、ヒトでもエルフでもない亜人種、アマゾネスだった。王国軍きっての武闘派で帝国との小競り合いでは幾度となく出兵し、鬼神のような戦いぶりで撃退してきた功績を買われ、二等市民にもかかわらず将軍の地位にまで上り詰めた叩き上げの軍人だった。

マリアはこの時になって初めて、カインツ将軍が御前会議に出ていたことに気付いた。

背後に控えた副官のスクロニーニャの方へ身体を寄せ、マリアは「どういう風の吹き回しだ? 普段のカインツ将軍なら真っ先に砦奪還を進言しているはずだ」と小声で尋ねる。

「確かに…。珍しいですね」

副官も小首をかしげている。

「我が軍は今、各地で発生した水害の復旧工事に借り出され、出兵するにも兵の再編に時間がかかる故、すぐに動くことはできないのです」

兵の再編とは、つまり薬物を使った洗脳による奴隷兵士の大量生産のこと。

猛将、戦闘狂とも呼ばれる王国最強の指揮官とは思えない淡々とした口調で答えたカインツの視線が、ふと、マリアと重なった。

騎士団を率いるマリアは軍の演習で何度かカインツと顔を合わせたことがある。だが、マリアにしてみれば全く心当たりはないのだが、カインツのマリア嫌いは有名で、これまでほとんど口をきいたことがない。まれに言葉を交わした時でさえ、一度たりとも目を合わせたことがないカインツがひとしきりマリアを見詰め、すっと目を閉じた。

感情が読めない無表情で自身を見やったカインツの真意がつかめず、マリアは戸惑うばかり。結局、長々と続いた御前会議は貴族たちに押し切られる形でバッサ砦近くの町に拠点を設け、王都近郊に駐留するカインツ将軍配下の部隊から、すぐに動ける兵を派遣して様子を見つつ、戦の準備をすることになった。王族であるマリア率いる騎士団の出兵は認められなかった。


囚われているはずの親友の身を案じるマリアにとって、御前会議の結論は到底納得できるものではない。

しとやかな白いドレスには似合わない、憤りを露わにした早足で金髪をなびかせ王宮の廊下を歩くマリアに「そんなに怖い顔をしていては、せっかくの美貌が台無しですな、王女殿下」。揶揄するような言葉に振り返ると、声の主はカインツだった。

アマゾネスの大柄な身体でマリアを下に見て、口元には嘲り混じりの笑みを浮かべている。

「将軍、何用ですか」

背後には、カインツが常に連れ歩いている愛玩奴隷のトラ族の男と、最近登用したばかりらしいエルフの副官が控えている。

「討伐軍の総指揮官殿に挨拶をと思っただけでございます。準備が整い次第出兵し、事は全て我々が整えておきます故、王女殿下の騎士団はせいぜい身ぎれいにしてご参戦ください」

言葉遣いだけは丁寧だが、話の中身は完全にマリアを、マリア率いる騎士団を見下していた。

「どういうことですか」

「言葉通りにございます」


バッサ砦奪還の作戦自体はカインツ率いる軍が実質的に担い、ほぼ制圧したところでマリアの騎士団が〝参戦〟して砦に王国旗を再び立てる。王族の中で最も民に慕われているマリアが砦を奪い返したとなれば、一時的とはいえ帝国に砦を落とされた失態を取り返し、民の士気を高揚できる。あわよくば食糧事情の悪化で積もる民の不満をも払拭し、王国への求心力を高められるのではないか。いかにも王宮の役人たちが考えそうな策だった。御前会議では直接言及されなかったが、恐らくそういうことになるのだろう。すでにカインツには伝えられているのかもしれない。

戦場で血を流す汚れ役は二等市民扱いのアマゾネスに生まれたカインツで、手柄は第一王女であるマリアのもの。武人としての誇りを重んじるカインツにとって、面白い話であろうはずがない。


「王女殿下の騎士団の活躍には大いに期待しております。それでは、これにて」

カインツの皮肉から、マリアは役人たちの企みを察した。何も決められない女王と同じ、自身もお飾りの王女だと言われたに等しい。だが、反論する言葉を持ち合わせていない。屈辱と怒りに唇を噛みしめるマリアに向かって、わざとらしく丁寧に一礼して立ち去るカインツたちの背中を見送るしかなかった。

「…スクロニーニャ」

「はい」

「我が白薔薇騎士団に出兵準備をさせよ。今すぐに、だ」

マリアの怒りを押し殺した命令に、冷静沈着な副官は「お言葉ですが王女殿下、白薔薇騎士団はまだ動かしてはならないと御前会議で念押しされてございます」。当然、そう答える。

こうしたとき、マリアをたしなめるのも普段のスクロニーニャの役目だったが、珍しいことにマリアが口を挟むより早く、「ただ」と言葉を継いだ。

「いずれ拠点となる町に騎士団を動かすのであれば、先遣隊として数騎出す程度なら問題ないかと」

「そうか、その手があったか! よし、腕の立つ数名を選抜せよ。明朝夜明け前にも出立するぞ」

「かしこまりました。王女殿下の護衛として、私ほか騎士3名が同行いたします」

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