第4話 「王女来訪」編(2)
王族さえ見下すような不遜な態度を隠そうともしないルジャル卿の長い自慢話から逃れられ、ホッとしたのも束の間。マリアは、王宮から呼び出された理由を信頼する副官から聞かされ、耳を疑った。
「バッサ砦が帝国の手に落ちたというのは本当に事実なのか?」
開放感など一瞬で消し飛んでいた。マリアは剣闘場の廊下を足早に進みながら、苛立ちも露に聞き返す。
「分かりません。ただ…」
スクロニーニャは王族専用の豪華な馬車の扉を開き、マリアの手を取って乗り込ませると、続いて自分も乗り込み扉を閉めた。
「今朝方、守備隊の交代要員と物資を積んだ輸送部隊の一行が砦に着いたところ、城壁の正門は閉じられたままで、開けるよう呼び掛けても返答がなく、やむなく別の門に向かおうとしたところ、砦から魔法や弓矢で攻撃されたそうです」
王宮へ向かう大通り、石畳の上を進む馬車はガタゴトと揺れが激しい。しかし、王族専用馬車の座席はたっぷりと羊毛が詰められて柔らかく、さほど不快には感じない。
「砦の中で、何か不測の事態が起きたのではないか。最近は砦への物資の補給が滞っていたと聞く。待遇に不満を持つ一部の兵が反乱を起こし砦に立てこもった、とか…」
状況説明を聞いたマリアは自分で言葉にしておいて、それはないな、と思い直す。帝国との国境の最前線であり最重要拠点、要衝に立つバッサ砦の守備隊は王国への忠誠に厚い選りすぐりの騎士たちが配備されている。しかも、守備隊の隊長は、マリアと王立騎士学院の同期で首席の座を争った優秀な魔法騎士。マリアの親しい友人でもあった。
マリアの思ったとおり砦内部のゴタゴタが原因ではないという明白な事実を、スクロニーニャは最悪の事実として、顔色一つ変えず報告する。
「輸送部隊が撤退する途中、砦の最上部に帝国の旗が翻っているのを目撃したそうです」
「なんだと!? そんな馬鹿な? 見間違いではないのか?」
「見間違いであれば良いのですが…。いずれにしても、今も砦に近づけない状況が続いているそうです」
バッサ砦は、王国の守りの要。故に堅牢な防御を誇る。誰もが難攻不落だと思っていた。スクロニーニャの話を聞いてもまだ、砦が奪われたとは信じられない。一夜にして誰にも気付かれず砦を落とすなど、そんな魔法のようなことが可能なのか。だが万一、本当に陥落したとなれば、帝国は王国侵略の橋頭堡を得たことになる。早急に対処しなければ、広範な王国領を奪われかねない一大事だった。
「どうしたのだ。さっきから馬車が少しも進まないぞ」
マリアが血相を変えたのは、戦争を予感させる危機期急の事態が発生した重大さを、その深刻さを理解したせいだけではない。
閉じられたカーテンを開き、馬車の窓から外の様子を伺うと、鎖で繋がれた奴隷たちが見るからに重そうな石畳をいくつも背に乗せ、よろよろと一列になって歩いていた。
「どうやら、この先の大通りで石畳の張り替え工事が行われているようです」
馬車は、わずかに進んでは止まる、を繰り返している。
「なんとかならないのか。このままではいつになったら王宮に着くのか分からん。日が暮れてしまうぞ」
砦の守備隊長は由緒ある貴族の一人娘で、王立騎士学院の入学式典で初めて会ったときマリアでさえ見蕩れてしまうほどの美貌を持ったエルフだった。そして、なによりマリアにとっては数少ない、気心の知れた大切な友人だった。
「この先の状況を確認して参ります」。言い残し、スクロニーニャが馬車を降りて駆けて行った。
美しく凛々しい、友人の顔を思い浮かべる。
「どうか、無事でいてくれ」
帝国の虜囚となったエルフの美女が、果たしてどんな目に遭わされるか。ルジャル卿が連れていた愛玩ペット奴隷の姿が脳裏をよぎる。帝国の下賎で下等な男によって、親しい友が奴隷として見世物にされ、嬲り者にされる。想像するだけで虫唾が走った。
「すぐ助けに行くからな」
誰に言うでもなく、マリアが呟いた。
窓の外では、奴隷の一人が転倒し、抱えていた石畳が辺りに散らばった。監視役のアマゾネスが駆け寄り、罵声を浴びせて奴隷を激しく鞭打っている。奴隷は力尽きたのか、ピクリとも動かない。鮮血が飛び散るすぐ脇を、汗と埃に塗れ薄汚れた奴隷たちが重い石畳を背負ってゆっくりと歩いていく。
過酷な重労働に従事する奴隷たちの目に光はなく、倒れた男に目を向ける者もいない。
「王女殿下、お待たせいたしました」
戻ってきたスクロニーニャは「混雑を迂回して王宮に向かいます」。相変わらずの無表情で、短く告げた。
馬車は王宮に向かう目抜き通りから外れ、商店が多く立ち並ぶ脇道に入った。王都の商店が軒を並べる通りといっても、上流階級の市民が立ち寄るような煌びやかな店が連なる繁華街ではない。そこから外れた狭い通りには、主に亜人種や獣人族を相手に商売する店ばかり。普段は王族専用の馬車が入ることのない裏通り。馬車は先を急いで進むようになったものの、石畳はほとんど整備されていないのか凸凹で揺れが激しい。
「ずいぶんと、街が寂れているようだが…」
マリアが何気なく漏らした言葉に、スクロニーニャは「ここ数年、農作物が不作続きですから、活気がないのはそのせいでしょう」と、窓の外を見ずとも分かるとばかりに前を向いたまま素っ気なく答えた。
「不作続き、だと!?」
「ましてここは亜人種たち相手の店が多いですから、売ろうにも物が出回っていないのです」
言われて見れば、店先に並ぶ商品の品数が極端に少ない。パン屋には申し訳程度のパンが置いてあるだけで棚はほとんどが空っぽ。肉屋や魚屋といった食料品を売る店の多くは木戸を閉め切っており、店を開けている八百屋では、しおれかけた葉物野菜の傍らでウサギ耳をした女店主がくたびれた表情で座り込んでいた。
「いくら不作とはいえ、ここまでとは…、いったいどういうことだ」
「数年来続く病害虫の大量発生に、今年は追い打ちを掛けるように各地で洪水が起き、小麦や野菜の収穫が激減しているのです。その上、諸国を治める貴族が収穫した農作物を貯め込んで売値を釣り上げていますから、亜人種の店では仕入れさえままならないのでしょう」
王宮でのマリアの日々の食事では、肉も魚も野菜も、食べきれないほど饗されている。民の暮らしが困窮しているなど、気付きようがない。
「そのような話は初めて聞いたぞ」
「対策を立てるのは役人の仕事ですから。わざわざ王女殿下のお耳に入れるほどのことではない、というご配慮なのでしょう」
驚きを露わにするマリアに対し、側近のスクロニーニャはどこまでも他人事のような口ぶりだった。
王族専用の馬車に気付いても、道行く亜人種や獣人族といった二等市民たちは眉をひそめて顔を背けるばかり。王宮前の広場のバルコニーで行われる新年の王家拝謁の折、広場を埋めた一等市民が満面の笑みで歓声を上げ、バルコニーに姿を見せた王族に手を振る光景とは対照的だ。
「なんということだ…」
重要な砦の陥落に、農作物の不作。悪い知らせを二つ同時に耳にし、苛立つマリアを乗せた馬車が王宮の正門をくぐって行った。
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