第3話 「王女来訪」編(1)

世界は二つに分かれていた。

大陸の中央を流れる大河を仮初めの国境として、東側に、男性上位の国「ガレリア帝国」と連邦国家。

西側は、女尊男卑の国「神聖リリア王国」と諸侯国。

いつの頃からそうなったのか、世界の成り立ち、きっかけはもはや、誰にも分からない。太古の昔は男女ともに暮らす一つの国だった、という言い伝えも残ってはいるが、歴史書の多くが幾多の戦災で焼けてしまい、はっきりとした記録は存在しない。

王国の教会では、男は不浄にして下等な生き物であり、女こそがヒトとして正しい存在であり、聖なる女神ステルヴの意思が世界を二つに分けたのだと教えていた。

互いに異性を奴隷として虐げる二つの大国は、男と女は、数百年にわたり存亡を掛けた争いを繰り返してきた。

大河の東へ、西へ、何度も変わった両国の国境はしかし、50年ほど前の大規模な戦争の結果、大河を境に両岸を分け合う形になった。

以来、偶発的な小競り合いは何度か起きたが、両国が全面衝突することはなく、つかの間の平穏な時代が続いていた。


大陸暦1701年、晩秋。


「退屈ね…」

王都にある剣闘場の貴賓席で、マリアは欠伸をかみ殺した。

眼下では、小柄ながら筋骨隆々のドワーフの男と、すらりと背の高いヒトの男が、剣を構えて睨みあっている。

王国にいる男はみな、奴隷。人間としての権利は一切与えられていない。豚や牛といった家畜と同じ存在でしかない。

生死を賭けた剣闘を見下ろす観客席を埋めているのは、全員、王国の市民、つまり、女だけだ。

カキン、カキンと剣がぶつかり合う鋭い音が響くと、観客席から歓声が上がった。どうやら容姿の整ったヒトの剣闘士の方が人気があるらしく、黄色い声援が飛んでいる。ただそれも、どちらが勝つか賭けの対象を応援しているだけのこと。奴隷であっても、自然と見た目がいい方へ声援が集まってしてしまうのは、女であるが故の性質か。ドワーフの剣がヒトに傷をつけるたび、観客が罵声を浴びせている。


マリアは、王国で最も人気のある娯楽、奴隷同士の剣闘があまり好きではなかった。

王女でありながら自ら率いる騎士団の団長として日々、剣技を磨いている自分からすれば、奴隷の剣の扱いなど稚拙にすぎる。もっとも、奴隷である男に剣技を教えるなど反乱の種になりかねないので仕方のないことだった。

ヒトが突き出した剣先がドワーフの脇腹を切りつけ、鮮血が飛び散ると一際大きな歓声があがった。


「ご機嫌麗しゅう。王女殿下。いつ見てもお美しいですわね」

マリアが嫌々ながらも剣闘場の貴賓席に来たのは、ここが夜会と並ぶ王族、貴族の社交の場だからだ。

 王女であるマリアを見下ろすように傍らに立って声を掛けた恰幅のよい女は、過剰なほど宝石を散りばめた豪華なドレスを着込んでいる。

「ごきげんよう。ルジャル卿が剣闘見物とは、珍しいですね」

最も会いたくない人物の一人に遭遇し、げんなりとした気分を表情に出すことなく、マリアは優美な笑みを顔に張り付けて立ち上がった。

「光栄にも王女殿下と同席させていただいて構わないかしら」

ルジャル卿と呼ばれた貴族は、マリアの母である女王とほぼ同年代。贅を尽くした暮らしぶりを象徴するかのように、たるんだ頬、二重顎をした顔に余裕たっぷりの含み笑いを見せている。

「ええ、もちろん。構いません」


長く続いた平穏な時代は、王国貴族たちに莫大な富をもたらした。それこそ貴族たちから徴収した税で成り立つ王族をしのぐほどの、有力貴族の支持がなければ王国は成り立たないと言われるほどの、巨万の富を。

マリアには、同席を断るという選択肢はない。

ルジャル卿は王宮にあっても我が物顔で権勢を振るう王国で指折りの大貴族の一人だった。


ウサギ耳の給仕係が引く椅子に、ルジャル卿が腰を下ろす。

「ルジャル卿、また新しい奴隷を飼われたのですか」

丁寧にぶどう酒を注いだ貴賓席付の給仕係に一瞥をくれることもなく、銀製のコップを手にすると一口含み、ルジャル卿はゆっくりと答える。

「さすがは王女殿下、お目が高いこと。先週の奴隷市で買い付けたばかりですのよ」

ルジャル卿が持つ鎖は、背後に立つ奴隷の首輪に繋がっている。

「バッハムンド伯爵と競り合ったので少々値は張ったけれど、なかなかのモノでしょう」

鎖で繋がれた奴隷は、眉目秀麗なエルフ族の少年だった。エルフらしい特徴的な金髪に尖った耳、面長の整った顔立ちをしているが、口枷を咥えさせられしゃべることはできず、両手は腰の後ろの手枷で拘束されている。裸の上半身は貴金属の類で飾り立てられていた。

「素晴らしいペットですこと」

マリアは、思ってもいないお世辞で同意してみせた。ルジャル卿は、そんなマリアの内心に気付くことなく、たるんだ頬を醜く歪ませ「お~ほっほっ」と甲高い笑い声をあげ、満足した様子だった。

普段は剣闘場に来ないルジャル卿が今日、どういう訳か珍しくやってきたのは、手に入れたばかりの自慢のペットを見せびらかすため、いかに金に糸目をつけず希少なエルフの奴隷を手に入れたのか、つまりはルジャル家の繁栄ぶりを自慢するためだ。


王国では男は皆、例外なく奴隷だが、種族によって格付けがある。

知恵が働き手先が器用なヒト族の男は、農作業から商店の雑用係、裕福な家であれば小間使いに、貧しくとも集落で共同所有し労働力とするなど使い勝手がよく、また体力がある亜人種のドワーフは肉体労働が必要な荷役や工事現場などで使われ、比較的高値で取引される。

ヒトや亜人に比べ、獣人種はおしなべて安い。遠くの物音や気配に敏感なウサギ族、狩猟で重宝するオオカミ族など特性を生かして使い道は少なくないのだが、ヒトよりも動物に近い種として差別されているからだった。獣人の男は数に物を言わせ、野生の害獣退治で死ぬことを前提にした使い捨ての駒にされことさえ珍しくない。

そして、奴隷の男の最も多い運命は、魔法や薬物で洗脳された、死をも恐れぬ忠実な奴隷兵士。かつての帝国との戦争では、実用性より見た目を重視したきらびやかな甲冑に身を包んだ女だけの騎士団の前衛として、種族を問わず大勢の奴隷兵士が戦場に投入され、死んでいった。その構図は今もまったく変わっていない。今も王国軍の主戦力は、こうした奴隷兵士たちだった。

そうした中、希少なエルフだけは別。

ヒト族や獣人種の奴隷は、普通の王国民なら奴隷商の店先や月に何度か町の広場で開かれる奴隷市で普通に、それこそ日々の食料や服と同じように買うことができるが、エルフだけは奴隷商人が貴族や裕福な商人だけを対象とした特別な奴隷市でしか手に入れることができない。エルフだけが使える魔法の種類や外見によって多少の差はあるものの、破格の値段で取引される。そして、主な使い道は、愛玩用のペットだ。

ルジャル卿のように見た目の良いエルフの奴隷を着飾らせ、連れ歩いて見せびらかすのは、王国貴族たちにとってはごく当たり前、優雅な趣味の一つとされていた。

ちなみに王国では、種族によって差別されるのは奴隷の男だけではない。王国民として市民権を持つ女でも、信仰対象とされている女神の姿に似ているとされるヒト族、神の身業である魔法を使えるエルフが一等市民として上流階級を形成し、それ以外は二等市民、労働者階級として区別される。さらに二等市民の中でも、アマゾネスやドワーフといった亜人種の女は獣人種の女を見下し、同列に扱われることを嫌う。ここ剣闘場にあっても、観客席に座っているのはほとんどがヒトかエルフで、飲み物や軽食の売り子として働いているのは獣人族の女ばかりだった。

男の奴隷だけでなく、女の市民にも種族差別が存在する。生まれた性別、種族によって人生が決まってしまう身分社会。それが王国だった。


「お~ほっほっ。それでねぇ、うちのペットは鞭打つとねぇ、とぉ~っても良い声で鳴くのよ。王女殿下も、エルフの可愛らしい鳴き声お聞きになりたいかしら?」

歳若いエルフの奴隷、飾られた上半身には無数の傷跡が走っていた。テーブルに置いた短い革鞭を手で弄ぶルジャル卿に、「いえ、私は、結構です」。マリアは愛想笑いを浮かべて答えた。

執務に忙しく王宮を離れられない女王に代わり、こうして有力貴族のご機嫌伺いをするのが、王女マリアの日常だった。

内心では、早く王宮に戻り自ら率いる騎士団の部下と剣技の練習をしたいと思いつつ、ルジャル卿の自慢話は延々と続いていた。

いい加減げんなりとした気分で相槌を打っていたマリアの傍らに、騎士団の副官であり侍女でもあるスクロニーニャが険しい表情で近寄ってきた。


常に冷静沈着にして、ほとんど笑顔を見せたことがない。遠方の聞いたことのない小さな属国出身のヒト族で王国正規軍の士官を務めていたところ、図抜けた戦術眼と分析力をマリアに見込まれ、1年ほど前からマリア率いる白薔薇騎士団で副官を務めている。以来、王国軍の演習で他の騎士団に負けることがほとんどなくなった。マリアにとって欠くことのできない部下であり、騎士団員の間では『王女殿下の懐刀』として一目置かれる存在だった。


「何事ですか」

スクロニーニャは自身の髪が王女の肌に触れないよう、掛けている細身の眼鏡のフレームと一緒に押さえながら、マリアの耳元で「女王陛下より、急ぎ戻るように、との御下命です」。珍しく緊張した声色で囁いた。

「ルジャル卿、私、急用ができましたので、これにて席を立たせていただきます」

ちょうどその時、勝負に決着がついたようで剣闘場が大歓声に包まれた。

マリアは柔らかな笑顔を浮かべてドレスをつまむと優美な仕草で挨拶をして貴賓席を後にした。

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